第二十一話:七理結界・弍
門浦楓眞の内部人格を担う魂が『拝謁』した虚津神――『岩戸坐す御門神』の神通力によって、楓眞は大小様々な『門』を目の前に召喚し、空間を超越して〝血呑の大魔〟や退魔師を翻弄してきた。
まさしく、『不可視』の『門』の道が彼を助けてきた。
そして今、彼の両の掌には『不可逆』的な死へと誘う『門』が開かれた。
入ったが最後、その先に対となる門はなく、通ったものは等しく虚無へと還る。
「――『岩戸坐す御門神』 【禁忌-不可逆性論理-】」
通常の『門』は対となる出口と合わせて一箇所に留まるが、この新たな『門』の入口は神通力を行使する神徒と共に座標を遷移させることができる。
今回は楓眞の掌に纏った神通力が『門』となる。
さらに、この能力をより凶悪なものへと変貌させる要素が、神通力を魔力と併用する術である【神魔戴天】。
強化された肉体性能に付随して、虚無の概念を纏った掌が敵対者に襲いかかる。
「――こんなものかいッ?!退魔師……!!」
「く、そッ……なんて、やりづらい……!!」
低い体勢から、首や脇腹など様々な部位を狙って無造作に掌を突き出される。
それらを沖島は慎重に手首より奥で払い除け捌く。
反撃に裏拳を放つも、その進行上に掌を掲げられるだけで動作を停止しなければならない。触れられるだけで致命となるとわかっているから。
拳を握る必要すらなく、神徒の理不尽を存分に押し付ける戦い方。
先ほど近接戦を繰り広げた時とはまるで異なる、脱力した読みづらい動きと、触れられることすら許されないプレッシャーに沖島は冷や汗が止まらない。
「(座標の指定が追いつかない……!!私じゃ、捉えられないッ!!)」
また、茜についても大きな心理的負荷が掛かっていた。
魔力強化できない身でゆえに、到底逃げられない速さで迫る死の気配からは、楓眞と直接対峙している沖島と比べても遜色ないほどのプレッシャーを感じる。
彼女にとっての彼我の距離など、魔力によって超常へ足を踏み入れた者からしたら一息で潰せるものだ。
楓眞も『結界』の要となっている茜を積極的に狙うが、沖島がそれを許さず斜線上に立ち塞がり、再び両者の応酬が始まる。
茜は沖島が危機に陥りそうになるたび防御用の『結界』でサポートを行い、傍に楓眞が動きを止めるような隙を伺う。
この綱渡りの攻防が繰り返されるたび、魔縁討伐のプロである彼らの心身にすら疲弊が与えられる。
「ハァ、ハァ……こんなに神経削るのは、幾年ぶりかねぇ……!!」
掌の『門』が沖島の頬や指先を掠め、肉が削がれる。その度に鮮血が闇夜を染める。
その凶悪な神通力に意識を向けると、今度はそれに水を差すように蹴りや肘打ちが認識の外から襲いかかる。
致命的な場面も幾つか訪れたが、そのたびに六角の結晶から構成される『結界』が沖島の身を守る。
そして、楓眞の攻撃を妨げた『結界』が小さな結晶ごとに分裂して動き出し、物理的な質量を持った飛翔物体となって攻撃に転じる。
「【排斥-現前サンガ-】!!」
「おっと、『結界』でそんな奇天烈なことしてくるのか……面白いッ」
物理的硬度を持つそれが、それなりの速さで衝突してくるのは、ダメージにはならずとも煩わしさと僅かな呼吸の乱れを生む。
「――けど、所詮はその場凌ぎの飛び道具だ」
「く……ッ」
しかし、楓眞は散弾のように襲いかかってくる『結界』の結晶の中で被弾するものを正確に識別して、掌の『門』に吸収して対処する。
手を振った軌跡上の結晶は、全て現世から姿を消した。
「動く『結界』ってところだろうけど……ほら、途端に神通力への耐性が下がってる。その自由な発想は素直に褒めるべき点だろうけど、ボクには意味ないよこれ」
「……いいや、これでいい。そのままサポートと妨害よろしく、茜ちゃん」
楓眞は鼻を鳴らして、茜の奇襲の一手を意味がないものだと評する。
しかし、対して沖島は逡巡するような表情を浮かべた後に、茜に背を向けたまま変わらず続けるように指示をした。茜はそれに軽く頷き、浮遊する『結界』の結晶板を生み出して射出する。
