22.イリグチ
昇降口の下駄箱に到着すると、先に着いた功太が待機していたように俺たちの靴を乱暴に投げて寄こす。
上履きを持ち帰る余裕なんてなく、靴に足を乱暴に突っ込んだ俺達は、振り返ることなく校舎の外に飛び出した。
「大和!! お願い! お願いだから!! 返して!!」
校舎の扉からは律の悲痛な叫び声が木霊していた。
「取れたか?!」
校門には今日の終業式をサボって待機していた湊人と優也が息をひそめて待ち構えていた。
俺たちは「うん!!」と短く返事をして、全員が違う方向へ向かってバラバラに走り出す。
律に対する撹乱工作。
宝物を奪われた律は、当然俺たちがどこに向かうか、誰の手に宝物があるか見ているはずだ。
『律の宝物』が誰の手にあるか分からないようにした上で、逃走ルートを一つに絞らせない。
それが俺達が考えた作戦だった。
万一、律が追ってきた場合は、その追われたメンバーは囮となって家に帰って閉じこもり律を引きつける。
残ったメンバーは安全を確認しながら遠回りをし、チヨ婆の家に集まることになっていた。
息が切れるほどたくさん走った。
何度も律が付いてきていない事を確認して、ようやく俺はチヨ婆の家に向かう。
玄関には、すでに4足の靴が転がっていた。
「大和来たか」
「功太は?」
「来てない。功太は足が遅いから、律が付いて行ったみたいだ。さっき家の電話から連絡があった」
幹介がそう言って心配そうに手を組んだ。
律はずっと幹介の家の前で功太を呼びながら、泣きじゃくっているそうだ。
功太には「絶対家に入れたり話をしたりするな」と伝えたらしい。
「じゃあ大和も来たことだし見てみるか」
俺は、この中で一番足が早い湊人に『律の宝物』を預けていた。
学ランのポケットから『宝物』を取り出した湊人は、巾着のように縛られている布袋を開いて逆さに向ける。
布袋の中には、白い小さな物体と、布の切れ端、そして髪の毛の束が入っていた。
「何これ……」
美玖はそう言って、白い物体を恐る恐る摘み上げた。
小さな布の切れ端は黄ばんでいて、すごく古い物だということは分かる。
髪の毛は紙できた輪っかで縛られ、束になっていた。
「美玖、それ触るな。骨だ」
「イヤッ!!」
優也の鋭い指摘に美玖は短い叫び声を上げて、ソレをすぐに手放した。優也が『骨』と言ったソレは、畳の上で一度小さく跳ねてその場に転がる。
「……これ、本当に骨なの?」
「うん。みんなチヨ婆の葬式の時に拾っただろ? 火葬した後の骨」
村の子供達をすごく可愛がってくれたチヨ婆。
チヨ婆の葬式と、その後の火葬場で執り行われた火葬。
大人も子供も関係なく、熱の残る灰の中から遺骨を集めたことを思い出した。
大きな骨の周りには、どこの骨なのかも分からないくらいの小さな骨がたくさん転がっていていた。全部集めても木箱の中に収まってしまうほど小さくなったチヨ婆の姿に、悲しみと生々しい気持ち悪さを感じていた。
その時拾った骨と、ここに転がっている白い物体。
確かによく似ている。
「なんでこんなのを律は首から下げてるの……?」
「多分これ、お守りなんだよ。昔のお守り。親の髪の毛とか、赤ちゃんの時の服とかを入れておくんだって」
怯えた美玖の小さな呟きに幹介が答える。
その答えに優也も静かに頷いた。
「律の父親は戦争に行って死んだらしい。もしかしたら父親の骨かもな。髪の毛は母親のもので、この小さい布は……律が子供の時の物か」
律の宝物は『お守り』。
戦時中にイリグチ様となった彼女の、大切にしていた物。
コレを奪われた彼女の気持ちを考えそうになって、急いで自分を叱咤した。
考えちゃダメなんだ。
律を知れば知るほど、透花を騙して連れて行ったイリグチ様じゃなくて、人間のように見えてきてしまう。
