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第七話:名塚の大火・弍

 独立した三つの視覚、嗅覚、そして頭脳。

 それらで形成された地獄の番犬の包囲網は鉄壁ともいえる。

 不用意に近づけば、文字通り鉄すら容易に噛み砕く牙が剥かれる。


 業火に揺らめく漆黒の影はその場から動かず、三対の黄金の瞳は大地を駆ける楓眞(獲物)の姿を捉えて離さない。

 背筋が凍えるような緊張感と、怨嗟の込められた劫火の熱が体力を奪う。


『いいぞぉ……ワシに喰われたいかぁ……!!』


 姿勢を低くし、撹乱するように緩急をつけた疾走を経て、魔犬の右首に迫撃する。

 しかし狙われた首は楓眞を捉えている。


 宙で身体を捻り、回転蹴りを放とうとする楓眞に対して、大きく口を開いてその足を噛みちぎろうと迎え撃つ。

 いくら神通力で肉体を覆っているとはいえ、このままでは負傷は免れない。


 だが、迫る噛撃の上を滑るようにさらに身を翻す。


「ッッ……らァァッ!!」

『な……さらに回転ッ?!――ぐ、ガッ?!!』


 縦回転で牙を避けた楓眞はその場で踵落としを命中させた。意識外からの一撃によって顎から地に叩きつけられ、全体のバランスも崩れる。


 好期と捉え、僕も楓眞の動きに合わせて拳に神通力を一点集中させる。





『◾️◾️、◾️』『◾️◾️◾️ッ!!』

「――ッ!」


 しかし、追撃に身を乗り出した瞬間、魔縁言語による魔力の波長を感知する。……それも、二つ。

 楓眞も危機を感じその場を全力で後退する。


 ――【【乱土の剣(アース・スウォーム)】】!!


 それから一瞬の後、楓眞のいた足場が剣山のように隆起した。ほんの僅かでも反応が遅れていたら足を取られていただろう。


「ッこ、れは……魔術……?」


 パラパラと砂が舞い、土煙が立ち込める。

 隆起した地面の先にはヒトの肉程度ならば容易に刺し貫くことができそうな突起が無数に連なっていた。

 ギラリと鋭利な輝きを反射する剣山からは、相対する魔犬と同種の魔の気配が漂っていた。


 これらの状況から分析するに、ダウンしていた首以外が詠唱を唱え、土元素の魔術を顕界させたのだろう。


「チィ……『火』、なラバ……あて、ラレタ……」『爺さんを巻き込むわけにはいかねぇからな!!オレたちの身体でもあるしヨォ!!』『ぐゥ……おのれぇ……ッ!!』

『(……厄介だ。それに厄介なだけじゃなくシンプルにスペックが高い……こいつが統率者か?)』


 三首三様に叫ぶ獣の想定以上の厄介さに内心舌を打つ。

 一つの首に接敵して集中すると、他の首が魔術で介入してくる。かといって全ての首に同時に有効打を与えるような手段を楓眞は持っていない。


「ハァ……ッ、ハァ……!」

『(楓眞の息も上がってきた。長期戦になると……)』


 楓眞の消耗もバカにならない。戦闘が始まって十分ほどだが、その間常に魔力強化した上で全力で動いている。

 今はなんとか俊敏さで撹乱することによって拮抗しているが、少しでも気を抜くとヒトより遥かに優れた魔犬の感知能力で動きを捕らえられる。


 そしてそれは時間の問題だ。

 先のが戦闘開始から今までの唯一の有効打。多少外殻を砕いた手応えはあったが、すぐにその潤沢な魔素で補填された。さらに魔族には心肺機能というものが存在しないため、魔力や魔素の消耗以外で継戦能力が削がれることはない。


 ――つまり長期戦は敗北に直結する。


「……ハァ……ハァ、くそ……ッ」

『楓眞……』

「――ッ、カエデ……ははっ、ねぇ見て。これ絶体絶命ってやつかなぁ……?」


 口調とは裏腹にその声は微かに震えている。

 疲労もある、命に指がかかる恐怖もある。至極当たり前のことだ。この子はまだ子供であり、退魔師でもなければ、今まで死と隣り合わせの世界に生きてきたわけでもない。


 それでも後ろで怯える子供達のために膝を付かず、姿なき僕に対してすら、気丈に振る舞い笑みを浮かべて安心させようとする。


『――あぁ、このままだと君は確実に負ける』

「ちぇ……はっきり言うなぁ……」

『……だけど、手がない訳じゃない』


 楓眞が傷つく姿など見たい訳ない。外に出て盾になることができるならば、喜んでこの魂を燃やし尽くす。

 しかし、どれほど工夫を凝らしても神通力を貸し出し、代わりに操作することぐらいしかできない。仮に偶々何かできたとして、下手に慣れていないことをしたせいで足を引っ張ることになれば目も当てられない。

