第1話 入学式
春風に乗って桜の花びらが舞う。
今日から、私立陽紡高校での新しい生活が始まる。
新品の制服はまだ少し着慣れなくて、肩に掛けたスポーツバッグだけが、これから始まる高校生活への期待を膨らませてくれていた。
「ここが陽紡高校か……」
校門をくぐると、多くの新入生が緊張した表情で歩いている。
その中を歩きながら、橘花朝陽は胸の奥で静かに決意していた。
――高校でも、バスケットボールを続けよう。
中学最後の大会では県大会に届かなかった。
悔しさは今でも消えていない。
だからこそ、この三年間は本気で挑戦すると決めていた。
入学式を終えたあと、新入生たちは体育館前へ集まり、部活動紹介が始まる。
野球部、サッカー部、吹奏楽部――。
次々と紹介が続く中、朝陽の視線は自然と体育館の奥へ向いた。
開け放たれた扉の向こう。
女子バスケットボール部が練習をしていた。
ボールが床を打つ音。
シューズがコートを擦る音。
その中で、一人だけ目を奪われる選手がいた。
高い位置で結ばれた黒髪が、走るたびに揺れる。
味方へ飛ばす正確なパス。
迷いなくリングへ向かうドライブ。
そして、一本のシュート。
ネットだけを揺らす乾いた音が、体育館に響いた。
「ナイス!」
仲間たちの声に笑顔で応えるその姿は、誰よりも輝いて見えた。
「あの人……」
気づけば、朝陽は見入っていた。
プレーだけじゃない。
仲間へ声を掛ける姿も、転んだ後輩に手を差し伸べる姿も、すべてが自然だった。
あんな選手になりたい。
その気持ちは、憧れという言葉だけでは足りなかった。
「女子バスケ部キャプテンの硯先輩だよ」
近くにいた男子生徒が友人へ話している声が耳に入る。
「今年も県大会上位候補らしい」
「やっぱり有名なんだ」
朝陽は小さくつぶやく。
硯葵。
その名前を心の中でそっと繰り返した。
すると、不意にコートの中の葵がこちらを向いた。
一瞬だけ、目が合う。
朝陽は反射的に視線を逸らしてしまった。
「……何やってるんだ、俺」
情けなく笑う。
それでも胸の鼓動は少しだけ速くなっていた。
その日の帰り道。
配られた部活動案内を何度も見返しながら、朝陽は迷うことなく男子バスケットボール部のページを開く。
「よし」
小さく息を吐く。
「ここで頑張ろう」
強くなるために。
勝つために。
そして――。
ほんの少しだけ。
あの先輩に、もう一度会うために。
春の風が、制服の裾を優しく揺らした。
朝陽はまだ知らない。
この日、体育館で抱いた憧れが、自分の高校生活を大きく変える恋の始まりだったことを。
――――――
【葵 side】
「今年の一年生、多いね」
ボールを片づけながら、常盤紬が笑う。
「そうだね。今年も賑やかになりそう」
そう返事をしながら体育館の入口へ目を向けると、一人の新入生が慌てて目を逸らした。
さっきから、ずっと練習を見ていた男の子。
真っ直ぐな目が印象的だった。
「バスケ、好きなんだろうな」
思わず口元が緩む。
それだけ。
本当に、それだけだった。
この春、自分にとって最後の一年になる。
その一年が、あんなにも大切な時間になるなんて、このときの私は、まだ知らなかった。




