第十九話:血呑の大魔・参
『〝禍津公女〟よ、魔辿の躯を捧ぐ!!』
〝血呑〟による宣誓と共に、彼の腕部が激しい光を放ち、闇夜を切り裂く。
切り落とされた左腕も呼応して発光したことで、足元からも赤い光に目を焼かれ、楓眞は堪らず視界を腕で覆って塞ぐ。
それから、再び見慣れた暗闇が戻ってきたことを確認して〝血呑〟を見据えると、左腕だけでなく砕けていた右腕も肩口まで消えていた。
背後の足元を確認すると、楓眞の胴を貫き、切り落とされた左腕の残骸も姿を消していた。
「魔素が、消えた……?」
『――◾️◾️、◾️◾️』
「ッッ!!『詠唱』……!!させるかッ!」
〝血呑〟は再び漏れ出す魔力を操って、魔縁言語による詠唱を紡ぎ始める。
ヒトのように複雑な発音に魔力を乗せて魔縁言語を紡ぐのではなく、魔力そのものを操って意味を為すため『詠唱』の構築が早い。具体的には一つの小節に対して凡そ一から二秒程度。
楓眞は詠唱の始まりを察知し、その他の魔術とは異なる異様な雰囲気から妨害に動く。
「(『魔辿炉』から切り離してたはずの魔素が消えたことや、さっきの宣誓の謎は後回し……!!『詠唱』を……いや、『魔辿炉』を潰して何もさせないッ!!)」
小さな身体を躍動させ、瞬く間に〝血呑〟へと接近する。
神通力がその身を包み、バチバチと弾けるエネルギーと共に振るう拳は、胸の傷ではなく左脇腹付近を狙い撃つ。そこには、既に消耗により魔力の澱みが隠せなくなり、魔族の中枢器官である『魔辿炉』が存在を主張している。
「鋭く、的確……ッ!!だが、だからこそ分かりやすい!!」
「ッ、脚で……!」
動きを読んでいた〝血呑〟は膝を曲げたまま胸元まで左脚を引き上げ、楓眞の拳に対する盾とする。
しかし、魔力での防御も薄くなっているため、迎え撃つ脛の魔素が打ち砕かれていく。
それでも〝血呑〟は怯まず、腕の遠心力無しに身体の軸の回転のみで、防御から攻撃のための蹴りへと移る。
「ふ、んぬゥゥゥァァァァ!!」
「ぐッ、く……ッ!!」
最後の気力を振り絞ったような、鬼気迫る横蹴りの乱打。
楓眞はその太く強靭な〝血呑〟の赫脚による攻勢を捌ききれず、その場から飛び退く。
二者に間合いが生まれ、呼吸をする時間の空白が生まれる。
「……やられたな、意地で押し切られたね」
「その身に我ら魔縁の真髄を味わせてやる……!!」『◾️◾️、◾️◾️、◾️◾️――』
――水元素魔法 【赫へと還る旅の路】――
通常、『魔術』は二から四節の詠唱により魔力を『元素世界』のいずれかへと接続して、魔力現象として現世に具現化する。
〝血呑〟や〝三途の魔獣〟が繰り出した『地』や『風』の魔術はまさにこれであり、他にも『水』や『火』を合わせて、全部で四種の元素世界と魔術系統が存在する。
これら四大元素は、久しく現代の化学元素とは異なる哲学、古代神話、あるいはファンタジーとして扱われていた。
――現世に『魔縁の匪徒』が現れ、魔力という超常が体系化された果てに『魔術』が立証されるまでは。
始まりは魔縁の祖――〝災禍の魔祖〟による人智を超えた災厄の力。
次に〝魔祖〟が討伐され、没した後に行われた魔族の掃討戦。そこで、高度な知能を獲得した特異個体が祖の災厄の力を再現した。高度な知能により独自の言語体系――『魔縁言語』を獲得したそれら特異個体は『高位魔族』と定められ、祖の災厄の力を再現した現象は『魔術』と名付けられた。
そして、人類はかつて世界を災禍に包み込んだ『魔術』の力を求めた。
長い年月を経て研究が進み、魔縁言語の解読と再現は成し遂げられた。
それでも魔術研究は未だ発展途上。
魔縁の匪徒にも未だ判然としていない生態や、現時点では再現不可能とされる力が存在する。
「これが、大魔族の術理を超えた魔縁の力――『魔法』か」
ここに、五節に及ぶ『詠唱』が完遂された。
楓眞の目の前には腕を無くしてなお、悠然と佇む〝血呑の大魔〟。