 歯痒い思いだ。焦燥感に身が焼かれる。


 それでも、俯瞰して戦況を見ることができる僕だからできること。それは目の前の魔族の分析、そして攻略。


『――『魔辿炉(まてんろ)』だ。どんな魔族にだって魔素を魔力に変換するための器官はある。魔族にとっての脳であり心臓でもあるその弱点をついて死なない魔族はいない……そうだろう?』

「でもそれは……ッ」

『しッ……声は出さずに聞いて』


 魔縁の匪徒は魔素で構成された肉体を魔力で動かす。原動力となるその魔力は、『魔辿炉』と呼ばれる魔族唯一の物質器官によって生み出され、制御される。


 それは目の前の特殊な魔族も例外ではない。

 そして『魔辿炉』のある場所は魔力に淀みが生まれる。しかし当然の話であるが、高位の魔族になるにつれ、巧妙に弱点となる器官を隠蔽する。


 楓眞が述べようとしたのはこの事だ。

 最重要な『核』となる『魔辿炉』を突けば一撃で仕留められるが、隠されてしまえば総当たりで部位破壊していくしかない。あるいは再生が不可能になる程に魔素を削るか。


『『魔辿炉』を完全に隠蔽するほどの魔力制御……それはあくまで万全の状態だけだ。ダメージを負えば僅かとはいえ乱れが生まれる』

「……!!」


 その乱れを捉えるにしても、魔力の流れを目で追うことができる観察眼、それを発揮する余裕が必要だ。

 残念ながら鍛錬を積んだとはいえ、()()()()()()()それは無い。だが――





『――僕になら視える。僕が、君の第二の視野となり、脳となる』


 本当は君に逃げてほしい。

 あの魔犬の魔術は自身の首を気遣う以上に、楓眞を捕えることが目的のように見えた。それに、どうも誤魔化しているようだが殺意をそれほど感じない。


 確かに距離を取っての時間稼ぎは敗北への道だが、死への道では無い。

 もっと言うと逃げ回っていれば、先に退魔師が到着するかもしれない。


 しかし、そうだとしても――。


『もう僕は、君に逃げろなんて言わない』


 ――君が新しく見つけた大切なものだから、大切なみんなとの日常を守りたいと言ったから。


 確かに数字だけで見るならば三つの首を持つ奴らに対して僕たちは劣っているかもしれない。

 それでもこれだけは伝えておきたいのだ。


『でも絶対に、君を一人で戦わせたりしない。死ぬ時だって、ずっとそばにいる。――だからッ、死ぬ気で喰らいつけッ!!楓眞!!』

「――了、解ッ!!」





 その言葉を合図に再び楓眞が魔犬に向かって駆け出す。長い薄茶色の髪が風に靡き、踏み込みに呼応して舞い上がる砂埃を置き去りにする。


「ふん……バカの、ひトつ……オぼえ」『来いぃ……喰い殺してやるぅ……!!』『◾️◾️、◾️◾️◾️◾️ッ!!』


 迎え撃つ三首は嘲笑と激情と、そして詠唱を口にする。詠唱を唱えていた左首の口から、扇状に広がるような爆炎が放たれる。

 距離があるため次は余裕を持って、進行方向を魔犬へ向かう直進から迂回へと切り替える。


 しかしその動きを読んでいたのか、中央と右の二つの首による挟撃に晒される。

 体躯によるリーチの長さと獣としての俊敏な動きが両者の距離を一瞬にして潰した。


「速……ッ!」

「ガァッ!!」『死ねぇ……ッ』


 迫る噛みつきを初撃は疾走の勢いのまま伏せて滑り込むように顎下を抜け、足元に潜り込む。

 視線を上げ、胴を貫くべく拳を据えるがふっと炎に照らされ生まれていた暗い影が消えた。


「……ッ?!」

『◾️◾️』『◾️◾️』『◾️◾️』


 異形の黒獣が空を舞う。

 さらに三首全てが魔縁言語を唱えている。

 魔力の高まりと、魔術への接続が異様に早い。どうやらそれぞれの首が詠唱を分割分業しているようだ。


 ――【【【乱土の剣(アース・スウォーム)】】】!!


