第九話:拝謁の儀・侵
気づけば僕は真っ白な空間にいた。
前後左右の方向感覚に加えて足場や天井すら不確かにさせる、この独特な空間には見覚えがある。
前の世界で命を落とし、こうして楓眞の元に転生する前にも僕はこの空間に立っていた。そして――。
<<――ここは位階の狭間。あなたはこれより、とある『虚津神』への『拝謁』に臨みます>>
……いや、一つだけその時と異なる点があった。
頭に直接響くような、この感情の見えない無機質な声だ。それが僕の思考を妨げた。
「……前の『拝謁の儀』では、君のような存在はいなかったはずだけど」
<<『神徒』に対する解答のため、『ワールド・データベース』にアクセスします。……記録がありました。前回の『拝謁の儀』に際しまして、あなたは完全な『死者』として虚津神と直接対面しています。死者はヒトにおいて虚津神と最も近い存在、それゆえにあなたは虚津神と直接『拝謁』ができました。しかし、本来虚津神との存在の近さ――『位階干渉域』の低い者は虚津神の存在認知のみで発狂、自我の崩壊を引き起こしてしまいます。そこで、我々『翻訳者』が神徒と虚津神の意思疎通をサポートします>>
まるで人工知能のように、スラスラと波のない説明を述べる。
恐らく近しいナニカだろう。『翻訳者』と名乗ったコレにはあまりに個人の意思というものが感じられない。
この具合だと、確かに発狂やら自我の崩壊やらは無縁そうだな、と思った。
そこで、ふと疑問を感じて、己の今の姿を視線を下げて見回してみる。
指先と形、肌の色、服装や予測できる体躯まで、全てが門浦楓眞のものと一致している。きっと顔や髪など見えていない部分も同じだろう。
試しに発声をしてみても、声変わりしていない彼の高い声が反響する。
もはや外側からは僕を楓眞と判別する要素しか存在しない。
……だが、それはおかしい。
「なぜこの場所で、僕が楓眞の姿を……?それに、あの後は……」
そんな独り言のような疑問に対して、この無の空間に相応しい沈黙が満ちる。
どうやらこれらの質問には応えられない、あるいはこれから『拝謁』する神に聞けということらしい。
そしてちょうどタイミングを合わせたかのように、神の来訪を告げる『翻訳者』の声が頭に鳴り響いた。
頭の中で声が反響するこの感覚……テレパシーが創作から現実にそのまま現れたならば、きっとこのような感じだろう。
<<<――『岩戸坐す御門神』があなたに干渉を始めました。意識を保ってください。『岩戸坐す御門神』が開いた巨大な門の先、無数にある瞳があなたを見下ろしています>>
重厚な石造りの扉を開いた音がする。
それからどこかに吸い込まれるほどの強風が襲い、天から数え切れないほどの視線を感じる。
まるで開けてはいけないナニカの蓋を開けてしまったような、そんな不吉で不安定な感覚だ。
しかし、それら全ての不快感を腹の中にしまい込む。
敬愛すべき神に対して、不敬を働くわけにはいかない。
「やぁ、僕の神よ。久しぶりだね、また会えて嬉しいよ」
<<『岩戸坐す御門神』はあなたとの再会を喜んでいます>>
真っ白な空間は変わらない。
しかしその中に所々、破損した液晶画面のように残像が横切る。
恐らく、この肉体データで虚津神を目視すると支障をきたすと判断されたのだろう。以前ははっきりと見えた神体をこの目に捉えられない。
<<『岩戸坐す御門神』があなたに新たな生はどうか、と問いかけています>>
「そう、だね……」
本来あり得ざる二度目の命。
このどうしようもないほど人としての欠陥を抱えた僕に二度目の世界は何を求めているのか、と頭を悩ませた時期もあった。
現世に存在するための肉体が無いことの不便を思ったこともある。
それらを踏まえて今は――。
「――これ以上ないほど満足だよ。前の生ではついぞ叶わなかった悲願は成就した。何にも代え難い大切な、自分だけの宝物を見つけられたんだ。十分過ぎる……それもこれもすべて、この子のおかげだよ」
楓眞のくれる記憶と言葉の一つひとつが、僕にとってはどれほど高価な宝石よりも価値がある。
楓眞のおかげで、初めてみんなと同じ世界に生きることができた。この子には感謝しても仕切れない。
「だから教えてくれ、神よ。僕はなぜ門浦楓眞の肉体データで君に『拝謁』している?……今、楓眞と僕はどうなっている?」
この位階の狭間に訪れることができるのはヒトの魂のみ。
その魂が『拝謁』に臨むため、擬似的な姿を取るのだ。その姿は現世での肉体に引っ張られる。つまり魂の在処に左右される。
確かに僕は、今この場において僕の魂が形取る姿を肉体として持つ少年――門浦楓眞に取り憑いてはいたけど、魂の本質的な部分は違うはず。
実際に、前に神と『拝謁』を為した時には前世の僕の姿を肉体データとして扱っていた。
考えられる可能性としては、僕が楓眞に成り代わってしまったか、僕の魂が完全に楓眞の肉体に染め上げられたか……。
