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第八話:名塚の大火・参

「貴様の『死』をもって……この世の全てを始まりに戻そう」


 見ることすらも憚られるような悍ましい呪いと、グツグツ煮えたぎった焔。

 確信する、今こちらに悠然と歩み寄るモノこそ、この村を地獄へと変えた元凶だと。


 季節外れな、それでいて炎に覆われ熱のこもった一帯には不釣り合いな彼の漆黒のロングコートが、巻き起こる爆炎の風に静かに揺らめく。

 その男が一歩近づくたびに空間が軋むような圧迫感を感じる。まさしく有象無象の魔縁の存在とは一線を画す存在感だ。

 そして楓眞の視界にギリギリ全身が映る距離で立ち止まり、鋭い紫紺の眼光でこちらを射抜く。


「……それで、はいわかりましたってボクが何処の馬の骨ともしれないキミに命を差し出すと思う?」

「ふん……貴様の意思如きが、俺の天秤を揺らすことなどできないことは理解しているだろう?……それに、これは貴様にとっても避けては通れぬ話」


 彼我の力の差は互いに理解している。理解してしまった。

 一般の人間が目で見た情報だけではただのヒトにしか見えないだろう。

 しかし僅か十二歳にして魔族との命のやり取りを経験し、力を求めてきた楓眞には目の前の存在が、まるで果てしない暴力という概念がヒトを模ったように見えているはずだ。……僕と同じように。


 目の前の存在が楓眞を殺すと言えば、何か外的要因が働かない限り死の道しか残されない。

 立ち姿だけでそう思わされるほど、発せられる魔力と、そして()()()()()()()には力を感じる。


 それでも楓眞は酷い焦燥と怖気を厚い仮面の奥底にひた隠した。この絶望的な状況で、その身に背負った命を守るために。


「――我々神徒にとって、『死』とは一種の儀式。神徒は『死』の瞬間においてこそ、虚津神との『位階』が近づき、干渉を受けやすくなる。虚津神に見初められ、『拝謁』を果たし、神へと通ずる力を授かる、これでようやく真に神徒としての力が発揮されるのだ。一度の『拝謁』にすら臨んでいない貴様は、未だ神徒として未完成……ゆえにこの俺自ら、貴様に『死』と『拝謁』の儀式を贈ろう」


 そんな想いを踏み躙るように、彼は楓眞を通り過ぎた先の一角に向かって目線を走らせる。目に捉えるのは、恐ろしき魔獣を討伐せしめた楓眞を讃える子供たちの姿。

 暗がりと炎の中、紫紺の光を放つ瞳はどんな言葉よりも雄弁にこれからの行動を語っていた。


「……しかし、『死』に臨する魂魄が虚津神との『拝謁の儀』を完遂するには、天命を否定するほどの激情と生への渇望が必要となる」

「ッ、やめ……ッ!!」

「――憎しみは、その最たる例だ」


 徐に掲げられた手先には、秘められていた力の奔流が渦巻く。

 この『忌火』の神徒は今まさに、神の力の一端を顕現させようとしている。虫を殺す程度の、ほんの些細な殺意をもって。


 その僅かな殺意の変化を察知した楓眞は対角線上に躍り出るように足に力を入れる。当然その行為に計画性はなどはなく、この無謀な突撃によって神通力による裁きは楓眞の身に降りかかるはずだった。





「――言っタ、ダロう?まだ、足りナイ……と」

「……ッ?!ガ……ッ、ァァ゛!!」


 ズシリと大岩がのし掛かってきたような重圧が加わり、楓眞はその場で押さえつけられる。

 もはや聞き馴染みさえある、とある魔獣の言葉と共に。


「お、まえ……ッ、な、ぜ……!!」

『ゲヒャ、ゲヒャヒャ!!確かに驚いたゼェ?!まさか首一つ持ってかれるとはナァ!!』「ダが……ワレらの、いのチまで……ハ、届かなイ」


魔辿炉()』を打ち砕き、討伐したはずの三首の魔犬が巨大な四足の一つで楓眞を抑えつけていた。首の数を二つに減らして。


 なぜ、残りの首が消えない。

 なぜ、魔素の崩壊が途中で止まっている。


 見れば、破壊した『魔辿炉』の部位周辺が魔素で補填されている。老犬の首があった穴が塞がっている。

 残った二対の黄金の瞳に未だ翳りは無く、怖気の走る異形の言葉は絶望的な現実を直視させる。


 なぜ、という疑問に対する答えはすぐに出た。


 思考も感覚も、魔術すらも三つに分かれている時点でその可能性も過ぎってはいた。

 だが希望的観測を込めてしまった。格上のこの魔族を討伐する微かな可能性を手繰り寄せるため。


『(ッッ……敢えて考えないようにしていた、最悪の予想……!まさか『魔辿炉』まで三つに分かれているとは……ッ!!)』


 その思考が死神となって今、僕たちの首に添えられている。

 少し力が加えられれば、簡単に踏み潰されてしまう。

 ゆえに神通力を全身に回しているが、楓眞の表情は苦悶に歪む。しかし、その思考を占めるのは、痛みでも絶望でもなく、どこまでも守護の意志。

 