 楓眞は既に拳を振り抜く体勢に入っている。

 高位魔族の土魔術だ。先の攻撃範囲が全力とは限らない。ここから回避は不可能――。


『楓眞、地面に――!!』

「――くッ……ァァッ!!」





 轟音と共に激しい砂埃が舞う。

 土魔術による地面の隆起と楓眞の拳が衝突したことによる爆発だ。

 上空に放とうとしていた拳の軌道を無理やり足元へと修正した。それによりなんとか魔術が完全に体を為す前に衝撃の反動で魔術範囲から脱出できた。


「……」

『……まだだ、まだ……あと、五歩分』


 村を取り囲む炎の怨念は未だ消えていない。

 熱を孕んだ風が頬を撫で、舞い上がる砂は視界を奪う。


 魔犬が着地したことにより、重い地響きが後に続く。

 獣らしい唸りと共に、大地を踏み締め歩む音が聞こえる。足音の向かう先は逸れて左側へ。


『まさか今ので死におったかぁ……?あのクソガキぃ……』『ゲヒャヒャッ!!ちぃっとやりすぎたかァッ?!』「……」


 息を殺し、魔力も完全に消して伏せる。

 奴らが楓眞の魔力を付着させた上着に気を取られているうちに、一息に接近できる距離まで引き寄せる。

 咄嗟に出ざるを得なかった賭けだったが、どうやらまだ気取られていない。


『あと、一歩……』


 十分に接近し、身体も此方を向いていない。

 ――絶好のチャンス。


『……ゼロッ!!楓眞、ゴー!!』


 楓眞にゴーサインを出す。地を踏み締めていた手足の指にぐっと力が入る。

 今にも飛び出すことができる体勢だ。完全に裏を取った。





「――いヤ……オなじ匂イが、二つ……」


 しかしただ一対のみ、金色の瞳が不透明の世界を貫き、視線が交わる。





「――ッ!」

『(――気取られたッ!……だが、もう遅い!!』


 小さな身体が砂に覆われた空を切り裂き、僕の指示した部位に飛びつく。

 思惑を察知した魔犬の首たちが俄かに騒めきだす。


『な……まさかぁ……ッ!』『ゲヒャヒャ!やるじゃねぇか!!』


 体毛に覆われた背中の、右腰の部分に貫手を放つ。

 魔犬は咄嗟に身を捻り、僅かに狙いの部位から逸れた。


 魔素でできた肉体を抉るだけに留まる。

 だがダメージにより再び『魔辿炉』の周りの魔力に乱れが生じる。狙いは合っていた、あと僅か数センチのところだった。


 しかしそれで楓眞の攻めは途切れず、勢いを殺すため魔犬の体毛を掴み、背中に腰を下ろしてまたがる。


 スッと左手を添えて撫でる。

 その優しい手つきとは裏腹に、背筋が凍えるような冷たい声が命を刈り取る死神の鎌を幻視させる。


「ここでしょ……キミの、『魔辿炉()』」

『お、まえぇ……!!』『バレてやがるッ!!』「ふン……やる、ナ……」


 ――岩戸坐す(いわとざす)御門神(みかどかみ) 『神通力』最大出力!!


「【神装・斂――!!」


 ギリィと力一杯に握りしめた拳に神通力を添える。

 魔力による推進と合わさり、魔族の外郭を貫いて『魔辿炉』を穿つには十分な破壊力を得るだろう。

 




「……だが……まダ、足りナイ」


 背後を取り、『魔辿炉()』を捉えたはずだった。

 空間を目一杯使って撹乱した接近戦……消耗はしたが大きなダメージもなく致命の一手を見逃さず差し込めた。

 これ以上ない形での王手の状況。


 しかし、現実として詰みへと誘い込まれたのはこちら側だったのだ。


「な……ッ?!」

『ッッ?!楓眞ッ!!今すぐ離れ――ッ!!』


 闇夜に浮かぶ黄金がギラリと輝く。

 

 物理的に必ず死角となるはずの四足獣の背上。だがそれは骨と肉でできた生物の常識に過ぎない。

 三首全てがブチブチと魔素出てきた肉体が裂けることに躊躇せず、可動域を超えて百八十度後ろへ回転し、こちらを睥睨する。

 凝縮された時間の中、魔力の波長が揺れ、詠唱が世界に轟く。

 言の葉が紡がれ詩となり、詠みあげる魔力()の高まりは現世には存在しない異界へと響く。


◾️◾️(奔放たる風霊)◾️(逆流する)』『◾️(運河)◾️◾️(幽玄の道楽)』『◾️◾️(霊峰に残響)


 魔素を再生にも充てず、ヒトのように痛みに冷や汗をかくことも無く、ただひたすらに生み出した魔力で朗々と詩を唱える。

 果たして、『風』を喚ぶ祝詞は成就する。

 





 ――【【【竜爪旋風(ドラコ・ゴルジータ)】】】!!


