↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
華 -ibara-  作者: 霧島葵
PR
1/20

第1話「華の気配」

朝の光が差し込む廊下で、紗佳は友達に囲まれて笑っていた。

透き通るような声が響くたび、周囲の空気が少しだけ明るくなる。

その自然な華やかさは、本人が意識していない分だけ、余計に人を惹きつけた。


「紗佳、今日も部活行くの?」

「うん! 昨日の続きが気になっててさ〜」


笑いながら答える紗佳は、ただの明るい中学生にしか見えない。

けれど、彼女が向かう先は──麻雀部の部室だった。


廊下の角を曲がった瞬間、誰かとぶつかった。


「わっ、ごめんなさい!」


紗佳が慌てて頭を下げると、相手の男子は静かに立ち止まった。

黒髪が少し揺れ、無表情のまま紗佳を見る。


「……気にするな。」


低く、淡々とした声。

紗佳は一瞬だけ固まった。


(なんか……怖い人?)


男子はそのまま歩き去る。

けれど紗佳は知らない。

彼が、麻雀部唯一の男子──京一郎だということを。


部室の扉を開けると、空気が変わる。

紗佳は髪を結び、表情を静かに整えた。

さっきまでの明るさが嘘のように、瞳が深く澄む。


「……打とう。」


その声は、廊下で笑っていた少女のものとは思えないほど落ち着いていた。


京一郎が卓の向こう側に座っていた。

無表情のまま、紗佳の変化をじっと見つめる。


(さっきの子……こんな顔をするのか。)


牌を配り始めると、部室の空気がさらに静まる。

紗佳は指先で牌を撫で、河を一度だけ見た。


そして──京一郎の手を読んだ。


「……三色、見てるよね?」


京一郎の手が止まる。

表情は変わらない。

けれど、心の奥で何かが揺れた。


(なんで分かる……? まだ河に情報は出ていないはずだ。)


紗佳は淡々と牌を切る。

その一打が、京一郎の計算を崩した。


「ロン。」


静かな声。

紗佳は勝ったのに、嬉しそうに笑った。


「えへへ、たまたまかもだけど……勝てた!」


京一郎は紗佳を見つめたまま、言葉を失っていた。

直感と読みだけで、自分の手を見抜く少女。

その才能は、まだ本人が気づいていない。


帰り道、紗佳は空を見上げた。

京一郎の無表情が頭から離れない。


「勝負って……楽しいだけじゃないのかな。」


胸の奥に、小さな痛みが生まれる。

それは、まだ名前のない“茨”の気配だった。


その夜、紗佳は夢を見る。

誰かの捨て牌が、茨のように広がっていく夢。

触れれば刺さるような、冷たい影。


紗佳は目を覚まし、胸に手を当てた。


「……もっと強くなりたい。」


翌朝。

部室の前で、京一郎が静かに待っていた。


紗佳は笑顔で言う。


「今日も、打とうよ。もっと強くなりたいから。」


京一郎はわずかに口角を上げた。

その微かな変化が、紗佳には嬉しかった。


こうして──

紗佳の“華”と“茨”の物語が始まった。


翌日の放課後。

部室の扉を開けると、京一郎が静かに卓を整えていた。


「……来たか。」


その声は淡々としているのに、

どこか昨日より柔らかい気がした。


紗佳は少しだけ胸が弾む。


「もちろん! 昨日の続き、したいし!」


京一郎は紗佳の言葉に反応しないように見えたが、

指先の動きがわずかに止まった。


(続き……か。)


彼はその言葉を心の中で繰り返す。

誰かに“続き”を求められたことなど、今までなかった。


卓につくと、紗佳は昨日と同じように髪を結んだ。

その仕草だけで、京一郎は空気が変わるのを感じる。


「……打とう。」


紗佳の声は静かで、澄んでいた。

昨日の笑顔とは違う、勝負の顔。


京一郎は配牌を整えながら、

紗佳の指先を観察する。


(迷いがない……昨日だけの偶然じゃない。)


紗佳は牌を一枚引き、すぐに切った。

その一打は、京一郎の読みをわずかに揺らす。


「……それ、危なくないのか?」


「ん? なんとなく、こっちかなって。」


紗佳は笑う。

その“なんとなく”が、京一郎には理解できない。


(直感……いや、読みか?

