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第十八話:血呑の大魔・弍

 不自然な砂埃の滞留が、吹きつけた一陣の風によって取り払われ、月夜の薄明かりが舞い戻る。

 月明かりに照らされた路地の真ん中で、一つの戦いがターニングポイントを迎えた。


 ――楓眞の胴体を背後から、〝血呑〟の赫腕が丸ごと貫いた。


「……」


 楓眞が見下ろす視界には、丸太のように膨れ上がった力強い左腕が突き出している。

 彼の生命活動を担う数多の臓器が潰され、溢れ出す血肉という名の生命力が零れ落ちる――





「やっぱりね、そろそろ限界だと思ってたよ」

「は……?」


 ――ような事はなく、その瞳にはゾッとするほど冷たい殺意だけが映っていた。


 対して、命を刈り取ったはずの手応えがまるで伝わらない現実に〝血呑〟は一瞬動揺を浮かべる。

 しかし、その思考の空白はすぐに致命的な痛みによって塗り潰される。


 ――岩戸坐す(いわとざす)御門神(みかどかみ) 【禁足-不可視の廻廊-】――


「【閉門】」


 楓眞が小さくそう呟くと同時に、彼の腹を貫く赫い腕の中ほどで、目には見えない門戸がバタンと閉じる。


「ぐッ、ガァァぁぁ゛ッッ?!!」


 次の瞬間には、閉ざされた門の先で〝血呑〟の腕が肘から断裂され宙を舞っていた。


 肉体を構成する『魔素』は魔族にとって生命力そのものであると同時に、活動エネルギーたる『魔力』を閉じ込める器でもある。

 その繋がりを断たれるのは再生能力があるとはいえ充分致命的なダメージとなり、再生までに漏れ出す魔力は彼らを消耗させる。


 虚を突かれたダメージに思わず怯み、後退る〝血呑〟に対して、楓眞は容赦なく消えぬ弱点となっている『祓魔』の太刀傷に回転蹴りを叩き込む。

 突き刺さった彼の蹴りは〝血呑〟の大きな身体を軽々と浮かせて、崩れたビルの瓦礫に衝突させた。


「ギリギリで後ろに跳んだか……狙いが甘かったかな」

「ハァ、ハァ……ッ……く、そ……神通力の、『能力』……ここまで、隠してやがったか……!!」


 追撃を許さぬよう、瓦礫から即座に立ち上がった〝血呑〟は自身の消耗には目もくれず、楓眞の力の正体を看破し、悪態をつく。


〝血呑〟は牙を軋ませながら、かつて見た神徒たちとの戦いを思い返す。

 彼は魔縁の尖兵として、幾度も尋常ならざる戦場に身を置いてきた。その中には神徒との戦闘経験も。

 ゆえに、虚津神がどのように現世へと干渉しているかよく知っている。





 ――神徒には、『位階干渉域』によって虚津神から段階的に力を分け与えられる。


 見初められた時点では神通力という純粋なエネルギーそのものだけ。

『拝謁』を叶え、『位階干渉域:侵』へと至った神徒は神通力に『能力』として固有の性質が加えられる。〝灼呪の大魔〟の『火焔』の神通力や、伊織圭の『神殺し』や『祓魔』の神通力がこれに当て嵌まる。

 そして、更なる『死』と『拝謁』を乗り越えた限られた神徒には、虚津神の根幹となる『権能』を与えられることとなる。


「(あのガキを貫いた時、まるで手応えがなかった。そして、気づけば俺様の腕があっさり切断……いや、どちらかといえば取り外されるような――)」


 〝血呑〟は過去、数々の神徒やその神通力と対峙してきた経験から、目の前の不可解な現象を神通力の『能力』、あるいはそれに付随する性質変化によるものだとすぐさま特定した。

 しかし、目に見えるわかりやすい能力でないゆえに一度の行使では詳細まで判別できない。つまり、楓眞の神通力の性質の特定という無視できないタスクが発生してしまった。


「ハァ……ハァ……仮にも大魔族相手に、舐めプとはなぁ」

「事情があってね、出来れば見せたくなかったんだ。……仮に『能力』まで使うとすれば、ボクが防御も回避もできないかつ、この神通力によるカウンターの確実性が保証できるタイミングに限っていた」


