73.そして女は、『悪役令嬢は最強のテイマーでした〜王子から婚約破棄された私が勇者の仲間に!?今さら王国に帰って来いと言われてももう遅い〜』という夢を見た
「いや、ホンマ、ごめんて。いじめみたいになってもうて……。これは、ホンマあかんかったわ。反省しとる」ソウタはうずくまってシクシクと泣く調教師の背を撫でた。
調教師はうずくまったまま、ソウタの手を払う。その隣で、成り行き上生き残ったオークが気の毒そうに彼女を見下ろしていた。
夥しい魔物を学生たちに壊滅させられ、中でも強力なベヒモス5体は教官1人が皆殺し、挙句、虎の子の巨大モンスター『テュポーン』も、パミーナの空間魔法の前に露と消えた。
調教師は、恐るべきことに、その時点でまだ、余力を残していたが、ソウタたちに次々浴びせられる悪口に戦意を失い、膝を屈したのだった。
「せっかく転生しても、二十歳そこそこでババァ呼ばわりされて……」
「いや、それはホンマごめんて。言葉のアヤというか」
「どこの世界でも、イヤなことばっかり……」
それから女は、自分の身の上を、ぽつりぽつりと語り始めた。
彼女はとある地方都市で、国立大学の工学部建築科を卒業した才女であり、卒業後入社した会社も全国に拠点を展開する中堅ゼネコンだったが、そこには時代錯誤も甚だしい男尊女卑の気風が漂っていた。
会社が彼女に期待することは、建築工事における工程や品質の管理でも、施工図面の作図でもなく、愛想を振りまき、好ましい態度とタイミングでお茶を運ぶことだった。
そうした日々は、彼女を徹底的にスポイルし、また気付けば30代の半ばまで、あっという間に連れ去った。
彼女にとっての微かな希望は、4年に渡り交際していた、3つ歳下の恋人だった。彼もまた、仕事の関係で知り合った建設会社の社員で、交際開始から1年半ほどで本社へ栄転となり、遠距離恋愛が続いていた。
時を経るにつれ連絡は疎らになっていったが、生活基盤が整えば、彼女を東京に呼び寄せる、という彼の言葉を、彼女は信じ、そのために彼も遠い地で奮闘しているのだと自分に言い聞かせた。
彼が本社の課長に昇進したと人伝てに聞いたのは、彼女の前世で最後の日だった。その日、連絡を待つ彼女の元に掛かって来た一本の電話は、身の毛もよだつほど惨たらしい内容だった。
──「他に、結婚したい人が出来た」──
────彼女が目を覚ました時、その視界に入ったものは、豪奢な邸宅の天井だった。
というのも、思い返せばの話である。彼女が前世の記憶を取り戻したのは10歳の頃だった。
それ以前から、彼女は恐ろしく記憶力の良い子どもで、生後間もない頃に起きた女中の不貞だの、侍従の盗みだのを次々に言い当てると、その首が飛ぶにしたがって恐れられ、また気味悪がられたが、それにも増して、とにかく癇癪を起こしてきかないその性格は、周囲から人を遠ざけた。
彼女10歳の誕生日、ふと前触れもなく前世の記憶を思い出した時、彼女はただ、「ああ、そうか」と納得した。自分は、この焦げ付くような憎悪に駆られていたのだ。
しかし彼女は、一方で、その状況に希望の光を見出した。彼女の目の前に広がる新しい世界は、かつての世界で寂しさを紛らわすために興じていたゲームと、不思議なほど符合していたからである。
彼女は、帝国の領邦国家である『マルス』という国の侯爵令嬢であり、王家の子息と幼い頃から婚約関係が定められていた。しかし、これは彼女16歳の時、一方的に破棄される。
王子が別の娘と恋に落ちたからである。
このことは、彼女の中で、その符合を決定的なものにした。
(私は、あのゲームにおける主人公の敵役、いわゆる『悪役令嬢』なのだ)彼女はそう考えるようになった。