「だから、時間稼ぎぐらいにしかならないって。キミたち、さっきから少し弱腰過ぎない?」
「くかかッ、だがその分焦ってくれるだろう?異空間を繋ぐなんて、再現なくできるほど燃費が良いわけない。所詮、神徒は神徒――お前さんらは神ではない」
「……ま、それぐらいはお見通しか」
沖島の指摘から嘲るような笑みを消して、『結界』の結晶弾を神通力で受け止めることはせず、単にその場からの退避を選択した。
その行為は単なる時間稼ぎのはずの遠距離攻撃を嫌ったことに等しい。
楓眞の『門』は生み出す度、そして物体が通過する度に神通力を消耗する。
〝血呑〟からの継戦で、虚津神から干渉を受けるためのエネルギーである神通力の総量は三割を切っていた。逃走のための温存を考えると、もはや意味のないブラフのためのパフォーマンスに割く神通力は残っていないと考えた。
「(本当は戦いの中の思考にこそ、味が出るというものだけど……やっぱり今の僕がこの二人をまともに相手するのは厳しいか)」
この戦いの分水嶺は恐らくここになるだろう。だからこそ、目の前の攻撃に対処しながらも慎重に手の詰め方を頭の中で描く。
その両手に握られた『不可逆』の『門』で仕留めるか、あるいは――。
「……よし、決めた。それじゃあ、畳み掛けるとしよう」
「「――!!」」
楓眞がポツリとそう言葉を溢す。
それと共に、ピリッと張り詰められるように変化した空気の流れを、沖島は鋭敏に感じ取った。
茜もまた、幼少期から退魔に携わってきた者として、己の第六感が囁く危機の訪れを聞き逃さなかった。
警戒の視線が向けられる中、楓眞は駆けた。
ここにきて初めて、茜ではなく明確に沖島を標的として。
「ッ、来いッ!!」
「ふはッ……ボクに教えてみろ!!キミという『人』が何たるかを!!」
もはや何度目か、二人がぶつかり合う。
そこには、これまでにないほどそのぶつかり合いには力が籠っていた。
楓眞が『門』を手に刺突と握撃を放ち、沖島は長い手足を活かして近寄らせない。かといって自身から注意を逸らさないような絶妙なま間合いを保つ。単なるステータスでは語れない、経験と研鑽がその戦いを成立させている。
……しかし、いつか綻びは生まれるものだ。
「あは……!」
「ぐ……ッ、く……!!」
「おじ様……!!」
凪ぐような右手の一撃が、沖島の左脇腹を掠めて肉を抉る。
そのまま楓眞が沖島の右側頭部へ向けた膝蹴りのモーションに移ったため、沖島は激痛を堪えながらも防御するため構える。
そこに茜が即席で展開した『結界』が合わさることで、凡人であっても神徒の神通力が込められた一撃を無傷で防ぐことができるはずだった。
「――やっと、分かりやすい隙を晒してくれたね」
――『岩戸坐す御門神』 【禁足-不可視の廻廊-】――
それまでは、必ず余裕がある状態で次に備えた守りであったが、今回だけは致命的な一撃を恐れた決死の防御だった。
ゆえに、視野が狭くなる。
さらに加えて、初見である通常の空間転移の『門』との併用。
神通力が込められた鋭い膝蹴りが『不可視』の『門』を潜り抜け、抉られた脇腹をダメ押しする。
「――!!」
「ァ、が……ァ゛ッッ゛!!」
ただでさえ神徒の神通力のエネルギーというものは魔力と比べて強力であり、防御に回せば重さのない優れた鎧に、攻撃に回せば下手な武器よりも破壊力を持つ。
込められた神通力はそう多くなかったとはいえ、負傷したばかりの部位へ与えられた一撃の重大さは、ぐちゃりという生々しい音と沖島から漏れ出た小さな絶叫が物語っていた。
楓眞はそれでも顔色一つ変えず、トドメとばかりに『不可逆』の『門』によって、沖島の腕と首を狙う。
「ッ、させないわよ……!!【遵守-四方サン――!!」
絶体絶命のピンチに陥ったバディを救うため、楓眞を閉じ込めた時とは反対に、全方位の外からの衝撃に強い『結界』を組み立てる。
代償は、自身の守りへのリソースの減少。
「――あ゛、かね゛ちゃん゛……!!ダメだッ!!」
「『浄土』のお姉さん……自分の価値を、見誤ったね?」