その隣には、名を象徴するかのような真っ赤な血液がどろりと蠢き脈打つように、大きな球体となって集まっていく。
「魔力が『血』に……?」
「我々大魔族が『魔法』を行使する際、肉体を構成する魔素――今回の場合、俺様の両腕を不可逆的に供物として捧げなければならない」
『魔法』は大魔族とその他を区別する、最も大きな要因である。
人類が『魔法』の再現を不可能とした理由に、現在〝血呑〟が解説している魔素を捧げる『儀式』の存在が挙げられる。人類には、この魔素を供物として捧げる工程が解明できなかった。少なくとも魔族を討伐して獲得した魔素では成立しなかったのだ。
そして、研究を進めようにもそもそも『大魔族』という個体が少なく、さらに捕縛する労力が見合わないことからサンプル確保に難航し、『魔法』に対しては「再現性なし」という結果だけが残った。
「供物として捧げた部位は『魔法』に接続している間、魔素の補填による再生すらも不可能となる。つまり俺様は両腕を無くした状態でお前と戦わなければならん……まぁどちらにせよ、今の俺様には再生するだけの余力もないがな」
「……」
「とはいえ、こういうことはできる――【赫爪】」
直径一メートル大にまでなった赫い球体から、ズルズルと血液が重力に逆らって流れ出し、〝血呑〟の両肩から先に集まり形を成す。
血で擬似的に作られた赫い腕は、そのまま再生されたかのようだが、手先には大きな手甲鉤がギラリと輝く。
魔縁の存在に赤い血は流れない。
魔素でできた肉体の内側に流れるのは、実態のない魔力という超常エネルギーだけ。
であれば、自在に流動するこの血は魔力で生み出された『血のような何か』と表現する方が正しいのかもしれない。
だが、もしもこの血が本物で、加えて仮に万人に適応するようなことがあればその医療価値は計り知れない。
「(――いや、今考えるべきことは生み出したこの血液で何ができるかってことだ。血を生み出して操るだけ……だったら、圭もあんな警告しないよな)」
この場で〝血呑〟と対峙する前、楓眞は圭から『魔法』に関する説明を受けていた。
内容はシンプル。なるべく使わせないことと、その危険性について。
『――赤い霧、枯れ果てた死体、旧くから京の都に住み着く赤鬼……様々な言い伝えがありますし、私自身も『名塚村』で対峙しました。確かに強力な『大魔族』でしたが、手傷を合わせた今はかなり弱体化しているはずです。……しかし、奴の『魔法』についてだけは判然としていません。なぜかわかりますか?』
とある居酒屋にて、楓眞と圭の二人は間に鍋を挟んで、これから会敵する〝血呑の大魔〟に関する情報整理を行っていた。
圭はこの後の演技のためにアルコールを、楓眞は精神は兎も角肉体的には未成年なためソフトドリンクを手元に置いている。
『……『魔法』を使わせる間も無くやっつけたから?』
『えぇ、その通りです。しかし、この場合正しくは使わせたくなかったからです』
『魔法』を行使するには、先も述べたように複雑な工程を挟む必要がある。
大きく魔素を削がれる『儀式』、五節に及ぶ長い『詠唱』……これらは致命的な隙になりうる。
『使わせたくなかった……そんなに大魔族の『魔法』ってのは強力なの?』
『ふむ……発動までのコストが高く、影響力もその魔族の生態や環境などにも依存しますが――』
しかし、一度それらが完遂されてしまえば、対峙するその者は魔縁の真価を目にすることとなる。
それ即ち、かつて世界を暗澹に沈めた、途方もない人類への悪意を糧とした災厄の力の片鱗。
『――我々人類に対する悪意を煮詰めたようなその凶悪性に限れば、ともすれば虚津神の『神通力』をも上回るやもしれません』
既に『魔法』の発動までを完遂させてしまった以上、楓眞は最大限の警戒をもって〝血呑〟の動きを観察する。