 楓眞は「仮に」と口にしつつも、そのタイミングが必ず訪れると確信していたような話し方だ。

 しかしこの戦略が成立するには、地力で劣ると認める判断力と〝血呑〟の思考を読み切る分析力、さらに神通力の制御に対する絶対の自信が不可欠である。もし少しでも不自然さが出て気取られてしまえば、今度は逆に楓眞が致命的な隙を晒すことになる。

 小さな身体に反して尋常ならざるその胆力に、豊富な戦闘経験を持つ〝血呑〟も、今まさに劣勢にありながら思わず舌を巻く。


「確実に仕留めるため仕掛けて来たのは、既にキミの消耗がデッドラインを超えたから。人質を勘定に入れても、結界の外に控えてる(あの人)に勝てないと踏んだんだろう?」

「……」

「無くした両腕を治さないのが良い証拠だ。生命維持のための魔力を生み出すので精一杯のはず。それを司る『魔辿炉』も……ほら、ここまで上手く隠してたみたいだけど、もう全然隠せてないよ」


 そう告げる小さな狩人を黙って睨みつける〝血呑〟には、つい先ほどまであった力強い赫腕が欠けていた。

 右腕は楓眞の拳に砕かれ、左腕は綺麗な断面で途絶えており、無くした肘から先の部位は楓眞のそばに無造作に転がっている。

 胸からだけに留まらず、器に穴が空いたように欠けた両腕の先からも少しずつ魔力が漏出している。


〝祓魔〟の能力によって治せない胸部の傷と異なり、ただ欠けただけの腕部に関しては再生しない理由がないのだ。

 魔族の再生は非常に単純明快で、粘土細工のように余った魔素を貼り付けるだけで良い。

 それをしないということは、もはやそのための魔素すら残っていないということ。その肉体も、ただ外壁を器として保っている形だけのものに過ぎないのだ。


「ボクのことを舐めプだって言ってくれたけどさ、キミの方こそまだ切ってないカードがあるでしょ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()……まぁ、もう遅いだろうけどね。切り札は切らなきゃただの紙切れだ」

「……好き勝手、言いやがる」


 もはや〝血呑〟は、楓眞の言い分に強く言い返すこともできなかった。


 事実楓眞の言う通りで、後ろに控える伊織圭から尊厳を取り戻すことしか頭になく、目の前の戦力を見誤ったことが原因となり、彼自身をこのような致命的な状況まで追い詰めた。


 対して、目の前の黄昏時を彷彿とさせる少年は冷静に能力の使用可否を判断し、力を失ったとはいえ永い時を生きた『大魔族』である〝血呑〟を余力を残して対処しきった。

 その強かさは、まさに彼の心情とする強者の余裕ある振る舞いであり、だからこそ返す言葉少なに、その流麗な戦い様に感じ入っていた。





「――鬼退治ってのは封印や更生ってのが相場だけど、ボクが望むのは〝灼呪の大魔〟や他の『大魔族』に関する情報とキミの死だけ。それさえ素直に話せば楽に殺してあげるよ」


 因縁に囚われ、純粋な闘争に身を委ねなかった点において二人は同じであった。


 しかし、二人が置かれた立場の明暗ははっきり分かれた。

 要因は、ほんの些細な覚悟と準備の差。

 楓眞は両手に神通力を漲らせ、膝をつく〝血呑〟に歩み寄る。その身には大きな傷は一つとしてなく、余裕のある佇まいである。


 対してそれを見た〝血呑〟は、力が入って歪んでいた表情から、ふっと気を抜いたように息を吐く。

 その姿はこれから己の命を刈り取るだろう小さな怪物を前に、諦観を抱いているようにも見える。


「……ふん、その問答に意味はないはずだ。魔縁の匪徒(俺様たち)はその全てが『魔』と繋がっている。お前ほど『魔』に近い存在なら、俺様の記憶ぐらい魔素から読み取れるだろう?」

「は……?」


 楓眞はここで始めて想定外の事態を被り、思考に空白ができた。

 

 戦場においては致命的な隙だ。

 だが〝血呑〟は既にその隙を突くだけの余裕もなく、その瞬間を見送るに止める。

 

