SS おちこぼれ魔女はエリート外交官を甘やかしたい(2)
◇ ◇ ◇
翌日、カトリーンは宮殿の一角をウロウロしていた。
フリージの執務室の近くまで来たのだが、女官が見当たらないのだ。
廊下を歩いている騎士に頼むのは筋違いだろうし、直接ノックして仕事を中断させるのも気が引ける。
「どうしようかしら。帰りまで渡せないかな」
せっかく作ってきたので午前中に渡しておやつに食べてもらいたかったが、難しそうだ。
しょんぼりとして調薬室に戻ろうとすると、「カトリーン様ではありませんか?」と背後から声をかけられた。
「あ、こんにちは」
振り返ると、そこにはフリージの筆頭補佐官であるパオロがいた。手には大量の書類を抱えている。
(そうだわ。パオロさんに預ければ確実に渡せるわよね)
「どうかされましたか?」
「あの、フリージさんにこのクッキーを差し入れしようかと思って──」
カトリーンはおずおずとクッキーの袋をパオロに差し出す。
事情を話すと、ふむと頷いた。
「それはちょうどよかった。私はすぐに行かなければならない用事があるので、ついでにこれも届けてきてください。場所はそこです。十五分ほどで戻るとフリージ様にはお伝えください。ちなみにフリージ様は休憩時間中です」
「え?」
預けるつもりが、逆に預けられてしまった。
戸惑うカトリーンの背中を、パオロはさっさと行けと言わんばかりに押す。
トントントンとドアをノックすると、「どうぞ」と声がしたのでカトリーンは恐る恐るそのドアを開いた。実は、フリージの執務室に入るのは初めてだ。
調薬室全体がすっぽりと入りそうなほど広く立派な部屋には、入った正面に大きな執務机、壁際には本棚とサイドボードが並んでいる。本棚と反対側を見ると、接客兼休憩用のソファーとテーブルが置かれ、その上にはみずみずしい花が生けられていた。
そして、フリージの向かっている執務机には大量の書類が積み重なっている。
フリージは下を向いたまま、何かの書類に目を通していた。
これは、どう見ても休憩中には見えない。
「遅いよ。この書類に書いてある数字なんだけどさ、──」
開口一番に叱られてしまった。
「ごめんなさい。パオロさんは行かなくてはならない場所があって、十五分後に戻るそうです」
カトリーンが書類を持ったまま謝罪すると、フリージががばっと顔を上げる。
「え? カトリーン? なんで??」
フリージは明らかに驚いていた。
いるはずのないカトリーンがいるのだから、当然と言えば当然だろう。
「外でたまたま会ったの。クッキーを届けようと思ってここに来たら──」
カトリーンは簡単に事情を話すと、パオロから預けられた書類をフリージに渡す。
それに、カトリーンが作ってきたクッキーの袋も。
「お仕事の邪魔になるだろうから、私は戻るわね」
ただでさえ忙しいだろうに迷惑をかけては申し訳ないと、カトリーンはぺこりとお辞儀をすると部屋を出ようとする。
するとフリージは慌てたように立ち上がった。
「カトリーン、待って」
呼び止められたカトリーンは足を止める。
「休憩中だ。せっかく作ってきてくれたんだから、一緒に食べよう」
「でも──」
「ひとりで食べても味気ないだろ?」
フリージはソファーへと移動すると、ポンポンと自分の隣の座面を叩く。
そう言われると断りづらい。
(十五分でパオロさんが戻ってくるって言っていたから、それまでなら大丈夫かしら?)
カトリーンは促されるままにフリージの隣に座った。フリージは早速カトリーンが持ってきた紙袋を開けると、中を覗く。
「生地に何か混ざってる? これは、紅茶のクッキーかな?」
「ううん。疲労回復のお薬を混ぜたクッキー。初めてフリージさんに会ったときに渡したのと同じやつよ。今回はちゃんとした味のはずよ」
前回の失敗がよみがえり、カトリーンは気まずげにそう告げる。
「疲労回復のお薬?」
「うん。最近、フリージさん疲れていそうに見えたから……」
「俺のこと心配して作ってくれたの?」
カトリーンがこくりと頷くと、フリージは「ありがとう」と言って嬉しそうに破顔した。
そして、おもむろにクッキーを一口囓る。
「甘くて美味しい。これ、本当はこういう味だったんだね」
「あはは……」
カトリーンは乾いた笑いを漏らす。
今思い返しても、あれは本当に酷かった。
次に会ったときに『個性的な味』と表現してくれたフリージは、とても人の気持ちに配慮できる人だと思う。
「うん、元気になった気がするな」
「そんなに早く効かないわ」
「カトリーンが俺を心配して特製クッキーを作ってくれて、こうしてわざわざ届けてくれたっていう事実だけで元気になるんだよ」
にこりと微笑まれてそういうフリージの様子は、本気でそう言っているように見えた。
(作ってきて、よかった)
カトリーンははにかんだ笑みを見せる。
すると、フリージはほんわかと笑ってカトリーンを抱き寄せる。
「あー。カトリーンの笑顔、癒やされる……」
子供のように肩口にぐりぐりとおでこを押し当てるフリージに、カトリーンは戸惑った。
「フリージさん? あのっ……」
誰も見ていないとは言え、あんまり執務室でいちゃいちゃするのもどうかと思う。
慌てて体を離そうとすると、逆にもっと力強く抱き寄せられた。
「少しだけだから、こうさせて」
そのままフリージは動かなくなる。
カトリーンはドキドキする気持ちを必死に押さえながら、体を硬直させてじっとした。
ところがだ。
一分経ち、二分経っても、フリージはその体勢のままいつまでも動かない
「フリージさん?」
さすがにおかしいと思い、カトリーンはおずおずと声をかける。
少しだけ体を反らせてよく見ると、フリージはすやすやと眠っていた。
え? これって──。
「……抱き枕?」
カトリーンは身じろぎ、こちらに腕を回してカトリーンを抱きしめたまま動かないフリージを見つめる。
(本当に疲れているのね)
おでこにかかる髪の毛を指先で避けると、男性にしては長い睫毛が目に入った。
安心しきっているのか、規則正しい寝息を立ている。
普段見ることのないフリージの寝顔は、いつもとは違ってあどけない少年のようだ。
「ふふっ」
いつもはフリージを見るとドキドキと胸がときめく。
けれど、今はなんだか可愛く見えてしまい、胸の奥にむず痒さを感じた。
「いつもお疲れ様」
小さな声でねぎらうが、フリージは眠ったままだ。
服越しに、彼の温もりと胸の鼓動の音が伝わってきた。
──幸せだなぁ。
カトリーンは自分も目を閉じると、フリージに体を預ける。
たまにはこうやって、彼のことを甘やかしてあげたい。
そんな二人の束の間の幸せタイムは、十五分きっかりで終了した。
時間厳守で部屋に現れたパオロにソファーでくっ付いてうたた寝しているところを見られたカトリーンが、羞恥のあまりに悲鳴を上げたのだ。
「パオロ。どうせ気を利かせるなら、中の様子をそっと窺って十分間延長するところまで気を利かせてほしかったな」
真っ赤になったカトリーンが走り去った後にフリージが漏らした恨み節は、部屋の中に溶けて消えたのだった。
〈了〉
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