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第二話:キミは大切な宝物

 夜の帷が降りた世界は黎明を待つ。

 幼い子供はすでに明日の自分に想いを馳せ、床に就く時間だ。


『(……改めて自分の状況を整理してみようか)』


 前世から今世へ、持ち出せた記憶にはいくつかエラーがある。

 魂だけの存在としてヒトの肉体もない。


『(まぁそれは今更な話だ。もとより一度死んで消えた存在……普通は次などないのだから、贅沢な悩みでしかない)』


 せっかく手に入れた命の延長だ、何か一つでも手に入れたい。

 幸いにしてあの願いは残っている。


 ――『人』になりたいなどという身に余る願い。


『(残念ながらそのきっかけは忘れてしまったけれど……もしかしたらこの願いを追っていれば、その記憶も呼び起こされるしれない)』

 

 あとは、あの世界での一般常識や、教養、生きる術といったところは大体覚えている。

 この世界とはズレている知識もあるだろうから楓眞を通して確認もしてきた。逆にこの子に知識として授けることも。


 肉体の持ち主、門浦楓眞とコミュニケーションを取ることには少し前から成功している。

 これには神から授かった『神通力』が関係しているが……今は置いておこう。

 とにかく、限定的ではあるが会話を交わすことができている。彼の夢枕に立つという形で。


 楓眞は最初は戸惑っていたけれど、今では僕のことをそれなりに気に入ってくれていた。

 最初は負担になるかと思い、週一程度だった夢での会話も今や毎晩である。魂だけでの会話だからか脳や身体はしっかり休まっているようで、特に問題はないそうだ。





 楓眞の視界が闇に包まれ、規則的な呼吸音が響き始めた。

 さて、今夜も秘密の邂逅の始まりだ。

 

『やぁ、おやすみ。楓眞』

「うん、おやすみなさい!カエデ!」

『ふふ、この挨拶にも慣れてきたね』

「ちゃんと現実じゃないと認識するためだっけ……なんだか特別感があって好きだよ!」

『それはよかった』


 楓眞が眠りに落ちて僕たちが出会う時はおやすみ、眠りから醒めて別れの時はおはよう。

 最初は現実との区別がつかなくなることへの予防だったが、これまでの経過を見るに恐らく無くても問題ないとは思い始めていた。だが楓眞が気に入っているならこれからも続けよう。


『――それにしても、玲沙が無事帰ってきてよかったね。しばらく休暇らしいし、小旅行ぐらいになら行けるんじゃないかい?』

「明日から学校なんだよね。来週行けるか聞いてみようかな」

『あぁ、もう三連休終わりか。そうだね、来週がいいだろう。景色がいいところがいいな、君の視界から楽しめる。沖縄とかどうだい?』

「小旅行じゃないよそれ。ほぼ海外旅行じゃん」

『おっと、沖縄のヒトに今の発言聞かせたら文句言われるかもしれないね』


 ふと、対面する少年を眺める。

 ため息が出そうなほど美しく、幼いながらに完成された中性的で端正な顔立ち。

 それでいて玲沙が撫でまわしたくなるのもわかる、庇護欲を刺激する愛らしさに溢れている。

 これは彼が柔らかな表情を浮かべているからだろう。一転、冷たい表情を浮かべた時は大人もたじろぐほどの鋭利な美しさに変貌する。

 そして男の子にしては長めのライトブラウンのサラサラヘアはさぞ手触りがいいことだろう。ここが虚構の世界で、直接触れることができないのが口惜しい。


「はぁ、明日からまた一週間学校……いや、四日か。それでも面倒なものは面倒だね」

『……ふむ、学校は嫌い?僕は前世の時そういったものとは無縁だったもので』

「嫌いとまでは言わないけど退屈ではあるね。周りの話のレベルに合わせるのが苦痛だよ。勉強も一人でやってる方が捗るし、わからないところがあればここでカエデに聞いた方がよっぽどわかりやすいや」


