「そう、あたしはアローのことが、大好きだったのにね」
全部、見たでしょう。
いつも通り苹果畑で苹果をもぎながら、そうリーゼは口火を切った。
何かもう、隠しておく必要はない気がした。
アローが表に出てきたのなら、彼女の口からすべてを語ってしまう日も遠くない。
ならば、せめて今。まだ、彼が自分の『弟子』である内に。
「手紙も、あの部屋も、全部キミは見たんだよね」
「あ、はい……」
どう答えていいのか分からず、結局素直に答えてしまう少年。
「リーゼさんの、部屋ですよね」
「それは違う。あそこは、アローの部屋」
きっぱりと、リーゼは答える。
樹上にいるリーゼからエルモの表情は見えず、玉虫色の髪が梢の中から時々姿を現す。
「アローが生きていた頃は、あの部屋を使ってたの。で、お役御免になったから片付けた」
からりとした声を保てるように、努力する。
「それで、アローさんは今……?」
「アローは、あたしの中にいる」
胸の前に、そっと手を置く。
語りたくないことを語らなければならない時にしてしまう、良くない癖。
「自分の死期が、近いと知って、アローはあたしの中に、自分を想鎖したんだ」
アウローラ・ルル・エスカトーレ。
通り名は極光のアロー。
アウローラは将来を嘱望された想鎖術師だった。
カルヴァドスの村で苹果を育てて暮らしながら、最先端の研究を幾つも手掛けていた。
幾つもの成功、幾つもの名声。
絶頂にいたアウローラはしかし、身体に爆弾を抱えていた。
それは、現在の医学でも、想鎖術でもどうにも出来ない欠陥だった。
「本来あるべきもの」がもともと「ない」のだから、付け足すことも出来ない。
好転することのない状況。
砂時計の砂は落ち続け、いつしか彼女を狂気へと導いた。
もともと刻限が近いことを知って、それでも何かを成し遂げようとがむしゃらに研究に打ち込んでいた彼女は、とうとう思い知る。
自分の研究の行きつく先を。そして、それには圧倒的に時間が足りないことを。
まだ、死にたくない。
まだ、私には叶えていないものがある。
研究がしたい、もっともっと、ずっと。
想鎖術と関わっていきたい。
では、どうしたら関わり続けることができるのだろうか
……自分自身が、想鎖術の一部になれば、いいのか。
「でも、これは失敗する。誰も、アウローラの全てを『読む』ことは出来なかったの。まあアローにとっては多分、それさえも研究の一端だったんだろうけれど」
アローにとって、研究につながらない物は何もなかった。
目に映るもの、舌が味わうもの、耳が捉えるもの、肌に触れたもの、何もかも彼女は自分の言葉に置き換えることを続けていた。
「何人か、非合法ぎりぎりのところで研究をしていた研究者が関わっていたみたいだし。アローはそういう人たちとも平気で一緒に研究していたから」
想鎖術を、人体実験で使うことは禁じられている。
次に考えられた手段は朽ちゆく体とアローの研究を切り離し、恒久的に保存すること。
「その容れ物に、選ばれたのがあたしだった。たまたま、あたしの外見がアローと似ていたせいもあるんだろうけどね」
そして、アウローラが選んだのは、自らを想鎖術で作り出すことだった。
頭の中身を、そっくりそのままリーゼと入れ替えたのだ。
研究の成果や、頭の中に構築された理論を存続させるために。
「いいえ、そうではない。あたしは、いつかアローにそういう日が来る時のために、用意されていた。そのために、存在してきた」
想鎖術に置いて天才的な素質を持つアローが、もし身体に爆弾を抱えていなかったら。
その仮定で以って、リーゼは育ってきた。
そして想鎖術には、常に対価……自らの想いを鎖で縛る為の対象が必要になる。
もし、の仮定が、そうであるならば、の必然になるのは、時間の問題だった。
「信じられる?その為にあたしはずっと……!」
いつか、天才が駄目になった時に使えるように、用意された存在。
苦しくなって、それでも言葉を止めることができず、切れ切れに、リーゼは叫ぶ。
「ううん、そうじゃないね。本当のことを言うならば、アローにあたしをあげると言ったのは、あたし自身なの。あたしは、きっとアローが好きだったから」
リーゼは、静かに言葉を放つ。
そうだった、思い出す。
「そう、あたしはアローのことが、大好きだったのにね」
「大好き、だったんですか」
他人の感情に触れることに怯えながら、少年が口を挟む。
「そうね。好きだった。優しくて、厳しくて、意地悪で、面白くて」
目を閉じて思いだす。
雨合羽の内側で聞いた雨音。
乾いたタオルが髪を擦る感触。
濃く甘く入れられたレモネード。
遠い異国の物語。
乱暴に頭をかいぐる手。
そして、あっけらかんとして楽しげな笑顔。
本当に、魅力的に良く笑う人だった。研究に関わらない時は。
その眼差しに、リーゼ自身の生への渇望が、よこしまな欲望が混ざったのは、いつの頃からなのだろうか。
あるいはずっと、そんな感情を身の内に持ちながら、リーゼの傍にいたのだろうか。