中身を布袋に戻した俺達は、静かに夜が来るのを待った。
優也が準備しておいてくれた菓子パンを食べた時には、太陽は神社の向こう側に沈んで、空は夕焼け色と夜の色のグラデーションになっていた。
空から茜色が消え、星が綺麗に瞬き始めた頃。
優也が「行くか」と立ち上がった。それに続くように俺達も腰を上げる。
すると、行かないと言っていた美玖までもが迷いを顔に滲ませながら立ち上がった。
「やっぱり私も……」
「いや、美玖はここにいてくれ。律や大人の動向とか、もしここから分かれば教えて欲しいし、電話……繋いでおかないと不安だから」
優也は、決意を促すように美玖のスマホにチラッと視線をやった。スマホの下には、透花が心を込めて作った可愛らしいビーズのストラップが揺れている。
美玖は本当に一緒に行きたいのだろう。
一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに唇を強く結び「わかった」と静かに応じた。
湊人と幹介と優也と美玖はスマホのグループ通話開始のボタンを押す。
湊人からイヤホンの片方を受け取った俺は、それを耳に差し込んで外に出た。
街灯がほとんどないチヨ婆の家の周りは、真っ暗な闇に包まれている。
大人たちが俺たちを探し回っているのだろう。遠くの方に、チラチラと大人たちが使う懐中電灯の灯りが見えた。
田んぼの畦道、草むらを突っ切って月明かりだけを頼りに神社に向かう。
神社の周りにも大人がいると思ったが、透花がイリグチ様になったばかりだからだろうか。神社の前には誰もいない。
神社の入り口前にある街灯の光には沢山の虫が集っていた。
虫たちを集める白い光はうっすらと朱色が禿げかけた神社の鳥居を照らしている。
「行くか」
鳥居の前でごくりと唾を飲み込んだ優也は、決心を固めたように鳥居をくぐった。
それに続いて俺たちも鳥居の中に足を踏み入れる。
後ろを振り返ると、少ない街頭と大人たちがもつ懐中電灯、少ない家の窓から漏れる灯りが、闇の中から村を浮かび上がらせていた。
吸い込まれるような暗闇の中、手に持った懐中電灯の灯りだけを頼りに苔むした石の階段を下る。
「静かだね」
不安そうな幹介の呟きに「うん」と小さく返す。
祭りの日はあれほど煩かった虫の声や葉の揺れる音がほどんど聞こえてこない。
それに……夏だというのにここはひどく寒い。
少し風が腕を撫でただけでぶるりと震えてしまいそうな程、変な冷たさが身体にまとわり付いている。
湊人も同じ感覚がしたのかもしれない。はぁと息を吐いて、息が白くならないか確かめていた。
ここだけが世界から切り離されているみたいだ。
全ての階段を下り終えた時『入り口』はすぐにわかった。
祠の後ろにあった、しめ縄の掛かった大きな岩。
その岩だけ、真っ黒の絵の具で塗り潰したみたいに黒くなっている。この周囲を漂う冷気は、ここから出ているんじゃないか。そう思えるほど、異質な存在感を放つ岩。
真っ黒に染まった岩にかけられたしめ縄は、まるで悪い物をそこに留めているように見えた。
「これか……」
そう言って優也はそっとその岩に触れた。
その瞬間――優也の身体が見えなくなる。
「え?!?! 優也君は?!」
「――っ!行くぞ!!」
自分に気合を入れるように叫んだ湊人、その声に背中を押されたように幹介が岩に触れ、消えた。
胸の中で、バクバクと心臓が脈打つ。
怖い。
帰りたい。
本能的な恐怖が心を支配していく。それを引き留めるように、透花の助けを求めるような顔が頭に浮かんだ。
光さえも飲み込みそうな真っ黒な岩。
おそるおそる手をかざすと、異様な冷気が手のひらを覆った。
俺は覚悟を決めて、冷たい真っ黒な闇に指先を強く押しやった。




