第3章(中編) 影の兆し ― 深まる疑念と凪の違和感 ―
アストリアの会議室を出ると、
廊下は妙に静かだった。
──静かすぎる。
僕は無意識にメガネを押し上げていた。
こういう“静けさ”は仕事柄いやというほど体に染みついている。
柊先輩は環さんが不安にならないよう、
少し前を歩きながら周囲をさりげなく確認していた。
美乃さんは、
あくまで堂々とした足取りだけど──
その背中には、ほんの少し張りつめた気配があった。
◇◇◇
■ 会議室の外に漂う違和感
エレベーターホールへ向かう途中、
通りすがりの男性社員たちの視線が
一瞬だけ美乃さんに刺さる。
すぐに逸らす。
まるで“監視”するように。
僕は気づいた。
柊先輩も気づいていた。
環さんだけは、
その場の空気の重さに胸を押されるように、
少し息を浅くしていた。
「……凪くん……なんか、空気が重いですね……」
環さんが小声で言う。
「うん。僕もそう思います」
僕はあくまでいつもの軽い口調で答えた。
でもその裏で、頭の中ではすでに
“調べるべき項目”が並び始めていた。
◇◇◇
■ 長岡大樹との短い会話
エレベーター前で、
美乃さんの上司・長岡大樹が声をかけてきた。
「美乃くん、今日の打合せはどうだった?」
柔らかい笑顔。
周囲の空気とはまるで別物の人。
美乃さんも自然な笑顔で返す。
「はい。アークシステムズさんは頼りになります。
長岡部長のおかげで、いい進め方ができそうです」
「そうか。ならよかった」
そのやり取りはごく普通だった。
でも僕は見ていた。
廊下の奥で、
3人の反対派社員が
こちらをジッと見ていたことを。
あの目は──
誰かを“排除したい”人間の目だ。
僕の胸の中で、
なにか冷たいものが音もなく沈んでいく。
◇◇◇
■ エレベーター内
扉が閉まる直前。
反対派のひとり、徳山和則が
美乃さんにだけ聞こえるような声で言った。
「──おつかれさま、課長。
あなたには “頑張って” もらわないと困るのでね」
美乃さんは顔色を変えず、
ただ軽く会釈した。
エレベーターの扉が閉まる。
環さんは体がきゅっと強張る。
柊先輩の手が、
そっと環さんの右肩に触れた。
「大丈夫だよ、環。俺たちがいる」
低い声。
環さんの肩の緊張が少しだけ緩む。
そして──僕は確信した。
美乃さんは、内部でターゲットにされている。
◇◇◇
■ 僕(凪)の胸に沈んでいた違和感
エレベーターを降りたあと、
僕はぽつりと呟いた。
「……先輩、この案件……普通じゃないですね」
柊先輩はうん、と短く頷く。
「凪、おまえも気づいたか」
「はい。ログの空白よりも、
あの視線のほうが異常です」
環さんが驚いたように僕を見る。
「え?視線……?」
ああ……環さんは見てなかったんだ。
優しい人だから、悪意の視線にはすぐ気づかない。
だからこそ──
僕は守りたかった。
◇◇◇
■ “凪の領域”が静かに起動する
僕はスマホを取り出し、
アストリアで許可された範囲のネットワーク情報を確認し始めた。
「凪……もう動いてるのか?」
柊先輩が苦笑する。
「もちろんですよ〜先輩。
こういうとき、のんびりなんてしてたらダメですから」
僕は軽口を叩いた。
でも──
本当はもう、僕の中でスイッチが入っていた。
僕はこの瞬間、
完全に “凪の領域” に足を踏み入れた。
「美乃さんが疑われるのは……絶対おかしい。
このままじゃ彼女が巻き込まれる」
環さんが不安そうに僕を見る。
「……凪くん……助けられますか?」
僕はにかっと笑った。
「任せてくださいよ、環さん。
柊先輩と僕が揃ってるんです。
誰も傷つかせませんよ」
環さんの肩から、少しだけ力が抜けた。
◇◇◇
■ そして――影はさらに深くなる
その夜。
アストリア内部のサーバーログに
“妙な痕跡” がもうひとつ見つかった。
それは──
美乃のIDで行われた不正アクセス記録。
環が震える。
柊の表情が固まる。
僕は静かに眼鏡を押し上げた。
「……やっぱり来ましたね。
“罠”、ですね」
影はすでに、美乃のすぐ足元まで迫っていた。
そして──
僕たち3人はその影の中心に足を踏み入れようとしていた。