 そして、荒れ狂う嵐の爪が鮮血を纏い、天翔る軌跡を描く。


 背に跨る楓眞を渦巻く暴風が呑み込み、鋭利な刃がその身を裂き肉を抉る。

 裂傷から鮮血が舞い踊り、鉄の匂いが漂う。

 顕界したその魔術はまるで小さな竜巻。災害そのものが一個人に牙を向いているようなものだ。

 ヒトなど塵芥のように消し飛ばせるだけの威力を持った超常の御業。

 楓眞の小さな身体など、普通ならば軽々と吹き飛ばされているだろう。手足が幾つかちぎれ飛んでいてもおかしくない。


「〜〜ッ、ァ゛ァ!!」

「ッ?!……あり、えン……ッ」『こいつ……ッまじかよ!!』『この……は、な、せぇぇ……!!』

「ぐッ、ぎぎ……ぃ……フゥ、フゥ……ゥゥッ!!ぜ、ったいにィィ……はな、して……たまるかァッ……!!」

 

 だが、楓眞はこの嵐の中、歯を食いしばり流れに逆らってみせる。

 吹き出す血が滲み、拳を赤に染め上げながら。


『何をしてる、楓眞ッ!!早くその手を――』


 ヒトの原型を保つ程度の切り傷で済んでいるのは、拳に集中させていた神通力を咄嗟に防御に間に合わせることができたから。


 そうは言っても、竜巻は止むことを知らず、神通力で防御を固めているといっても傷は刻まれ続ける。

 この状態で体表を覆う神通力を少しでも緩めれば取り返しの付かない傷ができてしまうだろう。

 そのためには早く距離をとって魔術の行使範囲から離れなければ。


「(――ダメだッ!!ここでやらなきゃみんな死ぬ!!だから……ッ()()()()!!カエデ!!)」

『……っ』


 確かにこちらの狙いがバレた以上、『魔辿炉』を捉えるのは数段難しくなる。

 現時点でも、『魔辿炉』周辺の体表に先までとは比べ物にならないほど多くの魔力が割かれている。『魔辿炉』の場所がバレた以上、隠蔽を辞めて防御を固まることにしたのだろう。

 潔い、素早い決断だ。これでは生半可な攻撃では貫けない。一点に力を集中して確実に攻撃を当てるのは、今を逃せば至難となる。


 それでも、このままでは嬲られ続けるだけ。

 思わず楓眞の中で声を荒げるが、嵐の中でも決して揺らがない彼の信念が僕から言葉を奪う。


 ――合わせる。

 つまり、この魔術の奔流が途切れる僅かな瞬間、楓眞のインパクトに合わせて防御に回している神通力を再び拳に集め、最大火力をぶつける。


 言うは易し、行うは難し。

 そもそもが他人の肉体に神通力を貸し与えている状態だ。制御には苦労するし、そのせいで魔術の詠唱から発動に対して防御が間に合ったのもギリギリになってしまった。


 つまり総じて部が悪い賭けだ。

 でも――。


『(――そうだ、僕が言ったんだろう。死ぬ気で喰らいつけ、信念を守り抜けと)』


 そしてその意思を、この子の兄として、僕が守って後押ししてやらなければならないのだ。


 ならば、返事は一つしかない。





『――イエス、僕の大切な宝物(マイ・ルミナス)


 全力で神通力を展開しろ。

 あちらは所詮魔に堕ちた贋作の力、こちらは純な神の力そのものだ。押し負けるわけがないのだ。

 

