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光のもとでⅠ 第八章 自己との対峙  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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12~13 Side Akito 01話

 久しぶりに彼女を目の前にすると、嬉しさと緊張が半分半分だった。

 彼女は両手でぎゅ、と小型のハープを抱えており、見るからに緊張していることがうかがえる。

「あのね、これ以上は近づかないから、そこまで緊張しないでもらえると嬉しい」

 彼女との距離は十分取っているつもりだ。間が二メートルちょっとあってもこの状態なのだから、自分のしてきたことを悔やまずにはいられない。

 彼女は首を縦に振るものの、やっぱり緊張は解けないようだった。

「……蒼樹に入ってもらう? 俺はそれでもかまわないよ」

 彼女の表情からわかるのは、「困惑」の二文字。

「ちょっと待ってね」

 俺はドアを開け、蒼樹を呼ぶことにした。

「蒼樹、悪い。ちょっと来てもらえる?」

 ダイニングで待機していた蒼樹はすぐにやってきた。

「だめでした?」

「いや、緊張しすぎててちょっとかわいそうだから」

 蒼樹は部屋の中を見て、「なるほど」と一言。

 蒼樹はすぐさま彼女の側へ行き、その隣に腰を下ろす。そして、彼女を肩ごと抱き寄せると、労わるように肩をさすり始めた。

 自分がそんなふうにできたら良かったのにな……。

 俺はこの期に及んでもそんなことを考える。

「先輩の話を一緒に聞こう?」

 コクリと頷く彼女を確認してから、俺は口を開いた。

「翠葉ちゃん、俺は今でも変わりなく君が好きだ。本当に、結婚したいくらいにね。そのくらい大切に想ってる。……できれば抱きしめたいしキスもしたい。それ以上のこともしたいよ。それが本音。でも、今の翠葉ちゃんに求めるべきことじゃないのがわかった。……嫌悪されるかもしれない。でも、今まで、俺は身体以外の付き合いをしてきたことがなくてね、こういうのは初めてなんだ。だから、距離の取り方がつかめなかった。それで君に無理をさせた」

 彼女は、じっと俺の目を見て聞いていた。その様は、俺の言葉や気持ちをすべて受け止めてくれているように思えた。

 ……蒼樹の存在はやっぱり大きいな。

「秋斗さん……私、秋斗さんのことが好きです。でも、今は学校に通うことと身体を復調させること、それだけで手一杯なんです――ほかのことが考えられなくなるくらい。何度も考えようとしたんですけど、どうしても答えが出なくて……」

 彼女は一生懸命言葉を紡いだ。

「うん、そうだよね……」

「だから――」

 いいよ、その先は俺が言う。

「翠葉ちゃん、付き合うとかそういうの、なしにしよう。でも、俺は君が好きだから。それと、君との距離の取り方は俺の課題。翠葉ちゃんが悩むことじゃない。俺がその距離を見つけるから、君は学校へ通うことと身体のことだけを考えればいい。それでいいんだよ」

 大きな目からポロリポロリと雫が落ちる。それでも彼女は俺の目を見ていた。

 こういう場で逃げる子じゃない。すごく弱い一面もあるけれど、逃げちゃいけない場所をちゃんとわかってる。そういう強さを彼女は持っていた。だから、俺も逃げないし、暴走はしないと自分に言い聞かせることができた。

「ただね、ひとつだけお願いがあるんだ」

「……おね、がい?」

 彼女の初恋は司だろう。でも、彼女はまだそのことには気づいていない。つまり、彼女の中で初恋は俺ということになっている。それが、こんな結末だ……。トラウマになんてなったら、それこそ俺は自分の手に負えない傷を彼女につけたことになる。それだけはどうしても避けたかった。

「そう……。これで恋愛に恐怖を抱かないでほしい。こんな形だけが恋愛じゃないから。……人を好きになること、それだけは怖がらないでほしい」

「秋斗さんを好きなことも、キスをしたことも、抱きしめてもらったことも、何ひとつ後悔なんてしていません。ただ――どうしてか、途中から怖くなっちゃっただけなの……」

「……うん、わかってる」

「だから、自分のせいだと思わないでください。私のキャパシティが足りなかっただけだから……」

 そこまで口にしたら彼女の視線が落ちた。

 事実、俺のせいじゃなければ誰のせいなんだ――とは思うものの、彼女は自分を責めるのだろう。

 もっと自分がしっかりしていれば、もっと自分が健康な身体なら、もっと自分に余裕があれば――。

 際限なく、「もっと」と自分に足りないものを並べたてる、そのループだけは今断ち切りたい。

「翠葉ちゃん、こうしよう。俺は自分を責めない。だから、翠葉ちゃんも自分のことを責めないでほしい。それでおあいこにしよう?」

 彼女は顔を上げて、「どうして?」という顔をした。

「翠葉ちゃんに自分を責めてもらいたくない。これ以上、翠葉ちゃんに負荷をかけたくない。それでなくとも、君は自分と闘うのに全力投球だろう?」

 また、彼女の目から涙が零れ落ちた。

「俺のことは必要以上に気にしなくていいんだ。俺は翠葉ちゃんより九つも年上なんだよ? 一応立派に社会人で大人なんだ。処世術だってそれなりに心得ているしね。だから、大丈夫」

