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決意

前回とまた間が空いてしまいました。

5月の風が私を呼んでいた。

 エリカ様が再びこの屋敷に戻ってから、私は別室で出禁となっている。

 勉強が捗るのは良い事だが、現状はどうなっているやら。

 レーデンバーグ国の言葉の雰囲気は大体掴んだ。全て把握できている訳でもないが、なんとなく別言語だなーと分かる気がする。似ている言葉だとどうしようもないんだけどね。まぁ似ているだけあって、レーデンバーグ語を知っていたらなんとなく理解できる言語らしいけど。

 ルカ達に出していた日本語問題集の添削をしつつ、軽く溜息を吐く。

 本物が見つかったので、私の役目はもうない。元々エリカが逃げていないと立証する為に存在しているようなもので、公に出す気はなかったようだし……。

 肩の荷が下りた感じだ。自分の予想以上に貴族ってのは肩が凝る。表に出ていないで状態でこうなのだ。表になんて出られる訳がない。

 ……問題は、エリカ様が社交場に出れるだけのスキルを持っているかどうかなのだけど……そこはもう私の管轄外だろう。

 話にはなんとなく聞かされていたが、彼女は一体どこまで学んでいるのだろう?

 かなりひどいとはコルム侍女長は言っていたけれど……周囲にこれだけ優秀な者達ばかりなのだ。求める水準が高すぎるだけではないのかと思ってしまう。

 1か月とちょっとだったが、随分とお世話になったなぁ。日本換算だと2か月以上だけど。さて、私はこれからどうすべきなのだろう。

 あまりに近場だとエリカ様の顔が知られるようになった場合、私の立場がどうなるか怖くていられない。幸い、他国へと逃れても言葉は分かる。多少下町の雰囲気も掴んだし……正直足りなさすぎるが、一回も行った事ないよりはマシである。他国はどうか知らないが、どこの国でも細い路地にさえ入らなければ問題ないだろう。私の場合、トレノがいるからどこでもどんとこいだ。正直、おそってくる相手側が木っ端みじんになるので、絶対に危ない目に遭ってはいけない。絶対にだ。目の前でスプラッタは見たくないのである。

 けれど、貴族として生きるよりも余程自由がきくことになるだろう。安全面は不安だったが、トレノがいれば問題ないし……そういえばシャーロットもついてきそうだな……。

 しかし、出て行くにしても、オイドクシアお嬢様はどうすべきか。定期的に魔力を供給しないといけないんだし、あまりに遠くには行けないはずだ。……最悪地下で幽閉ですね。まぁ、エルリック様やおじい様は私に対してそんな事、しないと……思う。

 最も、まだ移植もしてない段階で心配する所じゃありませんけれど。トレノが言うには、重要器官とつなげてさえくれれば、他の傷は回復魔法ですべて回復できるので体力が少なくても心配はないそうだ。

 回復魔法は個人の人間の傷を治すものだから、他人の臓器はくっつける事が出来ないのだと。っていうか……普通に回復魔法とか言っちゃってますけど……異常ですからね、それ。

 何の為に医療が発達していると思ってるんですか……劇的に回復する魔法がないからですよ!なんで普通に使えるとか言ってるんだ……ほんととんでもない。古代ドラゴンとんでもない。


 しばらく頭を抱えていると、扉がノックされる。

 返事をすると、ルカと、知らない青年が入室して来た。

 誰だ……?

