第六話:名塚の大火・壱
魔縁災害記録 『名塚の大火』
東暦五二五年九月九日深夜、日本国新潟県名塚村狩野地区にて半径約二キロメートルに及ぶ環状の炎壁が発生した。
炎壁内では複数箇所に独立した大規模火災が発生、加えて百を超える魔縁の匪徒の出現が確認された。同年九月十五日現在、二百四十六名が死亡、百五十二名が行方不明とされている。
通報と魔縁の匪徒発生を受け、魔縁対策機関新潟支部の退魔師が現行したものの、炎壁の幕に付与された『忌火』の権能を突破できず、突入を一時断念。
本件を『特級魔縁災害』と定め、『特級退魔勅任官』伊織圭の到着後、平定を行った。
炎壁を含む、名塚村で発生した火災は全て同一種の神通力による事象であると判明。実行犯とされる神徒を本件に関わる魔縁の匪徒の首魁と推定し、魔縁の匪徒・個体名〝灼呪の大魔〟について国際捜査を行う。
以下、〝灼呪の大魔〟に関する資料を――。
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『ィィィィ……ィィヨォォォ……!!』
「ちィッ……!うちに、土足で入ろうとしてんじゃ……ねぇ!!」
誕生日会もそろそろ終幕に向かっていたが、玲沙が外の異変と魔の気配を察知してからはもはやそれどころではなかった。
あちこちで火の手と雄叫びが上がる音が聞こえ、魔縁災害に慣れていない子供はもちろん、大人たちでさえ魔族の姿をその目に捉えた瞬間にはパニックとなる。
「お前ら、早く乗れッ!!早くッ!!」
幸い門浦家には大きな車があったが、それでも今日集まった全員を乗せることはまず不可能。
ゆえに児童十五名を優先して、無理やり押し込んで載せていく。
「門浦さんッ!出発準備オッケーよ!!」
「了解、道を開ける!!池内さん、お願いします!!」
「待って、お母さんッ!ボクは……ッ」
――残って一緒に戦える。
そう続けようとした言葉は、母のたった一言で堰き止められた。
「楓眞ァッ!!」
「――!」
「そっちは、頼んだぜ……ッ」
何を頼まれたか、二人の間では言葉にするまでもないことだろう。
ただ楓眞は覚悟を決めた一人の男の顔をして、母の言葉に短く応えた。
「うんっ……!任せて……!!」
その返事を聞いた玲沙は薄く笑みを浮かべ、車に侵入しようとする魔族を蹴り飛ばし道を作る。
同時に勢いよく、楓眞を含む子供を乗せた車が発進した。
敷地の外に出ると既にそこにいつもの村の姿はなく、異界の様相を見せていた。
大地が妖しく燃え上がり、月夜は緋く照らされる。
地獄の釜が蓋を開けたように怨嗟の焔が人々の目を焼き、魑魅魍魎共が闊歩する。
『ガルッ、ガルルルルゥゥゥ……!!』
『……あンよガ、ジョうズ……いひひッ』
『マァァァ……んマァァァ……』
病に侵されたかようにダラダラと涎を垂らした四足歩行の毛むくじゃらの犬のようなもの
腹の膨れた巨大な餓鬼のようなもの。
ひび割れた蝙蝠のような顔に腰の曲がった緑色の肌を持つナニカ……などなど。
統一性のないバケモノたち。彼らは魔界からの侵略者『魔縁の匪徒』。
ここにいるのはその中でもまともな知能を持たない魔縁の雑兵。しかしそれでも一般の成人した人間より遥かに力は強い。対峙するには退魔師としての技量、最低でも魔力による身体強化が行えることが前提となる。
そして彼らのような本能以上の知能を持たない魔族の目的はただ一つ。人類へ災禍を齎すこと。
ヒトを貪ることで力と知能を手に入れる。そのように作られている。
今宵の襲撃は彼らにとって入れ食いの、絶好の餌場。いち早く上等な餌を喰らうため、手当たり次第に目についたヒトへと襲いかかる。