 子供らしいところはまだまだあれど、楓眞は自他共に認めるほどに優れた知性を獲得している。

 時にはこの子の倍の時間は生きた僕でさえも、回答に頭を悩ませられることがあるほどだ。


『まぁ、学習範囲超えてるからね』

「それに……ほら、こんな顔だからさ。みんな好き勝手言っちゃってさ。……うん、やっぱりちょっと嫌いかも」

『容姿については……彼らは子供だから、価値観も築ききれていないし、自分とあまりにも違うものを本能で拒絶する者は一定数いるさ』


 過ぎた美しさは人にとって時に毒ともなる。

 それにどちらかといえば少女のような可憐さも兼ね備えていることから、小学校という幼い価値観が蔓延る場所では異物として認識される場面もあるようだ。

 もちろんこの子に魔性に惚れ込む者たちも少なくない。


「学校にいるより、キミやお母さん……あとは圭さんとの会話の方が気を遣わなくていい分何倍も楽しい」

『その中に名を連ねられるとは光栄なことだ。ただ、僕と会いたいからって前みたいに寝過ぎないようにね。あくまでここは、夢の中みたいなものだから』


 楓眞には僕のことをカエデと呼ばせている。

 前世の記憶の中でも、特にヒトの名前は全く思い出せない。自分自身がなんと呼ばれていたのかも含めて。

 だから僕を判別する記号として、捻りもなく楓眞から文字って『カエデ』と名乗った。


「カエデはそんなに頭が良いのに学校行ってなかったの?」

『そうだね、僕には親という存在がいなくて、幼い頃に路頭に迷っていたところを拾われて孤児院にいたんだ。それでそこを経営していた『先生』に色々教わった。……けど、学校には行っていなかったから、君の学校生活は中から見ていても新鮮で楽しいよ』


 話しながらふと、世界を渡ってなお残された前世()の微かな思い出を想起する。

 孤児院の皆んなや、卒業した後に出会った人々……名前も顔も詳しくは思い出せないが、確かにそこには僕たちの営みがあった。


 ごく僅かな時間駆け巡った記憶を後にして、意識を目の前の少年に戻すと、どこか気まずげな様子であった。


「……えと……なんか、ごめん」

『おや、一体どうしたんだい?』

「その、上手く言えないんだけど……カエデは学校行きたかった?」


 歯切れの悪い言葉回しと楓眞の表情を分析するに、同情や反省といったところか。僕が学校に行けなかったのに対して楓眞が行ける身分で贅沢を言ったことへの自責か。


 意図していなかったとはいえ、僕はむしろ彼の人生にお邪魔しているような状態だ。

 邪険にはされど、僕に対して気遣ったり気に病んだりする必要などないというのに。


『うーん……さて、どうかな。一つの経験にはなり得ただろうね。でもそれが僕を満たすことができるといえば否かな』

「……そうなの?」

『まぁ僕の記憶も曖昧な部分は多いけれど、孤児院や社会だからこその出会いもあったように思う』


 出会った人の顔も名前も思い出せないのに、刻まれたその輝きだけは僕の目に焼きついている。


 あの時先生の手を掴まない選択肢もあった。

 その未来ではきっと僕はここまで人への分析力を上げられることはなかっただろう。況してや次の生があることも、楓眞とこうして話すことも。


『だからね、楓眞……退屈だとしても学校を知見の一つとして、同年代の人間と交流をする場や、他人の生き様を近くで見る場として割り切って通っても良いし、不必要と断じて通わなくたって良い』

「……」

『どちらにせよ、思いがけない出会いがあるかもしれない。――それこそ生きる意思ともなる、大切なものとか』


 これは僕が人を知りたいと言ったときの先生の教え。

 必ずしも絶対の正解とは限らないだろうけど、少なくとも僕にとっては『人』を知る手掛かりとなった。


「ふふんっ、ボク……もう既に大切なものはあるよ」

『……へぇ?一体どんなものだい、聞かせておくれよ』


 そして終ぞ、僕には手に入れられなかったもの。

 

