21
21.金曜日午後6時
アパートの部屋を出て、路地を進んだ。
てっきり外で待ってくれていると思ったのだが、Nの運転するタクシーはなかった。電話で呼び出したいが、彼の携帯番号は知らない。
「どうやって移動するつもりだ?」
男勝りなしゃべり方でも、翔子の袖をつかんで放さない。身体が震えているようだ。
アプリで呼べば、Nが来てくれるだろう。彼の言葉を信じれば、の話だが。
「どうするんだ?」
「いま、タクシーを呼びました」
二分ぐらいその場で待った。
「おい……」
遠山の声は、警戒感をもっていた。
近づく人影がある。
「え……」
一人ではない。四人。
瞬く間に囲まれてしまった。
「あなたたち……なんなの!? どうするつもり?」
いずれも凶器のようなものは持っていない。
翔子の声にも臆することなく、四人は包囲をせばめてくる。
「なんとか言いなさい!」
「……」
しかし、襲いかかってくるような様子はない。
「なんなの? あなたたちは?」
「こっちへ」
一人が、ボソッとそう口にした。
助けようとしている?
「あなたたちは?」
となりでおびえていた遠山が、なにかを察知していた。
「教団の人間ね……」
では、彼らは信者?
「わたしを殺すつもりね!?」
遠山はそう決めつけているが、この状況で教団の人間が殺そうとするだろうか?
「来てください……」
「助けてくれるんですか?」
「こいつらを信用するな! こいつらのなかには……」
遠山の言葉には緊迫感があった。
「なんですか? なにがあるんですか?」
その質問は、車の急ブレーキにかき消された。
白いワンボックスが、すぐ間近で停まった。
スライドドアが開くと、三人が降りてきた。
「今度は、なに!?」
翔子は、なかば呆れにも似た感情を、憤りとして吐き出した。
次から次に状況が移り変わっていく。
車から降りてきたのも、印象としては同じような男たちだった。仲間なのだろうか?
車の男たちの手には、鉄パイプのようなものが握られていた。それを振り上げると、双方で争いに発展した。
「な、なんなの!?」
突然はじまった乱闘に、翔子はなにもできず、遠山をかばうように伏せた。
武器のない最初の四人は、劣勢をしいられている。そのなかの一人が乱闘から抜け出すようにして、翔子と遠山の腕をとった。
その力に逆らわず、あとについて走り出した。凶器を手にしている三人よりは、まだ安全だろう。遠山もついてくる。
後ろでは乱闘が続いているだろう。しばらく走りつづけた。
腕をとっていた男性が、ふいに足を止めた。
眼の前には、あの奇妙なビルがある。
「ダメよ! ここは危険よ!」
遠山が、鋭く声を出した。
「あなた、わたしをどうするつもり!?」
遠山は、敵意をむき出しにしている。おそらく彼をふくむ最初の四人は、ここの信者なのだ。そして遠山は、この団体に危険を感じている。
「いえ、どうするつもりもありませんよ」
穏やかな声が割って入った。
べつの男性が、ビルから姿をあらわしていた。
フードをかぶっている。夜でも肌の白さがわかるから不思議なものだ。
「安全なところまで送ります」
フードの男性が言った。
「あなたは?」
「このあいだ、ここに刑事さんが来ましてね。あなたも仲間ですよね」
長山のことだ。
「どうして、助けてくれるんですか?」
「この男は!」
遠山が、過剰に反応していた。
それをおさえこむように、フードの男は手をかかげた。
二人の視線がぶつかったことで、遠山は言葉をのみこんだようだ。
なにかあるのだ。
さきほどから遠山は、この教団を警戒していた。公安とカルトは、ある意味、敵同士だから、それも当然なのだろう。しかし、それだけではないのでないか……。
フードの男は、いま長山のことを口にした。
捜査の過程で会ったのだろうが、それだけの関係性で、敵対する人間を助けることはないだろう。
そして、遠山の反応をかんがみれば……。
おのずと答えは出た。
このフードの彼も、公安の人間なのだ。
教団に潜入している。ただし、今回の件で陰謀をめぐらせているチームとは無関係のはずだ。
翔子は、フードの男の瞳をみつめた。
「本当に、味方ですか?」
「そういう問題ではありません」
フードの彼は、静かに答えた。
「敵でも助けると?」
「相手の立場は、重要ではありません。それが宗教です」
この団体の教えを知らないから、その言葉だけで真意は量れない。そもそも彼が公安なら、教義も信じていないだろう。
信じるも信じないも、根拠にはかける。結局は、翔子自身の人を見る眼にかかってくる。
どちらをとるべきか?
