別に脱がそうってわけじゃない
『――っ!』
既に倒れたエイレーンなど見向きもせず、ぎょっとしたようにユウキが振り返る。
まあ、己の結界内にいつの間にか侵入されたのだから、当然だろう。
しかしもちろん、九郎を見た途端に彼女の険しい目つきは消え、尻尾を千切れるほど振っていた。
『我が君っ』
鼻先をスンスン言わせながら、しきりに足元にまとわりつく。
自分の身体を九郎に擦りつけるようにして、全身で愛情を示していた。
「すまぬ……いや、すまないな、おまえの獲物を横取りして」
『そんなことっ』
ユウキは激しく首を振り、期待に満ちた目で見上げた。
『先程のお言葉からして、記憶が戻ったのしょうかっ』
「戻ったというか……まあ、当時のことを思い出しつつあるところ……か」
九郎は苦笑した。
「予――いや、俺はさっき、自宅の鏡で過去の自分と対面した。あいつは完全に消滅する前に、『そろそろ思い出せ』と活を入れてくれたらしい。お陰で、今ひどく混乱しているが」
九郎は両手を広げ、星空を見上げた。
「だが、別に悪い気分じゃないな、うん。これまではかつての魔王だと言われてもあまりピンと来なかったが、今はもうそんな疑問も消えた。予……俺は、確かにあの世界で生まれ、一度はこの手で世界を掴んだ」
『そう、そうですともっ』
まだ狼形態のままだが、ユウキは歓喜のあまりか、その場で器用にピョンピョン跳びはねていた。
『いずれにせよ、我が君が復活されれば、もう敵は潰えたも同然でございますっ』
「いやぁ、まだそこまで完璧に思い出したわけじゃないがね。でも、いろんなことは見えるようになったさ。……もちろん、おまえが気付きながら、タヌキ寝入りしていることもわかるぞ、エイレーンとやら」
九郎が声を掛けると、倒れていたエイレーンは悔しそうな顔でそろそろと上体を起こした。
死んだ振りはともかく、ダメージは残っているらしく、まだ動きがぎこちない。
「おまえ……おまえがそいつの主人だと!? 我が君と呼ばれていたが……何者だっ」
「それより今は、自分の命の心配をした方がよくないか?」
からかうように言ってやると、エイレーンは悔しそうに唇を噛んだ。
長い金髪がベールのように顔を隠していたが、囁くような声は聞こえた。
「私を……殺すつもりなの?」
「さあ、それはどうかな? それは、おまえから得る情報次第というところか」
九郎はゆったりと呟き、特に警戒することもなく、彼女に歩み寄る。
慌てて立ち上がろうとしたエイレーンは、しかしまだ身体に力が入らないのか、思うに任せないようだ。ようやく、離れた場所に飛んでいた拳銃に這い寄ろうとしたところへ、九郎が身を屈めて頭に手を置く。
「よ、よせっ」
「静かに! 別に脱がそうってわけじゃない」
冗談めかした口調で述べたものの、九郎が手で触れた途端、エイレーンは完全に動きを止め、目から光が消えた。
「まずは、自宅に戻り、おまえの知り得る情報を全て教えてもらうとしよう」
九郎は静かに告げた。
「ハイランドとやらの新興国の戦力、それに上官の名前……現在の計画などをな。ほら、立ちなさい」
手を貸して立たせてやると、九郎は忠実なユウキに頷いてやった。
「悪いが、死体の始末を頼む。それと、もうすぐ麗がここへ来るから、だいたいの事情を説明してやってくれ。俺は先に戻っている」
『はいっ!』
嬉しそうに答えるユウキに微笑みかけ、九郎はエイレーンを引率して、その場を立ち去った。
……今からが、本当の戦いとなるだろう。