(5)
「――」
「ああ、やっぱり七海ちゃんだ。僕のこと、覚えてますか? 実はずっと……」
青年は親し気に話しかけながら七海に近付いてきた。
「――下さい」
「えっ?」
「――お引き取り下さい」
七海は顔を俯かせたまま、小声で言った。「お引き取り下さい。あの、あなたとは話したくありません」
「えっ? どうして?」
青年の言葉に、七海は顔を上げて青年の顔をまじまじと見つめた。
青年はさっきの言葉通り「えっ? どうして?」という戸惑った表情をしている。
七海は自分の言葉に対して青年が「えっ? どうして?」という表情をしているのに、何とも言えない怒りを感じた。
自分の願い事は、この人を「不幸にする」ことではない。
でも、この人だって結局は同じようなものだ。
この人だって、不幸になってしまえば良いのに……。
「とにかく、お引き取り下さい」
七海は青年から顔を背けた。
「でも、僕はただ単に……」
「――ちょっと、さあ」
七海と青年の間に割って入るかのように、声が聞こえてきた。
七海が声の聞こえた方に顔を向けると、いつの間にか晶が青年の後ろに立っていた。
「昨日、レジにいた……」
七海は昨日、自分が青年から隠れた時に晶が「俺がレジやってやったよ」と言っていたことを思い出した。
「こいつ『引き取れ』って言ってるじゃん。どういう事情か知らねーけど、引き取ったら?」
七海は思わず晶のことを見上げた。
「ちょっと、待ってください」
青年は晶に「引き取ったら?」と不躾に言われた割には、穏やかな表情をあまり崩さなかった。「僕も事情が……。僕はただ単に、七海ちゃんにお悔やみを言いたかっただけなんです」
「お悔み?」
「はい、六華ちゃんの、彼女のお姉さんの……」
「すみません!」
七海は青年の言葉を遮るように大声を上げた。
晶と青年が同時に七海の方を見た。
「――」
「お悔みは要りません。すみません、お引き取りください」
七海が目に涙を溜めながら言うと、青年は残念そうな表情をした。
「わかりました、失礼します」
青年が頭を下げて店から立ち去ろうとすると、ちょうど帰って来た信彦が店に入ってきた。
入ってきた信彦はさすがに店内の異様な雰囲気を察知したのか、笑顔から真顔になって、店内にいる三人の顔を順番に見て行った。
青年は入ってきた信彦に軽く頭を下げると、店を出て行った。
「――七海さん、どうしたんですか?」
青年が出て行くと、信彦は目に涙を溜めている七海の方に近付いた。
「いえ、すみません。仕事中なのに……」
七海は「Tanaka Books」のエプロンのポケットからハンカチを取り出すと、目頭を押さえた。
「あの男の人……」
「すみません、昔、いろいろとあった人が来てしまって、つい……。でも、もう、大丈夫です、仕事に戻りますね」
七海はムリに笑顔を見せると、閉店の片づけをしに店の奥の本を自由に読めるスペースへと足早に入って行った。
七海は本を自由に読めるスペースのテーブルを拭きながら、さっきの青年のことを思い出さずにはいられなかった。
(――あの人、この間見かけたけど、やっぱり転勤から帰って来たんだ)
転勤が終わって元々いたN県に戻って来たんだろう、と七海は思った。
七海はさっき青年が「えっ? どうして?」と言った時にした、本当に「どうして?」というような表情を思い出した。
もちろん、あの人が全て悪いというわけではない。
でも、あの人も悪いのだ。
あの人がもっとちゃんとしていれば……。
本当に、どうして、あんなにものん気に「えっ? どうして?」なんて言って来るのだろうか。
七海はさっきの青年の表情を忘れようとするかのようにブンブンと首を何度も振ると、再び目の前のテーブルを拭き始めた。
七海が目の前のテーブルを拭き終わってふと顔を上げると、目の前のガラスの窓に自分の顔が写った。
そして、自分の後ろの本を自由に読めるスペースの入り口に晶が立っているのが見えた。