「ちょっと待って」とソウタはそこで話を遮った。「『悪役令嬢もの』ってのもよう見るわ。けど、時間が合わんくない?」
アグが彼女を「おばさん」と言ったのは、前世30代の半ばまでをかつての世界で過ごした、その年輪を言い当てたのかもしれない。しかしそれはそれとして、いわゆる『悪役令嬢もの』と『異世界もの』の流行は、おそらく10年も離れてはいないだろう。
彼女が転生以来20と数年を生きたとすれば、計算が合わない。
「かつての世界とこの世界では、『時間軸が並行ではない』あるいは、『スケールが違う』私はそう解釈してる。あくまで、『時間』というものが、ある方向に向かって進むものだとすればの話だけど」女がそう答えると、ソウタはさも得心いったというふうに頷いた。
「なるほど」
もちろん、何も理解していない。
女は続けた。
前の世界でも男に捨てられ、この世界でも婚約破棄という自らの不遇にうんざりはしたものの、それはある意味彼女の想像の範疇を出なかった。いや、むしろ、この時点をもって、ゲームの中では語られなかった、彼女の復讐譚は始まったのである。
彼女は家を飛び出した。
この世界では、経験も学歴も家柄も関係なく、誰にでもなれる職業が1つだけあった。『冒険者』である。
彼女はいくつかの採集任務をこなして糊口を凌ぐうち、自らの才能に気付いた。魔物を調伏して意のままに操る能力が備わっていたのである。
始めは小さな大人しい魔物を調伏しながら徐々にその数を増やし、やがてその巨大な群をして、中型の魔物を、またそれを集めて大型の魔物を、と繰り返す内、二十歳になる頃には、ついに神話中でも最大の魔物、テュポーンさえその勢力下に収めていた。
気付けば彼女は、1つの都市国家と渡り合えるだけの戦力を持っていたのだ。
彼女は自らの力に震えた。この力を示せば、私を軽んじたこの世界は、私の足下に平伏すことになるだろう。婚約を破棄した王子は恐れおののき、王族はこぞって許しを乞う。戦力を求めて助力を願いさえするかもしれない。
その時私はこう言うのだ「もう遅い」と。
「俺、思ってんけどぉ……」とソウタは遠慮がちに言った。「話、長ない?」
「お前、それは言うたらアカンやろ」イワオは慌ててソウタをたしなめる。
「いや、長いなぁと思って……」
「長いけど。本当のことやったら何でも言うてええわけやないねん」
女は項垂れてため息を吐いた。「もう、どうにでもすればいいわ。何だか、疲れちゃった」
気付けば、彼女が顔を上げた時、村の外へ逃げていた村人たちが、彼女を取り囲んでいた。
アグを腹に隠して逃げ出したスライムが、彼女の敗北を触れ回り、村人たちを呼び戻したのだ。
一番年かさと見える魔族が、彼女を見下ろして、口を開いた。白く長い眉毛がほとんど目蓋を覆っている、背中の曲がった小柄な老人である。
「気の毒に。ここで休んで行きなされ。お前さんには、そういう時間が必要じゃ」
「どうして……」と彼女は呟いた。
「別にどうもこうもないわい。不幸が続けば、誰だって悪く物事を考える。この村は、見ての通り決して豊かでもなければ強くもないが、みんないい奴じゃ。森には実りも多い。お前さん1人食わしていくくらいどうということもないわ」
「だって、私は、あなた達の村を壊したのよ。畑も、家も、ほとんどすべて……」
「そんなこたぁ見りゃ分かる。壊れたモンは直せばいい。御託はいいから手伝え。幸い、人工にゃ事欠かんのだろ」
「そんな……」
「水に流すとは言わん。ゆっくり休んで、ゆっくり働いて、ゆっくり飯を食え。そして、自分と他人をよく見て、悪い夢から醒めろ」と老人は言った。




