episode of bug&bug
笛吹を含む三体の神を退けた私たちはすぐに、レーヴェさんの領域へと戻ることに決めた。
ヘラーテさんの住居が失われたということもあるが、それ以上にこの場に留まることは危険であると、レーヴェさんが判断したこともある。
「…司る者の野郎、また俺に大型の相手をさせるつもりか、クソが。まずは、この使えねえボディを何とかしろってんだ」
そして、あの方の判断は正しかった。恐らく、彼女は事前に蟲に観測させていたのだろう。最早見慣れた天使たちの軍勢が、その場にやってきたからだ。
しかも、その内の一人は意思を持つ異形の天使、カマエルだった。私の村を襲撃した時も、ミクトへ潜入していた時も存在した、そして命を落としたはずのその天使は、当然のように生存活動を継続していた。どういう理屈かは分からないが、少なくとも戯灰様と互角に渡り合い、ウィルさんたちを圧倒したその実力は警戒するに越したことはない。
「レーヴェさん、あれハ」
「知ってるよ、うちを襲撃した内の一人だろ?戯灰と互角の使い手、なら私が行く。スカベラ、ヘラーテを頼むよ」
念には念を入れて、レーヴェさんが天使の相手を買って出た。女王蟻は他の天使兵の相手に専念させる。
「安心するといい、君の相手は僕だ。だが生憎、僕は女王蟻よりは強いぞ」
そう言って、カマエルの前に立ちふさがったレーヴェさん。カマエルは歓喜の笑みを浮かべて、剣を抜いた。
「へぇ、灼竜って奴か。光栄だな、あんたみたいな大物に相手してもらえるなんて」
鳴る、剣戟の音。私はその隙に、ヘラーテ様を空舞蝶に乗せて、帰還していった。
*
灼熱落果、【死山庭園】。レーヴェさんが居を構える、灼熱落果でも最南にあたる場所。そこには彼女の住居かつ蟲を開発するための研究施設を備えた建築物があり、恐らく、ミクトにすら負けない程の資材が揃っている。
はっきり言って、私は見ても全く理解できないが、ヘラーテさんはうんうんと頷きながら、並んだ試験管を眺めていた。
「おかげで助かりました、ありがとうございます」
研究所を抜けて、レーヴェさんが一人で住むには広すぎる程の住居部分に辿り着いた時、改めて、彼女は頭を下げた。
「あノ、一つ、お聞かせ願えマスか?」
「良いですよ、なんです?」
そんな風に私が尋ねると、快く、彼女は頷いた。
「お二人は、敵対しているのでは無かったのデスか?」
私は率直に、そう聞いた。
今回の共同戦線はある種、呉越同舟に近いものだと思っていたが、その割に二人のやり取りを聞いていると、そうは思えない程に距離が近い。どうにも、二人の関係性は、私が思っていたものとは違うらしいということに、私はようやく気付き始めた。
私の問いに、ヘラーテさんは困惑したような顔を見せてから、困ったように微笑んだ。
「…バァルですね、そんなことを吹き込んだのは」
それから呆れたように言ってから、彼女は私に向かい合って話し始めた。
「まあ、対外的にはそう見せてはいますがね、元々私はあの方に拾われた孤児の一人なんですよ」
「…!」
私は驚きを隠せない。神代直後の時代、レーヴェさんは最初の蟲使いであるバァル様を拾った後から、蟲使いの才能を持つ人間たちを庇護下に置いたというのは知っている。なら、彼女は、バァル様と同じく、始まりの。
「と言っても私に蟲使いの才能はありませんでしたから、あくまでただの孤児としてですがね」
私の考えている事が伝わったのか、彼女は首を振って寂しそうに笑う。
彼女からもう少し話を聞きたい。そう思った瞬間、驚くべき情報が、私の脳に飛び込んできた。
「何か、あったんですか?」
そんな、私の驚愕が顔に出ていたのだろう、ヘラーテさんが心配そうに声を掛けてくれた。
「…女王蟻が、殺されまシタ」
