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第四話:空虚な神座に坐す

 生まれて初めて、世界に刻まれる幸せの音が心地良いと感じられた。

 その感覚を教えてくれたのは楓眞の心根の温かさのおかげだろう。

 だから、この子の幸せを見守ることこそが、僕の新たな生の意義なのだと、心の底からそう思えた。

 この子こそ僕の人生を彩る大切なもので、僕の生きる意志となるだろうと確信を持っていた。


 しかし……いや、だからこそだろうか、淡くも色づき始めた世界の真新しさと美しさに、心奪われ溺れていた僕は忘れていたんだ――。





 ――平穏無事な人の営みとは脆く、簡単に崩れ去る砂上の楼閣に等しいものであるということを。


 愚かで間抜けな僕は、あの時のたった一本の電話が破滅へ向かうカウントダウンの始まりだったことに気づきもしなかった。





『……僕が、彼らの一番近くにいたはずなのに』


 ――大切なものを見つけた『人』が、その宝物を守り抜くためには、それ以外の全てを捧げる覚悟を持った『ヒトデナシ』の修羅とならなければならない。





 ***





 それからのことを話そう。

 全身血まみれで倒れていた楓眞は駆けつけた退魔師に保護され、意識を取り戻してからは事情聴取が行われた。事情聴取といっても楓眞は目覚めたばかりなので病床の上であるが。


 そして、どうも魔縁絡みの法律で楓眞が魔族を討伐したとすると、ややこしい問題が発生するということらしい。

 そこで事情聴取を担当していた、玲沙の後輩であり、門浦家と交流がある伊織圭が隠蔽してくれるとのこと。


 最初に現場に辿り着いた退魔師は彼女であり、周囲にはほとんど目撃者もいなかった。

 あくまで魔族を許可のない人間が討伐することに問題があるので、退魔師である彼女がトドメを刺したことにすれば丸く収まる。

 とはいえ、問題が起きるとしても故意で討伐しているわけではない以上、大きな問題にはならないだろうから、魔族討伐の栄誉を取るかは好きにしていいとのことだ。


「うーん……ボクは別に魔族討伐の栄誉とかいらないかな」

「……そうですか。ならばこちらで今回の事件については処理しておきますね」

「ありがとう、圭さん!」


 それから当時の現場状況を幾つか聴取して、圭は病室から退室した。

 楓眞にとって鬼門となったのはここからだった。なぜなら文字通り、圭と入れ替わりで鬼の形相をした母親が入ってきたのだから。


「――こんの……バッッッカ、野郎ォォッ!!」

「うぎゃッ?!」


 病床に伏せっていることもお構いなく、玲沙からは渾身の拳骨と、小一時間の説教をくらっていた。

 僕としても妥当な処置、むしろ優しい対応だと思う。無事に済んだのもただの偶然であるのだから、もっと反省させていいと思う。


「あたしが……ッ……どれだけ、心配したかッッ」

「ご、ごめんなさい……」

「ッ……ふぅ……はぁぁぁ……だが、今回に関してはよくやったと言っておこう。人死にが出ている以上大きな声では言えんが、間違いなくこの程度の被害で済んだのは楓眞のおかげだ。一人の退魔師として、感謝する。……まぁ、なんと言おうと、母親としてはまず逃げてくれって思うがな」