「……お願いします」
翔子は、そう意思を示した。
遠山から納得は得られなかったが、だからといって彼女にもほかの策はないはずだ。個人で逃げられるのなら、そもそも翔子に連絡などしてこない。
疾走してくる足音が響いてきた。路地を進む数人の姿がある。手に武器を持っているから、敵組織のほうだ。
「さあ、こちらへ」
フードの男についていった。
教団のビルのなかに入ると、すぐにべつの出口から外へ出た。白い軽自動車が停まっていた。
「これに乗ってください」
後部席に二人して乗り込んだ。
「あの人たちは、だれなんですか?」
ドアを閉めるまえに、そう問いかけた。
「べつの団体です」
フードの男は答えてくれた。
「どうして、わたしたちを狙うんですか?」
実際に狙われているのは遠山なのだろうが、翔子は質問を続けた。
「むこうにも、入り込んでいるのでしょう」
「え?」
「長山さんに伝えてください。例の声は、もう一つの信者だと」
「どういう意味ですか?」
「そう言えばわかります」
「で、でも……」
「さあ、もう出発して!」
運転席に向けて言ったようだ。そこには、あらかじめ信者と思われる男性が待機していた。
エンジンがかけられた。まだ聞きたいことはあったが、翔子はドアを閉めた。
軽自動車が加速した。
運転席の男性は終始無言だった。財団本部の前で停まると、お礼も聞かぬまま行ってしまった。
翔子は遠山をつれ、本部に入った。
「ここに盗聴器とかカメラを仕込んでますか?」
「いや、仕掛けてない。わたしが眼と耳だった」
では、あの疑惑はまちがっていたのだ。しかし念のため、あの部屋へ急いだ。
「ここなら安全です」
遠山を部屋に入れると、翔子はコールセンターに向かった。長山は、まだもどってきていなかった。すでに女性警察官から、いつもの川辺に代わっている。
ならば、中西をさがすことにした。見当たらない。どうしたのだろう。
最上階の久我の部屋へ行った。
「どうしました?」
彼だけは、平常運転だった。
「あの……遠山さんという女性を保護しました」
「そうですか」
「それだけですか?」
「はい」
どんな素性かも確かめない……。
いや、オペレーターとして潜入していたわけだから、久我も知っていることになる。しかしそれでも、少し不自然な反応だ。
「知ってましたね?」
翔子が、遠山を助けにいったこと……。
Nから報告をうけたのだろうか?