私がそう告げると、彼女もまた目を見開いていた。
それもそのはず、女王蟻は灼熱落果の頂点の一人だ。あの巨体から繰り出す攻撃は、殆どの生物に対して致命傷になり得る。以前にも、あのカマエルを撃破した功績もあるのに、どうやって天使は。
「一応、向かって見マス。あの方が負けることはないでしょうが、想定外がないとは限りまセンから」
考えても答えは出ない。私は万が一も想定して、戦場へと戻ることにした。
*
二人の戦いの決着は、即座についていた。
「なんだ、思ったより脆かったな」
レーヴェルナーノの、圧勝という形で。
自らのブレスを受け、焼け付いたカマエルを見て、そして、彼の背後にいた無数の天使兵の残骸を見て、灼竜はつまらなそうに呟く。
この結果は、至極当然だ。何故なら、レーヴェルナーノは旧き竜の一角。現存する最古の竜の一人であり、最強の一人である彼女に、単なる量産型でしかない天使兵の肉体が耐えきれるわけもない。
それは驕りでも、高慢でも、妄信でもない、単なる客観的な事実。だから、彼女も不思議思うことはなく、振り返り自らの領域に帰ろうとした。
「な―」
だから、不意を打たれる。彼女の小さな体を貫く、一本の剣。
振り向くとそこには、無傷の天使兵。大天使と呼ばれる、一般天使兵を指揮する強化型の天使がいた。焦げ一つついていないその姿から推測するに、偶然他の天使が覆いかぶさった、或いは覆いかぶせたことで難を逃れたのだと思われる。
「悪いな、レーヴェルナーノ。これもめぐり合わせだ、恨むなよ?」
そう言って、大天使は笑った。否、これはただの大天使ではない。天使兵や大天使兵などの量産型は本来、このような自由意思を持つことはない。
【KIIYAAAAAAAAAAAA!】
レーヴェルナーノがやられたことを察知して、女王蟻はその大天使を踏みつけようとした。
「悪いが」
が、大天使が振るった剣によって、射線がずらされる。そして、更に剣の一振りによって、足先が切り捨てられた。
【KI!?】
おのずと、女王蟻のバランスが崩される。そして、降りてきた頭部目掛けて、大天使は剣を投げた。
「二度は負けねえ」
投擲した剣は女王蟻の脳を破壊し、そのまま大きな音を立てて女王蟻は崩れ落ちた。
余りに、常軌を逸した戦果、これほどの実力を普通の大天使は持ち合わせていない。ならば、当然、この大天使はただの大天使ではない。
「大天使のボディ、まだ足りんが前よりは馴染むぜ」
カマエル、先ほどまで一般天使兵であった彼が乗り移っていたのだ。精神でのみ存在するカマエルは、このように他の身体に乗り移り続けることによって、疑似的な不死を体現する、ある種最も異形の天使だと言える。
「…哀れだな、君は」
そんなカマエルに対し、レーヴェルナーノは自らの身体に受けた致命傷を気にも留めず、ただ冷たい視線を送る。
「あん?」
「あのバカが君たちの本拠に蟲を残していてね、死ぬ前に私に支配権を移行したんだよ。だから、君たちのことはそれなりに知っている」
彼女はそう言って、呆れたように溜め息を吐いた。
「全く、そんなことをするなら初めから裏切るなよと思うけどね。あの狂人に何を吹き込まれていたのか、今となっては分からないことばかりだ」
「おい、それで、何が哀れなんだ?死ぬ前に教えてくれよ」
回顧染みた彼女の語り口に、カマエルは苛立ったように言葉の続きを促す。
「ああ、そうだ。忘れていたよ」
そんなカマエルに、レーヴェルナーノはふ、と嘲笑うかのような、小さな笑い声を漏らした。
「精神だけの存在、他の身体に寄生することで初めて身体を得る天使。天使から権天使までの天使兵にも、七大天使にもそんなものはいない、理屈としてはさっきの脳喰らいと変わらない」
「でも、違うところもある。ブレインフェースのそれは生まれつきだが、君のそれは後天的なものだ。それに性質も、大きく異なる」