対して〝血呑〟に残された時間はそう長くないはずだが、彼は未だ戦意は見せず、むしろ敵に塩を送るような語りをやめない。
「こいつはあらゆる血に混ざり適合する――侵食といった方が分かりやすいかもな。ほんの一滴でも混ざれば、その血は【赫へと還る旅の路】の支配下だ」
「……ッ!!」
「ゆえに、ここから先は一切の傷を負うことをお勧めしない」
楓眞はその凶悪性に目を剥く。
かすり傷でも負おうものならば、その傷口から侵入して〝血呑〟の『魔法』の支配下となる。そうなれば後はその場で血の巡りを止めることも、内側から破裂させることもできるだろう。
人類、あるいは血が通う生物への特効性を突き詰めたような力だ。
しかし、『魔法』の実態を事前に告げる意味がない。警戒されてしまうに決まっている。
ゆえに、楓眞もその疑問をぶつける。
「……随分とお優しい解説だ。ここまで来て、まだボクのこと舐めてるのかな?」
「ふん、そのような段階はとうに終わっている。むしろ……いや、これ以上は無粋だろう。時間も、もう残されていない」
疑問に最後までは答えず、〝血呑〟は口を閉ざした。それはまるで、答えはこれからの闘いの中で魅せるとでも言うような武人の如き姿。
死が歩み寄る緊張と、人喰いのバケモノにあるまじき〝血呑〟の人間臭さを前にして、楓眞は意図せず薄い笑みを浮かべる。
「お前はただ無心で、俺様を殺しにくるだけでいい。――俺様も魔縁に生きるものとして、己の禍いを最後まで楽しむとしよう」
〝血呑〟は言葉の終わりと共に、血が集まってできた球体を赫い鉤爪で切り裂いた。
――【赫へと還る旅の路】【赫霧】――
その瞬間、結界の中は赤い濃霧に覆われた。
元々灯りも少なく、暗闇に覆われていた中であったため、一寸先すら見通せなくなる。
楓眞の視界から一瞬にして〝血呑〟の姿が消える。
「赤い霧、これが噂の……!」
血の匂いがする赤い霧に覆われた瞬間、鬼が現れ生き血を啜られる。
逃げ出した者は枯れ果てるまでその血を捧げることとなる。
『魔法』の概要を知った今、この霧が先ほどの血を基にしており、傷口から侵入されたことで血を抜き取られたのだと想像できる。
楓眞はこの見通しの悪い霧の中から仕掛けられる攻撃に備えなければならない。
「(〝血呑〟の魔力が一体に満ちていて、魔力探知が当てにならない。……奴の場所を特定するのは無理だな。僅かな魔力の流動の変化を捉えないといけないわけか、厄介極まりない)」
【赫霧】の中では、その全域から〝血呑〟の魔力が反応している。
動きがない限り、〝血呑〟の居場所もどこから攻撃が来るかも判別できない。
しかし、楓眞は必要以上に神経を削らずゆったりと構えて待ちの姿勢でいた。
理由は、追い詰めているのは自分であり、タイムリミットに追われているのは相手であるから。必ずそう時間を掛けずに仕掛けて来ると確信していた。
「――!!」
「【赫束煌】ッ!」
「なるほど、そう来るかッ!!」
霧から再び血液へ。
圧縮し打ち出されたそれは、赫い光線となって楓眞に襲いかかる。
一束、二束ではない。四方八方から視界を埋め尽くすように煌めく。
いち早く、血に込められた魔力の動きを察知した事で、楓眞はその場から脱出する。
楓眞が元いた地面には高水圧で貫かれた穴ができていた。人体に風穴を空けることなど容易だろう。
一つの場所に留まることが危険だと判断して、魔力探知だけは怠らず霧の中を駆け抜ける。
赤い光線がその間も頭上や背後、足元からも襲いかかる。
だが、攻撃はそれだけではない。むしろ〝血呑〟が明確に楓眞を上回る力とは、長い時を掛けて研磨されてきた魔力強化術による身体能力。
視界の端、霧に紛れて僅かに影が揺らめいた直後、ギラリと輝く凶悪な鉤爪が楓眞を切り裂かんと振るわれる。
殴打では神通力の防御を砕くことはなかったが、『魔法』で生み出された血の手甲鉤がどれほどの硬度か分からない以上、万が一を考えて上体を逸らして回避する。
