72.オペレーション“B”
「魔物の正面に立つな! コイツらは鈍重ではないぞ!」
教官はベヒモス5体を相手取り、これを斬り付けて気を引きながら、他の魔物と戦う学生たちに向けて叫んだ。
恐るべきは、強靭な筋力で時空さえ切り裂くという【烈女】ハンナ・シュバルツの刃をもってしても、一太刀では通しきれぬ、皮膚の分厚さと硬さである。
凄まじい突進力は家屋を一撃で倒壊させ、困ったことに火まで吐く。
イワオが牛の魔物の頭蓋を叩き割ると、その喉に飛び掛かろうとする一頭の魔犬をソウタの剣が貫いた。
「こっわ……今、俺死ぬとこやったんちゃうん」
「俺を命の恩人やと思って、毎朝饅頭お供えせえ」と言うソウタの頭に投げつけられた鉈を、イワオは防御魔法で防いだ。
「すまんソウタ、討ち漏らした!」ドラベッラが鉈を投げたゴブリンの首を刎ねる。
「これでチャラや」イワオが言うと、ソウタは剣を鞘に納めた。
「考えてみたら、そない毎日饅頭食べたないわ」
「小物は大方片付いた! 教官、指示を!」とフィガロが叫ぶ。
教官は身の丈の倍はあろうというベヒモスの胴体を、真一文字に引き裂くと、事もなげに命令した。「周辺を索敵、残党を狩りつつ調教師を探せ」
「結局、ベヒモス1人でヤッてもうてるやん。お前のカバの話とか何やったんや……」と呟くソウタの残響に混じって、焼け落ちた家屋の陰から女の声がした。
「『テュポーン』……」
それに一拍遅れて、彼らの足元が大きく揺れた。低い地響きに追い立てられるように、村の四周を囲む森から群れを乱して鳥が飛び立つ。
「ヤバい! 神話の中でも最大の魔物だ!」とドラベッラが叫ぶ。
「うろたえるな! 頭から千切りにしてやる!」教官が怒鳴り返したが、照りつけていた太陽が不意に姿を隠し、頭上に遥か高く、真っ黒な空間が口を開けると、舌打ちをした。「てっきり足元から来るものと……。上から来ることは考えていなかったな。届かんぞ、物理的に」
そうする間にも、真っ黒な空間は周囲の光を吸い取るように暗く影を落としながら、村の上空を覆うまでに広がっていった。
「教官、うっかり可愛いでっせ!」ソウタは彼女を鼓舞すべく声をあげる。
「言うてる場合ちゃうわ。逃げ場ないやん」イワオは背中に嫌な汗が滲むのを感じた。すぐ隣にいるのはパミーナである。
「術者を倒す!」フィガロは女の声が聞こえた家屋に駆け出したが、崩れた壁の陰に入ったと思った次の瞬間には、そこから蹴り出された。
「弱っ!」思わずソウタが口走る。
「アイツの、唯一にして最大の欠点やな」
その家屋の陰から、一頭のオークと共に女が歩み出ると、ソウタとイワオを交互に指差して口を開いた。
「貴方たち、日本人?」
裾の広がった赤いドレスを着た、20代も半ばほどに見える、裕福そうな女である。
「何で?」とソウタは聞き返した。
女は長い金髪で、瞳の色は青い。ソウタやイワオと同じ転移した日本人とは思われない。
「私は転生した日本人よ」
つまり、ソウタやイワオのように前の世界の姿形のままこの世界に転移したのではなく、この世界に記憶や精神を引き継いで『生まれ直した』ということらしい。
「嘘やん。何してんねん!」イワオは噛みつくように怒鳴りつける。
「何って、滅ぼすのよ」と女は当たり前のように言った。
「いや、せやから何でやねん。アカンやん」
ソウタは罵るようにそう言いながらも、少し違和感を感じた。アグはジャングルで事情を尋ねた時、魔物と一緒にいた人物は「おばさん」だと言った。目の前の女は20代半ば程度、特別悪意がなければ「お姉さん」と言う方が自然に見える。神経質そうではあるが、美人の部類に入ると言っていい。
「私にはむしろ、貴方たちが魔族の村を守っていることの方が不思議だわ。だって、貴方たち、帝国の人間よね。ここは魔界で、魔族の村よ」
「『魔界と帝国は友好関係にある』貴様がこれから死ぬ理由の説明になったか?」ハンナ・シュバルツは女を睨んだ。
「すごい殺気だけど、私を殺してもテュポーンは消えないわよ。私は調教師であって、召喚術師ではないから。私の憎悪に共感した魔物はすでに、自身の意思でこの世界に降り立とうとしている。私は彼に、少しお願いしただけ」
「そうか。では、自慢のデカブツは貴様を殺してから考えるとしよう」【烈女】ハンナ・シュバルツは段平を構え直した。
これに慌てたソウタが、「事情が分からへん。どういうことなん? 魔族がアンタに何したっちゅうねん」と割って入ると、女は突然笑い出し、水を得た魚のように饒舌に語り出した。
「確かに、私は魔族に怨みがあるわけじゃない。言うとすれば、この世界、かつていた世界も、今いる世界も、およそ認識され得る『世界』の全てを憎んでいる。そう、『あの人』と同じように」
「いや、『あの人』て誰やねん。雰囲気出しとんちゃうぞ」とイワオが言うと、ソウタもそれに同調した。
「初めて話聞く人にも分かるように言えや。お前アレやろ、こっちが『あの人……?』みたいに言うたら、『フフッ……今に分かるわ』とか言いよんねやろ。アホか。今聞いとんねん」
「口のきき方がなってないな。ガキが!」と女は醜く顔をしかめた。
「何やコラ、ババァ。かかって来いや。女やからって何でも許されると思うなよ」
「そうだ! 言ってやれ!」フィガロが合いの手を打つ。
「誰がババァだクソガキども!」女は大声で喚いた。
「お前が先にガキって言うたんやろが! アホ! バーカ! うんこ!」
「小学生やないか……」とイワオは呆れたが、この『ババァ』という悪口が、相手にかなり効いたと見ると、同期たちは、口々に女を罵った。
「やーい! ババァ!」「婚活市場の余剰在庫!」「無駄なカフェ巡り!」
「だったら、そこの女だってババァだろうが!」と女は教官を指差して声を荒げた。
「ちゃうわアホ! 鍛え上げられた肉体の美しさは年齢を超越すんねん!」とソウタが言うと、【烈女】ハンナ・シュバルツは、両手で顔を覆った。
「バカお前……こんな人前で……」
同期たちはさらに追い討ちをかける。
「やーい! お前の腹巻ラクダ色!」「かかとガサガサ!」「美魔女気取り!」「若い女は目の敵!」
すると女は、とうとう顔を伏せてさめざめと泣き出した。「ババァって言わないでよぅ……。もう、テュポーン落とすから!」
「ヤバい! ババァがキレた! 逃げろー!」と誰かが叫ぶのを、不意に制止したのは、パミーナだった。
「逃げなくて大丈夫……準備は整ったので……」強く噛んだ唇の端から血が滴る。「『火葬国風景』……」