「ブレインフェースの寄生はあくまで寄生先の能力を十全に発揮させるもの、まあ十全すぎて壊しかねない歪さもあるが。だが、君に比べれば大分マシだ。何故なら、君は君の能力を発揮することしかできない」
「自分でも分かるだろ?君のその剣の腕前と、他者に乗り移るという特性は噛み合わないんだよ、絶望的な程に」
「…結局、何が言いてえんだ?」
熱っぽく語ったレーヴェルナーノに対して、カマエルは困惑した表情で問いかける。長々と語ったレーヴェルナーノだったが、結局のところ、何故自分が哀れだと言ったのか、その疑問にはまるで答えていない。
「そんなに知りたいかい?なら教えてあげよう、気は引けるがね」
彼女は、くつくつと笑いながら、彼の問いに答えた。
「つまり君にも、素体となる人間がいるということさ」
「…なんだと?」
その答えに思わず、カマエルは理解に窮する。そして、理解が追い付いた頃、ようやく彼は鼻で笑った。
「馬鹿言うんじゃねえよ、確かにあんたは俺らについてそれなり以上に情報を得ているらしい。なら、これも知ってるよな?人間を素体にした天使は肉体はそのままに、身体の改造と洗脳、つまるところ人間だった時の記憶の削除と司る者への忠誠心を埋め込められる。奴への忠誠心はねえ、精神だけの俺とは、まるで違うだろうが」
笑いながら言った彼に、レーヴェルナーノもまた、彼の発言を鼻で笑う。
「知らないと思うかい?少しは頭を使ってくれよ。私は確信を持って言ってるんだ、君がそうじゃないというなら、なんで君は精神だけの存在なのか、どういう意図を持って造られたのか、そもそも生まれた頃の記憶はあるのか、教えてくれよ」
「んなの覚えてるに決まって…」
カマエルは流れもしない、冷汗が流れたような感覚に襲われた。彼は、何も覚えてなどいなかったし、自分が司る者の下にいる理由も、どうやって自分が造られたのかも、何も知らなかった。
「…あの野郎、ぶっ殺してやる」
ひとしきり困惑してから、彼の中には殺意だけが芽生えた。
最早、彼女に聞くことはない。そう思い、彼はこの場を後にしようとした。
「!」
動けない。脚が何かに張り付いたように、びくともしない。そして気づく、これは蜘蛛だ。蜘蛛糸が、自分の足に絡まっている。白雲蜘蛛、レーヴェルナーノが操る、蟲の仕業だ。
「てめえ!」
「馬鹿だなあ、なんで僕が君に長々と話していたのかも気づいていなかったのかい?」
睨みつけるカマエル、そんな彼を灼竜はけらけらと笑う。
「乱し天道」
そして、援軍の到着。蝶に乗り現れたスカベラは、小さなてんとう虫を幾つも操り、カマエル目掛けて投射した。
「行っテ」
「時間を稼いでいたに決まってるだろ」
てんとう虫の襲来に手間取るカマエル、その隙にレーヴェルナーノは彼を蹴り飛ばす。
「これで終わりにしてやっても良いけど、ここ数年は随分と苛立たつことが多い。だから君は、見せしめにしてやる」
そう言って、彼女は天使に背を向けた。カマエルは動けない。乱し天道の能力によって、平衡感覚を著しく制限された彼は、その隙だらけの背中を、血まみれの背中を切り裂けない。
「ここは私の庭だぞ?私の領域だぞ?旧き竜の、居場所だぞ?そろそろ、命知らず共にはそれを理解してもらわないとね」
苛立ちを顕わに語った彼女は、カマエルを見てにっと笑った。
「健闘した褒美だカマエル、数百年ぶりに見せてやろう。そして、出刃亀共に思い出させてやろう。愚かな侵入者に教えてやろう。私の、大嫌いなこの姿を」
その笑みが閉じる頃、彼女は最早、今まで見ていた蟲竜の身体を脱ぎ捨てようとしていた。
変形していく、レーヴェルナーノの身体。圧縮されたものが、徐々に、徐々に、元の大きさを取り戻していく。関節が鳴る音、骨がみしみしと鳴り、血液の脈動さえ聞こえてきそうな錯覚。