しかし、彼に細かな用事までは話していない。
「竹宮さんの行動は、すべて支持します。好きなようにやってください」
「中西さんがいないようですけど……」
「そうかもしれません。もし必要なものがあれば、ぼくに言ってください」
「いえ、大丈夫です」
久我に雑用をお願いするのは、気が引ける。
報告はしたし、好きにしていいと言われたのだから、気兼ねすることなく遠山のいる部屋にもどった。
ただ助けるだけではすまさない。彼女にはいろいろと聞きたいことがある。もし回答を拒んだら、ここからほっぽり出すと脅せばいい。
「なにか飲みますか?」
本部に入ったことで、だいぶ落ち着きをとりもどしたようだ。
「いい……」
とはいえ、翔子自身が喉を癒したかったので、一階の自販機まで行ってスポーツドリンクを二本買ってきた。
「はい」
遠山は受け取らなかったが、かまわずテーブルに置いた。翔子は蓋をあけて、一口飲んだ。
「今回のこと、あなたはどこまで知ってるんですか?」
あまり詰問口調にならないよう注意しながら、翔子は話かけた。
「なにも知らない……」
「それは、任務を口外できないという意味ですか?」
「ちがう……本当になにも知らされていないんだ」
「あなたは、ここに入り込んだんですよね?」
「指示された」
「どんなことを?」
「情報の攪乱だ。うちの人間がかけてきた電話を、特命に伝えることだった。脅されたということにして」
長山が話していた出来事だ。
「わたしのことを突き飛ばしましたよね?」
「あれは、警告だ。本気だったわけじゃない」
だからといって、許せることではなかった。
「すまないと思ってる……それにあれは、おまえに近づいてきた仲間が助けることになっていた」
偽護衛──西尾のことだ。
「そのあと、わたしはあなたのことを尾行しました」
「そのことは、あとで知った」
「なにをするために、あのアパートへ行ったんですか?」
「それも指示だ。たぶん、特命の人間が動いたからだ」
「長山さん?」
彼女はうなずいた。
「あなたは、あの教団の人を知ってましたよね?」
「……」
「あの人も、仲間ですか?」
「……広い意味では、そういうことになる」
やはり公安の潜入捜査官なのだ。
「今回のこととは関係ない……だが、だれがわたしのことを殺しにくるか……」
あのフードの彼は、助けてくれた。すくなくとも、彼は刺客ではなかった。
「襲ってきた人たちに、心当たりは?」
「ない……」
フードの彼は、べつの団体と口にしていた。そして、むこうにも入り込んでいると……。
あの教団は、いまでは枝別れてして、いくつも後継団体が存在している。その一つだろうか?
それとも、例の詐欺教団?
公安との関与を、あの西尾と高畑も認めていた。
いや、公安というよりも政府──国家ともいえるかもしれない。与党を中心として、大部分の政治家はその団体に汚染されているという。
翔子は団体名を出して、彼女に確かめた。
「そういう話は、噂で聞いたことがある……」
しかし彼女自身は、そのことに関係はしていないようだった。
「その教団が、あなたの命を狙ったとしたら?」
「あるかもしれないな……もうなにがなんだか、わからないよ」
遠山は、あきらかな弱音を吐いた。
「こんなことなら……警察官になるんじゃなかった!」
本来なら、警察官になってよかった、と思わなければならないはずだ。もはやこの女性に、警察官としての誇りはなくなっている。
公安の罪なのか。
それとも、彼女自身の問題だったのか……。
「今回の三件について、なにか知っていることはありますか?」
「わたし程度では、なにも情報はおりてこない……」
「わたしと梶谷さんを拉致した二人は、公安の関与を口にしてました」
「だったら、そうなんじゃないか?」
「驚かないんですね?」
「こんなめにあったんだ……どんな話でも信じるしかない」
「トクマリゾートという会社については?」
「うちのダミー会社と聞いている」
おそらく、トクマリースも同じはずだ。
「港区変死事件の現場マンションを現在保有してるのは、トクマリゾートです。そのことについては?」
「わたしじゃわからない……」
「わたしは被害者の仁科智文が、公安の人間だったと思っています」
「きっと、そうなんだろうな」
「そして、その人は、べつの事件にも関与している」
「べつの事件?」
「多摩の毒殺と、狙撃事件です」
「……まさか」
遠山の表情を見るかぎり、そこまでの想定はしていなかったようだ。というより、ありえないことだと考えている……。
「……そうなのかもしれないな。わたしなんかより、おまえのほうがよく見えているらしい」
自虐的な言葉が、虚しく部屋を流れていく。
話題を変えることにした。
「あなたが公安から命を狙われているとしたら……これから、どうするつもりですか?」
こうやって、いつまで身を隠せばいいのか。
「……」
「ずっと財団に守ってもらいますか?」
「……」
「海外に逃げますか?」
「……」
彼女にも、今後の見通しはたっていないようだった。
「一つ、方法がありますよ」
「……なんだ?」
「情報提供するんですよ」
「情報提供?」
「そうです」
「どんなことを? わたしは、なにも知らないと言ってるだろう」
「事実を言えばいいんです」
遠山は、眉根に皺を寄せた。
「どういうことだ?」
「公安の命令で、この財団に入り込んだことを。そして任務に失敗して、命を狙われていることを」
「バカな……」
「ここでならできます。どんな圧力も、久我さんにはきかない」
「おまえは知らないんだ……公安の最大のスポンサーがどこなのか」
翔子もバカではない。そこまで言われれば、そのスポンサーが財団であることはわかる。きっと黒神藤吾の時代から、その金の流れが続いているのだ。
「あなたのほうこそ、久我猛という人物を知りません。あの人が、公安なんかに忖度すると思いますか?」
「……ずいぶん信頼してるんだな」
意外なことを言われた。
信頼?
