【1】知られざる緒戦
【18:00投稿】
地獄で信長と語り合った明智光秀は、秀吉の元に赴いた。秀吉に、聞きたいことがある。
しかし、かつて犬猿の仲だった秀吉と、腹を割って話すには まだ早かった。二人は現世の頃と同じ…いやそれ以上の対抗心で本能寺の変について語り始める。
地獄聚楽第にて 豊臣秀吉と明智光秀
「秀吉」
「…光秀か。久しぶりだな。お前、今までどこにいた?」
「美濃だ、現世のな」
「そうか、長生きしたな」
「長生きを望んだわけでもないが、なかなか面白いものも見られたよ。例えば、公家の衣装をまとう猿とかな」
「それは、お前が俺の踏み台になってくれたおかげだよ。大嫌いな猿に、踏み躙られた気分はどうだった?」
「最高だったよ。その猿が老いさらばえ、人から蔑まれる姿は、特に良い見世物だった」
「いちいち気に障るところ、変わってねえな」
「お互いにな」
「光秀。お前は、知性や品性らしきもんで隠してはいたが、その中身は、俺と同類だったんだよ。俺が猿なら、お前は主人の蔵を漁る薄汚い鼠だ」
「そうだ。知性だの品性だの、くだらん仮面だった。それに本当に気づいたのは、地獄に来てからだがな」
「なるほど。少しはマシな男になったのか」
「それも、お互いにだ。…さて、感動的な再会の挨拶は、これくらいにしておこうか。そもそも、お前と挨拶なんかするのは初めてかも知れんがな」
「そうだ。現世でお前と挨拶なんかしたことはない。目を合わせたことも多分ないな」
「私はお前をよく見ていたがな」
「俺もだ。だが目が合いそうになると、必ずお前が目を逸らしていた」
「違う。目を逸らしたのは いつもお前だ、秀吉」
「いや、お前だよ」
「…分かった。そういうことにしておこう。話が進まんからな。つまり私はお前が嫌いだったが、どうしても気になる存在でもあった」
「俺も似たようなもんだ。だが正確に言えば、好き嫌いじゃなくて、お前を警戒していたんだ」
「それも知っていた。公の場では、互いに丁寧な態度で接していたがな」
「俺がお前を警戒していた理由は、まさか言わなくても分かるよな。実際、何人か監視も付けていた」
「やはり、お前にはバレていたんだな」
「確信していたわけじゃねえけどな。もしかしたら こいつは、最悪のことをやらかすかも知れないという、嫌な予感があっただけだ。そして、お前が嫌いな俺を常に気にしていたのも、俺に警戒されていたことを自覚していたからだろう?」
「私もお前と同じで、確信していたわけではないがな」
「互いに確信できてはいなかったが、予感は的中していたわけだな。お前は、俺にとって最悪のことを本当にやらかした」
「そうだ。しかし唯一、私を警戒していたお前に、その後の計画は阻止された。予め警戒していたとはいえ、あれだけ的確で迅速に動いたのには完敗だった」
「違う。警戒していたはずなのに信長様を討たせてしまったのだから、俺の負けなんだ」
「なるほど。そう考えるのか。確かに立場が逆なら、私もそう考えたかも知れない」
「だから、同類だって言ったんだ」
「では、同類があの時、互いに何を考えていたか詳しく話してみるか」
「良いな。それは面白そうだ。ちなみに、お前が信長様を討った理由はだいたい聞いたから、それは抜きで良いからな」
「分かった。私はお前に聞きたいことがあったのだが、それは後回しのほうが良い」
「何だか知らんが、この話が先だ。よし、まず俺から聞くぞ。お前が信長様の計画に反対だったのは薄々知っていたが、それが明確な殺意に変わったのはいつだ?」
「甲州征伐の直後だ」
「あえて聞くが、ならばどうして、安土城に帰る前にやらなかったんだ?」
「信長様の生命を断つことだけが目的ではなかったからだ。私が信長様を討てたとしても、私がすぐ捕縛されてしまっては意味がない。
私にとって理想の状況は、信長様が軍の中で護られていないこと、周辺に織田家の強力な軍がいないこと、私が一万以上の兵を率いて奇襲をかけ、短時間で信長様の首を取れること、そして、信忠様も同時に襲撃できることだった」
「やはり恐ろしく周到なやつだな。まさに、お前があれを起こした状況は、ほぼその理想通りだったよな。お前には、あんな理想的な状況を作る自信があったのか?」
「なかったな。だから完全に理想通りではなくても、行動を起こすつもりでいた。しかし運良く、理想的な状況が訪れた」
「確かに運もお前に味方したと思う。信長様はほとんど無防備で本能寺に入り、その目と鼻の先の妙覚寺には信忠様がいた。畿内にいたのは、信孝様と丹羽長秀殿の四国攻めの軍勢だけ。さらにお前は、兵を率いて領内をある程度 自由に動ける任務に就いていた。千載一遇と言うに相応しい」
「そうだ。だから運良くと言った」
「だが、本当は運だけじゃない。お前は一つ忘れていないか?」
「これは失礼した。お前の存在だな」