 他人の身体だと思うな。

 この子は既に僕と魂まで繋がりを持った一心同体な存在だ。


 腹の底から絞り出せ、もっと引き出せるはず。


 魔術ならば込めた魔力によって威力も持続時間も定められる。

 しかしどれだけの魔力を込めたのか、一向に人斬りの嵐が収まらない。


 それでもいつか光明が見えると信じて耐えるしかない。

 普段の飄々とした涼しい表情は鳴りを潜め、痛みを散らすため喉の奥から地鳴りのような雄叫びを吐き出す。


「――ゥゥゥゥォォォオオオオオッッッ!!」

『ワシからぁ……離れん、かぁぁ……ッ!!』『ギャハハ!!いいぞ!!来てみろ、人間!!』「どこマで……耐えラレる……ッ!」


 絶対に魔術の途切れるタイミングは逃せない。

 魔術の再発動は三首同時詠唱により大幅に短縮され、およそ二秒前後。

 通常の魔族が五秒以上、人間ならば十〜二十秒以上詠唱に時間がかかる高位魔術をその速度で放てるのは破格だ。


 だが、二秒。それだけあれば――。





 ふっ、と嵐が突然収まり無音の空間が生まれる。

 風により取り除かれていた炎壁の熱がじわりと一瞬にして舞い戻ってくる。


『くッ……ッ◾️◾️(奔放たる風霊)』『◾️(逆流する)◾️(運河)◾️(幽玄の)』『◾️(道楽)◾️(霊峰に)――!!』


 即座に先と同じ魔の詩が紡がれる。


「ボクたちの世界にお前はいらない!!地獄に、還れッ!!」


 しかし、それよりもこちらが一拍速い。


 嵐が吹き荒ぶ中でも楓眞は決して拳を緩めず、魔力による推進も常に『魔辿炉』に向かい続けていた。

 あとは楓眞がその小さな拳に込めた想いに、僕が応えるだけ。

 神魔を共に戴く拳が今度こそ魔犬の『魔辿炉()』を穿つ。





「『【神装・斂撃】ッッ!!』」


 拳が沈むと同時に、体表を覆う魔素や、はたまた骨や血肉とも違う、濃縮された呪詛の塊を打ち砕いたような手応えを感じ取る。

 魔犬の身体が大きく揺れ、体毛を握る力すら出し切った楓眞は無造作に宙に投げ出される。


『――ぐッ?!ぉぉォォォォォ……!!バカ、なぁ……ッ!!』


 魔力の波長が大きく乱れ、断末魔となって世界に響く。

『魔辿炉』を破壊されたことで、肉体を保つことができず、叫ぶ右首の老犬からホロホロと結晶となって魔素が散布していく。

 魔素が実態を持っているだけで、『魔辿炉』以外この世に留まる物質的な要素を持ち得ない彼ら魔縁の匪徒は、死ねば塵となり何も残らない。最初から存在しなかったものとして跡形もなく消え去る。


『……あ、ぁあ……消える……消えてシまうぅぅ……ワシ、は……こ、んナ……はズデ……はぁァ……ァ』


 欠けていく自身の首を四足で必死に押さえつけ、もがいていたものの、老犬は最後の一欠片まで滞ることなく消え失せた。












 しかし、あれほどの激闘を繰り広げた宿敵の今際の慟哭さえ、今の僕と楓眞にとっては些事に過ぎないものだった。

 勝利の余韻などまるで感じさせない、不吉な圧――。


「……ッッ」

『楓眞、気を緩めるな。何か、来る……』


 一人の男が煌々と燃え盛る村地の影から姿を現した。

 その男が一つ足を踏み込むたび、業火は怨嗟の歓声を上げるように燃え盛り、空気すら呪いに侵されて凍り付いていく。





「――ヒトの身に対の魂。そして、禁足の地へと至るカギ」

「『――!!』」


 この世のあらゆる不吉を込めたような怨嗟の焔が大地を焼き払う。

 それは、悍ましいほどの呪いをその身に宿す忌火の顕現。

 世のあらゆる事象を灰燼と化す、破滅の虚津神に見初められた存在がいることを……なぜ、忘れていたのか。

 あまりにも悍ましい呪いの気配に、思わず息をすることも忘れて魅入られる。

 天まで焦がす焔の中にありながら、彼の呪詛が如き小さな呟きは一言一句逃さず楓眞の耳に届いた。





「小僧、貴様の『死』をもって……この世の全てを始まりに戻そう」





 見下ろす紫紺の眼差しは、お前たちが生きているのが不快だ、とでも告げているようだった。


 墨を被ったように光を映さない漆黒の頭髪。空から地上を睥睨する鷹のような鋭い瞳。腕が多いわけでも、羽やツノが生えているわけでもない。

 一見すると頭の天辺から爪先まで、全くヒトに見えるその姿だが、ヒトの形をしているという事実がかえって不気味だった。

 視覚の情報と、それ以外の全てから伝わってくるドス黒い存在感との乖離。


 楓眞と共振する魂の奥底で、奴について一つだけ理解が一致する。






 ――目の前の存在はヒトの皮をかぶった災厄、人世に仇なす魔縁のモノだ。

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