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20.金曜日午後7時
豪奢な扉を開けると、派手な調度品が出迎えた。
西洋の甲冑と、日本の兜飾りが並んでいる。ヴィーナスの彫刻像だろうか、風景絵画、虎のはく製、いろいろなものが混雑している。立派なペルシャ絨毯が敷かれ、天井には豪華なシャンデリアがぶら下がっていた。
お世辞にも、美的センスがあるとはいえない。ただし金がかかっているのだけは、まちがえないだろう。
中央にある階段は、王の待つ謁見の間へ通じているかのようだった。
長山は、迷わずに上っていく。
一階はホールのようになっていたが、二階も部屋が分かれているわけではなかった。
大きな窓のそばに、男性の姿があった。
「中西さん……」
歩みを止めた。遥も、すぐ後ろについている。
中西は、外に向けていた顔を、長山のほうに動かした。
「お話をうかがいにきました」
「ごくろうさまです」
笑みをたたえながら、中西は言った。
「そうですね……なにから話しましょうか」
その前置きは、意味をなしていないように聞こえた。はじめから語ることは決めていたはずだ。
「会長は……いえ、あのころは、まだ社長でしたか」
黒神藤吾は野心に満ちあふれ、名声と富の追及に妥協はなかった。邪魔な人間は、どんなことをしても追い落とし、必ず勝利をつかんでいた。
多摩にある蔵元で発見された酵母の話を知ったのは、偶然に近かった。大学の研究機関に多額の寄付をしていた関係で、黒神の耳にも届いたのだ。
権力者となった人間の考えるさきは、大むかしから変わらない。黒神もそうだ。酵母の効能に、不老不死の可能性をみいだしたのだ。
どうしても、その研究が欲しい。
黒神の願望は、国家権力さえも動かした。
「これが、公安との関係につながっていきます」
「そこからですか?」
「正確には、もっとむかしからです。警察機構には莫大な資金をばらまいていましたから」
ばらまいていたのは、そこだけではありませんがね──と、中西は続けた。
「毒殺事件の犯人は、公安ですか?」
「どこまでを犯人と仮定するのかによります」
中西は、そんな言い方をした。
「実行犯は、公安ではないということですか?」
「おそらく」
つまり、中西でも実行犯がだれなのかはわからないのだ。
「公安が用意した、ということですね?」
「そういうことなんでしょう」
「当時、容疑者とされた元従業員の男性が、公安の人間なんですよね?」
「私では断言できませんが、最初は従業員としてだれかを潜入させたと耳にしています」
「もう一人、かかわっている男性がいるはずです」
「……そうですね、だから代表はあの事件を」
やはり、港区会社経営者変死事件……。
「その二人が、毒殺事件を仕組んだということですか?」
「推測になりますが」
「あなたの役割は?」
「罪を逃れるつもりはありませんが……会長が、そこまでのことをお望みとは思っていませんでした」
会長が、のところで少し間があいたが、いまは「社長」と訂正することはなかった。
「パラコートを用意したのは、私です」
「命令されたということですか?」
「私のような人間は、命令を受けてから動くのではありません。会長の望むものを用意する……それだけです」
「あくまで、自発的に?」
「そうですね。公安という組織も、そうだったのかもしれない」
公安も、黒神の指示をうけたのではなく、自主的に動いたものだと予想することができる。
「どうして、パラコートだったんですか?」
「当時は、よく使われていた農薬ですから」
それ以外に理由はないようだ。
「そのパラコートが……」
中西は、まだなにかを言おうとしたが、途中でやめてしまった。
「どうしました?」
含みのある笑みをみせてから、中西は続けた。
「……パラコートが、破滅を生んだんです」
「どういう意味ですか?」
「この場所に、あの子はいました」
「あの子?」
「まだ少年のようでしたよ」
瞬時に理解した。むかしの久我だ。
詐欺集団に復讐を考えていた当時の……。
やはり黒神藤吾へも、なにかをするつもりだった。
「あなたは、そのころから久我代表を知っていたということですか?」
「初めて会った瞬間に──いえ、再会した瞬間にわかりましたよ」
「久我さんのほうも?」
「いえ。代表のほうは、私の顔は見ていないはずです。会長のことは知っていたでしょうが……」
中西は、窓の外を見下ろしていた。もしかしたら、視線のさきに久我の姿があったのかもしれない。
「代表のほうも、会長のことは知らないと言われました」
それは、おたがいが知らないふりをしたということだろうか。
「この場所で、なにがおこったんですか?」
「会長は、処方されていた薬をカプセル錠に入れて服用していました」
その話の結末は、予想ができた。
「まさか……その薬に、パラコートを仕込んだカプセルを混ぜた?」
中西は、うなずいた。
「忍び込んだつもりだったのでしょうが、屋敷のまわりには監視カメラや防犯センサーがはりめぐらされています」
つまり、久我の侵入はバレていたというわけだ。
「ですが、パラコートはどこにあったのですか? あなたが用意したパラコートと同じものですか?」
「返却されたパラコートを、私は庭に埋めていました」
「返却? 公安に渡したものを、あなたにもどしたということですか?」
「そうです」
腑に落ちなかった。いや、そもそも毒物ならば、公安自身が用意することができたはずだ。
「あなたと公安の関係は?」
質問しておいて、その途中で答えがわかってしまった。
「……そうですか、あなたの古巣ですね?」
中西は、公安出身なのだ。
なんにでも精通していて、応急処置のやり方も心得ている。ただ者ではないと思っていたが……。
「その表現は、正しくありません。当時の私は、警察官になったばかりの若造でした」
