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目覚めて直ぐにテレビをつける理由は特にはない。
熱心に見ている訳でもないが、静まり返っているリビングに物足りなさを感じてしまうのだ。今日は特に朝から落ち着かない。いや、辞令が出されてから、緊張と期待に浮き足立っていた。なので今朝は特に、『いつも通り』を意識していた。
少しでも心を落ち着かせたい。しかし青柳怜志はシャツのボタンに手をかけたまま、テレビの画面に目が釘付けになってしまった。
「本物……では、ない……?」
朝のワイドショーでは、一般の大学生が投稿したショート動画に映っている男子学生が、かつて人気を博した俳優に瓜二つだと騒いでいる。
『本当に、見れば見るほどそっくりですね』
『若い頃の城ヶ崎榎生の生き写しのようですよね。私も当時ファンでした』
『他人とは思えません。身内だと言われれば簡単に信じます。亡くなって随分経ちましたから、今の人たちは知らないでしょうが。ではここで、俳優、城ヶ崎さんについて振り返ってみましょう』
画面が切り替わり、さっきの男子大学生そっくりな俳優がアップになって写された。
『【城ヶ崎榎生】かつて一世を風靡した人気俳優は、共演がきっかけで知り合った結城璃子と結婚するも二年後に離婚。その数年後、病気が発覚した時には既に手遅れな状態でした。亡くなるまでは、あっという間でした』
情の篭っていない、アナウンサーの単調な語りで説明が続く。
城ヶ崎はまだ三十代という若さながらも大御所という地位を確立していた。それゆえに、亡くなったと報道された時は世間を震撼させた。
城ヶ崎の人気はビジュアルは勿論、さまざまな役を熟す、その演技力によるものだった。
もう、この人の作品が見られないのか……哀惜の理由の殆どはそうだった。
その一方で、私生活では数々の著名人とのスクープも絶えなかった。どれが本当でどれが嘘なのかは一般人には知り得ない。中には売名行為だと疑われる記事もあったが、結婚会見以外の熱愛報道について、本人は知らぬ存ぜぬを貫いた。
『しかし……』と続く。
『城ヶ崎さんが亡くなった後、実は一般人の女性との熱愛が明るみになったんですよね。結婚はしていなかったものの、財産の全てをこの女性が相続したと報じられたのは今でも鮮明に思い出せます』
スタジオのコメンテーターが全員揃って大きく頷く。
『結局、真相は分からず仕舞いですよね』
中年の女性コメンテーターが今更気になると告げるも、スタジオの会話に流されてそれ以上は触れられなかった。
結局、一般女性の素性も何も分からないまま、いつしか風化してしまったのだった。
テレビのスイッチを切る。
「仕事、行かないと」
息を吐き、途中で止まっていた着替えを済ませ、マンションを出た。
薬品会社に勤め、今年で丸四年が過ぎた。まだまだ若手ではあるが、怜志は今年から念願の再生医療・先端医療のプロジェクトチームに大抜擢された。
今日から、そのプロジェクトチームとしての活動が始まる。スーツのジャケットの襟をビシッと整え、颯爽と車に乗り込む。
入社後間もなく自分で購入した車は、当時の怜志にとってはかなり背伸びした高級車だ。
それも今では相棒だと思えるほどに愛着が湧いている。エンジンをかけると同時に仕事のスイッチが入る。さっきの番組の続きが気になったが敢えて音楽を流した。
まだ城ヶ崎について語っているだろうか。唯一、本気で愛したとされている女性についてはあれ以上語りようもない。
車内に流れる音楽の音量を上げても、頭の中から城ヶ崎が離れない。
大切な日の朝に目にするニュースにしては、なんとなく幸先の悪さを感じてしまう。
あの男子学生は本当に彼の身内なのだろうか。テレビで取り上げられているということは、動画アプリでは以前から話題に上がっていたに違いない。昼休憩の時にショート動画を観てみようと思った。