――その様相、まさに百鬼夜行。
「ひ、ひどい……」
「ぅ……う゛ぇ……」
「ひっく……お父さん……お母さん……」
魔縁の匪徒が実際にヒトを襲い、貪る瞬間が流れる景色として窓に映る。
それを目に焼き付けてしまった子たちは残していった自分の家族の死を連想してしまう。
「ふぅぅ……」
周囲が絶望の気持ちに沈む中で、楓眞だけは頭を冷やしていく。だが心の芯は抱いた使命による熱を持ったまま。
自動車の速度ならば魔縁の匪徒にもそう易々と追いつかれないため、移動手段としては比較的安全な部類だが、正面から突撃されれば荷重量をオーバーしていることもありバランスを崩して転倒する可能性がある。
もしもに備えて、楓眞は心を戦場の中へと切り替えていく。
『(――しかしそれにしたって魔族の数が多すぎる……確実にこれを率いている奴がいるな)』
一体二体……多くとも十体までならば、魔族の突発的な発生で済ませられるし、玲沙と楓眞が協力すればなんとか討伐しきれただろう。
しかしこれはもはや魔縁陣営による襲撃と言って差し支えない規模の魔縁災害だ。
であれば、いくら雑兵ばかりとはいえ指揮を取る存在がいると考えるのが自然だ。そしてその個体はおそらく相応に強力なものだろう。
おそらく避難に時間のかかる子供達を車で先に逃したのは、あの場の判断では限りなく正解だ。そして最低限、魔族を撃退できる戦力の玲沙と楓眞をそれぞれの集団の護衛としたことも。
――だがどれだけ正解の選択肢を選ぼうとも、既に盤面が詰んでいる場合、それは所詮延命処置にしかならない。
「なに、これ……」
「おぃ……これじゃあ外に出れねぇじゃねぇか……」
村を取り囲むように獄炎の壁が一行の行手を阻んでいた。
肌にまとわりつく熱気は呼吸を奪い、ただ立っているだけで汗が滴り落ちる。
さらに焦げた木や肉の匂いはヒトの正気を奪う。
近づくほどに、視界の端がゆらゆらと歪み、世界が炎に呑まれていく錯覚に陥る。
『ハれ……のち、クモリ……ノち……』
『ヒヒッ……!エヒャッ!アヒャッ!!』
そして後ろからは闇夜から這いずり出るかのように魔縁の匪徒が複数で迫ってくる。その手には血が滴る誰かの肉片を抱えている。
ここは至る道中でも、この肉の大量に詰まった車は魔の者たちに目で追われていた。
走行を止めてしまった今、格好の餌食だろう。
「……ひっ……ぃや……ひぃぁぁ……!!」
「ッ……ダメッ!!」
そして魔の恐怖に当てられた子が一人、無謀にも炎の中を突き進もうと飛び出した。
それを目敏く見咎めた楓眞は、炎の壁に飛び込むすんでのところでその子を抱き抱えて止める。
「ぁ……ふうま、にいちゃ……」
「みんな……この炎、絶対に触っちゃダメ……ッ!!」
普段子供達の前では飄々とした、どこか大人っぽい雰囲気を醸していた楓眞が、あまりにも必死の形相で言い募るため、思わず皆の身体が強張る。
しかしそれでも楓眞の中から見ていた僕だけがその理由を理解している。
『(……あの炎、『呪い』が込められてる。僕が『拝謁』した神とはまた別の――神の特別な力によって)』
そして神に『拝謁』したわけでなく、厳密には力を授かっていない楓眞がこの炎の危険性を察知したのは、おそらく僕を経由して一度神の力を行使したからだろう。だが仮に、もしそうでなければ――。
「この炎の壁から抜けられるところを探そう!!もし完全に囲まれていた場合……退魔師の到着まで逃げて時間を稼ぐ!!――健ちゃんッ!!」
「ぉ……おうッ!」
「みんながパニックにならないよう見てて。ボクが……道を開けるまで……!!」
