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第十七話:血呑の大魔・壱

 気が遠くなるほどに永い時を生きた。


 それでも我々、魔縁の匪徒は人間のように脳機能が衰えることはない。なぜならば、そもそも脳などという形ある器官に依らず、記憶というデータの保存すら肉体を構成する魔素が司っているからだ。


 ゆえに俺様のように魔縁の黎明期から存在し、五百年の時を生きようが、過去の出来事を忘却することはない。

 それでもやはり、積み重ねてきた経験による既視感というものが、直近の出来事を既知として認識するに値しないものと断じる。


 では、俺様の魔素が記憶する最も深く刻まれた未知は何か。それは――。





「(伊織圭……ッ!!あの女に刻まれた不治の傷!!そして、泥水を啜るような屈辱の日々!!)」


 それは、五百年に渡る悠久の時の中でも鮮烈に刻まれた最新の記憶。 

 視界に煌めく銀の剣線、熱を映さない暗紅色の瞳。

 そして、俺様を嗤い見下す高位魔族(部下)大魔族(同僚)の視線。


「(この屈辱を遠い記憶として埋めるには、あの女をこの手で殺し、その血で禊落とさなければならない!!)」


 ……しかし、今の俺様の身では万が一にも勝ちの芽はないだろう。

 さらに魔力欠乏により、刻々とタイムリミットが近づいている。


 それら全てが、伊織圭の神通力によりこの胸に刻まれた不治の太刀傷によるもの。

 あの女と事を構えるには、まずこの傷を塞ぎ、漏れ出す魔力を抑圧しなければならない。

 しかし、この傷の如何はあの女が握っている。この傷が付けられた時点で俺様の首には枷が掛けられているに等しかったのだ。


 運が良いことに、この枷を外す唯一の方法が今、俺様の目の前に転がっている。

 すなわち、目の前の〝七理〟と呼ばれていたガキを盾に、この身を蝕む『祓魔』の太刀傷を治させればいい。

 万全な肉体と『魔法』さえ、この手に帰還すればやりようはいくらでもある。





 ――問題は、このガキを伊織圭と相対するだけの余力を残した状態で生け取りにしなければならないこと。


「(こいつも神徒か……厄介だな)」


 小さな身体を躍動させ跳躍し、拳を突き出すその姿を見下ろす。

 流麗で堂に入った美しい構えだ。その拳が向かう先も、俺様の胸に刻まれた忌々しい傷部を確実に捉えている。


 その攻撃を受けるわけにはいかないため、魔力を外郭に張り巡らせて腕をクロスに組み、防御体制に入る。

 そのままガキの拳は、俺様が組んだ腕に着弾する。


「……ッ、やるな!!」

「……」


 伝わる衝撃から、奴の神通力の高いエネルギーに目を見張る。

 伊織圭が引き連れ、俺様の討伐を任せるだけのことはある。確かに、ポテンシャルの高さは伝わる。


「だが、あの女とは比べるべくもない……!!」


 俺様はこの京の都を永きに渡り支配してきた。

 その間、当然敗北は許されない。

 神徒をこの手で葬ったことも一度や二度ではない。


 ゆえに、目の前のガキの実力は既知の領域であると断ずる。

 あの女が異常なだけだ。

 何処ぞの神擬きに見下ろされたぐらいで調子に乗っている奴らなぞ、多少弱ってようが問題にならない。

 鍛え上げた魔素と魔力の質、戦闘の勘、そして魔術こそが魔縁の強さというものだ。


 振るわれる拳も、蹴りも、動きも、その全てが積み重ねてきた既知の範疇だ。

 ガキの攻撃は、致命的な場所さえ避ければこちらにとってダメージにならない。


 対して、魔力強化による膂力はこちらが圧倒的に分がある。

 神通力による防御力で傷やダメージは最小限に抑えられるだろうが、膂力勝負になればすぐに型がつく。

 ゆえに、俺様はこのガキを一度この手に捕まえてしまえばいい。

 そうすれば、握り潰すも首を捩じ切るも容易いものとなる。生殺与奪の権を俺様が完全に握ることができるのだ。


 一手で詰むことができる以上、俺様が圧倒的に優位に立っている。

 魔力と神通力の切り替え、生まれる呼吸の致命的な隙を突いて仕留める。


