皇太子の婚約
「お前の婚約者が決まった」
父である皇帝に呼び出され、かけられた言葉にローエンドは目を白黒させた。
「………そう、ですか。お相手は?」
「アルーシャ・アリーラ・シャルドネだ」
予想から斜め上の人物の名前にローエンドは再び目を白黒させる。
あのアルーシャ家。
現当主のハルーシア辺境伯を筆頭に、奇人ばかりが誕生する大変不気味な家だ。
だがその奇人達は大変秀た能力を有している。
(随分と面倒な奴が………)
この国では側室制度がない。愛人も黙認されてはいるが、不信感につながる。
妃は生涯のパートナーだ。
(………アルーシャの娘かぁ)
ローエンドは落胆を禁じ得なかった。
彼自身は婚約者を自分で選べるとは思ってもいなかったが、それでも奇人の娘などごめんだったのだ。
一生を共にする伴侶が決まった。よりによってあのアルーシャ家の娘に。なにをしでかすかわからない奇人の娘に。
ローエンドは自室に戻ると深いため息をついた。
そして婚約式の日。
ローエンドは初めて己の婚約者と対面した。
皇室の皇帝、王妃、ローエンド、そしてアルーシャ家の当主、その奥方、その娘が囲む卓。
アルーシャ家当主ハルーシア辺境伯は背を丸めて長い黒いローブを羽織っている。ニヤニヤと品の悪い笑みを浮かべる彼は蝙蝠さながらだ。
奥方アリシア夫人は綺麗な紫の瞳をしていたが、その顔は積年の疲れがたまっているようで皺くちゃで髪は真っ白になっている。噂によると亡国の王女だったらしい。が、眉唾ものだとローエンドは睨んでいた。
そしてアルーシャ・アリーラ・シャルドネ。ローエンドの婚約者だ。
ローエンドは彼女を不躾に観察した。
目を惹く彼女の髪は月の光を宿したかのように銀に輝いている。だが、彼女の肢体は枯れ木の枝のように細く、肌は病人のように青白かった。目は空を眺めローエンドおろかこの場のなにも映していなかった。
まるで幽霊のように浮世離れした彼女の姿にローエンドは目が釘付けとなった。
ほかには何も彼の視界に映らない。
彼女だけが浮かび上がる。
あぁ、なんて美しいんだ!
ローエンドは人知れず感嘆のため息を漏らした。
婚約式の最中、ローエンドは彼女を一目もそらさずずっと眺めていた。
だが彼女はずっと虚空を見つめ、全く目が合わない。
ローエンドがそれがなんとも歯がゆかった。
「ほら、シャルちゃん、挨拶ぅ」
ハルーシア辺境伯が気色悪い声で娘をせっつく。
彼女はハッとしたようで、目の焦点が合い、ようやくローエンドの方を向いた。
彼女の瞳に自身が写っているのが見えてローエンドはなんともこそばゆい気持ちになる。
「お初にお目にかかります。アルーシャ家当主ハルーシア辺境伯の長女アルーシャ・アリーラ・シャルドネでございます」
彼女のカサカサの唇が動く。
彼女の声は部屋の空気をピリリと割りローエンドの耳に響く。その声音は教会の賛美歌を彷彿させた。
「あ、やぁ。私は我が皇国の皇太子ローエンドだ。よろしく頼むよ」
変なふうに喋ってないか、とヒヤヒヤしながら上手く回らない舌を回した。
婚約式はその後滞りなく進んだ。
相変わらず彼女は虚空を見つめていて、この世のなにも映していなかったが、ローエンドはそんな彼女を飽きることなくに見つめていた。
そんなローエンドに娘を溺愛するハルーシア辺境伯は頰を引きつらせていたが、彼女を見つめるローエンドはそれに気づかない。
「アレン。お前はどうやって奥方と仲を深めた?」
自室に戻った最初の一言にローエンドの側近の一人アレンは何事かと目を白黒させた。
