エピソード118 北大闘争の幻影とナンセンスの理【矛盾だらけの世界の正体を見破り、迷宮を壊しに向かうシェフ】
視界が揺さぶられた……。
記憶、意識、感情、自分のものではない体験の映像が脳内に映し出される。
ブゥオッ……と、巻き上がる風に乗じて、火の粉が空に舞っていた。
(火事……?)
赤茶けたレンガ造りの建物が、炎に包まれている。隣にやってきたカイが呟く。
「まるで戦争だな」
そうだ。火の手の上がる周辺の景色は、彼の言う通りひどく荒れていた。
破壊された鉄パイプのバリケード、散乱している木片は、少し前までは机や椅子だったものだろう。倒れて動かない魔物たちの姿もちらほら見える。
ドドンッ……。
火の勢いが増し、近くにあったはずの物置小屋が倒壊した。
(僕たちは今、何を見ているのだろう……)
いや、ダンジョンが僕たちに何を見せようとしているのか……。
その答えは、きっと視界に映るもののどこかにあるはずだ。
(この建物……見たことある……)
北海道大学の構内――エルムの森の近くにあった、事務局本館の建物だ。
……だが、燃えてるのはどうしてだろ?
『……見つけて……探して……』
声だった――僕はカイのほうに向き直る。
「ねぇ、今の聞こえた?」
「声って……魔物たちが、こちらを見て威嚇している声のことなら、あいつらならさっきからそうしてるぞ」
……そうか。この声、僕にしか聞こえていない。だとすれば、誰の声だろう?
「見つける……」
「レイ、どこにいくんだ?」
「探さないと――」
僕は声に言われるがまま、燃え盛る建物に向けて走り出した。
建物を囲むように群れをなしていたのは、キラーアント。この魔物がここにいるということは、司令塔が必ず近くにいる。
キラーアントは指揮系統が整っているが、リーダーがいるからこそ成り立っている連携となる。
キシャァッ……!
空の方から急降下してくる、アーク・ワイバーンの群れ――彼らが僕たちを発見したことで、キラーアントたちの視線がこちらに向けられた。
(……避けられそうもない)
建物を取り囲んでいたアーク・ワイバーンにキラーアント、それにグールたちは、僕とカイを標的に選んだようだ。
「ねぇ、カイ。おなかは空いてない?」
「ペコペコだね。何か食べるものが欲しい」
「お弁当なら用意してあるけど――」
言って、僕は亜空間収納から弁当を山積みに取り出してみせる。
「後でお代は払うよ」
カイが弁当を受け取ったすぐ後に、魔物たちが一斉にこちらに向けて奇声を発した。
……術式展開――。
肉体から僅かに離れたそこに、ふわりと触れる魔力の波動。脳内に構築されていく言葉の羅列は、やがて記号となって純化していく。
付与能力――硬化付与、耐久強化……筆の先に、鋭利化を展開させる。
僕は迎え来るキラーアントの群れの中に飛び込むと、そのまま術式の付与された筆の一筋で、魔物どもを両断していく。
……カイ!?
横を見ると、大きく膨らんだ魔力のなかで、不格好なフクロウが大暴れしている。カイが召喚した魔物だろう。
(……僕も――)
術式を構築しようとしたときだった。
グラン……ズル、ズル……。
『……ダメ……戦わないで!』
脳内に響く声のそのすぐ後に――キラーアントが、切られたはずの足で、むくりと起き上がる。
……再生してるのか!?
周りをよく見ると、カイが制圧したはずの魔物の群れも、数を減らしていない。
『……見つけて……争わないで……』
小さな声が、言葉を伝えてくる。
……見つける? 何を――。
揺らめく炎の先に、ちらりと見覚えのある気配があった。確信はない。視界にある魔物には見覚えがない。記憶にもない、見ようとすれば、すぐに僕の意識から消えていくような感覚を与えられる。
だとすれば――あの魔物……ゴブリン型をした魔物しかいない。
僕はすぐさま、ゴブリンを追いかけた。
「雨霧……――!」
行く手を拒む炎の渦を、水の術式で消火していく。
『聞いて……先生……』
声が――僕に直接話しかけてくる。
……先生?
『この世界は……存在しない……』
『誰も悪くない……北大闘争の時代……』
『立ち向かうこと……それ自体が平和にならない……矛盾……』
『平和のため……でも、違う……思い込み……』
『……誰かに誘導された……結末……意味のない争い』
ぴたり……声が鳴り止む。
牢獄迷宮の示す答えが分かった。
僕の目の前にある景色は、北大で大規模な紛争があった時代のものだろう。記録にはある。投石のために剥がされたアスファルト、板で覆われた窓、正面の入口には大学解体と掲げられた看板も見える。
間違いない。この世界は、かつての大学の姿を模した世界……レプリカになる。
……意味のない争い、か――。
牢獄迷宮――通称、マザーグースの檻と呼ばれている。
この世界が映し出している現実には、矛盾が多すぎる。だが、そもそも……人生は、矛盾という見えないもので作られているものだ。
そのことを皮肉っているとしたら……――ヘイ・ディドル・ディドルのナンセンスな歌が、牢獄迷宮の理が示してるものになる。
見えているものが、現実でないとすれば――。
「カイ!」
僕は遠くでフクロウ型の魔物を操る彼に呼びかける。
「……行こう。この世界を壊しにね」
燃え上がる炎の先。ゴブリンの姿の消えた扉に向けて、僕は歩き出した。
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