そういう観点から久我のことを考えたことはなかった。
「おまえを助けたんだろう? うちも想定していないことだった」
「……」
「おまえがそう言うんなら、わたしも信じてみてもいい」
「本当ですか?」
「どうすればいい?」
「情報提供をしてもらいます」
「おまえにか?」
「いえ、長山さんにです」
いまいる川辺よりは、そのほうがいいだろう。しかし今日は、もうもどってこないかもしれない。その場合は、明日になる。
「それでいいのか? 直接、事件の情報をもってるわけじゃないんだぞ」
「大丈夫です。久我さんなら、有効な情報として認めると思います。懸賞金のかわりに、あなたの安全を保証してくれる」
「わかった……」
それからしばらくして、長山が本部にもどってきた。どこに行っていたのだろう。杉村遥もいっしょだった。
「長山さん」
「……」
長山は、重い表情をしていた。
「聞いてもらいたい証言があります」
「私からも、話があります」
「どんなことですか?」
「久我さんといっしょに聞いてもらいたい。竹宮さんもいたほうがいい」
どんなことだろう……。
「まずは、竹宮さんのほうから」
「ある女性の話を聞いてください。遠山さんです」
「遠山? オペレーターだった?」
「そうです」
かくまっている部屋に移動した。遥も部屋の前までついてきたが、入室はしなかった。
遠山は、どこか吹っ切れた顔をしていた。そう見えただけだろか。
「話してください」
翔子はうながした。
遠山が公安として財団に潜入していたことを話した。そして任務に失敗したことで命を狙われていることを。
「本当ですか?」
潜入していたことは長山も知っているはずだが、狙われていることには、長山でも信じられないようだった。
「以前、公安とはいろいろとありましたが……そのときにもエグイことをしてました。ですが……」
長山の口から「エグイ」という言葉が出たことに違和感はあったが、それだけ苦い思いがあるのだろう。
「このことを、発表できませんか?」
翔子は言った。
「懸賞金の情報提供にするということですか?」
うなずいた。
「直接、関係はないかもしれませんけど、一連の事件に公安が関与していた証拠になりませんか?」
「証拠とまではいえないでしょうね」
長山は言った。しかし続きがありそうだった。
「ですが、こっちにも重大な証言ある。それと合わせれば有効になるでしょうね」
どうやら、それが久我といっしょに聞いてもらいたいことなのだろう。
遠山を部屋に残して、最上階に向かった。
杉村遥もついてきた。おそらく、彼女も重要な証言を耳にしているのだ。
「みなさん、おそろいで」
久我は、悠然と待っていた。このタイミングでやって来ることを予感していたかのように。
「中西さんから証言を得ました」
長山が切り出した。
中西?
そういえば、中西はまだいない。
「どんな証言なんですか?」
「多摩毒殺の真相です」
「犯人?」
「犯人は、黒神藤吾」
「え!?」
「動機は、酒蔵のNS酵母を手に入れるため。しかし明確に命令したわけではなく、毒を用意した中西や、犯行を計画した公安の人間も忖度で動いた」
うすうすは想像していたことだが、それでも衝撃的な内容だった。