<<『岩戸坐す御門神』はあなたの問いに対して自分からは答えを窮する、と述べています>>
「……ふむ、神である君の理解が及ばないことが起きている、と……ならば、真っ先に疑わしいのは他の虚津神と呼ばれる存在からの干渉の線が濃厚かな?」
<<『岩戸坐す御門神』はそのことに是、と応えました>>
「なるほどね……つまり、楓眞を見初めたのは君じゃなかったわけだ」
楓眞の心が折れてしまったあの時、暗闇から楓眞の手を引く存在を見た。
あれは見間違いでもなんでもなく、楓眞はずっと何某かの虚津神に目をつけられていたのだ。
楓眞の本来の魂が虚津神に連れ去られたことで、代わりに肉体に収まったのが、ずっと内側に燻っていた僕の魂だったということだと予想する。
そしてこの予想はまぁ、外れている可能性は低いだろう。
想定される中でも非常にまずい事態である。
たとえ虚津神に干渉を受けようが、魂の所在は変わらないし、主導権が別の魂に譲られるなんてあり得ない。……前例がないだけであるが。
なんにしても、今僕が行なっているような単なる『拝謁』とは訳が違う。
<<『岩戸坐す御門神』はあなたに現世に干渉する神とその御先を警戒せよ、と告げています>>
「クソッ……あぁ、わかってる」
つい、保っていた平静を崩して悪態をついてしまう。
あの子が一体何をしたというのか。
大望も抱かずただ平穏に、大切な人との日常を慎ましく過ごしていただけなのに。
祝われるべき日に第二の故郷となった村を焼かれ、異形の怪物に傷を負わされて、目の前で母を焼かれ……最後には肉体すらも奪われる。
「……幼気な少年の弱味に漬け込んで攫って行くようなショタコンの虚津神には、僕の弟をキチンと返して貰おう。もちろんお礼参りも兼ねて、ね」
そんな理不尽に対する消しきれぬ怒りを込めて、僕はそう口にした。
しかし、口で言うほど簡単な道のりではないだろう。
僕の神様の警告するような口ぶりから、楓眞を見初めた虚津神は相当力のある存在だと推測できる。
そして僕は楓眞を攫った虚津神による干渉の気配は覚えている。
一寸先すら見通せないほどの悍ましい邪悪に塗りつぶされた暗闇、そこから伸びる悪意の魔の手。
「そのためにも……まずは、あの炎を操る魔族を追ってみようか。色々知っているような様子だったし、目的の虚津神の神徒でないにしても、何かしら手がかりが得られるだろうからね」
<<『岩戸坐す御門神』はあなたの意見に賛同の意を示し、力が欲しい時はいつでも喚ぶように、と告げています>>
「ありがとう。君の存在は僕にとって何よりも心強いよ」
村を襲った、苛烈な炎を操るあの魔族も何某かの虚津神から力を授かった『神徒』だった。
彼とその虚津神から感じ取った神通力を思い出して照合した限り、件の虚津神と直接の関係は無いと結論づける。
しかし見通しの立たない現時点では、確かな手がかりの一つではある。
これから彼だけでなく他にも様々な神徒が訪れ、その虚津神が干渉しようとしてくるかもしれない。
きっと虚津神にも様々なタイプがいるだろう。中には『神徒』を介して悪辣なマネをするものや『神徒』そのものを弄ぶものも……。
今、僕にできるのはあの子を攫った虚津神に繋がる神徒を見つけ出して手掛かりを掴むこと、戻ってきた時に不自由しないように問題が発生すればあの子に代わって対処すること。
そして楓眞の魂を虚津神から奪還し、この身体を返してあの子の日常と成長を再び見届ける。
問題は楓眞の魂が虚津神からの干渉に耐えられるか、だが……そこはもうあの子の精神力を信じるしかない。
きっと、楓眞も僕を信じてくれている。
だから僕もあの子を信じて、今度こそ己の魂の一滴まで搾り出してあの子を守るために戦う。
――僕たちは決して一人で戦わない。
たとえ今はそばに居なくとも、君が戦い続ける限り、僕も君と同じ終点に向かって戦い続けるよ。
<<『岩戸坐す御門神』はあなたの様子をじっと見つめた後、無数にある瞳と門を閉ざしました。――虚津神が位階の狭間から退去したため、『拝謁の儀』を終了します>>
再びゴゴゴッ、と閉門による重厚な音が響き渡る。
肌を突き刺すように感じられた無数の視線からも解放される。
それと同時に足をつけていた地面が突然消えてなくなるような浮遊感に襲われる。
「(――目を覚ましたら、まずは玲沙の容態を確認しないと。それからあの魔族のことについて聞いて……そして……)」
<<あなたの位階干渉域が『侵』に上昇しました。次回の『拝謁』は未定です。お疲れ様でした>>
頭に響く『翻訳者』の言葉も遥か遠く、木霊するように薄れていく。
世界と僕の意識が、ぐるぐると螺旋を描くように溶け合う。
「(楓眞……どうか、無事で……)」
こうして、僕は門浦楓眞としての一度目の『死』と『拝謁の儀』を終えた。




