211.優しさの形
鶫が魔獣対策室に入ると、室内に漂っていた張り詰めた気配が一瞬だけ止まり、職員たちがバッと一斉に鶫――葉隠桜へと視線を向けた。その勢いに、思わず肩を揺らす。
「ええと、すみません。シミュレーターを使用したいのですが、その前に次の魔獣の詳細を聞きに来ました。話をしても大丈夫ですか?」
鶫が遠慮がちに問いかけると、近くの職員が慌てて資料を抱えてきてくれた。
資料を受け取って中身を確認すると、雷獣の攻撃パターンや出現予測が、図や補足を交えながら分かりやすくまとめられている。紙の端には折れ跡がいくつもつき、何度も読み返された形跡があった。
……調べる時間は半日もなかったというのに、これを作るのに一体どれだけの労力が割かれたのだろうか。流石としか言いようがない。
鶫がお礼を言いながら頭を下げると、職員は苦笑しながら口を開いた。
「気にしないでください。一番大変なのは葉隠さんだってみんな分かってますから。それに国の存亡が掛かってるんですから、これくらいは当然のことです。むしろ、こき使うくらいの気持ちでいてください」
その言葉に続くように、周囲から思い思いの声が上がった。
「副室長がまた調子のいいこと言ってる」
「僕は急かされるよりは優しく応援されたい派なんですが」
「ま、俺らのことは気兼ねなく使ってください。多分終わったらそこそこのボーナスが出ると思うんで、気にしなくて大丈夫っす」
「葉隠さんは無理しちゃダメですよー。体が資本ですから」
「あっ、攻略が終わったらここのやつらと一緒に打ち上げ行きません?もちろん全部俺らが出しますから」
普段通りの軽口が飛び交い、張りつめていた空気が少し和らいだ。
……きっと本当は大変なはずなのに、それを見せないように明るく振る舞ってくれているのだろう。本当に優しい人たちだと、鶫は心からそう思った。
「――ありがとうございます。打ち上げが出来るように、私も頑張りますから」
鶫がそう言って微笑むと、職員たちの表情もどこか誇らしげに緩んだ。
彼らは葉隠桜が塔を攻略することを信じている。ならば自分は、その期待に応えるために努力するしかない。
鶫がそう答えたところで、副室長と呼ばれた職員が思い出したように口を開いた。
「その、別にこれはプライベートな質問なので答えなくてもいいんですけど、天吏さんと葉隠さんが友人という話は本当ですか? なんと言いますか、昨日そんな話が出たもので……」
そう申し訳なさそうに言った職員に、鶫は小さく首を傾けた。
……昨日、行貴は魔獣対策室に行くと言っていたが、どんな話をしていたのだろうか。
鶫は困惑しながらも、別に隠すことじゃないなと思い、軽くはにかんで言った。
「はい、彼とは仲の良い友人ですよ。それ以上は、その、詳しく話していいか分からないので何とも言えないんですが……」
「ああ、全然大丈夫です。ダメ元で聞いてみただけなので」
そんな会話をしていると、奥の方から声が上がった。
「葉隠さん、シミュレーターの準備終わりました。部屋に行けばいつでも起動できます」
「あ、分かりました。すぐに移動します」
鶫は軽く礼を言い、対策室を後にした。
去り際、何人かが頭や胸を押さえているのが目に入ったが、無理をしていないか少し気にかかった。せめて食事だけでもまともなものを取るよう、後で進言しておいた方がいいかもしれない。
◆ ◆ ◆
その後、鶫は二回ほどシミュレーションを試し、そのまま行貴を呼んで塔の第三階層に挑んだ。
雨のフィールドでの戦いだったので、感電で少し体がしびれたが、それでも約三十分ほどで討伐が終了した。これも、対策室の人たちがしっかりと資料を用意してくれたお陰だ。
戦いが終わったのはちょうど午後七時頃で、一度行貴と別れた鶫は政府に戻り、食堂で食事を取ることにした。
変身が解除できれば行貴と一緒に外食に行くこともできたのだが、今の状態ではどうしても難しい。
食堂で普通の定食セットを一つだけ頼み、受け取って席に着く。
食堂の職員からはそれだけで足りるのかと何度も聞かれたが、なぜか以前のような量を食べられる気がしなかった。
実際、今まで感じていた妙な空腹感もさっぱり消えてしまっている。前がおかしかったのか、それとも今の状態がおかしいのか。鶫には判断がつかなかった。
考え込みながら食事を口に運んでいると、食堂に備え付けられた大きな液晶画面から緊急速報が流れた。どうやら塔の件で非常事態宣言を出すらしい。
――どうやら政府は天照の新しい器の件を開示せず、「神様案件における重要な儀式」とだけ発表するようだ。
まあ、全てを話すわけにもいかないだろうし、それが無難だろう。
宣言の効果期間は長くて四月の中旬まで。その間、政府所属の魔法少女は強制的に割り振られた場所へ動員され、休みはほとんど取れなくなるという。受験シーズンであることを考慮し、動員された魔法少女には救済措置が設けられるらしい。
政府職員には厳しい守秘義務が課され、案件の内容を聞き出そうとする者も罰せられるという。おそらくメディアや諸外国への対策だろう。
一般人に対しては、塔がある赤口町跡地に近づかないこと、政府公式以外から情報を得ようとしないこと、動員された者への配慮が求められていた。
まだ叩きの段階で細部は詰められていないようだが、おおよそこの内容で宣言が施行されるらしい。
半日程度でここまで決めたことに驚きつつ、鶫は政府上層部への見方を少し改めた。
政府の上層部に関して今まで少々穿った見方をしていたが、いざとなればかなり頼もしい存在なのかもしれない。