 それをこの子は手に入れているという。

 全く参ったものだ。これではどちらが大人か分かったものではない。

 それにしても、ほとんど共存しているといってもいい楓眞が大切とするもの……果たして、それは一体この子にどんな輝きを与えているのだろうか。


「うん、それはお母さんと――」





「――キミだよ、カエデ!」

『――!』

「起きてる時はお母さんと遊んで、寝ている時はカエデがお話ししてくれる……そんな毎日が一番大好きで大切な宝物!!」


 ここまで真っ向から想いを告げられた経験は……記憶している限りないため、どこか照れ臭く感じる。

 子供の好意は純粋無垢で、その輝きは何よりも尊い。


『は、ははっ……それは、なんともいじらしくて……可愛らしい発言だね』


 そんな楓眞だが、満面の笑みから微笑みに。

 雰囲気が変わったことに気づく。そして僕にとっては何よりも重い言葉が投げかけられる。


「それで……カエデ、キミは何が大切?」

『ッ……そ、れは……』


 優しく目を細める目の前の子供。

 その魂の輝きは……嗚呼、とても眩しくて、それでいてやはりどこか懐かしい。

 喉がせり上がるような感覚に苛まれ、思わず口ごもる。


 それから僅かな時が流れ、ついて出た言葉はまるで罪人が懺悔するかのようだった。


『……ずっと、わからないんだ。多くの人の営みを見た。言葉にできないほど壮麗な景色を見た。音楽も、絵画も、時には生き死にだって……それでも結局、僕には心を震わす何かを見つけることはできず、君たちの見る世界の姿を拝むことはできなかった』

「……」

『君の方がよっぽど立派に人生している。僕は何歩も出遅れて……いや、一歩すら踏み出せていないんだろう。学校や親なんかより、そのことの方が何千倍も羨ましい』


 自分の半分も生きていない小さな子供に、一体何を言っているのだろうか。

 だが自然と、それこそ一度同じことをしたことがあるかのように言葉が出た。


『……ッ……ごめんね。いきなり訳のわからない――ッ?!』

「そっか……」


 何もない虚構の空間にも関わらず、一瞬茜色の日差しが差し込んでいるような幻覚を見た。

 どこか、景色がダブって見える。デジャヴという感覚と似ている。


 そう、息を呑んで呆然としていると楓眞が太陽のような溌剌とした笑顔で見上げた。





「――それなら……ッ!!ボクがカエデの大切なものになってあげる!!」

『……は……?』

「何にかえても守りたいって、それでいて蕩けて溺れちゃうほどの『愛』を、キミに教えてみせるよ!!」


 天真爛漫な笑顔、子供の無邪気な発言だ。

 そうやって、笑い飛ばすことができないのは何故だろうか。


 特に今日は幻覚が酷い。

 ほら、今だって……もう居ないはずの『君』の笑顔が……ッ……?





『(――『君』って誰だ……それに一体、僕はこの子に何を見てる……?)』

「そもそもッ!ボクはカエデのことかけがえがないほど大切に思ってるのに、一方通行なんて許せないし!!」


 明るい笑顔から突然頬を膨らませて咎めるように指差してくる楓眞に、先までの面影はない。

 見上げる彼の視線が僕の戸惑いを射抜いたように感じ、慌てて心のない謝罪を口にする。


『ぇ、えっと……なんか、ごめんね……?』

「フラれたみたいになるから謝んないでッ!!それにボクは普通に女の子の方が好きだし!まぁ、好きな子なんていたことないけど!!」

『うん、そうだね。僕もそこは同じかな……』

「……あ、話脱線しちゃった。――こほんっ、とにかく今日からカエデの大切なものはボク、門浦楓眞だから!!」

『ふ、ふふっ……決定事項なんだ?』


 楓眞の年相応の子供らしい我儘を始めて聞いた気がする。コロコロと変わる表情や口調すらも微笑ましい。


 それにしても、大切なものは自分で見つけるものとばかり思っていたが、まさか主導権を握られるとは……それもこんな幼い子供に。

 だが、ふらふらと軸もなく彷徨うばかりな僕にはきっと、丁度良いのかもしれないな。


 それからは他愛のない話をして、二人だけの秘密の夢世界は緩やかに進行する。










 そして楓眞の身体が起床のため覚醒し始め、夢世界の邂逅は今日も終わりの時を迎える。


『やっぱり君とのお喋りは楽しいね。特に今日は一等、時間があっという間に感じたよ。さて、そろそろ朝になることだし……楓眞、おはよう。今日も良い一日を』

「うんっ、おはようカエデ!!」

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