13.イリグチ様の真実と呪い
『No.32』
表紙にただそう書かれただけの、シンプルなノート。
それを優也はテーブルの上で開く。
俺たちも覗き込もうとしたけれど、湊人から「漢字そんな読めないだろ」と押し除けられた。
「……待って。これって里奈のことじゃね?」
優也は湊人にノートを見せた。
「ねぇ!何が書いてあるんだよ」
「ちょっと待って……これ、五年前の日付だ……里奈が行方不明になった時のことが書いてある」
もどかしくて堪らない。
小学生は黙ってろと言って、二人はそのノートの文字に視線を走らせた。
優也は読むのが早いのか、何枚か捲るとまた立ち上がって、同じようなノートを何冊も手に持ち読み始める。
「湊人、何が書いてあるの?」
「里奈がいなくなった話って本人から聞いたんだよな? それ、俺たちも知らなかったんだ。だから、里奈やお前の作り話だと思ってたんだけど……どうやら大人は知ってたらしい」
湊人は張り詰めた口調で、俺達にノートを向け文字を指した。
『坂口里奈はイリグチから戻ってきた。他の者と同じく精神に異常をきたしている。ただ“混ざってしまった”と繰り返すばかりで、すぐに家から出られなくなった。里奈の母親は転居や精神病院への入院を考えていたが説得に成功。今現在住んでいる家から場所を移し、里奈の視界に彼らが入らないようにするしかないと伝えた』
湊人はノートを置いたまま無言で立ち上がり、優也に合流する。
俺達は置かれたノートから、読める部分だけを拾い集めるように目を走らせた。
『デグチにはいなかった』
『イリグチ様が見える子供の共通点については未だ不明』
『夜間の見回りは却下された。祭り近辺では夜間子供達が家で一人にならないよう徹底周知』
『親達に子供とのコミュニケーションをしっかりと取るように通達。イリグチ様が見える子供がいないか警戒を続ける』
『リツはすでに三人連れて行っているがどれも失敗している』
イリグチ? デグチ? イリグチ様?
似たような単語が並ぶ中、『リツ』という言葉に脳みそが反応した。
三人連れて行っているというのは、サイトで見た二十年前と三十七年前の事件、そして里奈の事件のことを指しているのだろうか。
そしてノートの最新の日付は昨日。
『霧島透花はデグチで発見。親に真実は伏せて家に帰すこととする』
真実? 何のことだろう。
書かれた文を理解しようと頭を働かせていると「これまじかよ!!」と湊人の大きな声が蔵に響いた。
「何?! 何があったの??」
俺たちが駆け寄ると、二人の顔色は悪い。
周りには開かれたノートがたくさん。
優也は少しの時間も惜しいというように必死にノートを読み込んでいた。
返事はない。
俺達に説明している時間すら惜しいということだろう。
優也は時折、湊人に「これ調べて」とノートを示す。それを湊人がスマホで調べ画面を彼に見せた。
そんな二人のやり取りが続く――。
俺も散らばったノートを手に取って読もうとしてみるが、難しい漢字が多くてほとんど理解できない。
俺より頭がいい美玖と幹介はまだ読める部分が多いのか、首を傾げながらも読み進めようとしていた。
ただ一つだけ共通する単語がある。
至る所に「イリグチ様」「デグチ」という単語が繰り返されているんだ。
話しかけても「うるさい!」と怒鳴られるので、俺たちは静かに二人が読み終わるのを待った。
そして蔵にある小さな窓を見た優也が「あまり時間ねぇな」とノートを片付けて俺たちに向き直る。
「お前ら、これマジで関わるのやめとけ」
「え?! なんで?!」
「洒落になんねぇんだよ」
優也は先ほどのふざけた表情を完全に消し去り、真剣な顔で虚空を見る。
「俺、神社継がなきゃいけなくなったから」
ノートを射抜くように睨みつけ、暗い声を落とした。
その隣で、湊人は血の気を失い恐怖が貼りついたような顔をしながら俺のことを見ている。
先ほどの茶化すような雰囲気とは打って変わって、二人の目は本気だ。
でも――俺はここで帰るわけにはいかない。
「……嫌だ」
俺は二人を真っ直ぐに見た。
切羽詰まった表情の優也と、血の気が引いたように真っ青な顔で俺を見つめる湊人。
優也の切迫した事情は理解できるが、なぜ湊人がそこまで怯えきって俺を見ているのか。その理由が全く掴めない。
「優也くん教えてほしい。祭りの日、透花を連れ出したの俺なんだ。今の透花が透花じゃないのはわかる。それをほっとけないよ」
優也は、俺の切実な訴えを笑うこともせず、「まあお前らもいずれ知るんだけどな」と小さく呟いて頭を掻いた。
「これは……俺たちのせいじゃない。俺たちの先祖が作った呪いみたいなもんなんだ」
優也はそう言って、沢山の古い紙や本が積み上げられている本棚に目を向けてから話し始めた。
彼の声は、なるべく感情的にならないようにと、押さえつけるように低く平坦だ。