「……はい、ごめんなさい」

「分かればよろしい」


 瞳を潤ませそう溢す玲沙もまた、公人と家庭の板挟みに苦しんでいることが伝わった。










 二週間が経過した。

 細かい裂傷はあったものの重篤な怪我を回避できていた楓眞は、結局二日後には退院して家に戻っていた。

 隠蔽を施している圭から指示があり、学校にはまだ復学できていなかったが、時間の問題だろう。


 ……そう思って、二人共が家で寛いでいたときのことだった。





『二週間前……つまり例の魔縁事件の時ですね、その時に現場付近から()()()()()()()を観測したそうです。……心当たりはありますか?』

「神通力……それも未登録だと?」


 門浦家に一通の電話が届いた。件の伊織圭からのものだ。

 秘匿回線を用いたそれは冷たい声音と合わさり、ようやく慌ただしさが収まりを見せ始めた門浦家に冷や水を浴びせるように齎された。


『はい、我々が把握していない新たな『虚津神(そらつがみ)』と『神徒(しんと)』の発生です。その問題性は玲沙さんも理解しているでしょう?』

「あ、あぁ……そりゃあ理解しているが、それがどうした?」

『現場にいた私も当然、その神通力を感知しました。その示す先は楓眞くん、貴方のお子さんが倒れている場所でした』

「……つまり、楓眞がその神徒だと?」


 普段の快活な雰囲気は鳴りを潜め、家の中を満たす空気は重い。

 楓眞が不安そうな表情で伊織圭と表示された端末と母の間を視線で行ったり来たりしている。


 そして僕の心中も全く穏やかとは言い難いものだ。原因が十中八九、僕にあるので当然だ。

 通話先の圭が告げた『虚津神』や『神徒』という言葉は初耳であるが、重要なのはそれらの用語そのものではない。

 懸念すべきは彼女らの口調から、僕が神によって与えられた神通力に由来する問題が発生しているということ。


 圭の言葉に玲沙がギリッと口を歪め、論調もヒートアップしていく。


「……いや、んなわけねぇッ……楓眞の顔はあの時からこれっぽっちも変わっちゃいねぇんだ。神徒になった奴ってのは大なり小なり、虚津神の好みの容姿に変えられるはずだろう?」

『……えぇ、なので私も確信を得られず今日に至るまで個人的に調査を行っていたのです。そしてその結論と致しましては、まず間違いなく楓眞くんは何某かの虚津神に見初められているということ。それも間の悪いことにデータのない未登録の虚津神によって。――容姿に変化がないのは……あくまで予想でしかありませんが、楓眞くんが元々虚津神の好みの容姿をしていたか、神徒の容姿に興味がない虚津神だったか、といったところでしょうかね』