「そうですか……つまり、あなたも任務として黒神藤吾につかえていた。そして、そのまま公安に帰ることはなかった」
中西の首は、横にも縦にも動かなかった。しかしその表情が、正解だと告げていた。
さらに深読みすれば、帰らなかったのではなく、ずっと任務が続いていたということもありうる……。
「庭に埋めていたと言われましたが、つまりだれかが掘りおこしたということでしょうか?」
中西の身分については、いまの本題ではない。長山は話を進めた。
「そうです」
話の流れから、掘りおこしたのは久我ということになるはずだ。
「どうして、埋めた場所がわかったのですか?」
「……それは本人にたずねてください」
いくら久我とはいえ、事前に知っていなければ掘り当てることはできない。
中西が隠すところを見ていた? いや、毒殺事件は四十年前だ。埋めるなら、ずっとむかしに埋めていたはずだ。
では、なにかのヒントをあたえていた? 普通に考えればそうなるだろう。
「あなたは、久我さんがみつけだすことを期待していた?」
だから、そこになにかが埋まっていると、わかるように……。
「もしかしたら、宝の地図でも手に入れたのかもしれないですね」
冗談のように語ったが、それこそが真実なのかもしれない。久我に、それとわかるような「地図」を、本当に渡していた。
「その毒をつかって、黒神藤吾を?」
しかし、いまの話からは、久我の若かったころ──十代か二十歳あたりの、大富豪になるもっと以前のことだと推理することができる。
黒神藤吾が死亡したのは、久我に遺産がわたる数ヵ月前のはずだ。
「なにかを仕掛けたことは、私にも、会長にもわかっていました」
「久我さんが、この邸宅のどこかに毒を仕込んだということですか?」
「そうです。そして……」
薬の話にもどるのだ。
黒神藤吾の飲んでいるカプセル状に、パラコートを仕込んだ。
「タイムラグがありますよね?」
「そうですね……十年ぐらいでしょうか」
「毒を仕込んでから、どうしてそんなに時間があいてるんですか?」
「ですから、あの子が毒のカプセル状を混入したことは、私にも会長にもわかっていたんですよ」
「ではどうして、何年も経ってから黒神藤吾は死亡したんですか?」
「会長には、破滅願望がありました。すべてを手に入れた人間とは、孤独で、空虚だ。おかしいですよね。不死を夢見た方なのに」
破滅願望?
「結局、NS酵母は、現在においても不老不死の妙薬にはなりませんでした。そんなものは、この世にないんですよ。永遠に生きられないのなら……」
その逆を望む──。
「では……」
「瓶のなかにカプセル錠を入れていたのですが、パラコートの入ったカプセルも混入している。しかし会長は、かまわずにその瓶のなからカプセルを取り出していました」
「ロシアンルーレットのように?」
「的確な表現ですね」
生まれてから一番うれしくない誉め言葉だった。
「瓶の中身が減ってくれば、新しい薬を補充していました」
そして何年もかけて、ようやく毒のカプセルに当たった……。
この表現は、不謹慎だろうか?
「自殺、ということですか?」
「解釈によります」
黒神藤吾に死ぬつもりがなかったのなら、自殺にはあたらないのかもしれない。だが、久我の殺人罪というのもおかしくなる。毒が入っているとわかっていたのだ。
では、中西の罪は?
久我にパラコートの場所をそれとなく教えた。その行為は、久我の復讐心をおもんばかって?
それとも、黒神藤吾の破滅願望を忖度した?
……しかし、その追及は無駄だと思った。中西は、墓場までもっていくだろう。
「それが、黒神藤吾死亡の真実ですか……」
「はい」
「それを私に告白して、中西さんはなにを望むのですか?」
「なにも……」
ただ事件の解決を──。
そんな言葉が、長山の脳内に響き渡った。
「中西さんのやったことは、殺人教唆にあたるかもしれない。それはわかっていますか?」
多摩の毒殺についてだ。
「はい」
静かな返事だった。
とはいえ、殺人の時効も成立しているのだから、教唆のほうも時効となっている。
「いまの告白を、正式な情報提供とみなしていいんですね?」
「もちろんです」
毒殺事件の情報提供としては有効だ。
ただし、実行犯について判明したわけではない。が、かといって中西は懸賞金のために行動したわけでもない。
長山の仕事は、情報提供でわかった結論を久我代表に伝えるだけだ。
あとの発表は、久我自らがおこなうだろう。
「港区の事件と狙撃事件も、つながっていますよね?」
「それらについては、私の口からはなんとも……」
しかし中西の発言は、それだけでは終わらなかった。
「ですが……」
次の言葉を待った。
「必ず、解決の道はあるはずです」
長山は、それまでずっと黙っていた杉村遥に眼を向けた。
「どうなるのですか?」
彼女のほうから、声をあげた。
「いま聞いたままを真実とするでしょう」
「黒神藤吾という人を忖度して、公安が仕組んだ事件……」
「そうなります」
「大丈夫なんですか?」
遥の表情には、困惑とおびえの念が混じりあっていた。
「財団のお金は、もともと黒神藤吾の財産なのですよね?」
遥の危惧はもっともだ。
黒神藤吾の資産が黒くまみれていたのを知れば、人々からの反発は大きくなるだろう。その黒い金を、犯罪者が手にしている構図が、いまの懸賞金制度なのだ。
「ですが久我さんも、それは承知しているはずです」
そう答えることしかできない。はたして、久我がどのような覚悟で今回のことを仕掛けているのか……。
中西は、あいからわず窓の外を見下ろしていた。若き日の久我が、まだそこにいるかのように。
遥とともに、長山は邸宅を出た。
いまの証言をもって、毒殺事件の解決といえるのか……それはわからない。黒神藤吾の死因の究明なら、いまの告白で終結といえるだろうが。
だが、できるだけのことはしている。
あとは、港区変死事件と、警視総監狙撃がこれに続いていくのか……。