――だが一番気になるのは、他の魔法少女に対してどれくらいの情報が開示されるかだ。
おそらくある程度の情報は開示されると思うが、それがいつになるかはまだ分からない。
食堂を見渡すと、他の魔法少女たちが困惑した表情でテレビ画面を見つめ、周囲と小声で話し合っていた。――十華である葉隠桜にも「何か知っているのではないか」という視線が向けられたが、許可が下りていない以上、何も話すわけにはいかない。
顔見知りの魔法少女から直接詳細を問われた際も、鶫は申し訳なさそうに小さく首を横に振り、「話す許可がまだ下りていない」とだけ答えた。それだけで納得してくれたのは本当に助かった。
そうしてようやく食堂を後にしようとしたところで、出入り口付近で誰かに手を掴まれた。
「待って。話したいことがあるの」
――話しかけてきたのは、鈴城だった。
「ちょっとだけ、いいかな。……こっちに来て」
その声音に逆らう気になれず、鶫は静かに頷いた。
鈴城に手を引かれ、十華に割り振られている休憩室へと向かう。鶫はあまり使わない部屋だが、他のメンバーは待機時間に自習をしたりと有効に使っているらしい。幸い、今は誰もいないようだった。
パタンと扉が閉まり、静かな空間に二人だけが残る。
鈴城は困惑したように鶫を見ると、心配そうに口を開いた。
「……昨日から連絡の返信がないし、電話も通じなかったけど、何かあったの?」
「ああ、ごめん。携帯が壊れちゃって、いま修理に出してるところなんだ」
鶫が思わずそう答えると、鈴城は不満そうに眉をひそめた。
「何か誤魔化そうとしてるでしょ。分かるよそれくらい」
鈴城は鶫にぐっと近づき、鶫の頬に自分の両手を添えて言った。
「おかしいよ。だって、昨日から千鳥ちゃんとも連絡が取れないんだもん。……うちにはよく分かんないけど、あの塔が関係してるんじゃないの? ねえ、何があったの?」
「……それは」
――何があったか。それを話してしまってもいいのだろうか。
鈴城は十華の一人なので、いずれ情報のほとんどは開示される。今ここで軽く話す分には問題はないはずだ。
……それでも、喉の奥に重い石が詰まったように言葉が出てこない。
鶫は言葉を慎重に選びながら、端的に話し始めた。
「携帯が壊れたのは、本当だよ。……でも千鳥の件は、蘭さんが言うようにあの塔が関係してる。俺は暫くその件にかかりきりになるから、あんまり連絡は取れなくなると思う。詳しいことは、政府からの連絡を待ってほしい。……ごめん。これ以上は話せない」
そこで言葉が途切れ、鶫は苦しそうに視線を落とした。
別に、鈴城を信頼していないわけではない。むしろ相談するなら一番親身になってくれる人だと思っている。
鈴城に全てを話し、弱音を吐けば、彼女は何をおいても協力してくれるだろう。
行貴とは違い、きっと優しい慰めの言葉だって掛けてくれるはずだ。
――だからこそ、彼女には話すべきではないと感じた。
自分は、その優しさに甘えてしまうから。
あの塔は、一度でも足を止めれば攻略が間に合わなくなる。そんな予感が鶫にはあった。故に、甘えはやがて毒になる。鈴城が優しい人間だと知っているからこそ、頼るわけにはいかなかった。
……本当は誰でもいいから全てを打ち明けて、弱音を吐いて楽になりたかった。
けれどそれをしてしまえば、きっと千鳥は教えない。鶫は心のどこかでそう悟っていた。
「政府から色々話を聞いた後に、また協力してくれると嬉しい。……俺がもう少し強ければ、きっと全部話せたんだと思う。でも今は、上手く話せる気がしないんだ」
そう言って、鶫は頭を下げた。
「余裕ができたら、また連絡する。だから今日は……本当にごめん」
鶫はそのまま鈴城の顔を見ずに転移した。自分が情けなくて、鈴城の顔が見れなかったからだ。
……きっと、彼女を傷つけた。
鈴城は優しい人だから、友達にこんな風に距離を取られたらきっと悲しむだろう。
ずきんと、胸の奥がひどく傷んだ。
◆ ◆ ◆
「……何それ。言い逃げじゃん」
誰もいなくなった部屋で、鈴城は不満げにそう呟いた。
――鶫と千鳥に何らかの異変が起こったことは、鈴城も早くから察していた。
急に連絡がつかなくなった二人。あの事件があった赤口町に突如として建った塔。政府の緊急速報に、ピリピリした空気と慌ただしさ。これで何も読み取れないほど、鈴城は馬鹿ではない。
だからこそ、こうして早めにコンタクトを取ったのだが、それが裏目に出た。
拒絶されたことは悲しいが、それ以上に鶫には余裕が無かった気がする。何かに追われている様な、焦っている様な――そんな感覚。まるで、神様と契約する前の自分のようだった。
「あの感じだと、うちと話したくないとかじゃなくて、話せないっぽい?それとも、時間的な余裕がない?……うーん、どうしようかな」
鶫の口ぶりからして、これは政府の重要案件であることは確かだろう。それも日本全てを巻き込むような、重大な案件。きっとその核心に――鶫はいる。
「鶫君は、優しいから。そのせいかな……多分、人に頼るのが苦手なんだろうなぁ」
幸いなことに、鈴城は情報を得られる立場にいる。上の者に問いかければ、ある程度の事情は把握できるだろう。
――大事なことは、一からコツコツと。くよくよしていても仕方がない。
「まずは、すみれさんに話を聞きに行こうかな。その方が確実でしょ。あ、神様も何か知ってるかも。そっちを先にしようかな」
鈴城はそう呟きながら、静かに部屋を後にした。