そう言って、キッと睨みつけた先には道を塞ぐように三体の魔縁の匪徒が立ちはだかる。
その中でも一歩奥に控える、一際大きな三首の獣型の個体は、内包する魔力と存在感からして別格であることが伝わる。
『ゲヒャヒャッ!!餌だ!!大量だ!!』『特上の、ご馳走もいるぞぉ……!』
御伽話の地獄の番犬が現実となって姿を現した。
そして三つあるうちの両脇の首が、不可解な音の羅列でありながら、確かに意味を帯びた言葉を放つ。
これは魔力間特有の波長によって相手と世界に直接意味を刻みつける言葉、『魔縁言語』。
体外へ漏出する魔力を制御することすらできない知能の低い魔族は、漏れ出す魔力の波長によって無意味な魔縁言語の羅列を発する。
しかし魔力を一定水準以上に制御ができる個体は魔縁言語の波長を意味ある言葉の羅列に合わせ発話が可能となり、時には魔術に接続するための詠唱を行うことすらできる。
以上から分かることとして、魔縁言語をかなり流暢に使いこなす目の前の魔族の両首は、恐らく魔術を扱えるほど知能の発達した個体ということ。
だが、それ以上に――。
「――ば、カ犬……共めラ……もウ、使命ヲ……忘レタ、か……」
「――ッ?!」
三首の猟犬のうち、真ん中の首が拙いながらも人類の言語である日本語を発した。
「お、おい……今、こいつ……ッ」
「ひ……ぅッ……しゃ、喋った……喋ったァッ!!」
車から出ていた一部の子供達は、ひび割れたようなその声を耳で聞き取ってしまった。
この世ならざるバケモノ、自分達とは決して交わることのない異物が、自分達と同じ言葉を手繰る姿に本能的な怖気を感じている。
「――こ、ノ……なカ、に……『神徒』ガ、イるはずダ……差し、ダセ」
魔族にとって魔力は慣れ親しんだ、身体の一部も同然の存在。ゆえにその制御はそれなりに力のある個体には難しいことではない。
だが、魔族が人の言葉を解して操るには発声器官を作り、言語を完全に理解する必要がある。
そしてそれだけの知能を得るには――百は下らない数のヒトを喰わなければならない。
「……多分、ボクのことだね」
『ゲヒャヒャ!!やっぱりな!!俺が匂いで見つけたんだ!!喰わせろッ!!』『坊や、こっちにおいで……わしが美味しく喰ろうてやろうぞぉ……!』「スこし……だまレ、キ……サまラ」
そして三首が独立した思考を持っている様子から、それぞれがヒトを喰っているのだろう。両脇の首が五十ずつとしても最低二百の人間がこの魔族の腹に収まっている。途方もない数だ。
両脇の首が本能のまま首を振り、叫び、餌として誘おうとするが、中央の首が肉体の制御権を有しているのか此方には近寄らない。
代わりに前で控えていた二体の雑兵だろう魔族が躙り寄ってくる。ニタニタと醜悪な笑みを浮かべる姿から、楓眞を喰おうとしているのが丸わかりだ。
『ノチ、のちのち……ノチノチノチィィ……』
『ヒャヒャ……ッ!!アヒャヒャ!!』
「……さテ……オトな、しく……着いテ……くるナらば……オマエ、の命ダけハ……助ケてヤろう」
背後は通行不可能な火の海で囲われ、怯える幼い子供たちと震えを噛み殺して恐慌に陥らないように励ましている同年代の少年少女。
正面には今にも襲いかかってきそうな魔縁の存在たちに、奥には百単位でヒトを喰らって力と知恵を溜め込んでいるバケモノ。
楓眞は後ろの庇護者たちを差し出し、未来を魔の手に委ねれば命は助かる。
地獄の炎が放つ熱気と死の足音が、冷静さを奪う。
「さァ……命イがい、ノ……スベテを、差シダセ……!!」
「……」
選択を迫られた楓眞は振り返って、不安げに揺れる背後の瞳をゆっくりと見回してから、深く息を吸い込んだ。