沖島が叫ぶものの、新たな『結界』の基盤は驚くほど素早く編まれ、今更止まることはできない。
楓眞はピタリと動きを止めて振り返り、暗闇に爛々と輝く茜色の瞳で真なる標的を見据える。
死に一度は近づいた経験のある神徒だからこそ、身に覚えのあるゾッとするような感覚に包まれて息が詰まる。
その瞬間にはすぐそばから、ぬるりと『不可逆』な道へ招く小さな掌が迫っていた。
「く……ッ、【遵守-現前サンガ-】!!」
「へぇ……!」
血脈を握られるような寒気に突き動かされて、その場における最適解を導き出した。そしてそれが間一髪、首を断とうとした楓眞の手を妨げて致命を避けた。
「やるねッ!!神通力への耐性と物理的な守りを必要最低限に、展開速度を速めたか!!」
「(こいつ……相変わらず、気持ち悪いぐらい分析が正確ね……!!)」
しかし、それで危機的な状況は変わらない。
楓眞が全身を『門』によって茜のそばへ転移させて追撃に移る。
この戦いが始まって、初めて二人の神徒のタイマンが実現した。
茜からすれば、掻き消えたように見えるほど俊敏な動き。
さらに現在、茜にできることといえば動きを予測してピンポイントで『結界』を展開することのみ。
全身を覆う【四方サンガ】は元より発動の隙を与えられるわけもなく、沖島の周囲に展開してしまったそれを解除することすらできない。
茜にとって明らかに不利な局面に持ち込まれた。
「【遵守-現前サンガ-】!!」
「――でも残念、不完全な守りならボクはこうするだけだ」
それゆえに、決着も一瞬だった。
楓眞は拳を強く握り締め、一瞬にして全身のエネルギーを一点に集中させる。
「【神装・斂撃】!!」
「〜〜ッ゛ッ!!」
鳩尾に純粋にして強力無比な一撃が決まり、茜の身体がぐらりとバランスを崩す。その瞳からは、アメジストのように美しい光が消えていた。
さらに、『結界』の維持をになっていた術者の意識が途絶えたことで、戦場を覆っていた神通力の通行を禁ずる『結界』に綻びが生まれる。
「(よし、今なら『門』で逃げられる。あと一回なら、長距離も繋げられる――!!)」
楓眞は確かな手応えを感じたことで、残心も取らずに次の『門』を準備し始める。
「――ま゛……て……ッ、ぜぇ……お前さん、そう簡単に逃げられると思うなよ……!!」
「な……マジか……」
血反吐を吐きながらも、負傷を感じさせない気迫溢れる動きで沖島が迫っていた。
楓眞も目を見開き、思わず潰した彼の脇腹を見遣る。
目を背けたくなるような負傷の跡から血が吹き出すが、痛みは彼の行手を妨げない。
常ならば、その信念を賭けた一歩に敬意を表していたが、楓眞はその想いを振り切って『門』に踏み込んだ。
「――この、私を……誰だと思ってるの……!!」
それと同時に、もう一つ近くで浮上した気配と、自身を押し留める忌々しい檻が再び降ろされようとしていることを察知して、思わず冷や汗を流しながら感情のまま叫ぶ。
「おいおい、キミもか……魔族じゃあるまいし、今ので倒れとけよ」
「ハァ、ハァ……舐めるのも、大概にしなさいよッッ!!」
先ほどの一撃は内臓を圧迫するだけに留まらず、確実に彼女の胸骨を砕いた。
呼吸するだけで激痛が走るはずで、況してや緻密な操作が求められる『結界』の神通力を編み直すなど、並の精神力ではない。
実際、完全な『結界』の修復はできておらず、元から比べると粗さが目立つものだったが、少なくとも異空間を繋ぐ道という繊細な力を妨げるには十分な効力を発揮した。
そして肝心な楓眞の内心は今、二人への惜しみない称賛と共に、今日一番の焦燥感を抱いていた。
手負いの獣を想起させるような気迫溢れる退魔師二人、残りの神通力で相手するには不安が残ると感じてしまった。
「(もはや一考の猶予もない!!手早く、仕留める……!!)」
楓眞は両の手に最後の神通力を練り上げる。
継戦能力、殺傷能力共に優れた『門』をもう一度開く。
茜と沖島もまた、痛みを振り切って肉体と魂の奥底から己の力を引き摺り出す。
「【魔装躯籠】!!」