「その通りだ。お前からすれば幸運で片付けられても、俺からすれば、あの時あの状況にしてしまったことが大失態なんだ。あれじゃ、どうぞ信長様を討ってくれと言ってるようなもんだ」
「お前は私を警戒していたのだから、確かに言われてみればそうだな。私は信長様を討った後、お前の迅速で的確な行動に敗れたという思いが強かったから、あれをお前の失態とは認識しなかったがな」
「そうだな。あの中国大返しや山崎の戦いが、一定の評価を受けているから気づく者は少ない。だがあれも、信長様が討たれた後では、本当は意味がないんだ」
「そうも考えられるな。信長様が、私を筋金入りの完璧主義者だと言っていたが、お前もだな」
「これは主義の問題じゃない。信長様に天下を取らせるのが、俺の務めだっただけだ。だから、命じられたことだけをやっていてはダメなんだ」
「なるほど、尊敬に値するよ。皮肉ではないぞ。確かに信長様を討ったところまでは、私の勝利だったようだな。では、お前の敗因は何だった?」
「それは決まってる。あの時、俺は信長様の命令通りにしか動かなかったことだ。俺が命じられていた任務は毛利攻めだったが、それは(黒田)官兵衛にでも任せて、俺は密かに一軍を率いて京に残ることだってできた。そうしていれば、お前が本能時に兵を向けるのを阻止できたはずだ。あの時も監視は付いていたのだからな」
「お前なら、私に監視くらい付けていると分かっていたが、それを完全に排除することもできない。だから、それは承知の上で動いていた。監視はあくまで監視だ。軍を止めることなど できはしないからな」
「信長様が討たれた前の晩に、監視の者はお前が本能寺を襲撃すると知ったが、その情報が俺に届いた頃には、すべてが終わっていた」
「なぜ、さっき言ったように、お前は京に残らなかったのだ?」
「何年か前の、七尾城の件があったから、判断が鈍ったんだと思う」
「総大将の柴田殿に無許可で、お前だけ七尾城の救援に向かわず撤退したのだったな」
「そうだ。あの時の俺の行動には、俺なりの意味があった。俺も含めた織田家の軍勢が救援に向かっていた七尾城は、内応者が出たせいで、あの時すでに上杉軍の手に落ちていた。柴田殿はそれを信じなかったけどな。
だが、まだ七尾城にいるのが味方だと思ってノコノコ近づいて行ったら、敵の思う壺だ。だからとっとと引き返すべきだったんだ。最悪なのは、あのまま進んで、敵の領内で上杉軍との睨み合いになることだ。その隙に、松永久秀が京の近くで反乱を起こす狙いがあったからな。
なのに柴田殿にはそれが分からない。あそこで四の五の言ってる暇はなかったから、俺は独断で軍を返したんだ」
「なるほど。そう聞けば、あの時のお前の判断が正しかったと思える。しかし実際には、お前が軍を離脱したのが、上杉との戦の敗因とされた」
「そうだ。俺が軍を離脱しなかったら勝っていたってわけでもねえのにな。でもあの時、松永久秀が裏切る気だなんて、声高に言うわけにもいかなかった」
「お前がそんなことを言ったら、逆に久秀が裏切る、恰好の口実になってしまうからな」
「その通りだ。でも結局、俺の隊だけ畿内に戻っても、久秀の反乱の抑止力にはならなかった。だから俺のやったことは、結果的に意味不明で終わってしまい、信長様にも散々怒られたよ」
「信長様としては、お前を叱責するしかなかっただろうな。上杉に敗れたのは事実なのだから、誰かがその責めを負う必要があるからな」
「そうだ。だからあの件で、信長様の信頼を完全に失ったとは思わなかったが、ああいう独断を、 何度も続けることはできなくなった」
「そういうことが関係していたのか」
「だが、もちろん今 言っても遅いが、俺は自分の立場を失うことになったとしても、あの時 京に一軍を率いて残り、お前の反乱は阻止するべきだった」
「もしお前が、私を止めるための軍を京周辺に置いていたら、私は信長様の襲撃を断念したと思う。本能時に着く前に、交戦状態になるわけにはいかなかったからな」
「そうだろうな。しかし…それではお前は依然として、表向きは味方のままなんだ」
「ああ、そうか」
「それなのに、俺の軍がお前の近くをうろついていたら、俺は毛利を攻めろっていう命令に完全に従わず、また独断で動いていたことにされる。さすがに二度目は許されない。
俺が立場を失っても良いとは言ったが、そうなったらなったで、織田家中にお前を止められる者がいなくなってしまうんだ。それも、まずいことだったんだよ」
「なるほど。よく分かった。私はそんなことまでは考えもしなかったよ。だから、信長様を討ったところまでは、運が味方してくれたのだと思い込んでいた」
「そうだろうな。つまり俺は、誰にも気づかれることなく緒戦に敗れていたんだよ。落ち込んだぞ。
だからその後のことは、すべて俺にとっては〈雪辱〉だったんだ」
「雪辱…。お前ほどの男が、雪辱を期していたのか。道理でな」
「やっぱりお前なら、その意味が分かるよな」
「ああ、よく分かる。私は…敗れて当然だったようだ」