 だが根拠が見えない。

 なのに、当たる。)


京一郎は自分の手を進めながら、

紗佳の表情を見た。


昨日よりも静かで、昨日よりも深い。

まるで牌の向こう側を見ているような瞳。


(この子……本当に強くなる。)


そう思った瞬間、京一郎の胸に

小さな熱が灯った。


対局が終わると、紗佳はふぅっと息を吐いた。


「京一郎くん、強いね……昨日より全然読めなかった。」


「昨日のままではいられないからな。」


「えっ、昨日の対局で何か変わったの?」


京一郎は少しだけ視線を逸らした。


「……お前のせいだ。」


「えっ!? わ、私何かした!?」


「した。昨日の一打で、俺の計算を崩した。」


紗佳はぽかんとした顔で京一郎を見る。

その表情があまりにも素直で、京一郎は少しだけ口元を緩めた。


「だから……強くなる必要がある。」


「そっか……じゃあ、私も強くなる!」


紗佳は嬉しそうに笑った。

その笑顔は、昨日よりもずっと近く感じた。


帰り道。

紗佳は京一郎の言葉を思い返していた。


(“強くなる必要がある”……

 京一郎くん、昨日よりずっと真剣だった。)


胸の奥に、昨日とは違う感情が生まれる。

痛みではなく、熱。


それはまだ名前のない感情。

けれど紗佳は、その熱を大事にしたいと思った。


「……もっと強くなりたい。」


昨日より強く、今日より深く。

紗佳の“華”は、ゆっくりと形を変え始めていた。


そしてその影には──

まだ誰も知らない“茨”が静かに伸びていた。


翌日の放課後。

部室の窓から差し込む夕陽が、卓の上の牌を淡く照らしていた。

紗佳はその光を見つめながら、ゆっくりと席に座る。


京一郎はすでに卓の向こう側にいた。

昨日よりも少しだけ近く感じる距離。


「……今日もやるんだな。」


「うん。昨日の続き、したいから。」


紗佳の言葉に、京一郎の指先がわずかに止まる。

その一瞬の揺れを、紗佳は気づかない。


京一郎は静かに牌を配り始めた。

その動きはいつも通り正確で、無駄がない。

けれど、昨日よりもどこか柔らかい。


紗佳は配牌を整えながら、胸の奥の熱を確かめる。

昨日の夢──茨のように広がる捨て牌。

あの冷たい影は、まだ心のどこかに残っていた。


(勝負って、楽しいだけじゃない。

 でも……怖いだけでもない。)


紗佳はそっと息を吸い、牌を一枚引いた。

その瞬間、京一郎の視線が紗佳の指先に向く。


「……迷いがないな。」


「えっ?」


「昨日より、ずっと。」


紗佳は照れたように笑った。

その笑顔は、京一郎の胸に小さな波紋を広げる。


(この子は……強くなる。)


京一郎はそう確信した。

根拠はない。

けれど、紗佳の瞳の奥にある“華”が、そう告げていた。


対局が進むにつれ、部室の空気は静かに張り詰めていく。

紗佳の直感は鋭く、京一郎の理論は冷静。

二人の打牌が交差するたび、卓の上に見えない火花が散った。


そして──紗佳の一打が、京一郎の読みをまた崩した。


「ロン。」


静かな声。

紗佳は昨日よりも落ち着いた表情で手牌を倒した。


京一郎はしばらく紗佳を見つめたまま、言葉を失う。


「……強いな。」


「えへへ……まだまだだよ。でも、もっと強くなりたい。」


紗佳の瞳はまっすぐだった。

その光は、昨日よりもずっと強い。


京一郎はゆっくりと牌を片付けながら言った。


「なら……俺が相手をしてやる。」


「ほんとに!? 嬉しい!」


紗佳の笑顔が弾ける。

その瞬間、京一郎はほんの少しだけ視線を逸らした。


(……眩しい。)


その華やかさは、京一郎の静かな世界にはなかったものだ。


部室を出ると、夕陽が校舎を赤く染めていた。

紗佳は空を見上げる。


(京一郎くん……昨日より近く感じた。)


胸の奥の熱は、昨日よりも強く、昨日よりも深い。

それはまだ名前のない感情。

けれど紗佳は、その熱を抱えたまま歩き出した。


夕陽の中で、紗佳の影が長く伸びる。

その影の先には──

まだ誰も知らない“茨”が静かに揺れていた。


紗佳はその影を見つめ、そっと呟く。


「……強くなる。絶対に。」


その声は、夕陽に溶けて消えた。


こうして──

紗佳の“華”と“茨”の物語は、静かに幕を開けた。

第1話を読んでくださり、ありがとうございます。


霧島紗佳という少女は、光と影の境界に立つ存在です。

彼女が初めて卓に向かう瞬間の“揺れ”を、

どうしても丁寧に描きたいと思いました。


麻雀という勝負の世界は、

牌の音よりも、心の音のほうがずっと大きい。

紗佳の影が揺れ、京一郎の影が寄り添い、

二人の距離が静かに動き始める──

その最初の一歩が、この第1話です。


ここから紗佳の“華”と“茨”がどう育つのか、

見守っていただければ嬉しいです。


霧島葵

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。