 このガキは、俺様が殺してきた神徒と変わらない。

 俺様よりも弱く、搾取される側の存在だ。


 簡単な、戦いとも呼べない蹂躙劇を経て、俺様はまた大魔族(強者)へと舞い戻る。





 ――しかし、振るう赫腕は空を切り、代わりに神通力を込めた鋭い拳撃が俺様の肉体を穿つ。


「ぐ……ォォッ?!」


 俺様は『大魔族』として、最も旧くから存在する魔縁の一柱だ。

 この程度の、それも高々十数年の歩みしか持ち得ない人間のガキ相手に苦戦することなど、どれほど弱っていてもあり得ない。

 ……それなのに、なぜだ。


「(なぜ……このガキの目の奥に、あの女の影がチラつく……ッ?!)」


 況してや、俺様に生涯唯一の逃げ傷を付けたあの女を重ねるなど……。


 きっと、先ほど邂逅した衝撃が抜けていないだけだ。

 因縁と会い見えた熱が、幻覚を見せて冷静さを奪っているのだ。


 ――違和感。


 既にこのガキの動きは見切っている。

 人間の『魔力適正者』として、特段魔力強化に優れているわけでもない。

 能力を見せないのは未だ『拝謁の儀』に臨んでいないからか、戦闘に使いにくい代物か、はたまた隠し球としているか。


 思考は回る。獲物の動きも十分捕らえられている。

 脅威なのは神通力による高い攻防力のみ。


 すなわち、変わらず一手で詰める状況だ。


「(なのに、なぜだ……!!なぜ、未だ捕らえられないッ?!)」


 魔力から神通力に切り替える攻撃と防御の瞬間を突く。

 それこそ、神徒であるならば絶対に切り離せない隙が生まれる瞬間。





 しかし、俺様の握撃はまたしても虚空を貫く。

 熱を映さない茜色の瞳と視線が交わり、ズキリと胸の太刀傷が痛む。


 ――違和感。


「ッ!!ゥゥ、ォォオオオオオオッッ!!」

「……」


 まるで、この世のモノでは無い怪異や異物を前にした時のような薄ら寒い感覚に背筋が冷える。


 少年とも少女とも見える美しい造形が、月光に照らされ影を落とす。

 その様に思わず息を呑み、ただ手を止めて見入ってしまう。

 当然、そんな隙を目の前の小さな怪物が見逃すはずもなく、人体であれば急所となる箇所に連撃を見舞われる。


 無視できないダメージに、反射的に反撃を放つも軽やかな動きで悠々と避けられる。

 未だ、俺様は小さな獲物に一撃も有効な技を当てられていない。





 ――違和感。


 ずっと胸の内に燻っていたその正体をようやく掴んだ。

 そして既知にあれど、未知にあるソレを垣間見た。


「……ッ?!まさか、ありえん……!!それは、我ら魔縁の神徒だけに許された特権のはずだッ!!」

「……岩戸坐す(いわとざす)御門神(みかどかみ) 【神魔戴天】」





 ***





 僕の胴体ほどある鬼の赫腕は、轟音と共に夜風を切り裂き、コンクリートの大地を容易に打ち砕く。

 神通力で防御していてもダメージは免れないだろう。


 頭上から振り下ろされる巨腕をすり抜けて、壁に向かって走る。そのまま壁に沿って一歩二歩と上に駆け抜け、〝血呑〟の頭上を取ったところで壁を蹴り、首元へ回し蹴りを放つ。


「シィ!!」

「ぬ、ゥゥ……ッ!!」


 体重を乗せた蹴りはその大きな腕に阻まれる結果となった。ズズンッと衝撃が地面に伝わり、僅かに後退りさせるがそれだけだ。


 むしろせめぎ合いが終わり解放され、空中で無防備となったこちらの方が危うい戦況である。

 夜闇の中獲物を狙い定めたようにギラリと視線が鋭くなる。首筋に寒気が走り無理やり上体を逸らすと、もう一方の赫腕が掴みかかるように視線の上を通過していった。


「チッ……!」

「(魔素を削れない程度の攻撃だと、確実に耐えて反撃されるな……)」


 やはり魔力の扱いや運用効率に関しては天と地ほどの差がある。

 神通力の有無という一点だけで何とか戦いが成立している状態だ。しかし、それも人体の表面上の攻防力を補う程度に過ぎない。膂力や敏捷性といった身体能力は魔力強化率に依存する以上、一度その大きな掌に捕まってしまえば物理的に逃れることは不可能だろう。