「魔素から記憶を……?いや、確かに君たち魔族を形作るのは魔素……ふむ、理屈はわかるけど――」

「なんだ、やはり気づいてなかったか」


 代わりに、至極どうでも良さげに自省の言葉を口にする。


 楓眞は齎された想定外な情報の価値を測り、〝血呑〟に注意を払いつつもその場で考え込む。

 これが本当ならば、これから〝灼呪〟の行方や最愛の弟の魂を取り返す手掛かりを得るために尋問するという手間がなくなり、ただ討伐して魔素を入手するだけでよくなる。

 問題は魔素を読み取るという机上論を実行に移せるか、という点である。


「(キーワードは彼が言った『魔』に近い存在って部分。もしかしなくても、僕のこの【神魔戴天】を含めた魔力の扱い方だろうな。つまり、魔族と同じ水準での魔力操作の可否、といったところだろう。詳しくはやってみなきゃ分からないが、やってみる価値は十分に――)」


 高度な知能を持つ高位魔族同士のコミュニケーションは人類の言語や魔縁言語で成立する。

 しかし、低位魔族に対する指示や、彼ら同士のコミュニケーションは言語では理解が及ばず成立しない。

 ゆえに、肉体構成だけでなく記憶の保存も司る魔素のやり取りで端的な情報交換が行われ、意思疎通を成立させる。


 楓眞はその点、魔族と同じく呼吸をするように自然な魔力操作ができる――すなわち限りなく高水準で『魔』に精通している。

 ならば、彼も魔族と同様に、魔素から情報や記憶の読み取りができる可能性はある。


 このような因果関係を成立させ、楓眞は思考の渦から抜け出して、実証に入るべく〝血呑〟を見据えた。

 同時に彼はなぜ、わざわざ魔縁と敵する自身にこのような気づきを与える助言を齎したのか訝しむ。


「〝血呑の大魔〟、名前も知らない魔族のキミ……どうして?」

「……ふん、さぁな。己の死を前にして、全てがどうでも良くなったのか、ムカつくお前を地獄の入り口に立たせたくなったのか――」


 疑問の意味を解したのか、彼は凶悪な鬼の形相には似合わない自嘲するような笑みを浮かべて独りごちる。


「……あるいは、確かめたくなったのかもな。俺様がこの『魔縁』の力と共に生きてきた五百年……これまでのその全てに、果たして意味があったのかどうか」


 見上げた空に向かってそう投げかけた彼から、再び怖気の走るような『魔』の気配が漂い始める。

 結界によって閉ざされた闇夜の空から、スッと視線を楓眞に戻して射抜く。

 その気迫に先までのような荒々しさはない。しかし静謐でありながらどこか、その場から二の足を踏ませるほどの力強さを楓眞は感じ取った。


「まさか、今更ここで切り札を切る気かい?」

「そうだ」

「……キミたち魔族にとって魔素が枯渇していくのは、己というアイデンティティが喪失していくような耐え難い苦痛のはず。……そのまま抵抗しなければ、楽にしてあげるというのに」

「チッ、分かったようなことを言いやがって。やはりあの女と合わせて、とびきりムカつくガキだなお前は」


 楓眞が告げるように、ここで安楽の死を迎えることもできただろう。

 しかし、彼とて〝血呑の大魔〟と畏れられる旧き大魔族。彼の魔縁としての矜持と本能が燃え上がる炎となって叫びをあげている。


 まだ終わっていない。存在し続ける限り闘争と災厄を振り撒いてこその『魔縁』に生きる者なのだと。


「――ここから先は、複雑な事情も思考も全てが不要だ。俺様がお前を殺せば先の失言は闇に葬られ、そうでなければお前は魔縁を征服する旅路に出るだろう……!!」


〝血呑〟が立ち上がると共に、彼の砕けた右腕と落ちた左腕が赫く眩い光を放ち、闇夜を不気味に照らし出す。

 そして、共に迸る彼の魔力はこれまでにないほど膨大で、緻密に編まれた波長は『魔縁言語』となって世界に言葉を紡ぐ。





『〝禍津公女(まがつこうじょ)〟よ、魔辿(まてん)(むくろ)を捧ぐ!!』


 久しく訪れた血に染まる霧の恐怖が、ただ一人を冥界へと引き摺り込むために牙を剥く。

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