「ッ、シィィ!!」
「そんなもの、当たらん!!」
体勢が崩れたが、逆にそれを利用して地面に手をつき、楓眞が飛び上がるように蹴りを放つ。
しかし、まるで霞のように〝血呑〟の姿が掻き消え、手応えを掴ませない。楓眞の蹴りは僅かに【赫霧】を晴らすだけで空振りに終わる。
「〝七理〟よ、いいのか?!そこで足を止めてッ!!」
「っ?!まず……ッ!!」
どこからともなく〝血呑〟の声が響き、己の立つ場所の悪さに気づく。
いつの間にか、例の血でできているのだろう棘に囲まれ、大きく身動きが取れない。
「無傷では抜け出せまい!!――【赫束煌】!!」
血が圧縮され、キィィィンと甲高い音が楓眞の耳に聞こえてくる。
もはや一拍の後に射出され、楓眞の身体には無数の風穴が空くことだろう。
――岩戸坐す御門神 【禁足-不可視の廻廊-】――
「【開門】!!」
しかしそれは〝血呑〟にとって未だ未知である楓眞の神通力が発動されなければ、という意味のない仮定の話である。
極限まで圧縮され放たれた血液は、虚空に赤い軌跡を描き、再び地面だけを貫いた。
楓眞は血で覆われた荊の領域の外にいた。
「避けたッ、あの状況から……?!」
〝血呑〟は驚愕の思いをそのまま口にする。
どう足掻いても無傷での脱出は不可能なはずだった。
高硬度の荊は小さな楓眞の身柄であってもすり抜けるのは不可能なように囲っていた。神通力で身体を全力で覆って無理やり脱出するにしてもあまりにリスクが大きい。なにせ擦り傷一つで命取りとなる。
しかし、荊の中でなく外で、彼は無傷のまま佇んでいた。
「(十中八九『神通力』!!そして、俺様の腕が切り飛ばされたことと、不可避をすり抜けた今……共通する項目があるとすれば――)」
「――どこ、見てるのかなッ!!」
「な……?!」
思考を巡らした僅かな間で、〝血呑〟の目の前には拳を振りかぶった楓眞の姿があった。
動きがあれば十分に対応が間に合う距離を取っていたはずだった。その距離が瞬く間に無きものとされていた。
だが、これをもって〝血呑〟は己の予測に確信を抱く。
「(――こいつの神通力は『空間』を司る類のもの!!)」
正確無比に『魔辿炉』を狙った拳の軌道に、血で模った鉤爪を割り込ませて防御する。
金属同士をぶつけたようなガキンッという無機質な衝撃音が響く。
ギリギリと拳と血の鉤爪がせめぎ合う。そして、終わりの時が刻々と迫る〝血呑〟は次の一手を王手とするべく行動に移す。
もう一方の鉤爪がドロリと形を失って、最初の球体に戻る。
「(確かに時間稼ぎという面で見てこれほど厄介なことはない。だが――)」
それだけでなく、鉄の匂いに包まれていた赤い霧が徐々に晴れていく。
代わりに、振り出しに戻るように血の球体が膨張していく。
最も枷となっていた【赫霧】を自ら解除したことで、楓眞は怪訝な表情を浮かべる。しかし油断はしない。【赫へと還る旅の路】の凶悪性がなくなったわけではないからだ。
「点での攻撃が効かなければ面で、面での攻撃が効かなければ――」
「……ッ、まさか」
そこで楓眞は血の球体が内部で流動していることに気づいた。ギュルギュルと、まるで解き放たれるのを今か今かと待っているようだった。
貫手での攻撃は逆手に取られカウンターでダメージを負い、血の荊と【赫束煌】による面制圧は逃げられた。
ならば、逃げる場所もないほどのありったけの攻撃を。
――【赫へと還る旅の路】【赫潮】――
「ハハッ、まじかッ!!」
「――全てを呑み込んでやるまでだッ!!」
血の球体が、今度は一人でに破裂し、赫い津波となって襲いかかった。
霧の時とは違い、実態のある質量となって呑み込もうとする。
波に呑まれてしまえば身動きが取れない上、触れている場所全てから【赫束煌】が身を貫き血管へ侵入してくるだろう。