 彼女は、俺の言葉の真意を探っているのではないか、と思うほどに俺の顔を見ていた。

 これは何がなんでも演じとおさなくちゃいけない場所。

「嘘じゃないよ。たとえばこんなふうに距離は取るけど、でも、会いに行くし話しもできる。全然会わなくなるわけじゃない。前みたいにお茶を飲んでケーキを食べて笑って話をしよう?」

「……私、わがまま――」

「好きな子のわがままはかわいいよ。どんなことでもね。前にも言ったでしょ? 君にされることならなんでも受けるって……。これもそのひとつだよ」

「……秋斗さん、ごめんなさい――」

 泣いて謝られて――俺、何してるのかな。でも、乗り越えなくちゃいけない……。

「翠葉ちゃん、どうせなら『ありがとう』って言って?」

 彼女は顔を少し傾け不思議そうな顔をする。

「翠葉ちゃんには『ありがとう』って言ってもらいたい」

「秋斗さん、ありがとう……ございます」

「うん、こちらこそありがとう。これからもよろしくね」

 やっと彼女の身体から力が抜けた。今は蒼樹の方へと身体を傾けている。

「少し休むといいよ。俺、今日はこれで帰るから」

 そう言って部屋を出た。


 ドアを出たところで絶句する。廊下には湊ちゃんが待機していた。

 彼女の診察でもあるのかと思いきや、ジェスチャーで「上に行くわよ」と指示される。そして、今はどうしたことか俺の家に湊ちゃんは上がりこんでいる。

「コーヒー、勝手に淹れるわよ」

「え? あ、どうぞ……」

 なんだろう……。俺、これから湊ちゃんに何言われるんだろう……。

 俺、確かコーヒー厳禁って言われてるはずなんだけど、えぇと……湊ちゃんが淹れてくれたコーヒーなら飲んでもいいのかな。それとも、湊ちゃんは自分の分だけを淹れているのだろうか……。

 ソファに座って考えていると、コーヒーのセットが終わった湊ちゃんがリビングへとやってきた。そして、俺の隣に腰掛ける。

 湊ちゃんの右手が上がった瞬間、殴られるのかと身構えた。が、湊ちゃんの手は俺の肩を抱き寄せたのみ。

 ゴツ、と湊ちゃんの頭に俺の頭が当たる。

「エライ、よくがんばった」

 湊ちゃんは俺の方を見るでもなく、寝室側の壁を見たまま口にする。

「……びびったぁ……。俺、殴られるのかと思ったんだけど」

「んなことしないわよ……。今回はあんただってかなり悩んだんでしょ? キスマークひとつであの様よ。誰が予想できた? こんなこと、誰も予想できなかったわよ……」

 確かに……。

 しばらくは会いにくるなと言われたとき、意味がわからなくて混乱した。

 楓に怒鳴られて、彼女の精神状態や自傷行為を知ったときには取り返しのつかないことをしたと思った。でも、理解や納得には程遠く、冷静に話せるようになるまでには時間を要した。

「翠葉の身体を優先してくれてありがとう」

 言いながら湊ちゃんは俯いた。

「本当に、何もしてあげられていないの……。私、医者なのに――」

 よほど悔しいのか、湊ちゃんは唇が切れそうなくらいに噛みしめていた。

「あと少しで昇が帰ってくる。今は昇の連れて帰ってくるドクターに期待してるだけ。自分じゃ何もできてない」

「……彼女の痛み、そんなにひどいの?」

「ひどいも何も……あんなに痛がってるのに炎症値すら上がらない。ほかの検査にも何ひとつとして引っかからない」

 いつもは勝気な湊ちゃんが珍しく弱音を吐いた。

 少し話していると、彼女の男性恐怖症の話があがった。

 俺がしたことによって、そこまで人に触れられることに恐怖を与えてしまったのだろうか……。

「秋斗だけが原因じゃない。以前、街でナンパされてるでしょ? たぶん、あっちが根底にあるのね。マッサージをやらせている司にすら右の肩には触れさせないみたいだから。……正直、ここまで引き摺るとは私も思っていなかった。少し安易に考えすぎていたのかもしれない。……何せ、とんでもない箱入り娘なのよ」

