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浮気

短編です。

「ねぇ、中野くん。浮気ってどこからが浮気なの?」


 事の始まりは、何気ない一言。そう、それは迂闊なあたしの不用意な……一言。


「浮気ですか?」


 あたしは軽く頷いて、晴れた空を見上げた。なんて気持ちの良い空なんだろう。あたしは木漏れ日に手を翳した。ここはあたしの一番のお気に入りの場所。枝を広げた木と、短く切り揃えられた芝生。ここは大学の構内で、あたしの一番のお気に入り。この木は二人でくつろぐには丁度良い日陰をつくってくれる、優しい場所。


「何かね、人によってその辺のボーダーラインが違うんだって」


 手にした紙パックは、美味しそうな茶色。飲む度にぺこっと軽い音を立てては、冷たい雫を放つ。小さな粒々の汗をかいた、甘いコーヒー牛乳。


「だからね、一回聞いてみたら?って……」


 そう言ったのは、京香。浮気のボーダーライン。あたしはストローをくわえたまま、隣の中野くんを見た。初夏でも涼しげな横顔、小振りの真っ黒な缶コーヒー。きっと……甘くは無い。 


「聞きたいですか?」


 穏やかな、休憩時間。穏やかではない風が吹いた。


「……ですよ」


 あたしは耳を疑った。


「……えっ?」


 驚いて聞き返すあたしに、中野くんは柔らかく微笑んだ。


「体を合わせたら、でしょう?」


 天使のような笑みを浮かべた、中野くん。


「……へっ?」


 あたしはストローから口を離し、そのまま固まった。


「だから。体のある一部分を合わせたら、でしょう?」


 中野くんはそう言って、風で乱れたあたしの髪を指で直した。指先があたしの頬を伝い、耳を撫でた。


「わかりますよね、それくらい。わからないのなら、丁寧に説明しますけど……」


 コーヒーの香りが近づく。気が付けば、中野くんの顔が目の前にあった。


「わ、わ、わかりますっ。わかってますっ!本当に……わかってますっ」


 中野くんはいつも苦い方のコーヒーを飲む。だからキスする直前の合図は、ビターな香り。中野くんの接近を知らせてくれる、サイン。


「本当にわかりますからっ」


 でも、ここは昼間の大学。あたしはそこまでオープンじゃない。


「本当ですか?」


 あたしは疑う中野くんを見ながら、何度も頷いた。


「では、ゆいはどうですか?」


 浮気のボーダーライン。


「僕が他の人と……どこまで許せますか?」


 中野くんが、他の人として嫌な事。あんな事? こんな事? 


「やっぱり……」


 考えようとするあたしの脳裏に、さっきの中野くんの言葉。なんて……卑猥。中野くんの事だ。あんな事もこんな事も……。きっと……だよね?? いや、でも……。頭の中の中野くんはエロちっくで、想像の世界の浮気相手はすごくセクシーで……。う~ん。どうしよう。きっと、あたしじゃ敵わない。


「中野くんと同じかも……」


 あたしはそう言って、ストローをくわえた。ぬるくなったコーヒー牛乳が、あたしを慰めるようにさっきより甘い。


「……悲しいけど」


 大人な中野くん。いつまでも大人になれないあたし。きっと、入り込んできたセクシーには敵わない。


「……諦める」


「えっ?」


「そうなったら、諦める。だって、中野くんにはもっと……。それにその人の事が好きなんだろうし……。中野くんの幸せは邪魔したく……ないもん」


 何気ない会話だったはずなのに、胸が少しだけ痛んだ。甘いコーヒー牛乳も、次の一口を飲む気にはなれなかった。パックにささったストローが、まるで胸にもささっているようなそんな気がした。


「中野くんが幸せな方が、いいもん」


 精一杯のあたし。隣を見ると、中野くんがいない。


「えっ……」


 穏やかでない風が吹いて、あたしは目を細めた。いなくなった中野くん。中野くんがいなくなったら……どうすれば、良い?


