(26)
七海は腕の痛さのせいなのか、それとも別の理由からなのか、目からボロボロと涙を零し始めた。
晶は七海の涙を見ると、ビー玉のような瞳の奥にポッと炎のような赤い光を宿した。
晶の瞳の中の赤い光が、どんどん大きくなって行く。
涙を零していた七海はハッとして顔を上げると、晶の瞳から目が離せなくなった。
気付くと、さっきまであんなに強く掴まれていた腕の痛みが和らいでいる。
七海の腕を掴んでいた親戚の男も、晶の瞳を見たまま、呆気に取られた表情をしていた。
「――お前」
晶はゆっくりと親戚の男に近付くと、男に向かってグラジオラスの花束を向けた。「絶対に許さない……」
そう言うと、晶はグラジオラスの花束を、親戚の男に思いっきり投げつけた。
グラジオラスの花びらが、神社の本殿の床に散らばって行く。
グラジオラスの花が触れた途端、親戚の男の体は見る見るうちに小さくなって行った。
七海があふれ出た涙を拭うのも忘れて見ていると、小さくなって行った男は、やがて一羽の真っ白なハトになった。
(――えっ?!)
自由になった七海は、その場に力なく座り込んでしまった。
七海とは対照的に、ハトは可愛らしい首を振り振りしながら、何事もなかったかのようにどこかへと飛び立って行った……。
後には七海と晶と、本殿の床に散らばったグラジオラスの花びらだけが残った。
「――あいつ、しばらくハトのままこの神社から出られないだろうな。いい気味だぜ」
晶が独り言のように言ったのを聞いて、七海はやっと我に返った。
晶の瞳はいつものようなビー玉みたいに瞳に戻っていた。
「えっ?!」
「あいつに魔法をかけたんだよ。少しは俺の気持ち、思い知れってんだ」
そうか、あの親戚の男は晶の魔法で「ハト」になってしまったのか、と七海はやっと理解した。
「あの……、あのありがとうございました、助けてくれて。後、本当にすみませんでした、勝手なことしちゃって……」
七海が座り込んだまま俯いて小声で言うと、ふと七海の視界に晶の手が入ってきた。
「大丈夫か? 立てるかよ?」
晶が七海に手を差し伸べながら言った。
「えっ?!」
七海は驚いて晶の方を見上げた。
絶対に「勝手なことするんじゃねーよ!」とか「本当、マジで『ミイラ取りがミイラ』じゃんか!」とドヤされるかと思ったのに、まさか、自分のことを気遣って手まで差し伸べてくれるなんて……。
(――さっき、私があんなに「痛い、痛い!」って叫んだから、こんなに気遣ってくれるのかな?)
確かにあの親戚の男に腕を掴まれてものすごく痛かったけど、ここまで晶が気遣ってくれるなんて、さすがに叫び過ぎだっただろうか、と七海は後悔した。
七海は恐る恐る差し伸べられた晶の手を掴んだ。
掴んだ晶の手は大きくて指が細くて、そしてとても冷たかった。
七海の手もさっきまでの緊張ですっかりこわばって冷たくなっていたが、晶の手はもっと冷たかった。
見た目はふてぶてしい表情ではあったが、やっぱり晶も親戚との対峙で緊張していたのだろうか。
「――そうだ! 堀之内さん、あかねさん! お母さんを助けに行かないと!」
七海は晶の手を掴んだまま、さっき晶の魔法で消えてしまったカッターシャツの男が着ていたシャツをつまんで持ち上げた。
シャツの下には車のキーが落ちている。
「その車に、母さんが閉じ込められてるのかよ?」
「きっとそうです! 早く行きましょう! 早く……」
七海は晶の手を掴んだまま歩き出そうとしたが、晶は立ち止まったままするりと七海の手を離した。
「じゃあ、お前行って来いよ。母さん、よろしくな」
「えっ? 堀之内さん、行かないんですか?」
「だって、俺、行ったって母さんに会えねーし。多分、ここから少しでも母さんに近付いたら、木とか建物とか倒れてくるんじゃね? ここ来るまでも結構木が倒れたしさ、さすがにこれ以上倒れたマズいって」
「だって、お母さん、すぐ近くにいるんですよ!」
「近くにいたって、会えねーよ! そうなってんだよ。いいから、さっさと行って、母さん助けて来いよ!」
晶はそう言うと、神社の本殿の階段に座り込んでしまった。
(――そんな)
七海はふてぶてしい表情をしている晶の方をしばらく見つめていたが、やがて後ろを振り返ると、あかねが閉じ込められているであろう車を探しに走りだした。
(――お母さん、こんなに近くにいるって言うのに)
七海はあかねが閉じ込められているであろう車を探しながら、涙ぐんだ。
でも、これも仕方のないことなんだ、とも七海は思った。
晶が母親を生き返らせるために選んだことなんだ。晶だって、それを承知で母親にムリに会おうとはしていないんだ……。
(――本当は、絶対に会いたいはずなのに)
魔法使いがビルの外だけとは言え、魔法が使えなくなることと引き換えに助けたんだ。
生き返ったとしても、母親と二度と会えなくなることと引き換えに助けたんだ。
それでも、生きていてほしいと思って助けたんだ。
晶は会えるものなら絶対に母親に会いたいはずだ。
でも、晶は母親に会えないんだ……。
(――出来れば、会わせてあげたいな)
七海はそう思いながら、あかねが閉じ込められているであろう車を探し続けた。
七海は時々カッターシャツの男が持っていた車のキーのブランドロゴに目を落としながら、同じロゴの車が神社の前に停まっていないかとキョロキョロと見渡しながら走った。
程なくして、神社の鳥居から少し離れたところに、キーと同じロゴがついているバンが停まっているのを発見した。
七海がバンの窓から中を覗いて見ると、後部座席にあかねが横になって目をつぶっているのが見えた。
車の中にはあかね以外に人の気配はない。
七海は急いで持っていたキーで、車のドアを開けた。