「ッッ……楓眞、身に覚えはあるか……?魔力以外の別の力を感じたり、使えたりとか」

「……ある、かも」


 楓眞はおずおずと、しかし確かにイエスと口にした。

 玲沙は息を呑むが、電話の向こうの圭は淡々と続ける。


『ふむ、やはりそうですか。……しかし、過ぎてしまった事態はもう仕方ありません。玲沙さん、ここから先は我々だけで――』

「クソッ……あぁ、わかった」

「お母さん……」

「楓眞、少しそこで待っていてくれ。……大丈夫、お前の未来が閉ざされるなんてことは、何があってもあたしが絶対に許さねぇ」


 玲沙はいつになく真剣な表情で、携帯端末を手にその場から退出した。


 残された楓眞の心情は漠然とした焦燥とこの先への不安が綯い交ぜになっているものの、その場から動くことすらできない無力感にも同時に襲われている。

 その姿がまるで鏡写のように僕の心情をも表しているようだった。


 冷たい静寂の中で、粛々と時は流れる。





 玲沙が通話を終え、ブラックアウトしている端末を手に再び楓眞のそばへと戻ってくる。その表情は到底明るいものであるとはいえない。


「……」

「お母さんッ……どうなったの……?」


 その表情を見て、恐る恐るといった様子で楓眞が尋ねる。

 それを見て玲沙も息子に気遣わせるほど自分が暗い表情を浮かべていたことに気づき、バシンッと頬を叩き、笑みを貼り付ける。


「ッッ……すまねぇ、不安にさせちまったな」

「ううん、そんなことない。それより……」

「あぁ、そうだな。元から勿体ぶるつもりもないから……これから言うお母さんのお願い、聞いてくれるか?お前の、今後のことだ」

「……うん」

「よし、いい子だ」


 ソファに座る楓眞の目線に合わせるように膝をつき、そう告げた。

 彼女の瞳には固い決意と、暖かな慈愛が通して見えた。心からこの子のことを想っていることが第三者でしかない僕にも伝わってくる。


 楓眞の手を優しく取り、一瞬祈るように目を緩く閉じてから言葉を紡ぐ。


「まず、これから楓眞には圭が手配した小さな村の空き家に引っ越してもらう。理由は……お前が『虚津神(そらつがみ)』という姿なき上位存在に見初められたからだ」

「……『ソラツガミ』って?」

「もちろん、それも説明する」


 玲沙曰く、『虚津神』とは人類が新時代を歩み始めた『黎明の時代』には既に存在して、魔縁陣営と人類陣営の戦いの行く末を定める要因となった神のような存在とのこと。

 虚津神は常に下界である現世を観察しており、特別気に入った人間や相性の良い人間に力を貸し与え、その者を己の御先――すなわち『神徒』にする、という形で現世に干渉を行う。


「つまり、理由は不明だけどボクに力を与えた虚津神がいるってこと?」

「そういうことだ。そしてその力、『神通力』は選ばれし特別な人間しか扱えないもので、虚津神に認められるってのは並大抵のことじゃない。……だが、同時に価値ある特別なものには悪い大人も集まってくる。まだ幼いお前は、いくら神通力や魔力を持っていても、力の強い大人に囲まれちまえば一溜まりもねぇ」


 だから辺境にある、物理的にヒトの干渉の少ない田舎に身を潜めるということらしい。


 ここまでのやり取りから分析するに、おそらく神通力に目覚めたという理由だけが問題点となっているわけではないはずだ。そうでなければ、わざわざ未登録の神通力なんて言い方をしない。


 しかし、玲沙が今ここで言及しないということは楓眞のためを想って言うべきでないということなのだろう。


「……お母さんは……?お母さんも一緒に……ッ……来ないの?」

「そうだ。あたしは……まだ、一緒にはここを離れられない。――やらなきゃならないことがあるからな」


 この返答を予期していたのだろう。楓眞の声に掠れと淀みが混ざる。

 果てしなく混乱しているだろう。つい先程まで全く普段と変わらぬ日常の時間が流れていたにも関わらず、生まれた時からそばにいて守ってくれていた肉親との生別が訪れるのだから。


 視線を落とす楓眞の手を優しく撫でてから、一転穏やかな口調で続けた。


「……不安なのは痛いほどわかる。自分の知らないところで、さらに訳の分からない存在のせいで理不尽な目に遭って、憤りも感じているだろう」

「……」

「それでも、あたしはお前に対してこれしか言えない。――母親であるあたしを信じてくれ」


 親子の視線が交差する。

 そこに込められたものは言葉以上の、血の繋がりをも超越した以心伝心。


「虚津神に見初められちまったお前は、これから否が応にも数奇な運命に巻き込まれるだろう。何も信じられなくなるほどの絶望や失望を味わうことになるかもしれない。――それでも……あたしが、あたしである限り、必ず何に代えてもお前の味方として守り続ける」


 まぁ頭の片隅ででも覚えていてくれ、そう続けて玲沙が微笑んだ。

 

