図書館塔
「え、これ違う!これじゃないの、ありませんか!」
国立カルヴァドス想鎖術研究所付属高等学校、図書館塔。
リーゼの母校、町立中学校とも敷地の一部を同じくする上級学校では、幾つかの設備や図書館塔を共有していた。
吹き抜けの広大な塔のその一角にあるカウンターで、リーゼが狼狽の声を漏らす。
「と言われても、提出された想譜面はこれで全部だねえ」
年配の司書はまるい眼鏡を出したり引っ込めたりしつつ、年度を確認する。
「今から二年前、町立の中等部から提出されているのは、この一冊だけだよ」
「そんなっ!」
叫び出して、慌ててリーゼが口元を押さえている。
ここが図書館であることを思い出したようだ。
閲覧室には何人かの学生が、夏休みだというのに真面目にノートを広げたり、資料を探したりしている。
もしかしたら、村の騒動で家に居づらくなったのかもしれない。
玉蜀黍頭のダーヴィン・クク・ミョンヘンも大きな身体を不満げに揺らしつつ、席についている。
最も、全く勉強に集中している様子はなく、珍しく訪れてきた少女へと遠慮なく視線を送っている。
建前は市民にも公開されているが、ほとんど利用者はない。
それだけにクリーム色や焦げ茶をベースにした制服の群れの中に、モノクロの装いのリーゼは目立っていた。
ほうら、と差しだされたのは深い臙脂色の見事な装丁の本。
エルモもリーゼの隣からそっと譜面集を覗き込む。
第三学年の数ページ目にリーゼ、と記された想譜面。
そこに書かれているのは、苹果の身を真珠にたとえた可愛らしい恋の歌だった。
確かに、部分部分に先程リーゼが歌っていた言葉は残っているものの、全くの別物だ。
ただ、旋律を引き継いでいるとしたら、後半にかなり長くまた、複雑な想鎖術が組み込まれている。
司書に食ってかからんばかりに詰め寄っていたリーゼが突如思い出したように「あ」と声をあげ、へたりこんだ。びたんっとお尻を図書館塔の床に叩き付けた。
「そうだ、やり直しをしなくちゃいけない、失敗の譜面だもん、学校に残ってるはずないよね」
いたた、と苦笑しながら立ち上がるリーゼはあまりに不審で、司書の老人はいよいよ渋面を作る。代わりにエルモは頭を下げ
「あの、師匠じゃなくて……彼女、学生時代のなくしものを探しに来たんです」
と事情を説明した。
「それは学校指定のレポート用紙かい?」
と、司書の老人が顔色を変える。とても大切そうに尋ねられて、リーゼがはい、と答える。
「管材課にはもう行ったかい?」
「菅材課って、本館の地下にあるところですよね?」
「これを出す為のレポートは成績評定のうちだね。特に前学期の最終評定を決めるのはこの想鎖術になるから、先生も生徒も必死だろう。特になくしたら血眼になって捜す」
「あ、はい………だから、あたしも書きなおしで」
「だから、この時期に想譜面に見えるものは、とりあえず落し物として受理される。担任の先生が預かっていないとして、一昨年のレポートだったらまだ管理しているかもしれないね」
「担任は去年学校を出てしまったので……とにかく、行ってみますね」
揃って頭を下げて、図書館塔を駆け出す。
「ありがとう、司書のおじさん!」
リーゼが大声でお礼を言うので、「図書館では静かに!」と苦情が出る。
迷惑をかけたかな、と思ってちらりと振り返ると、昼時とあって生徒の姿はずいぶん減っていた。あのダーヴィンも居ない。家に帰ったのだろうか。
図書館塔から、同じ敷地内にある本館―――職員室の他に、高学年の生徒が利用する研究室や実験室、会議室を兼ねた建物まで、走ること数分。
植え込みを抜けると、そこが本館地下への入り口になる。
外階段から直に地下へ通り、暇そうな受付窓口の職員に事情を話して通してもらう。
ままあることなのか、特に理由を問われることなく、通行を許可された。
そのまま更に、地下へと進む螺旋階段を降りて菅材課へ到着する。
こちらではもう少し深く事情を聴かれたが、リーゼが事情を話して難なくクリアする。
雑多なものがカテゴリーに分けてあり、調合済みの対価や貴重品は鍵をかけたラックにしまわれている。
問題のレポート類、と書かれた巨大なラックはリーゼの身長よりなお高く、横幅も二人が並んで立ったよりもまだ広い。
ここから探すのは一苦労だろうな、と思いながらエルモは一番上のラックに手を伸ばし
―――「あ、あった」
こちらは一番手近なラックから探し始めたのだろう、リーゼが頓狂な声をあげた。
「これだよ、だってほら間違いない」
提出用に町立学校の校章が透かされたレポート用紙。
一番上の行にリーゼ、と書かれ、何度か消したり書き込みをしたりした後の想譜面。
「こんなに簡単に見つかるなんて、ラッキィ」
ぺらぺら、と三枚ほどの想譜面を捲っているリーゼだったがふと、エルモは疑問を隠し得ない。
「どうしてそれ、そんな所にあったんでしょう?」
「そんなところって、それは、落し物で誰か拾ってくれたんでしょ?」
だからそうじゃなくて、とエルモは何度か瞬きを繰り返し、呼吸を落ち着け
「だってさっき司書のおじさんが、大切なものだからどんなものでもなくさないようにするって。だったら名前が書いてあれば持ち主の所へ返す筈でしょう?なのにどうして、返さなかったのかなって」
それに、おかしなことはもう一つある。
三年前、司書の言ったことが正確ならば、この想譜面は三年前のもの。
確かに誰かが拾ったものらしく、隅がくしゃくしゃになり、全体的に波打っている。
月日に応じて末端はぼろけ、黄ばみも進行しているが、
「こんな見つけやすい所に、どうしてあったのかな」
リーゼも不思議そうに、首を傾げた。
リーゼの隣から、その下を攫ってみる。
受理年月日は、いずれも今年に入ってから。
つまり、リーゼの想譜面だけが本来あるべき位置から、ここへ移動していることになる。
「とりあえず、引き取りましょう」
そう言ってリーゼが菅材課の職員の所へと歩みを進める。
その、時、だっ、た。
ぞくり、と何か言いようのないプレッシャーがエルモの背を射抜いた。
何かに、見られている。―――此処には、何かいる?
「リーゼさん、ここ。何か絶対に居ます」
何かが、暗闇から、僕らを、じっと、見ている。
「ふうん、………………なるほど?」
何か、リーゼが不審な動きを始めている。
目を閉じて、小指を弾き、それから強く目を見開く。
唇から洩れているのは、想譜面にあるのと同じ想鎖。
わかってるわよ、と小さく唇で合図。
そっと立ち上がると、部屋のさらに奥の方へ、もう忘れものがあるのかどうかも知れない、その奥に
「ダーヴィン!クク!ミョンヘン!」
まるで太陽を写し取ったかのような、黄金色の頭髪。
ぱっと、埃を被ったシーツを取り除けると、そこには蒼白な表情で丸まっている、あの玉蜀黍頭の少年が居た。