僕もまた意識を深く研ぎ澄ませ、楓眞と繋ぐ。
――岩戸坐す御門神 『神通力』限定開放!!――
握りしめられた拳に神通力を付与する。
楓眞の体内に魔力が暴れるように渦巻き、爆発的な推進力を生み出す。
目指すは三体の魔族の中で最も小柄な人型の魔族。
視線がパチリと共鳴し、狙われていることを理解した魔族は餌が飛び込んできたと歯を剥き、雄叫びを上げる。
『――ヒャハァァァッ!!』
小柄ではあるがパワーも並の大人を遥かに凌駕する膂力を持ち、小柄であるからこそ俊敏な動きを見せる。
しかし非力な獲物に過ぎないと油断する件の魔族は攻撃ではなく、食事のため捕まえようと両手を伸ばす。
緩慢なそれを楓眞はするりと回避して魔族の開いた口を掌底で穿つ。
『ギャバ……ッ?!』
衝撃に面喰らい、反射的に振り回された腕を距離を取る。
そして体勢が整う前に再度距離を詰める。
『ギ、ギィィ……ッ!!』
しかし、敵を認識して本能に突き動かされる魔族の動きは比べ物にならないほど俊敏だった。
すぐに視線を敵と認識した楓眞に定め、捕獲の前に確実に息の根を止めるべく鋭い爪で貫手を繰り出す。
『――ケシャァァァッ!!』
「ッ……問題、なし……!!」
躍り出た楓眞と、小柄な魔族の突き出した拳が交差する。
「まず一匹……ッめ!!」
『ヒャ……カ、ヒュ……ッ』
楓眞の拳は、グチャリという肉を砕くような手応えと共に、的確に魔族に致命傷を与える。
対して魔族の拳は、楓眞が空いた片方の腕を迫る腕に添えて流れに沿って払い退けられる。
雌雄は決した。しかし気は抜けない。すぐそばまで第二の矢が迫っているのだから。
『――ハレ、ハれ、晴れ!!クモりィィ!!』
「ッ……シィッ!!」
背後から迫ったもう一体の魔族の噛みつきには身体を捻って飛び上がり、上空へ向かって後ろ蹴りを放つ。
『ギャ……ッ!!』
蹴り上げられた魔族の身体は錐揉み回転する。
その肉体の制御が効かない姿を捉え、楓眞は大地を蹴り、そのさらに上空へと飛び上がる。
「ォォォ……ッ、ラァッッ!!」
楓眞の姿を捉えて目を見開くも、振り下ろされた楓眞の追撃の拳を避ける隙はない。
魔族を貫く小さな拳が熱気を帯びる大気を震わせ、黒煙に覆われた空を晴らすような痛快さだった。
土手っ腹を撃ち抜かれた魔族は落下と共に魔素でできた肉体を崩壊させる。
「――これで、二匹目」
ここまで一瞬の出来事だ。
後ろで成り行きを眺めていた子供たちは何が起きたのか理解できず呆然としている。
「……ぇ……うそっ……」
「すごい……凄い凄い……ッ!!」
それから僅かな間を置いて、二体の脅威が去ったことを脳が理解し、恐怖で支配されていた感情に希望の光が差し込む。
「さて……真ん中のキミ。さっきの返答だけど、当然――」
楓眞は未だその場から動かず巨躯から三対の瞳で見下ろしていた獣に対して指差し、告げられた選択に対して応えを返した。
「――断る!!」
「……」
自分の背丈の三倍以上もあるバケモノに対して一切臆することなく睨み付けて告げる。
「この世で最も尊敬する人から後ろのみんなを任せられたんだッ!だからボクにはここにいる全員、この地獄の日から日常へと送り返す使命がある……!!」
「フウ、ちゃん……」
「楓眞……ッ」
後ろで守られている者たちにとってその背中は、いつもと変わらず小さいものながら、まるで三首の猟犬を覆い隠すように巨大なものに錯覚してしまうほど逞しく思えるだろう。
「――ボクの大切な人たちは誰も死なせない!!死ぬのはお前だけだ、魔族!!」
「……ナマ、いき……なァァ……」




