71.村と少女
「大丈夫。落ち着いて……」ジャングルの木陰で目を覚ました少女の背中をさすり、教官は静かな声でそう言った。
少女は怯えていたが、背中をさすり、声をかけ、水を飲ませているうちに、段々と落ち着きを取り戻していった。
「ソウタ、お前、この子を慰めて、出来るなら事情を聞き出せ。私よりは向いている。私はスライムの方と話をする」と教官は言うと、並行してジェミマとドラベッラに偵察を、フィオルディリージに連絡の中継を命じた。
ソウタはうなずくと、少女の肩にそっと手を触れた。
「怖かったなぁ。せやけど、もう大丈夫やからな。俺らは、魔王の友だちやねん。しかも、めっちゃ強いからな。安心しとったらええで。村も直したるし、悪い魔物も追っ払ったるから。お名前、何ちゅうねん」
「アグ……」
少女は青白い顔をしてそう名乗ると、大きな目から大粒の涙をぼろぼろと止めどなくこぼした。
「おっきいまものが、いっぱいきて、たくさん。10よりおおい……」
「そうか。10より多いか。せやったら、10までは数えれるねんな。アグちゃん、賢いなぁ。イワオ、お前出来るか?」ソウタは少女を慰めながら、イワオに話を振った。
「ムリやわ。7とかでギリや。どうやって数えんの?」イワオはしゃがんでアグに目線を合わせる。
アグは自分の手を見て、1本、2本と指を立てていった。「こうやって、ゆびで、いち、に、ってやる」
「なるほどぉ。頭ええなぁ。それやったら、俺にも出来るかもせえへんわ」
「でも、10しか、できないからぁ……」アグはまた、嗚咽を漏らし始める。
「そうか。手の指が、10しかないからな。10より多かったらしゃあないわ」イワオは少女の背を撫でて、慰めた。
「魔物の他にも、怖いおじさんとか来よったん?」とソウタが聞くと、アグは首を横に振った。
「おじさんは、いない……」
「そうかぁ。おじさん、おれへんかったんや。ほなら、お姉さんは?」
「おばさん……」と言うと、アグはソウタに抱きついて、震えだした。
「怖いおばさん来よったんか。魔物連れて……」ソウタがそう言うと、アグはソウタの胸の中で、震えながら頷いた。
「悪いオバハンやなぁ。帰ってもらわなアカンな」イワオはソウタの胸に顔をうずめるアグの頭を撫でた。
「うん……かえってほしい……」
「せやんな。よっしゃ。俺らが、『お家帰れ』言うたるわ」ソウタがそう言うと、アグは少し安心したのか、ふぅ、とため息を吐いた。
「スイちゃんが、アグのこと、なかにプリっていれて、それで……わかんない……」スライムの腹に隠れている間は、外の様子が分からなかったということを言っているらしい。
「ああ、あのスライムな。『スイちゃん』ていうねんな」ソウタはアグを背中に背負った。
アグは背中でそれと分かるようにうなずくと、「おかあさんは……?」と尋ねた。
「お母さんは、無事や。いったん村を出て、アグちゃんのこと探しとる」とソウタは答えた。
「おとうさんは?」
「お父さんは、魔物と戦ってもう何匹かやっつけたて。強いなぁ」
「おばあちゃんは?」
「お婆ちゃんは、アグちゃんが帰って来た時のために、美味しいもんを山で探してはるて」
「おじいちゃんは?」
「大きい魔物に石投げて、追い払っとる。魔物、『痛い痛い』いうて、逃げてるわ」────
それからもアグは、「もうひとりの、おばあちゃんは?」「お魚のおじさんは?」「猫のおばさんは?」「おとなりの、おねえちゃんは?」と、おそらく彼女の知る限り、村人一人一人の安否を、ソウタに尋ねた。
ソウタはもちろん、そうした人たちのことを、誰も知らなかったが、「おうちを治すために、丁度ええ木を見つけとる」「逃げたお魚を探しとんねんて」「おじさんの魚を猫が食べんように見張っとる」「アグちゃんのために歌を練習してんで」と、一つ一つ、丁寧に嘘をついた。そして最後に、「村のみんな、無事に逃げとるわ。安心しいや」と言った。
イワオが先頭を切って、藪を切り払っていく。
しばらく進むと、鬱蒼としたジャングルの木々は次第にまばらになっていき、木組みの高い市壁が見えた。彼らから見てずっと左の方で、市壁は大きく崩されている。
アグがいつの間にか、ソウタの背中で寝息を立てていることに気付くと、ソウタは小さな声で「クソったれが……」と呟いた。
市壁の外側に取り付くと、教官が口を開いた。「ドラベッラの報告によれば、幸い村に人死は無さそうだ。人口が少なかったことは幸運だったが、村長も優秀らしい。無駄な交戦を避けて迅速に村人を避難させた。判断が速い」
ソウタはそれを聞いて安堵のため息を漏らした。
「だが、安心してばかりもいられない。知っての通り、ジャングルは魔物の領分だ。調教師の操る魔物から逃れても、市壁の外には野生の魔物が闊歩している。村を奪還出来なければ、犠牲が出るのも時間の問題だ」
「何があったか知らんけど、こんな小さい子に怖い思いさせて、許されへん」ソウタは憎々しげに呟き、剣の柄を握る。
市壁の破れ目から集落を覗き込むと、そこにはすでに、燃え尽きた家屋の残火が陽炎をつくって、長閑な農村であったろう村の景色を揺らしていた。
先刻から地を震わしているのは、巨大な魔物の足音である。
「ベヒモスだ」と教官が言った。顔に醜くシワが刻まれ、口の両端から長い牙を伸ばす、カバに似た巨大な四足獣である。バリバリと音をたてて、焼け崩れた家屋の瓦礫を貪っている。
「何食うてんねん……」ソウタは剣を握りながら呟いた。
「顎強いねやろ。カバの口て150度も開くねんて。テレビで見てんけどな。スイカ丸ごと食いよんねん。けどな、ほとんどこぼすねんて」イワオはそう言いながら生唾を飲んだ。緊張が伝わる。
「今いらんわ、その話」
このやりとりを尻目に、教官は腰の段平を抜き払った。
「行くぞ! 分隊、前へ!」