「五百年以上前……室町時代くらいかな。この村に飢饉っつーて食べ物が全く育たなくなった時期があった。バタバタ人が死んで、病気も流行って、もうどうしようもなかったらしいんだ。それで……どうしてそんな事を考えたかなんて俺には分からなかったんだけど、村の子供を一人……生贄にしたらしい」
「神様に……食べ物をくださいってお願いしたの?」
眉間に皺を寄せて尋ねた幹介の質問に、優也は首を振った。
「さっきも言っただろ。イリグチ様は死者の世界と生者の世界を繋いでるって。村人は子供を生贄にして『死んだ人間が住む世界』を作ったんだ。死んだ後もこの村で過ごせるようにって書いてあったけど、要は天国で幸せに暮らしてるみたいなイメージだと思う。違うのは天国とかみたいに別の場所じゃなくて、この村の中に作ったって事だ」
『この村の中に』と言われて、おもむろに美玖と功太が後ろを振り向いた。“何か“いないか確認したかったんだと思う。
俺もつられて後ろを向いたけど、そこには暗くて古い土壁があるだけだった。
「ただ……このノートによると死んだ人間の世界と、生きた人間の世界は違う。その二つの世界を繋ぐために、生贄の子供はそのままイリグチ様って役割を与えられたらしい。死んだ人間の世界と、生きた人間の世界の境界線……その入り口にいる存在ってことだな」
優也はそう言って息を深く吐いた。
「ここからは何故? どうして? なんてことは書かれてなかった。ただ、こういうモノだったっていう記録しかなかったんだけど、イリグチ様は『成り代わる』らしい」
「成り代わる??」
「イリグチ様が子供を連れて行くのは、そのイリグチ様の『役割』をその子と交換するためってことだ。それに失敗すると里奈みたいに狂っちまう。成功すると……デグチから出てきた透花みたいになるってことだ」
「アハっ」と甲高い声で笑う、アレの声が頭の中で聞こえた気がした。
俺たちと教室にいるのはやっぱり透花じゃない。
――違うモノだ。
「アレは透花じゃなくて、前のイリグチ様で里奈をおかしくさせた律っていう奴ってこと?」
「そう、イリグチ様に成り代わられたのは……記録の中では、透花を入れて五人目。そして律は、元々俺のひいじいちゃんと同い年の女の子だったらしい」
優也はそう言い放つと、重い息を吐きながら顔を伏せた。
「五人目」という、犠牲の数を明確に示すその言葉。
背筋に冷たいものが伝ってくるみたいだ。
張り詰めた沈黙を切り裂き、美玖が「じゃあさ!」と声を裏返らせながら勢いよく立ち上がった。
その顔は恐怖と怒りで泣きそうに歪んでいる。
「逃げたらよかったじゃん!! なんでお母さんもお父さんもこんな怖い村にいるわけ?!」
「逃げられねぇんだよ」
優也は立ち上がった美玖を射抜くように睨みつける。
「イリグチ様を作った時にいた村人。そいつらの子孫が一人でもこの村に残らなきゃ、出たところでそいつらの血縁は死んじまうんだ。じわじわと、弱るように。チヨ婆の家……なんでチヨ婆は死んだのに家を掃除してるか分かるか? 村から逃げたチヨ婆の子供が、そのうち帰ってくるんだよ。死にたくないだろうからな」
空気がまるでお葬式みたいに重たくなった。
「嫌……そんなの」
小さく呟きながら首を振る美玖は、もしかしたらもう気付いたのかもしれない。
俺の身体も、一瞬で血の気が引いていくのがわかった。心臓は喉の奥に飛び出してきそうなほど脈打ち、地面が波打つように揺れている。
息を吸おうとしたのに、肺が凍りついたみたいに動かない。
俺の心が、意思に反してその先の言葉を拒絶している。
「だから、大和と湊人ならお前らのどちらか。幹介と功太も同じくどちらかは、大人になってもこの村に残らなきゃいけない。美玖は一人っ子だから……分かるよな? 美玖はこの村からはもう……出られねぇんだよ」
優也の声が、まるで深い水中から聞こえるかのように遠く聞こえた。
でも、それは紛れもない真実で、この村の『ルール』であり呪いだった。
優也は深くため息を吐く。
「だから俺は、家を継ぐことにする。こんなクソみたいな秘密を知って、妹に全部なすりつけて俺だけ逃げるなんて……できねぇよ」
決意した彼の顔に希望なんかなかった。
全ての未来を諦めた悲しさが転がっているだけ。
「私……私はなんにもしてないのに」
美玖はそう言ってただ震える。
そんなのみんな同じだ。
俺達は子供を生贄になんてしていない。
死者の世界なんて作ってない。
それなのに、先祖の行いのせいで呪われている。
周りの村の分校や小学校は、次々と子供不足で無くなっている。そんな中で、なぜ朽木村だけが十人も子供がいるか。少ないながらも若い世代が暮らしているのか分かった。
親達は――
この呪われた村から逃げられなかったんだ。
俺は俯く優也に「ねぇ」と声をかけた。
「まだあるんでしょ? 呪いの話。じゃあ律に成り代わられた透花を助けるには、どうすればいいか教えて」




