第一章 春 第五話 星に願いを
第一章 春
第五話 星に願いを
アレンの上着と木彫りの竜を持って、子供たちは村へ戻った。
競争は途中だった。
優勝もできなかった。
でも誰も文句を言わなかった。
帰り道。
フィアがぽつりと言った。
「アレンって足速かったよね」
ソラがすぐに頷く。
「速かった!」
「全然捕まらなかった!」
ミィも思い出したように言う。
「木登りも上手だった」
セリナが続ける。
「勉強は苦手だったけど」
「すぐ寝てた」
フィアが笑う。
「そうそう!」
「よく怒られてた!」
ソラも吹き出した。
「泥まみれになって泣いてた!」
リリィが顔を上げる。
「それ知ってる」
小さな笑顔だった。
「お兄ちゃん転んだんだよね」
「そう!」
フィアが嬉しそうに頷く。
少しずつ。
少しずつ。
アレンは悲しいだけの存在ではなくなっていた。
大切な思い出になり始めていた。
村の入口にはガロンがいた。
見回りの途中らしい。
イリスの抱える上着を見る。
リリィの抱える木彫りの竜を見る。
そして静かに頷いた。
「見つけたか」
それだけだった。
何も聞かない。
何も言わない。
けれど全部分かっているようだった。
リリィは上着を抱き締めた。
ガロンは優しく頭を撫でる。
「帰ろう」
リリィは小さく頷いた。
そして夕方。
春祭りは夜へと続いていった。
広場には無数の灯りが並んでいる。
木々にはランタン。
焚き火の周りでは踊る者たち。
歌う者たち。
笑う者たち。
村全体が優しい光に包まれていた。
フィアは興奮していた。
「夜祭りだー!」
ソラも負けていない。
「夜祭りだー!」
ミィは眠そうだった。
「眠い」
セリナは呆れる。
「まだ始まったばかりよ」
その時。
広場中央から声が響いた。
「今年もやるぞー!」
子供たちが歓声を上げる。
フィアの耳がぴんと立った。
「星灯祭!」
春祭り最後の行事だった。
願いを書いた灯籠を川へ流す。
その灯りは星へ届き、願いを運ぶと言われている。
子供たちにとっては特別な行事だった。
ルナがやって来る。
「みんなおいで」
「灯籠を作るわよ」
広場の一角には机が並んでいた。
木で作られた小さな灯籠。
紙。
炭筆。
みんな思い思いの願いを書く。
フィアは真剣な顔をしている。
ソラも悩んでいた。
セリナは綺麗な字で何かを書いている。
ミィは一瞬で終わった。
「書けた」
「早いわね」
セリナが驚く。
「寝たい」
「願いじゃなくて日課でしょ」
そのやり取りにみんなが笑った。
イリスも灯籠を見る。
何を書くか。
少し考えた。
ドラゴンになりたい。
それも本当だった。
ガロンみたいに強くなりたい。
それも本当だった。
でも。
今日のことを思い出す。
リリィ。
アレン。
フィア。
ソラ。
ミィ。
セリナ。
ガロン。
ルナ。
みんなの顔が浮かぶ。
だからイリスは炭筆を握った。
五歳の子供の字だった。
少し歪んでいる。
少し間違っている。
でも一生懸命書いた。
みんながずっとわらっていられますように
ルナはそれを見た。
そして優しく微笑んだ。
「いい願いね」
イリスは頷く。
「今日みたいなの嫌だから」
ルナの表情が少しだけ曇る。
けれどすぐに優しく笑った。
「そうね」
「母さんもそう思う」
その時だった。
リリィがぽつりと呟いた。
「お兄ちゃんにも届くかな」
静かになる。
リリィは木彫りの竜を抱えていた。
「願い事」
「お兄ちゃんにも届くかな」
ルナはしゃがみ込む。
リリィと目線を合わせる。
そして優しく言った。
「届くわ」
「きっと」
リリィは少し安心した顔になった。
そして自分の願いを書き始める。
一文字ずつ。
ゆっくりと。
その姿を見ながら。
フィアがイリスへ近付いてきた。
「イリス」
「ん?」
「願い何にしたの?」
興味津々だった。
尻尾が揺れている。
イリスは灯籠を抱えた。
「内緒」
「ええー!?」
フィアが大声を出す。
「なんでー!」
「願い事は秘密」
フィアは頬を膨らませた。
「ずるい!」
ソラもやって来る。
「何書いたのー!」
「内緒」
「えー!」
フィアはしばらく考えた。
そして胸を張る。
「じゃあ私も教えない!」
ソラが即座に言う。
「さっき見えたよ」
フィアが固まる。
「えっ」
「見えた」
「えええっ!?」
セリナが吹き出した。
ミィも少し笑う。
リリィまで笑った。
その笑顔を見て。
イリスは少し嬉しくなった。
やがて。
灯籠流しの時間が来た。
村人たちは川辺へ集まる。
夜空には無数の星。
静かな川。
そして灯り。
一人ずつ。
灯籠を流していく。
フィア。
ソラ。
ミィ。
セリナ。
リリィ。
そして。
イリスの番。
小さな灯籠を両手で持つ。
川は静かに流れている。
イリスは目を閉じた。
そして心の中で願う。
みんなが笑っていますように。
ガロン父さんも。
ルナ母さんも。
フィアも。
セリナも。
ソラも。
ミィも。
リリィも。
そして。
アレンも。
そっと灯籠を川へ流した。
灯りはゆっくりと流れていく。
他の灯りと混ざりながら。
夜の川を進んでいく。
イリスは顔を上げた。
満天の星空。
少し離れた場所にはガロンとルナがいた。
二人も灯籠を流している。
夫婦で静かに。
何を願ったのかは分からない。
きっと教えてもくれないだろう。
でも。
二人とも優しい顔をしていた。
隣ではリリィが自分の灯籠を見送っていた。
「行っちゃった」
少し寂しそうに。
でも前を向いて。
木彫りの竜を抱きながら。
灯りは流れていく。
遠くへ。
遠くへ。
やがて星空と一つになるように消えていった。
春祭りは終わる。
長かった春も終わる。
イリスはまだ知らない。
この願いが。
これから先の人生そのものになることを。
みんながずっと笑っていられますように。
それは五歳の子供が書いた小さな願いだった。
けれど。
世界で一番大切な願いだった。
こうして。
イリスの五歳の春は終わる。
優しい家族と。
大切な友達と。
忘れられない思い出を胸に抱いて。
そして季節は巡る。
夏へと向かっていくのだった。
――第一章 春 完――