 ――なんのために鍛えたのか、大切なものを守れるようになるためだ。


「(任されたんだ、守るんだ……みんなをッ!!)ど、けぇぇ……ッ!!」

『ゲヒャヒャ!!そこで地を這って見てろ!!』「全テが、灰燼と化ス……そノ瞬間ヲ……!」


 現実は、耳障りな嗤い声と全てを塵へと帰す獄炎が塗り潰す。

 無力と徒労が楓眞の背に重く、魔犬の四足よりも重くのし掛かる。


「く……ッそ……みん、な……ぁ……」


 そして遂には紅玉の瞳から一筋の雫がこぼれ落ちた。










「――テメェら、私の息子にィィ……!!何、してやがるッッッ!!」

「ぐ、ォォッ?!」『ギャ……ッ!!』


 咆哮と共にドンッという衝撃音が鳴り響く。

 同時に、背にあった漆黒の塊が宙に舞い、重石が取り払われる。


「チッ……また、貴様か」

「可愛い息子が泣いてんのをよぉ……!!おめおめ見過ごす母親が、どこにいる?!」


 その声にもまた聞き馴染みがあった。

 強く、温かい母の声。誰よりも安心を与えてくれるそんな福音。

 蹲っていた楓眞も、声が示す先に視線を上げる。


 しかし、その先には更なる絶望が顔を覗かせていた。


「――!!お母さ……ッ?!」

『玲沙……ッ、その傷……まさか今まで……!!』


 美しく凛々しかった彼女の姿は満身創痍。皮膚は焼け爛れ、息も荒い。

 一体どこに立ち上がり、怒りを燃やす意志が湧くのか不思議にさえ思う惨状。


 だがその鬼気迫る怒りの焔は、灼熱の支配者にとっても無視できないものだった。後ろの子供たちから注意を逸らすことができるほどに。


「テメェの相手はあたしだろォが!!まだ、倒れてねぇぞ!!」

「……暑苦しい女だ」


 玲沙が気炎を上げ、肉薄する。

 その動きに普段の精細さはないが、限界を超えて舞う気迫が彼女を数倍にも大きく見せていた。


 一方、忌火の魔族は玲沙の身を削った猛攻にも眉一つ動かさない。

 淡々と弱者の足掻きを焼き払い、捨てていく。


 ……これは終わりの見えた戦いだ。





「――だが、今はむしろ都合が良い」


 ゆえにこうなるのも時間の問題だった。

 乱れた呼吸の合間を縫うように、焔の燻る掌が玲沙の細い首を掴み上げた。


「ぐッ……ァ゛ァ゛……ッ!!」

「肉親ならば、『御門』の神徒にとっても有象無象のガキ共より、よほど激しく燃える薪となるだろう」


 ダメだ。それだけはダメだ。

 門浦楓眞にとっては世界にたった一人、血の繋がった存在。

 それが奪われるのはきっと、身を引き裂かれるよりも……。


「お、母さん……ぅぁ……ぃ、やだ……嫌だ……ッ!」

「ぁ……嗚呼……ふう、ま……」


 苦痛にゆがむ玲沙の顔がこちらに向く。

 ばちっと目が合い凝縮された時間の中で親子の存在だけがやけに鮮明に映る。


「かっこいい、男に……育ったな……ぁ……ただ、もう……少しだけせい、ちょうを……見届けて、やりたかった……」


 灰の匂いがする。

 火種の弾ける音がやけに耳に残る。

 その匂いと音は視線の先から聞こえた。


 命の灯火が、弾けて消える――。





「……楓眞、愛してるぜ」


 ――迦具燃ゆる(かぐもゆる)忌火神(いみびのかみ) 【忌炎鬼哭(きえんきこく)】――





 忌火の力によって生み出された紫炎が、玲沙の全身を包み込む。

 消え入る間際に浮かべた笑顔が脳裏に焼き付く。


「――ぅ、うあああああああァァァァッ!!!!」

『まずい……ッ……楓眞、正気を保てッ!!』


 瞬間、楓眞の負の感情が内在する僕の下へも一気に押し寄せる。

 世界の色を失った子供は、きっと元の美しい世界との落差で心が折れてしまうだろう。この子もそれは変わらない。


「(嫌だ……嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だッ!!嫌だァ!!)」


 フラッシュバックするように、門浦家のこれまでが駆け巡る。


 ゲームに夢中になり、最後には肩をぶつけ合って意地になる二人。

 花見で酔っ払って歌い出す玲沙と、それにため息を吐く楓眞。

 小さな頃には楓眞を肩車して、年に一度の大きな花火に二人共心奪われていた。

 食卓を囲み、一日の出来事やこれからの予定など何気ない会話で二人の笑顔が満ちていく。


 その記憶の断片が浮かんで、消える。

 その度に楓眞の心は軋みを上げて、遂にはずっと張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた音がした。

 楓眞の精神の大事な支柱の部分がポッキリ折れて、その魂が泥沼へと引き摺り込まれていく。


「ぁ……ああ……ッ、ぁ……」

『ッ!!そっちはダメだ!!』


 暗がりの中へ沈んでいく淡い光に対して腕を伸ばす。

 しかしその手が何かを掴むことはなく、代わりに嗚咽混じりの幼い慟哭が木霊する。





「(――()()()()()……ボクの、お母さんを……助けて……ッ)」

『……ッ!!』


 楓眞の魂を支えていた精神が崩壊し、闇に沈んでいく。

 代わりに、門浦楓眞の肉体の表層に僕が無理やり浮かび上がらされる。

 肉体の防衛本能だろうか……?