「蠢く甲殻の中に隠れな、スカベラ」
変形中途、彼女はスカベラにそう忠告した。今までその姿を驚愕と共に眺めていた彼女は、直後に来るであろう危機を察し慌てて、ダンゴ虫型の蟲の中へ隠れ、地の中へ潜っていった。
そして、間もなく、変形は完了した。今までの、小さな竜とは一線を画した、巨大な竜。
女王蟻と比較して尚、それ以上の存在感を感じさせるその存在は正に、灼竜と呼ぶに相応しい、破格の存在。
「さあ、消え失せろ」
【灼竜】、レーヴェルナーノ。旧き竜の次席を務める者の、本領である。
「吹けども、吹けども、」
レーヴェルナーノから放たれたのは、黒色の火球。灼熱というには生易しすぎる程の熱を帯びたその火球は、周囲を全て塵芥へと化しながらカマエルへと襲い掛かる。
そして、既にカマエルの身体も、炭へと変わろうとしていた。全身に纏っていた鎧の様な外装が爛れ落ち、骨に似せた内部の構造が露出し、それすらも融解しようとしている。
「…条理」
それでも尚、天使は構えた。まだ形を保っている剣を両手に持ち、上段に構える。火球は未だ、剣の射程には入っていない。しかし、最早猶予はない。身体も、剣も、今にも消え失せてしまおうとしている。
「離空」
だから、彼は届かないはずの剣を、振り下ろした。
だが、剣は届いた。
「…何?」
その結果に、灼竜は驚きを隠せない。彼が剣を振った瞬間、火球が消え失せたのだ。本来、切り裂けるものでもなく、そもそも剣すらも焼け落ちてしまうような、必殺の一撃が断ち切られたという事実に、思わずレーヴェルナーノの思考は硬直した。
「―!あばよ!」
それに気づいたカマエルは即座に逃走を選んだ。火球を無効化したとはいえ、実力差は明白だ。二度目の火球には耐えられないだろうし、火球を排除したとしても、先ほどのブレスは脅威だし、体格差で押されてしまえば勝ちの目はない。
「…あれの中身、私が思ってるよりも大物か?」
去っていく天使の後姿を目で追いながら、彼女は訝しむように呟いた。
レーヴェルナーノは動けない。天使の襲来が終わったと決まったわけではないし、女王蟻を失った今、カマエルの様な大物が来てしまえばヘラーテ一人では守り手に欠ける。
それに何より、今の彼女が領域の外に出ることはすなわち、示威行為とも認識されかねない。小さな姿ならまだ誤魔化しようがあるが、それには少なくないエネルギーを消費するし、時間もかかる。現実的ではない。
「レーヴェさん!私が追いマス!」
そんな中、地の中から戻ってきたスカベラが言った。
「うん、頼むよ、スカベラ。ただ無理はするな、距離を保って、絶対に間合いに入るな。いいね?」
レーヴェルナーノは肯定しつつも、忠告を付け加えた。それから、何かが上手くいったかのように満足そうに頷き、続けた。
「丁度、あいつが逃げた先に、良い相手がいる。上手く当てて漁夫の利を狙うといい」
「ハイ、ありがとうございマス」
「もう一度中に入りな、追い付けるように私が飛ばしてやる」
そう言って彼女は再度、火球を放つ態勢に入った。と言っても、先ほどのような馬鹿げた威力の物ではない。極限まで弱めた爆撃で、彼女を吹き飛ばそうと考えたのだ。その程度の威力調整は彼女にとっては容易い。
「アノ、レーヴェさん」
「行くぞ、スカベラ!」
スカベラが何かを言おうとしたが、熱の入ったレーヴェルナーノには届かない。それでも、彼女は身を潜める直前まで、彼女に何かを伝えようとしていた。
「普通に空舞蝶で飛べば良いのデハ―」
その声が届いた瞬間、爆撃は放たれ、蠢く甲殻に籠ったスカベラが吹き飛んでいった。
吹き飛ばす直前、最後に聞こえたスカベラの言葉に、レーヴェルナーノは冷汗をかきつつ、自らの短慮に項垂れた。




