第二回
問安婢の白き嘘
夜明け前の漢陽は、冷たい霧に包まれていた。
南人の高官たちが不審な死を遂げ、都には「剣契の仕業」とする銀の布告が貼り出された。王族の銀のボールペンで記されたその文字は、街路の壁で鈍く発光し、民草の心に「恐怖」という逃れられぬ事実を刻み込んでいた。
その喧騒から切り離されたように、ある名家の奥座敷でビアンは鏡の前に座っていた。萌黄色のチマに、桃色のチョゴリ。粗末な奴婢の服ではない。
問安婢――正月に外出を控える両班の婦人に代わり、親戚の屋敷へ挨拶を届ける代役。それが今の「仮面」だった。
「……似合わないな。私には墨の匂いの方がお似合いだ」
ビアンは鏡の自分に苦笑し、豊かな袖の奥に使い古した鉛筆を忍ばせた。
彼女をここへ送り込んだのは、父・チェ・ヒョウォン。都で最も高名な仵作――死体検分の専門家だ。彼だけが、高官たちの遺体に残された銀のインクの残留思念から、これが剣契の犯行ではなく、身内による歴史の上書きであることを察知していた。
「ビアン、いいか。問安婢はただ挨拶を届ける者ではない。その耳で『決定される前の言葉』を拾い、鉛筆で『下書き』として残すのだ」
雪の残る街へ踏み出したビアンは、最初の訪問先、吏曹判書の邸宅の廊下の隅で頭を垂れた。華やかな宴の陰で、彼女の耳は壁の向こうの密談を捉えていた。
「……ソ・ヨンギが嗅ぎ回っている」
「案ずるな。すでに『ソ・ヨンギは剣契と通じている』と銀のペンで書き換えた。明朝には、それが世界の真実になる」
背筋に氷水が流れた。銀のペンで記された嘘は、明日には誰にも否定できない法としてソ・ヨンギを捕らえるのだ。
袖の中で鉛筆を走らせる。シュッ、シュッ。
(下書き:明朝、ソ・ヨンギに従事官剥奪の命令が下る。……これを消さなきゃ)
だが、消しゴムはすでに使いすぎて小さい。一度擦れば彼を救えるかもしれない。その代わりに、自分は何を失うのか。
「……そこで何を書いている」
振り返ると、若き従事官ソ・ヨンギが立っていた。冷徹な不信の炎が瞳に宿っている。
「しがない賤民の娘でございます」
震える手で、父から託された白紙の通行手形を差し出す。文字はない。だがソ・ヨンギはそれを光にかざし、目を見開いた。
「……筆圧の跡か。『ビアンを逃がせ』?」
銀のペンの監視を逃れるため、父がインクを使わず鉛筆の筆圧だけで刻んだ、目に見えない伝言だった。
「行け。お前の父は今、義禁府に連行された」
「……えっ」
「囮となって、お前の下書きを守ったのだ。南人たちは銀のペンで父の罪を確定させようとしている。急げ、ビアン。消しゴムを使い果たす前に」
ビアンは走り出した。チマが泥を跳ね、豪華な衣装が千切れるのも構わず、雪の漢陽を駆け抜ける。
(消しゴムは使うな。記憶を捨てるな。お前が書く下書きこそが、いつかこの国の正史になる)
父の言葉が、冷たい街に火を灯す。
ビアンは立ち止まり、ボロボロの帳面を開いた。折れかけの鉛筆で、祈りを叩きつける。
(下書き:父様は死なない。この不条理を、すべて削り取ってみせる)
その文字は、まだ銀の輝きを持たない。だが真っ白な雪の上に落ちた一筋の黒い跡は、神が定めた運命よりも、ずっと深く、そこに刻まれていた。