 そう言っては苦笑する。

「珍しいよね。湊ちゃん、こういう子はあまり得意じゃないし、どちらかというと嫌いでしょ?」

「そうなのよねぇ……。そのはずなんだけど、どうしてか翠葉は受け入れられる。嫌いじゃないから、好きだから、今のままではいさせたくない。崖から突き落とすことになったとしても強くしたい」

「ずいぶん物騒ですね……」

「あの子、いい子じゃない。ひどく臆病なくせに逃げちゃいけないところは踏まえてる。泣いても目は逸らさない。芯は強いのよ。だからかしらね……嫌いになれないし、どう成長していくのか見守っていたくなる」

 なるほどね……。

「栞は、ただただかわいいみたいだけどね……。翠葉を養子に欲しいって言い出しそうな溺愛ぶりよ。昇が帰ってきたら真面目にそんな話をしそうで怖いわ」

「あはは。でも、御園生夫妻が手放さないでしょ」

「まぁね」

 栞ちゃんは実家に帰っていると聞いているが……。

「栞ちゃん、今年は少し早くない?」

「そうね……。翠葉の存在がより『子ども』というものを強く感じさせるのかもしれないわ」

「……翠葉ちゃんは知ってるの?」

「まさか、夏風邪って言ってある」

「そう……」

 栞ちゃんは毎年七月の下旬になると情緒不安定から体調を崩す。それも、ここ二年くらいの話だ。

 流産した日が近くなると不安定になる。だから、その頃までには昇さんが帰国する予定だった。だが、今年は七月の頭から体調を崩している。

「大丈夫よ。昇が今月の半ばには帰国するから」

 言いながら湊ちゃんが立ち上がった。

「さ、コーヒーでも飲もう! アルコールでもかまわないわよ?」

 飲むったってまだ夕方だし、すきっ腹……。それに俺、涼さんからコーヒーもアルコールも禁止令食らってんだけど……。何よりも、

「湊ちゃん、アルコール弱いじゃん」

「大丈夫! あと十分もすれば静さんが帰って来るから。明日フリーって言ってたから付き合ってもらいなさいよ」

「マジでっ!?」

 因みに、酒とコーヒーを飲むこと涼さんには黙ってるって言質が欲しい。

 湊ちゃんは何を言うでもなくカップふたつにコーヒーを注いできた。

「はい。デカフェのコーヒー」

 差し出されて苦笑する。

 くっ……そりゃそうだよな、さすがに普通のコーヒーは出てくるわけがない。

 物足りないコーヒーを飲んでいるとインターホンが鳴った。玄関を開けると、

「よう、傷心の若者」

 静さんがにこりと笑って立っていた。

 今度こそ、「振られておめでとう」を言われるのだろうか……。

 愚痴るようなことはないけれど、吐露したいものはそれなりにある。それを聞いてくれる大人がいるというのは嬉しいかもしれない。

「ゲストルームで夕飯の用意を済ませたら須藤が上がってくる。そしたらノンアルコールカクテルでも作ってもらうんだな」

 アルコールってそういうことか……。どこまでも手抜かりのない従姉殿なことで。

「そういえば、今日の食事会はどうなるの?」

 湊ちゃんに訊くと、

「今日はそれぞれ別に摂るわ。ここはここでアダルトチーム。ゲストルームはチーム兄妹。うちではテスト勉強中の司と海斗」

 俺は全然かまわないけど、これ、誰も不思議に思わないのだろうか。

「司も海斗も、今日秋斗が帰ってきてることは知っているし、翠葉に会いに行ったことも知ってるのよ」

 ははは……ずいぶんと細部にわたって情報が行き交っているようで……。

「その割に、司は余裕だな?」

 静さんが口にすると、

「私も同じこと訊いたんだけど、余裕があったことなんて一度もないって言ってたわ。ただ、秋斗と同じ。今は翠葉の体調と気持ちを優先させてあげたいみたい」

「はぁ……俺、司に負けそう。なんだか一歩先を歩まれてる気がしてならないよ……」

「あんたたち、根本が似てるのよ。解答にいたるまでの思考回路や行動は違っても出す結論が一緒っていうか……。いい加減認めたら?」

 認めろ、と言われてもね……。相手は九歳も年下なわけで、あまり認めたくはないよね……。


 この日は夜遅くまで静さんと酒を飲んだ。酒、とは言えど、俺のはノンアルコールだけれど。

 こういうのは気分で飲めればそれでいいのかもしれない。とくに酔いたかったわけではないし……。

 須藤さんにゲストルームの様子を訊いたけれど、心配するようなことはとくになく、穏やかな時間が過ぎているよう。

 彼女はなんでもかんでも自分のせいにして自分を追い詰めてしまうから、それだけは避けたかった。けれど、きっと表面では繕っていても心の中では自分を責めているのだろう。そんなことは簡単に想像ができる。

 どうか、これ以上俺のことで苦しまないでほしい。それが、今の俺の願い――。

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