「【排斥-現前サンガ-】ッッ!!」
「【神魔戴天】【禁忌-不可逆性――!!」
しかし、幸運の女神は『御門』の神徒に微笑む。
三者がぶつかり合う寸前で、戦いに水を差すように『結界』に亀裂が走る。
何事かと空を見上げると、さらに亀裂は広がっていき――。
「な、『結界』が……!!茜ちゃん、どうなってるッ?!」
「わからない!!でも、『結界』の基盤が壊されたッ!!」
「(……圭か!!)」
四方、三十メートルほどの『結界』が音を立てて崩壊した。
退魔師の二人が混乱に陥る中、楓眞は当然この好期を見逃さなかった。
次の『門』の行方はまだ定まっていない。残った神通力によって、でき得る限り遠くへ繋がる『門』を生み出す。
――『岩戸坐す御門神』 【禁足-不可視の廻廊-】!!――
「逃げられる……!!」
「待てッ!!お前さんには聞かんといけない事が……!!」
茜と沖島が、『門』へと姿を消していく楓眞を追い縋ろうとする。
しかし無情にも、楓眞が足を止めることはなく、両者の間は『門』によって隔てられる。
「これ以上追ってくるのはお勧めしない。キミたちが潜った瞬間、ボクはこの『門』を閉じる……どうなるかは、見てたでしょ?」
「く……ッ!!」
「それじゃあね。今回は不完全燃焼だったから、次会う時はお互い心ゆくまで語り合おう。その手段は……まぁ、そっち次第かな」
術者はそう言葉を残し、この世界のどこかへと繋がる『門』は暗闇に溶け込むように消え去った。
後には崩落した小さなビルが二棟に、争いの跡として地面や壁が抉られた痕跡やそこに付着した血痕だけが残った。
吹き抜ける夜風が喧騒の後の静けさを強調しているようだった。
「〜〜っ、くそッッ!!」
「おじ様……」
沖島の失意の叫びがこだまする。
膝を着き、地面に拳を振り下ろす彼の脇腹からは、未だ血が滲み出していた。加えて身体の端々の至る所には抉られた痕や切り取られたような痕があり、そこからもボタボタと血がこぼれ落ちていた。
また、見た目では分かりづらいが、茜も制服の内側では胸骨が折れるほどの怪我を負っている。
二人とも、いくら頑強な退魔師であっても十分重傷といえる容態だ。
しかし、これは彼らにとって日常の一部でしかない。
ヒトに仇なす魔縁の化け物や、底なしの悪意を携えた同族を相手する上で、生傷が絶えることはないからだ。
腕を失えば脚で、四肢全てを失えば歯で喰らいついて戦い、内臓が潰れても魔力で身体を動かす。
生きてさえいれば、魂が無事でさえあれば、再び戦場に立つ手段は用意されている。
「ごめんなさい……私が、最後……」
「っ、茜ちゃん……いや、それを言えば俺の判断ミスも多かった。死んでも茜ちゃんの盾にならなきゃいけなかったんだ。況してやお前さんに守らせる状況を作るなんぞ……俺の方こそ、すまなかった」
退魔師の中でもベテランあるいはエリートと呼ばれる二人にとって、何も得られず徒労に終わった今回の任務においての無力感こそが、重く肩にのしかかっていた。
しかし――、
「……ふんっ、それもそうね!!次は私の騎士として、もっとスマートに守り切ってよね!!私も、その……いつでもおじ様と肩を並べて一緒に戦えるように鍛え直すから……!」
「茜ちゃん……」
沖島には茜にすら告げていないが、密かに今回の事態において対峙した神徒に拘るとある理由があった。
茜自身も薄々、沖島に何かあることを感じてはいた。そして捕縛失敗に終わった後の、常ならばあり得ない沖島の荒ぶる様子から、その懸念は確信に変わる。
それらを全て打ち払うように、茜はいつものように尊大に振る舞った。
「く、くくッ……だっははッ!!こりゃ参った!!全く、現場でも世話焼かれてちゃ、いよいよおじさんの立つ瀬がねぇなぁ!!」
「えぇ、私をバディに引っ張り出した時の言葉、違えないでちょうだい?」
「くかかッ……あぁ、そうだな」
沖島は輝かしい若芽の成長に救われるような気持ちを抱いた。
同時に、この歳になって周りが見えていなかったようだと恥じる気持ちを湧いてくる愉快な笑いで覆い隠した。




