第十一回
第十一回:偽りの死、真実の逃走路
「……これまでと同じように、私に接してはくれぬか」
人払いをさせた政殿で、粛宗は玉座から降り、ビアンの目の前に立った。彼の振るう「王の銀筆」は、国の運命を決定する絶対的な力を持つ。だが、その瞳に宿っているのは、記録に縛られない一人の男としての孤独だった。
監察府の衣服に身を包んだビアンは、激しく戸惑った。
「王様、私は……ただの奴婢あがりの女官に過ぎません。銀の記録が、私とあなたの間に明確な境界線を引いております」
「その境界線を鉛筆で書き換えたのは、お前ではないか」
粛宗の微かな微笑みは、ビアンの心に「下書き」のような形のない動揺を残した。しかし、感傷に浸る時間はなかった。
ビアンが解いた暗号から、慕華館の床下に隠されていた大量の銃が発見された。それは清国から密輸された、王宮の安寧を脅かす「物理的な暴力」だった。
ソ・ヨンギは即座に兵を動かし、首謀者キム・ユンダルの確保に向かう。だが、たどり着いた彼を待っていたのは、無残に息絶えた一躯の死体だった。
「自害……。銀の法を逃れるために、自ら筆を折ったというのか」
報告を受けた粛宗のもとに、清国大使が怒鳴り込んできた。自国の民が死んだことへの抗議。もしこれが事実なら、清国との外交問題は避けられず、戦争の火種にさえなりかねない。
「その死体は、キム・ユンダルではありません」
清国大使の前に進み出たビアンの声が、凍りついた空気を震わせた。彼女は検死の際、死体の首筋に残るべき「編馨の石による共鳴痕」がないことを見抜いていた。
「私の鉛筆には、偽装された記録を見破る力があります。三日……三日だけ猶予をください。必ず、生きている本人を見つけ出してみせます」
大使はビアンの瞳に宿る、銀の重圧をも跳ね返す執念に圧され、その条件を飲んだ。
一方、チャン尚宮は動揺を隠せなかった。粛宗がビアン(トンイ)一人を救うために、国境の兵を動かそうとしていることを知ったからだ。
(王様の『記録』の中に、私以上の存在が書き込まれようとしている……)
その焦燥が、彼女を兄ヒジェの暗躍へと加担させていく。
都の裏通り。キム・ユンダルの死を偽装し、彼を清国へ逃がそうと画策するチャン・ヒジェは、一人の男に銀を積んでいた。
「江華島まで、この男を案内しろ。追手はソ・ヨンギの精鋭だ。お前のような腕利きでなければ務まらん」
笠を深く被ったその男――チャ・ジョンチョルは、無言で銀を受け取った。ヒジェは気づいていない。目の前の男が、かつて自分が「下書きの国」から追放した宿敵であることを。
「……承知した。地獄の果てまで案内してやろう」
ジョンチョルの低い声が、夜の風に溶ける。
その頃、ビアンは鉛筆で地図をなぞり、ユンダルが逃げるであろう最短の「綻び」を特定していた。
「待っていて、おじさん。今度は私が、あなたの引いた線を追いかける番よ」
ビアンはソ・ヨンギと共に、白馬を駆って江華島への追跡を開始した。三日の猶予。それは、ビアンが真の監察官として「清書」されるための、最後の戦いだった。