『(……いや、今はそんなことどうでもいい)』


 僕は今まで、たくさんのモノを貰ってきた。

 羨望、愛、そして満たされるということ。

 この子が、僕を『人』にしてくれたんだ。そして『兄』という言葉に意味をくれた。


 ならば、僕はこの子の『兄』として、闇夜に閉ざされた道があるならばその身を焚べて照らしてやらなければならない。

 不出来な『兄』が『弟』にできることなんてそれぐらいしかないから。


「――お兄ちゃんに任せろ。次に目覚めた時には、母と共に君が不自由なく笑える世界を」


 だから今は少しおやすみ、楓眞。

 君を傷つける輩は僕が代わりにやっつけてやる。





 望まぬ肉体を手に入れた僕は、未だ玲沙を掴み掲げる魔族の懐に潜り込み、かつてなく湧き上がるこのドス黒い感情を拳に込める。


 神通力の行使に注意を向けていた奴は、先まで泣き叫び、倒れ伏していた小さな戦士の影に目を見開く。


「ッ?!貴様、どこにそんな余力を……ッ」

「なぁ……おい、こんな気持ち初めてだよ」


 魔に適応した果てに人類が手に入れた力、魔力。

 神に見初められた存在が神に通ずるための力、神通力。


 ヒトの身に余り、相反する二つの力を一身に御する。

 魔力で肉体性能を強化し、神通力で肉体強度を引き上げる。

 推進と爆発、二つの超常の力はこの小さな体躯において人智を超えた破壊を生み出す。





「よくも、僕の『弟』を泣かせたな!!その薄汚い手を離せッ!!」


 ――岩戸坐す(いわとざす)御門神(みかどかみ) 【神魔戴天(じんまたいてん)】――


「【神装・斂撃】ィッ!!」

「ぐ……ッ、ォォ……!!」


 確かな手ごたえとともに、この細腕によって大の男が近くの家屋にまで殴り飛ばされる。

 忌火の力が玲沙が離れることで、身を包んでいた炎も消え失せた。


 その拍子に宙へと投げ出された玲沙の身体を受け止めるが、思わず目を背けたくなるほど酷い有様だ。

 あらゆる箇所が焼け爛れ、あるいは黒く炭化し、腕や足など体の一部は焼け落ちている。


「玲沙……ッ!!」

「〜〜ッ、ッ゛……ゅぅ……ひ、ゅ……ぅ……」

「ッッ……息は、ある……けど……ッ」


 普通ならばとうに焼死しているはずの惨状だ。

 しかし彼女の命の灯は消えていなかった。魔力による防御で大事な器官だけは守ろうと足掻いたのだろう。

 強靭な精神と肉体が繋いだ命の導線はまだ繋がっている。


 とはいえ一刻を争う事態である。

 早く手当てを、そして特別な治療を施さなければ。





「――ふっ、くく……くはははッ!!そう、そうだ!!今こそ使命を果たすときだ!!小僧ッ!!」


 だがそれが許される状況にない。

 瓦礫を片手で投げ捨て、一切の痛痒も感じさせていない足取りで、倒壊した家屋から男が歩み出てくる。