「……そんな所にはありませんよ。僕の幸せなら、ここに」


 こつんと後頭部に何かが当たった。半袖のあたしの腕に、さらりと滑る人肌。後ろから香るコーヒーは、いつも通りのビター。苦くて、甘い。


「ゆいは諦めない人でしょう? バカみたいに正直で、下らない事にも真っ直ぐで。僕はね、ゆいがいれば幸せですよ。ゆいと引き換えの幸せなんて、あるはずも無い」


 中野くんの言葉は、いつもどこか切ない。あたしはそんな中野くんを見る度に、自分に何ができるのか探してしまう。幸せにしなくちゃ。切なさが刻んだ、心の奥の傷。


「それに……」


 あたしの背中を包む、中野くんの体。華奢だと思っていたのに、なんだか力強い。半袖になったせいか、あらわになった筋肉。白い肌に浮かんだ血管に、中野くんの確かな存在を見たようで少し和んだ。


「僕は浮気を許しませんよ」


「えっ?」


 抱きしめる腕の力が、強くなる。そう、そんなに彼は甘く……無い。


「縄でも、鎖でも。何なら、檻に閉じ込めてしまいましょうか? それでも良ければどうぞ」


 それでも浮気しますか? そう耳元で囁く声は、悪魔の声。ぬるくなった紙パックのジュース。汗をかいたのは、あたし。


「……絶対しません」

 

 ええ。神に誓ってしませんとも。


「ところで、ゆい。ゆいの浮気のボーダーラインは?」


 涼しげな声の中野くん。


「中野くんと同じだよ」


 体を合わせたら。


「そうですか? ゆいも意外と束縛するのですね」


 意外と?? 嘘? これって普通だよね?


「えっ? 浮気っていったら、みんなそこからでしょ?」


 振り返るあたしの目に、悪魔の笑顔の中野くん。


「ゆいの浮気のボーダーラインは、僕と同じでしたよね?」


 うん。あたしは迷わず頷いた。


「そして、浮気は絶対にしない」


 うん。あたしは再び頷いた。


「じゃあ、ゆいは僕から目が離せませんね」


「ん?」


「知ってますか? 僕の浮気のボーダーライン」


 あたしは中野くんの言っている意味が、良くわからない。


「目を合わせたら、浮気ですよ」


「……ええっ!!」


 あたしは驚いて中野くんの腕をすり抜けた。視線? 体の一部分って……。


「うっそ!?」

 

 あたしは中野くんに向き合って、その目を見つめた。


「だって、体を合わせたらって言ったじゃん!」


「……だから、目。視線」


「はいっ??」


 あたしは中野くんから目が離せない。


「ゆいの目は、体の一部分では無いのですか? それとも節穴ですか?」


「ちょっと……そんなっ」


「良く見せて下さい」


 木漏れ日を遮るのは、ビターな彼。


「んっ」


 あたしは、直視できずに目を閉じた。


「ひゃっ……」


 初めての体験。とろりとした、少し卑猥な感触。


「……大丈夫ですよ。ちゃんと体の一部分でしたから」


 しれっとした顔で微笑む中野くん。


「何……それ。っていうか……何、今の? 何? 何? 何だったのよー!!!」


 恥ずかしさと疑問でいっぱいの頭。今のは、やらしいの? 何だったの? キスより上なの? 下なの?


「許して下さいね、ゆい。ゆいの全ては、僕のもの。だから……」


 許して下さいね。耳元で中野くんが呟いた。


 良く晴れた空の下。


「なっ……」


 彼の言葉には、裏がある。


『許して下さいね、ゆいの体の全部は僕のもの』


 やっぱり彼は、甘くない。翻弄されるのは、いつだって私。



 

中野くんのキャラが好評だったので、調子にのって番外編追加しました。

感想よろしくお願いします。

だんだんバカップルになっていくようで、ちょっと心配です。

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