それで何か情報を掴んだとしてどうするかまでは決めていない。でも会いに行けそうであれば見てみたいと思う。ワイドショーでの説明によれば、彼は大学生とのことだった。それも会社の隣町にある大学で、取引先の病院もある。
引き寄せられていると思ってしまうのは都合が良過ぎるか。しかし、ここまで偶然が重なれば見逃せないのも仕方ないと言える。
怜志がここまでこのニュースに食いつくには訳があった。
城ヶ崎は、怜志がこの世で最も憎んでいる相手だからだ。自分の生い立ちは散々だった。そしてその不幸の要因は、間違いなくこの城ヶ崎が発端となっているに違いなかった。
会社の駐車場に停まり、気持ちを落ち着かせる。今日は上手く仕事スイッチが入れられていない。こんなんじゃ最初から失敗をしてしまいそうだ。
一つ咳払いをし、呼吸を整える。
集中しろと自分に言い聞かせて車を降り、自社ビルのエントランスで先輩の要悠真と落ち合った。
「おはよう。期待のエース」
「やめてくださいよ。ハードルが上がります」
「実際、期待してるからな。部署に案内するよ」
「プロジェクトチームに要さんがいるの、心強いですよ」
「俺がいなくても青柳は大丈夫だろ。早速、今日はクロノス総合病院まで同行してもらうから」
「了解っす」
要のふわりと揺れる天然パーマは相変わらず色素が薄く、童顔の顔立ちを更に幼くさせている。見た目の印象だけなら、下手すれば怜志よりも若いかもしれない。これで怜志よりも六歳も年上の三十二歳なのは少しずるい。
朝礼を終え、一通り仕事内容の説明を受けると、要に付いて病院へ向かう。
要は新入社員時代にOJTを担っていてくれた人で、先にプロジェクトチームへ入った。三年離れていたが、こうして一緒に働けるのは素直に嬉しいと思う。これから怜志は、再び要の直属の部下という立ち位置になる。
公用車での移動中、とある喫茶店前の信号に捕まると、要が丁度いいと言わんばかりに親指を立てて「あの喫茶店でバイトしてるんだって。俳優の城ヶ崎に似てるって噂の彼。知ってる?」と話題を振ってきた。
指差す先を助手席から覗き込むと、【喫茶アルコープ】と書かれた昔ながらの看板が目に入る。
城ヶ崎という名前に、一瞬、心臓がドキリと跳ねたが要に他意はないと分かり安堵する。
「今朝のワイドショーで知りました。確かにそっくりですけど、そこまで噂が出回ってるんですか?」
「ちょっと前からSNSじゃ有名だったからな」
「要さん、いつSNSなんて見る暇があるんです?」
「ご飯食べながらとか、寝る前とか、風呂に浸かってる時とか、トイレに座ってる時とか」
「スマホ依存じゃないっすか」
「息抜きだよ。息抜き。あとは、病院のナースと話をするときの話題作りをね。流行りを知らないと途端におじさん扱いされる年齢になったからさ」
「努力の一環って訳ですか」
そうそう、と笑いながら要が頷く。そんなことをしなくても、この人懐っこい笑顔さえあればどんな場所でも受け入れられるのに……と怜志は思うが、見かけによらずミーハーな一面を持っているのを踏まえると、半分は本当に趣味なのだろう。
「でも実物の彼がどんなのか見てみたいって思わない? 動画ってある程度加工されてるでしょ? 中には実物からかけ離れてる人もいるじゃない。でもあの子は本当に城ヶ崎に似てそうな気がするんだよ。俺の母親も祖母もファンだったからさ。ちょっと……結構? 気になるんだよね」
「まぁ……見てみたい気持ちはありますけど」
「じゃあ、帰りに寄ってみる? 丁度ランチくらいの時間になりそうだし」
平日の昼に大学生がバイトなんてしているのか……と言いそうになってやめた。
ここで話を否定して、喫茶店に行けない方が怜志には損な気がする。それに怜志だって本音を言えば、顔を見るどころか城ヶ崎の身内なのか知りたい。
信号が変わり、喫茶アルコープの前を過ぎていく。朝、あんなに囃し立てられていたにも拘らず、店周辺は平穏そのもの。もっと野次馬が群がっていそうなのにと怜志は思ったが、SNSで一気に拡散された頃はやはり店に女の子が押し寄せて大事になったらしい。警察が出動するレベルの騒ぎになり、店主からも「そっとしてあげてください」と文章を発表し、それ以降は徐々に日常を取り戻していったのだと要が教えてくれた。……相当、彼の情報を追っていたようだ。