 ようやくはっきりと見えたその表情は凶悪な笑みを浮かべていた。


「……君如きに定められる天命なんてないよ、魔族め」

「く、ははッ……魔族、魔族か。貴様には、そう見えているか……?」

「……」


 確かに、この楓眞の肉体の目に映る情報は、目の前の存在を頭の先からつま先に至るまで、ニンゲンであると言っている。

 魔素などという有機物質ですらないナニカではなく、彼には肉があり骨があった。先ほど殴った感触からもそれは間違いない。魔族の擬態とは根本から違うものだ。


 だが、奴の魂にこべりついたこの世の異物の匂い。魔に由来するモノ特有の、害しか齎さない腐敗臭だけは消えていない。


「どれほどガワを取り繕おうと、その在り方までは変え難いんだよ。ヒトの言葉を囀ろうが、行動を学習しようが……君たちの本質は、熱を持たないヒト喰いの獣だ」

「……」

「それに……その身体、君のじゃないでしょ?」


 おそらくこれ以上の神通力の行使は、今のこの身には危険だ。

 この力はあくまで僕が神と『謁見』し、得た力であって門浦楓眞の力ではない。この違いは大きい。

 神の力は魂に宿るが、ヒトの身である以上肉体で制御せざるを得ない。元から蓄積しているダメージに加えて神通力の負荷が合わさり、限界を超えればそのリスクは測り知れない。


 僕が表層に出た今でも、『神通力』の能力を完全に使うことはできない。


 僕たちの間に緊張が走る。

 時間にして数秒だが無限にも感じられるほどに引き伸ばされた沈黙の果てに、『忌火』の神徒がくつくつと再び笑い出し、その口を開く。


「く、くくッ……貴様がそれを言うのか?『御門』の神徒よ」


 その含みを持たした言い方に、出会い頭の言葉を思い出す。

 自分自身ですら把握していない事情を、他人が上から目線で告げてくるのは、神経を逆撫でされるだと知った。


「ふん……随分と訳知りの様子じゃないか。君、マウント取らないと死んでしまうのかい?」

「なに、図星だっただけだ。……そうだとも、俺は何も変わっていない」


 そう言って、男は自らの右手に視線を落としてじっと見つめる。

 その様子は不安定なものがゆらゆらと揺れて、今にも爆発しそうな、そんなイメージを抱かされる。


 そして案の定、その瞬間は訪れる。

 口を歪め、見つめた手の拳を思い切り握りしめた彼は静かに叫ぶ。


「――ただ、世界をこの瞋恚の炎で焼き尽くし、人世に災禍を齎すだけだからな……!!」


 彼の叫びに応じて、村を取り囲む炎が怨嗟の声を上げるように、一層増して燃え上がる。

 このまま火の手の勢いは増していき、いずれこの世のありとあらゆる存在を焼き尽くしてしまう……そんな風に思わされるほど凄まじい火力だ。


「ッ、あの子たちは……!」

 