 知らない男性は、私を認めた瞬間僅かに目を見張ったが、すぐにふんわりとした微笑を浮かべた。


「初めまして、私はディアラン・シゼリュク・アーネル。麗しいお嬢さんと出会えた幸運に感謝致します」


 ぞっ……。素面でさらっと言える貴族ってこわい。

 しかし、その名には覚えがあった。

 フォルジュの親戚筋にアーネル侯爵の名がある。確か、その次男がディアラン。

 フォルジュ公爵の妻の妹の子供にあたる。

 エリカと同じく黒髪の貴族。

 その人が、何故私の所に案内されて来ているのか。

 取りあえず、失礼のないように淑女の礼を取る。僅かに下げていた視線をディアランに戻すと、無表情のディアランと視線がかちあう。


「……驚きました。これほどとは」

「言っておきますが、彼女は表舞台に立つ気はありませんから、そこは念を押しておきます」


「分かっておりますよ」


 ルカの言葉にふふ、と上品に笑ってから、私に話しかけてきた。


「エイムズ・ヴィリスト・フォルジュの命で来ました。現状の把握と、整理が目的です」


 その言葉に、思わずうなりそうになる。エイムズとは、フォルジュ公爵の事だ。つまり、フォルジュ公爵に一連の騒動が伝わったと言う事になる。これだけ人が集まってしまえば、漏れるのは時間の問題だったが……。

 ならば、この人が見た事をフォルジュ公爵に伝わってしまえば、私の首が飛ぶかどうか決まることとなる。いや違うんです。別にお貴族様をたばかろうとしたわけじゃなくて……いや、騙そうという努力は惜しみませんでしたが、それが仕事と言いますかなんと言いますか。

 ……という、動揺を全く表に出さずに、にっこりと微笑む。もはや張り付いた笑顔は相当の事がない限りはがれない。慣れって怖い。


「フォルジュ公爵様は、わたくしの処遇をどうお考えで?」

「それを、これから見て考えるんです。悪いようにはならないでしょう、なにせ、貴重な契約者でもあるのですから。不敬があっては、国が滅びかねません」


 いや国滅ぼしたりしませんけども。しかし、神獣との契約者にそれだけの重さがあるというのなら、ある程度私に配慮はしてくれるだろう。

 契約者と知っているなら話は早い。

 ならば、そうとられるように動くか。


「ええ、そうならないよう、配慮してくれると助かりますわ」


 そう微笑むと、僅かな緊張感が場をしめる。滅ぼす気なんてないけど、あまりに従順だと良い様に扱われる。それだけは絶対に避けたい。私だって血祭りは上げたくないし、望んでなくても契約者の私が危なくなるとトレノが黙っていないだろう。トレノ自身だって、せっかく死者から復活しているのに、早々に退場などしたくはないだろうし。

 私の思考を知っているルカは呆れ半分でこちらを見ている。

 対するディアランは、緊張をほぐすかのように僅かに息を吐きだした。


「確かに、卿が入れ替わりに良いと言うだけはありますね。私も、ぜひ賛成したくなりました」

「……私も、そう思いますが……いいですか?彼女はあまり貴族にいる事を好みません。あまり軽率な報告はあげないでいただきたい」


「分かっておりますよ」


 再度の忠告に苦笑いを浮かべながらディアランが頷く。

 入れ替わりに良い……か。私はそんなに優秀な方ではないんだが……エリカ様はどれほど酷いのだろう。私の付け焼刃より酷いって相当だぞ。

 ディアランは用意された椅子に軽く腰掛け、私にも座るよう促してきたので遠慮なく座る。

 ルカは座らずに、ディアランの斜め後ろに控えている。


「貴方は、エリカをご覧になった事がありますか?」

「いいえ、ないですわ」


「さようですか。ならば、エリカがどういう人物かは聞いていますか?」

「ええと……とても、お転婆だと」


「あれはお転婆なんて言葉で片づけて良い生き物ではありませんよ」


 ディアランは物凄く嫌そうな顔を浮かべて、あからさまな溜息を零した。


「怠慢傲慢強欲自己正義主義者、全て自分が正しく、世界が間違っている。そう信じてやまない愚かな生き物です。同じ黒を持つ貴族として、無属性の貴族は皆ああなのだとひとくくりにして欲しくはないですね」