「だけど、それは悪手でしょ!!」
――【禁足-不可視の廻廊-】【開門】――
今ある魔力のほとんどを血液へと変換した、『大魔族』の必殺技。
しかし、それを前にしてなお、楓眞は一切取り乱すことはなかった。
なぜならば、逃げ場が残っていたからだ。
楓眞が構築した『浄土結界』はおよそ半径三十メートルのドーム形状。
地上は完全に呑み込まれるだろうが、結界内全てを覆うには足りない。
楓眞は赫い津波が迫る中、冷静に神通力の能力を発動させ、上空へ逃れるための『門』を開いて潜り抜けた。
『岩戸坐す御門神』の神通力によって生み出される『門』は誰に対しても開かれる。
事実として〝血呑〟の腕は『門』のこちら側と向こう側の空間の乖離によって、【閉門】と共に分断された。
それ以外は全て、楓眞が自分自身を別の空間へ送り込むために『能力』を行使していたが、変わらずそこに転移対象を制約する条件は存在しない。
「――だから、悪手だって言ったでしょ?」
そして【赫潮】から逃れるため開いた『門』が閉じられる前に潜り抜け、ビルの壁面に足をかけたのは楓眞ともう一人。
その者――〝血呑の大魔〟は楓眞の眼前へと鋭い手甲鉤を突き出した状態で自嘲する。
「……あぁ、そうだな。しかしまさか五百年もの時を魔縁として生きてきて、最後に自滅とは……」
間の数センチの距離が、二人の生死を分けた。
魔法のために残り僅かとなっていた魔力も完全に使い切り、肉体を動かすためのエネルギーすら失った彼は、魔素の器が端からボロボロと崩壊していく現実に抗う術を持たない。
「それに、魔素もほとんど使い切っちゃってさ……これじゃキミの言うことが本当だとしても、大した記憶読み取れないじゃん」
「ふん……むしろそのことを教えてやったのだから、俺様に感謝するべきだろう」
存在が消えゆく中でも、彼の大魔族としての尊大さは健在のようだ。鼻を鳴らしてその大きな身体で楓眞を見下す。
「……お前が奴らの情報を手に入れて何をするつもりかは知らないが、近づくためには万全の大魔族とも対峙することになるだろう」
「キミみたいなのが万全で、ねぇ……ちょっと考えたくないな」
「くくッ、随分弱気だなぁ。そんなことでこの先の地獄にお前のようなガキンチョ一人、立ち向かえるのか?」
くつくつと笑う〝血呑〟だが、彼の肉体の崩壊はすでに七割を超えて、血で模った手甲鉤も欠け始める。
すでに地に足は付いていない。宙に漂ったまま、空気の中に魔素が溶け込んでいくような光景から、やはり魔族はどれほどヒトのように言葉を囀ったとしても異形の存在なのだと、楓眞は改めて認知した。
そして〝血呑〟からの挑発とも取れる発言に対して、楓眞は迷いなく応える。
「あいにく、僕は独りで戦ってないんでね」
「……そうかよ」
一見綺麗事のように聞こえるその言葉だが、〝血呑〟の思い浮かべる人物と、楓眞が独りでないと言った要因となる人物は異なる。
楓眞――いや、外法師『七理』のカエデにとっては特別な意味となる言葉だったが、それを〝血呑〟が解することはあり得ない。
その時間も、もはや残されていない。
顔の上部のみが未だ崩壊を続けているが、他は全て形を保てず空気に散っていった。
旧き大魔族の一体が没する時が来た。場所彼が支配し血に染めてきた地、京の都の片隅。
「じゃあね、血に狂わされた哀れな大魔族」
「あぁ……精々この先、お前らが苦しむような禍いがあることを願ってるぜ」
その言葉を最後に、長きに渡り世に赫い霧の恐怖を与え続けてきた魔縁の鬼は現世から姿を消した。
大きな存在感を放っていた『大魔族』がいなくなったことで、人気のない片隅の路地はがらんとした印象を人に与える。
「さて、量としては全く期待できないけど、依頼達成の証として魔素は回収しておかないとね」
そう言って楓眞は術者と共に血の海が消え去ったことを確認して、足場としていたビルの窓から飛び降りる。