怜志としては、本来なら自分で調べるべき内容を全て要が教えてくれて手間が省けたところはある。
しかも朝に知ったばかりの彼が働いている喫茶店に、その日のうちに行けるなんて運が良過ぎる。
必ず会える保証はないにしても、通っていればそのうち……なんて期待が要にバレないよう平常心を装った。
(本物を見るだけ。例え似ていたとして、城ヶ崎との血縁が確証されるわけでもない)
自分に言い聞かせても、頭の片隅では『もしかして……』と可能性を手繰り寄せてしまう。
午前中の仕事がクロノス総合病院への挨拶だけで終わったのは幸いだった。今日の怜志はまるで集中力に欠けていた。頭の中はこのあと行く喫茶店でいっぱいだ。
(折角、先端医療の研究施設を案内してくれたのに……ダメなスタートになってしまったな)
反省しつつ、これまでの営業では見ることの出来なかった、総合病院の裏で行われている研究室に入れた高揚感だけはしっかりと残っている。
「要さん、もっと詳しく話が聞きたいので近々飲みに行きませんか?」
「いいね。俺は今夜でもいいよ」
「マジですか。嬉しいです」
「相変わらず、青柳は仕事熱心だな」
運転しながら要が目を細めてチラリとこちらを見た。
なんだかんだ、仕事人間の要は食い気味で迫られるのが好きだ。入社当時も、のめり込むように仕事に打ち込む怜志の姿を随分買ってくれていた。
病院を出た頃にはランチには遅い時間になっていたが、予定通り例の喫茶店へと向かう。
昼休みが終わり、また仕事へと会社員が散った後の街は適度に静かで気が抜ける。【喫茶アルコープ】の看板の隣のドアを開くと、香ばしいコーヒーの匂いが漂った。
「いい匂い」反射的に鼻から息を吸い込む。お腹が空いているのに、この香りに当てられてコーヒーとケーキでも食べたくなってしまう。
「いらっしゃいませ」
品のいい初老の男性店員が声を掛けてくれた。
「ランチ……なんてやってませんよね?」要が訊く。
「すみませんね。特別、ランチって構えてはやってなくて。軽食ならありますよ」
「腹ペコなんです。他の店を探すのも時間が勿体無いので、いいですか?」
「どうぞどうぞ。特別、大盛りにしておきますよ」
朗らかに店主が笑う。要に負けず劣らず人の良さが滲み出ている。
カウンター席に並んで座ると、メニューの中からナポリタンと卵サンド、食後にコーヒーとプリンを注文した。
「あ……」と声を漏らしそうになったが既の所で止め、その代わりに息を呑む。
店主との話に気が取られていて、もう一人店員がいたのに気付かなかった。
カウンターの奥に立ち、コーヒーを淹れている若い男性。彼こそが、朝ワイドショーで騒がれていた本人だ。
確かに城ヶ崎に似ている。しかし彼ほどの派手な華やかさはまるで感じない。それどころか、影の薄い、気配すら感じないほどの存在感である。空気と同化できると言われれば信じてしまいそうだ。
それでも一度その存在を認めてしまえば目が離せなかった。
こっちに向かないかと、じっと彼に視線を送ってしまう。
その子が俯いていた顔を上げ、テーブル席の年配の客に目配せをすると、「お、出来たかい」と慣れた感じでカウンターにコーヒーを取りに行く。
彼はぺこりと会釈をしてトレーごと手渡した。
(運ばないのか)
客から取りに行く喫茶店なんて聞いたこともないと思いながらも、当たり前にされている行為にどことなくほっこりとしてしまう。
彼はその流れで視線をゆっくりとこちらに向けた。
しっかりと目が合った。
「……」
何も言葉が出てこない。大きな眸は吸い込まれそうなほど澄んでいて、それでいて憂いて覇気がない。よく言えば凪いている水面のように静かな人だった。
怜志の心臓だけが大きく伸縮し、体内で五月蝿く響く。抑えようとするあまり、息押し殺すしかなかった。