「……」


 すっごくすっごく嫌そうだ。エリカ様は一体何をやらかしたんだろう……恐ろしい。


「エルリック君含め、ルカも卿もみなさん貴方の事を大事に大事になさっておられる……お気持ちは分かりますが、貴方はエリカと一度対面なさった方が良い」

「エリカ様と……ですか」


「ええ、現状が如何に切実なのか、よく分かると思いますから。最も、切実なのはエリカとエルリック君だけだけれども」


 ふふ、と軽く笑って足を組んだ。足を組んでいるのに優雅なんだよなぁ、雰囲気が。


「発破をかけてもらいたいのですよ」

「発破……?」


「ええ、先程エリカを見てきましたが、とてもではないですが使えません。それ故に、現状の把握を、エリカ自身に。エリカの代わりはいるのだと、そう伝えて下さい」

「……そうですか」


 今のままでは、エリカ様は確実に貴族として使えないのか。

 だから、危機感を持たせる。自分が排除されると分かれば、必死になって勉強してくれるかもしれないと踏んでいるのか。


「勿論、警備は万全に、相手は言葉を持たぬ獣も同然……ですからね」


 そんなにひどいか!?……それは確かにやばいな。

 私は恐る恐る聞いてみる。


「上手く行かなかった場合はどうするのです?」

「その時は最初にあった通り、エリカの貴族位を剥奪のち幽閉。貴方を表舞台へと立たせると、皆さんうるさいですからね。ここまでお膳立てされているのです。それでも在り方を変えなければ、それだけの人間だったというだけです。ですから……貴方は何も気にしなくて良いのですよ」


 そうは言いましても、ですね……幽閉って。

 可哀相だな、と確かに思うが、勉強が出来る最高の環境でずっと逃げて来たのはエリカ様自身だ。と言っても、同情せざるを得ない。もしかしたら、貴族に生まれなかったらそうはならなかったのかもしれない。そう思うと、どうしても可哀相だと思ってしまう。

 優秀じゃないから、と打ち捨てられる。そんな想い知りたくはないだろう。どれだけ苦しいものか、私が一番良く分かっている。

 もしあの家に生まれなかったら、もし双子じゃなかったら、もし妹が優秀じゃなかったら。

 そんな事を、エリカ様も考えているのかもしれない。そう思うと、自分の環境を重ねて胸が痛くなる。私はそっと息を吐きだしてディアランの顔を見つめた。


「幽閉以外の選択肢は?」

「ないですね。血統だけは素晴らしいのです。本当に、残念な事ですが」


 つまり下町で暮らす事は許されないって事ですか。

 フォルジュ公爵家は王族の血が一番濃い上等中の上等貴族。

 そんなフォルジュ公爵家の子供が、誰とも分からない男の子供を作ったらややこしい事になりかねない。そういう諍いの種はなるべくないにこした事はない。

 ……貴族位剥奪してるなら、良いと思うんだけどなぁ、そうはいかない所が貴族の融通のきかない所だろう。


「お考えでしょうが、下町はもう無理だと、自らが根を上げていらっしゃったのでしょう?」


 確かに……!そうだったね……じゃあどうすりゃいいんだ……ともあれ、本人を拝んでみないと分からないな。どれほど酷いのかも、今は分からない訳だし。

 ……選択肢がないと言うのなら。


「……何がなんでもその気させてあげますわ」


 と言って、笑った。

 自信は何一つないけれど、そうしないと、私と同じように苦しむと分かっているから。

 分かっているのに、何もせずに見過ごす訳にはいかない。

 やる気にさえなってくれれば、多少マシにさえなってくれれば、彼らは見捨てたりしないだろう。

 特にエルリックなんて、絶対に最後まで見捨てない。

 ……なんて羨ましいんだろう。自分の幸福に気付かないなんて、愚かだ。

 ちゃんと見てくれる人がいるだけで、こんなに幸せな事なんてないのに。 

 確かに求めて来る水準が高いけれど、見てくれないより、よっぽどいい。裏切られるより、よっぽどいい。沢山の人に見守られてなお、その権利を放棄するならば、その時は私も諦めよう。自分が努力をしようとしないのに、利益だけを欲する人間に甘さはいらない。

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