 これで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()によって致命傷を受け、弱った状態らしいのだから『大魔族』がいかに強大な存在か伝わるというものだ。

 しかし、まぁ――。


「――〝灼呪(あいつ)〟から感じた圧には程遠い」

「ッ、ゥゥォォオオラァ!!」


 爪の先が僕の頬を掠めるが、目線だけは決して逸らさず、〝血呑〟の巨体を俯瞰して観察する。

 純粋な力比べで劣る以上、彼の間合いには入っていても、避けられるだけの空間はなるべく確保しなければならない。

 それでいて隙があれば一瞬で近づいて攻撃を差し込み、すぐに再び距離を取る。

 このヒットアンドアウェイを繰り返すことで、〝血呑〟が完全な攻勢に移るのを抑制する。


 一方的に殴られ、ジワジワと魔力を削られる焦燥感は彼から余裕を奪う。

 時間は、僕に味方している。二つのエネルギーを扱える僕の方が、削り合いでは有利だ。


「ぐ、ぅ……ッ、ありえん……!!魔力と神通力の同時行使だと……それは、魔族の特権だろう!!お前、一体何者だッ?!」

「ただの外法師だよ。なりたてほやほやのヒヨッコだけどね」

「外法師だと……?ガキだとは思っていたが、退魔師ですらなく?」


『血呑』が手を止めて、まるで未知の化け物に遭遇したかのような表情をして疑問を呈する。

 彼自体は虚津神に見初められた神徒というわけではないが、流石に長年生存してきた『大魔族』なだけある。神通力の動きを目に捉えられない身で、僕の挙動から魔力と神通力の同時行使を見抜くとは。

 所々でわざと魔力強化を解除するブラフを挟んでいたが、その口調から彼は既に確信を持っているようだ。


 ――僕が、魔族の神徒と同じポテンシャルを秘めている事を。


「そうさ、退魔師ですらないただの子供にキミは引導を渡される。何百年にも渡って君臨してきたこの地の影で果てるんだ。……キミが今まで手掛けてきた何百、何千のヒトたちと同じように」

「俺様を見下すその目……お前たち、虚津神(カミ)の下僕どもはいつもそうだ」


 ブツブツと怨嗟を呟き、瞳には濁った憎しみを携える悪鬼に対して、僕は無造作に歩み寄る。

 既にかなりの消耗をしているようで、特に有効なダメージは与えられていないにも関わらず、牙や指先などポロポロと魔素が崩れ始めていた。

 彼の体内では魔力が底をつき、肉体の形を維持するのにも限界が訪れたのだろう。

 あまり気持ちの良い結末ではないが、これは仕事であり民間に被害者が出ている以上、事が楽に済むのならそれに越したことはない。

 僕自身も『大魔族』を討伐したという自信がつき、その積み重ねが糧となる。


◾️◾️(慈愛の地霊)


 両腕に神通力を展開し、悪鬼を裁くべく歩み寄る中で、その不気味な音を拾う。

 魔縁言語だ。それも魔力の波長そのものを制御して、魔術の詠唱を意味として編んでいる。魔力に精通した魔族の中でも、しっかりとした知性がなければできない芸当だ。

 その詠唱は目の前の〝血呑〟の胸元から紡がれている。


「(――!!傷から漏れ出す魔力を操って……?!)」

「何処ぞの神擬きに見下ろされたぐらいで偉くなったつもりか……?調子に乗ってンじゃ、ねぇ……!!俺様は、魔縁全盛の時代から生きる『大魔族』だ!!ひれ伏せ人間ッ!!」『◾️◾️(荒れ狂う鼓動)◾️◾️(坂巻く地殻)――!!』


 口からは人間の言葉を、胸元の太刀傷からは魔縁言語を発していた。

 二つの終わりと共に、〝血呑〟の魔力が大地に駆け巡る。


 ――土元素魔術 【乱土の剣(アース・スウォーム)】――


 地面が殺意をもって隆起する。

 横幅にそこまで猶予がないこの通りでは、一帯が魔術の射程範囲となっている。

 後ろや横への回避は不可能。足への魔力強化を高め、上空への跳躍により回避を試みる。


「――ッ!!壁から……ッ?!」


 〝血呑〟の魔力の巡りは地面だけに留まらず、接地している建物の壁面にすら及ぶ。結果として、無数の土槍が横合いから襲いかかってくることとなった。


 身動きの取りにくいゆえに避け切ることはできない。咄嗟に防御を展開するが、空中なので踏ん張りができず反対の壁面に吹き飛ばされる。


「っ゛ぅぅ……流石、ゴリ押しだけじゃないね。器用なことをしてくる」


 人の気配のない廃墟ビルの壁に叩きつけられたが、全身を神通力で覆って防御を固めていたため反動はない。しかし、魔術による土槍を直接受けた左腕にはビリビリとした痺れと痛みが伴う。