それから、胸元からとある『退魔導具』を取り出す。
「えっと、使う時は縦、縦、横……」
一面に九つのブロックがある立方体で、まるで色のないルービックキューブのような見た目である。さらに、カチャカチャと見た目から予想できる通りの動きで一列ごとにブロックを回転させていく。
これは『魔弔筺』と呼ばれる代物で、魔素を自動で回収する退魔における必需品である。現在楓眞が行なっているように、決められた操作で起動するようになっており、魔素を回収・保存する機能がある。魔素を回収する際には、全部で二十七個のブロックがバラバラになって取り込む。
「よし、オッケー。最後ここを回して……おわっ、眩しッ!」
無事に『魔弔筺』の起動条件を満たすと、青白い光を放ち、バラバラになって手元から飛び散った。
ほとんど『魔法』発動のための供物や魔力変換に費やされてしまったが、微かに結界内に漂っている魔素を隅から回収していく。
しばらくその様子を眺めていたが、量も多くないためそう時間も経たず楓眞の手元へと『魔弔筺』が元の形となって舞い戻った。
「……少ないなぁ。次からはもっと良い状態で討伐しないとね」
しかし言葉とは裏腹に、楓眞は反省はしていても結果に関してそれほどは悔いていなかった。
むしろ、魔素から魔族の記憶を読み取れるという足掛かりは、魔素を得るよりも価値があったと感じている。帰ってからの検証が必要だとは考えながら。
それに、『位階干渉域:侵』となって手に入れた神通力の潜在能力を始めから使うことができていれば、もっと余裕をもって対処できていたとも考えている。
だから悔いるとすれば結果よりも過程について。
では、楓眞はなぜ始めから能力を使わなかったのか。
一つは、空間を繋げるこの『門』の神通力が純粋に燃費の悪い代物であるから。
距離に依存してくるが、自由にそう何度も転移門を開くことはできない。
それでも、もう一つの要因がなければそもそも消耗をそこまで気にする必要はなかった。
先の戦闘で『門』を開いたのは合計四回。格闘で用いた分を合わせても、神通力はまだまだ半分以上の余力がある。
「――さて、無粋なお客さんたち。魔族は倒したけど、まだ用があるのかな?」
肝心のもう一つの要因、それは『浄土結界』への侵入者が現れたこと。
「用もなにもお前さん、自分が何を相手にしてたか分かってんのかい?」
「それに、その見たことのない神通力……神徒ってのはね、在野で野放しにできるような代物じゃないのよ」
草臥れた雰囲気の中年の男と鮮やかな薄紫の髪が特徴的な女が瓦礫の影から姿を現す。
両者共に、楓眞も酷く見覚えのある制服に袖を通している。
肩に煌びやかな金の装飾、羽織るように装着されたマントなど、全体的に重苦しい軍服のようなデザインである。しかし、袖口の広がりや内側に描かれた紋様、散りばめられた帯など和風な雰囲気が人に寄り添う暖かさも感じさせる。
その暖かさも今は、着用している二人の只事ではない雰囲気によって打ち消されており、見るだけで緊張感が走る。
「改めて、我々は『魔縁対策機関日本国本部』『退魔三課』所属の退魔師だ。お前さんを違法退魔活動、並びに『名塚の大火』における魔縁誘致の容疑で拘束させてもらう」
中年の男――沖島聡が楓眞を見据えて罪状を告げる。
楓眞は前者の内容には納得を示すものの、後者の容疑には覚えがなく眉を顰める。
しかしその疑問よりも、結界の主人である自分に気取らせず侵入したことの疑問の方が大きかった。
そして、そのカラクリについて一つアテがあるとすれば――。
「抵抗しなければ悪いようにはしないわ。大人しく捕まった方が身のためよ」
最大限の警戒をもって見つめる先で冷たくそう告げる女――皇茜が発する濃密な虚津神の気配。
神徒である彼女の仕業だろうと、同じ『位階』に立つ者として楓眞はそう結論付けた。