 炎の壁から離れていたものの、勢いを増した炎に子供達が巻き込まれていないか気配を探る。

 楓眞と玲沙が命懸けで守り通した彼らを退魔師到着まで守り切る。そして玲沙と、この楓眞の身体自身に治療を施すまでが僕の使命。


「――!!この、気配……」

「……ちっ、想定より早い。あの程度の奴らでは相手にならんか」


 子供達は皆無事だった。

 さらに加えて、探知した中に覚えのある存在を見つける。





 天へと立ち昇る炎の壁を切り裂いて、銀糸が舞う。

 灼熱の闇夜に白雪と紅月がポツリと浮かび上がったようだった。

 白銀の頭髪に、黒の隊服。その中に悠然と浮かぶ血のように真っ赤な瞳が、魔族と僕の二者の間に静かに近づく。


「――私が来るまでよく持ち堪えましたね、楓眞くん。もう、大丈夫です」

「伊織、圭……さん……」


 緊迫した状況に変わりはないにも関わらず、思わず一瞬我を忘れて魅入ってしまった。それほどに美しく、迫力のある存在感。

 冷たく鋭利な表情と相まって、まるで氷の彫像を見上げているかのような感覚に陥った。


 そんな彼女がチラリと視線を動かし、僕の腕に抱かれた玲沙の変わり果てた姿を捉える。

 それからスッと一瞬、されど深く瞳を閉じてから、再び赤紅の瞳を見開いて、手に持った銀剣の切先と共に標的を捉える。


「貴様が当代の〝伊織〟か……」

「退魔の総本山、日の本の国でこの狼藉……そちらの陣営も無事では済みませんよ」


 圭の言葉と共に、村に響き渡る獣の断末魔。

 彼女と共に突入した救援の退魔師たちが、村を襲う魔族の掃討を行っているのだろう。

 そして、その首魁たる男にもまた、祓魔の刃が添えられている。


「――そうだな、今宵はここで幕引きとしよう。こちらもまだ、貴様らと全面戦争をする気はない」

「……まさか、無事に帰還できるとお思いで?」


 それにも関わらず、己の行動指針は他者によって揺らがないとでも言うように、傲慢な態度のままそう告げる。

 圭も凍てつくような無の表情の中で僅かに眉を顰め、向けた剣先はそのままに問いかける。


「く、くくッ……いいのか?怨嗟の届く範囲全てが、俺の間合いだぞ」

「……ッ!」

「貴様の剣が俺に届くのが先か、貴様らの守るべき全てがこの『忌火』に包まれるのが先か……やってみるか?」


 腰を低く据える圭を見下ろすように、両手を広げて一歩、また一歩と歩み寄る。まるで舞台役者のような大仰な仕草だ。

 

 しばしの緊迫した沈黙が降りた先で、圭はそっと剣先を地へと下ろした。


「……」

「……ふん、懸命だな。だが、安心していい。次にあい見えた時には、その忌々しい血を根こそぎ焼き尽くしてやるとも」


 男は冷酷な笑みはそのままに、まるで腹の底からの憎しみを吐き捨てるようにそう告げた。

 そして燃え盛る大地の反射で薄明るくなった空を見上げる。


「――おい、撤収だ。『次元』を開け、回収しろ」


 何に向かって命令したのか検討もつかないが、その言葉と共に、復活していた魔犬を始めとした魔縁の軍勢の身体が、徐々にぼやけて空間に溶け込むように消えていく。

 そしてこの魔縁の匪徒の首魁たる彼もまた同じように徐々に存在感を薄めていく。


 奥の景色が透けて見えてき始めた当たりで、再びこちらにその鷹のように鋭い瞳を寄越す。それから、やはり変わらず皮肉げな口調で言葉を紡ぐ。


「じゃあな、『御門』の神徒。役目を果たさぬ道具は纏めて燃やして捨てるだけ……精々、貴様の本懐を忘れるなよ」





「幾度かの『死』と『災禍』を超えた先に訪れる新世界で……また、会おう」





 言い切ったきり、まるで夢の記憶のように忽然と姿を消した。

 村のを取り囲んでいた炎の円壁も、他の魔縁の存在も始めから存在しなかったように、溶けて消えている。

 腕に抱いた玲沙の姿が無ければ、化かされていたかのような感覚だ。


 しかし、ぼうっとしている暇はない。

 玲沙の容態はもはや一刻の猶予もない。幸い退魔師である伊織圭がいるため、急患を連れて行く場所の案内には困らない。


「――ッ、圭さ……ッ!!……ぁ、ぐ……ッ……くそ、まだ……」

「楓眞くん……!!」


 恐らく状況はほとんど察しているはずの圭に対して、端的に救命を要求しようと首を回すが、ぐにゃりと視界が歪む。

 先ほど見た限り子供の足でも数歩の距離。しかし、その距離が地平線の遥か遠くに見える。


 もはや立っていられないほどに揺れる視界の中で膝をつき、なんとか玲沙だけは安静に下ろす。

 そしてその場に倒れ伏す寸前で、誰かに抱き止められる。


「――貴方が守った全員、生きています。後ろの子供たちに関してはほとんど無傷……よく、頑張りましたね。その身を焚べて無辜の民を守り抜いた貴方を、一人の退魔師として誇らしく思います」


 そうだとも、門浦楓眞はその小さく未熟な身で、守るべき人たちをちゃんと最後まで守り切ってみせたんだ。

 どうだ、僕の弟は凄いだろう……?


「……あとはお任せください。貴方たちの命は、我々が必ず未来へと紡いでみせます」





 それに比べて僕は、あの子の大切な心も日常も守ってやれなかった。


 ……ずっと一番、そばにいたはずなのに。





「(楓眞、こんな不出来な兄ですまない……いつも口先ばかりで何もしてやれなくて、ごめん……君の、大切な宝物を守ってやれなくて……ッ……どうか、許……して……)」


 そんな懺悔の想いと共に、僕の意識は暗闇の中へと沈んでいった。

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