「わ、私ですか……そうですね、婚約当初から頻繁に顔を見るようにはしていました」
「………そうか」
なら、彼女を城に呼ぼう、とローエンドは口を開いた。
それを聞いたアレンは呆れた顔をする。
「殿下、婚約式の前までは“なんで、奴が婚約者なんだ”って嘆いていたのに、素早い変わり身ですね」
ローエンドはその言葉にピタリと動きを止める。
(変わり身?そんな、ことは………)
無い、と言い切れない己にローエンドは下唇を噛んだ。
アレンはふふん、と得意そうに笑う。
ローエンドは彼の鼻の骨をへし折ってやりたくなった。
あの娘と対談する。
考えれば考えるほどワクワクして、不思議と仕事が捗った。
数日後。
ローエンドはドンッと机に拳を振ると声を上げた。溜まりに溜まった書類がバラバラと床に崩れ落ちる。
「なぜあいつは城に、来ないんだッ⁉︎」
主の咆哮にアレンは白目を剥く。
「なぜって………理由はわかっているでしょう?たまたま、体調が悪く、たまたま、気分がすぐれず、たまたま、お怪我をなさっただけでしょう」
「どこがたまたまだッ⁉︎」
ローエンドは再び拳を机に落とした。
「明らかに作為的だろう?何故だ⁉︎何故なんだ⁉︎」
「殿下、そうご乱心なさらずに。たかが、逢瀬の誘いを12回断られただけではないですか」
「………じゅ、12回…」
その数字を目の当たりにして、衝撃を受けた、ローエンドはがくり、と肩を落とした。
そして、二人の進展は全くないまま3ヶ月が過ぎた。ローエンドの機嫌は婚約式から日に日に悪くなっていき、皇太子の執務室には日々ブリザードが吹き荒れていた。
そんなある日。
「で、で、殿下‼︎へ、返事が来ましたよ‼︎」
アレンが手紙を片手にローエンドの執務室に飛び込んで来た。
「なんだ、騒がしい」
対してローエンドは冷ややかな視線で彼を見返した。
「殿下!ついに返事が来たんですよ‼︎アルーシャ様から‼︎」
「な、なにっ‼︎‼︎」
ローエンドは座っていた椅子を吹き飛ばし、アレンの手から手紙をひったくった。
「………こっ、これは!」
国一番の美貌と謳われる彼の美しい顔は、満面のだらしない笑みで彩られた。
:親愛なる殿下へ
来月の末、我がハルーシア邸で晩餐を行います。是非いらしてください。
アルーシャ・アリーラ・シャルドネ
簡素で素っ気ない内容の手紙を何度も読み返す。
ローエンドは天にも昇る心地だった。
「アレン!この手紙を額縁に入れろ!一番いい奴にだ!」
ローエンドはそう叫ぶと、ペンを取り、猛烈な勢いで、真っ白な紙に文字を書き並べる。
それが終わったとたん、部屋を飛び出た。
王宮に訪れているハルーシア辺境伯に直接渡しに行くためだ。
バタン‼︎
と、勢いよくしまった扉を見てアレンはため息をついた。
手紙一つでどんちゃん騒ぎする主人のことが哀れで仕方なかったのだ。
そして晩餐の日は訪れる。
ハルーシア辺境伯からの使いの馬車に乗り込んだローエンドは、これからやっと会える婚約者を想ってニマニマとしていた。
「………殿下、お顔が」
「仕方ないだろう。誰も見てないからいいじゃないか」
アレンが窘めるもローエンドはあの娘を思うことはやめやしない。
美しい顔を百面相する主人にアレンは汗を流した。
ああ、もっと君のことを見ていたいよ。
あの場の君は美しかった。浮世離れしていたよ。
だけど君の事をもっと知りたい。
もっと近くに居たいんだよ。
ローエンドは目を瞑った。
瞼の裏にはあの日の彼女の姿が鮮明に映し出されている。