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イリグチ様 ─逃げなかった子供だけが背負う呪い─  作者: 白波さめち


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30.成り代わり


 狂いたくても狂えない。

 これほど残酷で恐ろしい事があるだろうか。


 孤独に耐えかね、恐怖に怯え、何度も理性を手放す事を願った。

 それなのに、この身体は狂うことすら許してくれない。

 

 いや……もうとっくに狂っているのかも。

 でも、どこか冷静な自分が常に頭の端っこにいるんだ。


 茶色く濁ったこの地獄は、ソウの死と私の孤独だけでは終わらなかった。

 あれから、この世界に私と同じく生者には見えない住民が徐々に現れ始めた。


 白く濁った目をした、白い老人や白い子供たち。


 それは村で死んだ村人達だった。


 彼らが現れ始めて、何故私があの時岩の中へと閉じ込められたのか、村人たちの企みを思い出したのだ。


『このまま息絶えても、魂はこの村で幸せに過ごす事ができる。極楽浄土のような世界をここに作ることができるんだ』


 ――それを作るために、私は閉じ込められ殺された。


 村の様子を幽霊のように見ているうちに、私は気づいた。

 この茶色く濁った世界は、村人たちの家族を失いたくないという歪んだ祈りが具現化した形なのだと。


 死んだ村人は、魂の世界で幸せに暮らしてる。

 いつの間にかそんな死者の世界が本当に存在すると、宮司を筆頭とした多くの村人が信じるようになっていた。


 この見えない世界に死んだ村人がどんどん増えていく。

 それがその証明だった。


 そして私はいつの間にか、イリグチ様と呼ばれるようになっていた。


 生きてる人間が暮らす村と、死んだ人間が暮らす村。

 その二つを繋ぐ神様として。


 窪地はいつの間にか神聖な場所と言われるようになり、私を閉じ込めた岩の上に祠が立った。


 でも現実は神様なんて呼ばていいようなモノじゃない。

 極楽浄土と呼ばれていいようなモノじゃない。


 生者からも死者からも見えないイリグチ様。

 死者は笑顔を顔に貼り付けて、ただ歩いてるだけ。


 彼らは自分勝手に祈り、私を地獄に繋げている。


 こんな事、許せる?


 彼らが笑う度、彼らの不幸を祈った。

 彼らが泣く度、私は笑った。


 私は村中を歩き続ける日々を過ごした。

 何も考えず、死者に紛れて歩いている方がなんとなく気が紛れるような気がして、ずっとずっと歩き続ける。


 そんなある日――。


「こんにちは」


 小さな女の子が、私に話しかけてきた。

 その子と目が合う。

 間違えなく彼女の瞳は私の姿を捉えていた。


「こ……ち……は」


 あまりにも驚いてしまったせいで、返事を返してしまう。

 でも、今まで全く声を出していなかったから、声の出し方を忘れてしまっていた。


「ヒイラギ、何してるんだ?」


 少女が声をかけられる。

 顔を上げると、何度も何度も不幸を願った宮司の衣装を来た男性がいた。

 でも、()()()の宮司じゃない。時が経ち、何代か入れ替わっている。


 だが、消えかけた恨みと妬みが再び燃え上がるには十分だった。



 ♦︎ ♦︎ ♦︎



「こんにちは、ヒイラギちゃん」


「あ、あの時のお姉さん」


「この間は挨拶してくれてありがとう」


 私は笑顔で彼女に近づいた。


 宮司の娘。ヒイラギは綺麗な着物を着て、手も頬も他の村人よりもふっくらとしている。


 彼女は村の隅の草むらの中で花を摘んでいた。

 私は彼女の隣に腰を下ろし、袖の中に、骨と皮だけになった自分の手を滑り込ませた。


「何してるの?」


「祠にね、お供えするお花を摘んでるの。ヒイラギの仕事だから」


「祠?」


「うん。もうすぐイリグチ様のお祭りだから」


 ヒイラギはそう言って、摘んだ花を私の方に誇らしげに見せつける。

 

 無邪気な彼女の祈りが、私を縛り付けるんだ。

 歪みそうになる表情を必死に押し付け、笑顔を作った。

 

 もしかしたら、今の私の顔は後ろで歩いている死者と同じ顔をしているかもしれない。


 その時「ヒイラギ」と彼女を呼ぶ声が聞こえた。


 振り返ると、粗末な服を着た少年たちが、ニヤニヤと笑いながら後ろに立っていた。


「また一人でいるのかよヒイラギ」


「今日は一人じゃないよ! お姉ちゃんと一緒だもん」


 ヒイラギはそう言って私の事を指さした。

 でも、少年達はヒイラギの指さす先を見て首を傾げる。


 当然だ。私の事を初めて見たのは彼女が初めてなのだから。


「嘘つき。お前の父ちゃんも嘘ばっかりだ」


「嘘じゃないもん!!」


「俺の弟が死んだ時、死ぬことは怖くない。イリグチ様が作った世界で幸せになれるなんて言ったんだ。嘘つきの娘!」


「イリグチ様を悪く言わないで! お父ちゃんに言いつけてやるから!」


 ヒイラギは涙を浮かべながら立ち上がって「あっち行ってよ」とさっき摘んだ花を彼らに投げつけた。


 彼らは「嘘つき」と叫び、笑いながら駆けていく。


 ヒイラギは威嚇する子猫のように荒い息を繰り返しながら、彼らの背中を見送った。


「嘘つきはどっちよ! お姉ちゃん、ここにいるのに失礼じゃない!」


 浮かんだ涙を袖口で拭いたヒイラギは「ね?」と私に同意を求めた。


 私は口角を目一杯上げ、目を細める。

 

 純粋無垢で、信心深い神主の子供。

 ヒイラギという獲物を――私は見つけた。


「ヒイラギちゃん、私ねイリグチ様なんだよ」


 私は誰にも言ってはいけないと、口に人差し指を立てながら彼女に微笑んだ。

 ヒイラギは一瞬で乾いた瞳をパチクリとさせ、口を三角に開けて私を見る。


「だからあの子達に見えなかったんだよ。ヒイラギちゃんは、特別なの。イリグチ様が本当にいるって、ずっと信じてくれたから」


 ヒイラギは瞳を輝かせながら満面の笑みを浮かべた。

 『特別』という言葉は、彼女にとって何か満たされるものらしい。


 人の信心と祈りがこの呪いを作っている。

 それなら、私がこれから行うことは呪いを捻じ曲げることに繋がるはずだ。

 

 彼女を介してイリグチ様の呪いの形を変える。

 私がこの呪いから抜け出せるように。

 

 愚かな言葉に耳を傾け、ソウを殺し、あんな姿に変えた貴方達を絶対に許さない。


 貴方達の希望を全て絶望に変えてあげる。

 

 そして、ヒイラギ――貴方は私になるの。


「ヒイラギちゃんは、もっともっと特別になりたくない?」


 甘美な言葉を、彼女の小さな耳にそっと私は吹きかけた。




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