21.決行
「透花ちゃんをずっとイリグチ様に?」
律は笑うのをやめて疑うように俺を見た。
俺は心臓が軋むのを無視し、まるで大人が秘密を隠す時のような、底の浅い何の感情も含まない笑みを浮かべた。
一切の動揺を見せちゃだめだ。
強い虚勢だけを顔に貼り付ける。
「そうしないと、これから産まれてくる小さい子や、俺たちの子供が狙われるんだろ? 透花は元々よそ者だ。俺たちの仲間じゃない……だったら透花にずっと、イリグチ様をやってもらおう」
「アタシが協力する必要なんてないよね?」
依然として、その泥みたいな暗い瞳で俺を疑うように見つめ続けている律に対し、俺は一歩も引かず笑いかけた。
お父さんがたまにする『こんなことも気づかないのか』というような、核心を隠すための挑発的な笑み。
「だって律はこれから霧島透花としてこの村で過ごすんだろ? お前にも関係ない話じゃないよな?」
「アハっ。アタシはもう解放されたの。だからこの村から出て行っても構わないんだよ? 呪いに縛られるのはあんた達だけ」
「この村から出て、うまくいくと思ってんのか?」
俺の言葉に、律はビクッと肩を震わせる。
それは必死に考えた、律の最も触れられたくない核心。
さっきまでの底冷えする不気味な笑みは、跡形もなく消えていた。
律が……82年という途方もない年月を、一番感じているはずなんだ。
「お前……何にも知らないんだろ。鉛筆削りの使い方だって分からなかったんだ。スマホやタブレットは使える? YouTubeなんて……何かすら分かんないだろ」
律は目を見開いて顔を青くした。
律は昔の子供なんだ。
優也のひいおじいちゃんと同い年。
学校でも習った。82年前は、まだ戦時中だ。
学校の授業は大幅に短縮されて、子供も戦争のための竹槍訓練だとか、農作業をしていたって。
律の時間は――その時から止まってる。
クッキーやアレルギーなんかも分からない、11歳の子供。
人々の生活そのものが、その時から大きく変わっているはずだ。
スマホも知らないような子供が、いきなりこの時代の子供に混じれるわけがない。
宿題すら全然解けず困っていたと美玖が言っていた。
霧島透花だという律の嘘は――いずれバレる。
「ここを出て行ったら、すぐにお前が『成り代わった化け物』だってバレるぞ?」
「そんな……こと……」
「お前は、今の生活を教えてくれる友達が必要なんだろ? 透花の親にもさ、お前が透花じゃないってバレちゃうもんな」
律の顔から完全に笑顔が消えた。
まるでこれから起こる最悪な未来を想像するみたいに、顔を青くして固まっている。
律がなんて言って透花の親を誤魔化しているのかは分からないが、もしかするとすでに問題が起こっているのかもしれなかった。
「何を……教えればいいの?」
「透花がずっとイリグチ様であるために、何が必要なのか、どうすれば成り代われるのか教えてほしい」
「分かってるんでしょ? 必要なのは自分が大切にしている『宝物』だよ。それを持たせた状態でイリグチから入って『死者の世界のデグチ』に向かうの。デグチにある祠のお皿の上に大切なものを置いてもらうだけ。そうすれば、私の宝物がお皿の上から取れる。それを取ったら、入れ替われる」
口の中がカラカラに乾いている。
心臓が痛くて、額から流れそうになる汗が気持ち悪い。
「だから、子供に大切な物を身につけさせなかったら大丈夫かな。美玖ちゃんみたいに大切な物を家に置いておかれると、持ってこさせるのが難しくて」
「でも律は身につけてるだろ?」
「バレた……?」
律はそう言って白いブラウスから紐を引っ張り出した。
綺麗に洗濯された白のブラウスと、律の生きていた82年前の世界の物。年代の違いがそのまま表れているような茶色く変色した紐の先にあったのは――。
小さな布の袋だった。
チヨ婆の家にある座布団のような柄が入った、それだけで時代を感じるような古い小袋。
「置いておけないでしょ。家に置いておいたら、学校に行っている間になくなっちゃうかもしれないし」
律が顔を顰めながら言い切った、その瞬間だった。
背後から忍び寄っていた美玖が、躊躇なくハサミを振り抜く。
律の首に掛かる茶色く変色した紐を――
チョキンと真っ二つに切った。
間髪入れず、俺は一歩で律に詰め寄り、その布袋を律の手から奪い取る。
「走れ!!!!!!」
扉を勢いよく開きながら、幹介が張り裂けるようにそう叫んだ。
扉に近かった功太は、開け放たれた扉から真っ先に外に飛び出す。俺と美玖も、功太に続くようにその扉に駆け込んで、教室の外に出た。
一瞬の躊躇いもなく、下駄箱に向かって全力で地面を蹴る。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
絶望の底に叩き落とされたような律の慟哭が、廊下に響き渡った。