「そんで、あたしがやらなきゃいけないことを終えた時にはまた一緒に暮らそう。それまで……待っててくれるか?」

「……」


 彼女の消え入りそうな儚い微笑みに楓眞の目尻から雫が溢れる。ぎゅっと母の手を握り込み、離さないように力を込める。






「――ボク、さ……魔族と対峙したあの時、初めて何かを失う恐怖ってものを知ったんだ」


 それから玲沙の問いかけに対して、ポツポツと言葉を重ねる。視線と両手は玲沙を捉えたまま離さない。


「……」

「力が無いと、手の届く範囲すら守れない。心を奮い立たせないと、手を伸ばすことすらできないんだって……初めて知った」

「……そうか」

「お母さんたちがどれだけ凄いことをしているのか、身をもって知ったよ。自分以外の誰かを守り切るってことの難しさを……体感させられた」

「ハッ……それを知る人間がどれだけいるかな」


 玲沙の言う通りだ。みな自分の身を守って生きることに精一杯で、他のことに手が回らないのだ。

 それでも退魔師は同じヒトの身でありながら、時に自分の身を犠牲に他人を尊ばなければならない。


 玲沙は余計に楓眞の言葉に重みを感じただろう。

 感心したような表情を浮かべ、自分の息子として誇りに感じていることが見て取れる。


 だがそんな彼女も次のこの子のセリフに、思わず言葉をなくした。





「――だからね、次に会う時には……心も身体も、見違えるほど強くなってみせる。ただ守られるだけじゃなくて、ボクもお母さんを守れるぐらいに……!」

「――!!」


 僕はとうに無くしたはずの身体が震えるような感覚を抱いた。

 齢十を数えたばかりの子供が、他者より優れた力を持ち得ながら慢心を捨て、大切な人を守るという意志の基に研鑽を重ねることを誓う。


「一人じゃ守り切れないなら、背中を合わせて戦えば最強だよね!」


 嗚呼……これだから僕は、人に憧れることをやめられない。僕には無いこの輝かしい意志を恋う。





『――きっと、一人なら暗い未来でも二人なら笑い飛ばせるわ。だって、私たち二人が力を合わせればどれだけ残酷なバッドエンドでも、ドラマチックな逆転劇でハッピーエンドに覆せる……そう、思えるでしょ♪』





『(……ッッ、またあの声……)』


 楓眞のキラキラとした笑顔が、記憶の底に沈澱するナニカと重なる。

 それがどこかもどかしくて、記憶を掘り起こそうと手を伸ばす。


「――ふはッ……ハハッ……ははは……!!」


 しかしそのタイミングで、意識の外から玲沙の堪え切れないといったような笑い声が響く。それにより、掴みかけていた記憶の断片が霧散するように手応えをなくす。


 ――果たしてあれは一体誰だったのだろうか……?酷く懐かしく、寂寥感に苛まれるような、まるで言い表しようのない感覚だ。


 しかし、思い出せないものは仕方ない。

 それはそれとして、楓眞の視線の先では玲沙が未だ俯いて肩を震わせ、笑っている。


『(ん……?あぁ、彼女のこれは……いや、言及するのは無粋か。うん、しかし気持ちはわかるよ、玲沙)』

「くくくッ……はー、笑った笑った。まったく、楓眞も生意気言うようになったもんだ。――だが、そうだな……二人で最強の親子か、悪くねぇ!!」


 顔を上げた玲沙はそう快活に叫んだ。

 そこに先までの深刻さはなく、いつもの溌剌とした姿が見られた。


「とはいえ、まだまだあたしを守るにゃ力不足だがな。ちゃんと食って寝て運動して、身体を作るところからだ。……こぉーんなぷにぷにの腕じゃ、あたしを抱えて走ることもできやしねぇッ!!」


 玲沙が楓眞の二の腕をガシッと掴んでニヤリと笑う。そしてグリグリと揉み始めた。


「ちょ……揉むなッ!あははッ、やめ……ッ!」

「オラッ!あたしの腕ぐらい簡単に振り払ってみせろよ、楓眞くーん?」

「はーなーしーてー!!いひゃッ、あははッ――!!」


 暗かった雰囲気を吹き飛ばすような二人の笑い声がこの日も家の中に響き渡った。










「……はんッ、男児三日会わざれば刮目して見よ、ってか?ハハッ、任務の時以外は毎日見てたはずだが……子供ってのは思ったよりずっと成長が早いみたいだ」


 楓眞が寝入り、夢の世界で姿なき誰かと邂逅を果たしているとき、彼女もまた誰もいない空に向かってポツリとこぼした。


「そんで、あたしはちょっと……涙脆くなっちまったかな……」


 そう告げる彼女の言葉尻には、僅かに掠れが混ざっていた。

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