 現在はその反対側である右手の指で崩れたビルの壁を掴んで留まっている状態だ。


「あぁ、それとも……」


 土煙が立ち込み、ここで初めて〝血呑〟の姿を見失った。このまま地上に降りてしまうと不意を突かれかねない。

 それならば多少体勢と足場は悪くても、ここで待ちの守勢でいるべきだ。





 土煙の影が微かに揺れた。


「ガァァァァッッ――!!」

「ただの、苦し紛れかなッ?!」


 文字通りの鬼の形相を浮かべ、壁に張り付く僕に向かって〝血呑〟が飛び掛かってきた。

 僕は壁を蹴り、さらに上空へと退避する。


 捕まっていた廃墟ビルは〝血呑〟の襲撃に耐えることができず、ガラガラと大きな音を立てて崩落していく。


「また上かッ!だが、もう逃げ場はないだろう!!」

「そうだね……けど、足場はある」

「……ッッ!!」


 飛び上がった僕は身体を上下反転させ、未だ形を保っている土槍の群れを天の大地として着地する。

 頑丈な足場ではない、着地の衝撃で崩壊を始める。

 しかし充分な時間だ。膝を曲げ、射出の体勢に入る。

 見れば、僕の意図を察した〝血呑〟も斜めに崩れゆくビルを足場に迎撃の体勢に入っていた。


 一瞬にも満たない間において、次の一撃がこの戦いのターニングポイントに成り得ることを理解した。





「【神、装――】」

「【魔装ォォォ――!!】」


 互いの拳に、己が誇る絶対のエネルギーを集中させる。

 僕はさらに、下方への跳躍のため魔力強化を掛け合わせる。


 そして、張り詰めた糸がはち切れるように、力を溜め込んだ僕の身体は〝血呑〟が待ち構える地点に真っ直ぐ飛び込んだ。

 足場の土槍を砕いた音と同時に、〝血呑〟の眼前へと辿り着く。


 ――あとは、互いに拳を突き出すだけ。


「「【斂撃】ッッ!!!!」」


 人智を超えた高エネルギーの衝突により、空間が軋む。


 しかし、数倍もの大小差ある拳を打ち出した姿勢のまま拮抗していたのは、言葉に言い表せないほどの短い時の間だけ。


「落、ち……ろォォッ!!」

「ぐ、ォォ……ッッ?!」


 すぐに僕の小さな拳は、魔力で覆われた〝血呑〟の拳を砕き割っていく。

 僕はその勢いを止めることなく、やがて赫腕の中腹までを穿ち、拳を振り切った。


 対して、厚い魔素の拳を穿たれた勢いに耐えきれず、〝血呑〟は大地へと堕落する。そのまま崩れ落ちるビルの瓦礫に呑まれていった。


 ズズンッッと衝撃音が鳴り響くと共に崩落が終わり、先ほどよりも砂塵が多く舞い散る。

 拳を振り抜いた姿勢を着地に備えて整え、その只中に飛び込む。


「っしょと……さて、手応えはあったけど」


 神通力と魔力……エネルギーの質としてそこには確かな差がある。

 魔力による身体強化で充分に力の籠った良い拳だったが、落下による勢いと神通力の有無が、僕たちの真っ向から撃ち合いにおいて勝敗を分けたようだ。

 魔素を打ち砕き、神通力を一旦集中させた僕の拳をまともに受けたのだ、ただでは済まないだろう。


 一帯を濃い土煙が包み込む中、僕は〝血呑〟が落下しただろう地点に油断せず注意を払う。


「けほっ……煙た」


 立ちこめる土埃も大地の揺れも、戦闘開始前に『浄土結界石』によって結界を構築しているため、外部に伝わることはない。

 しかし、それゆえに土煙が滞留してしまっている。もう少し広く結界の範囲を指定すればよかったか。





「……」


 時間にしておよそ一分ほど経った。

 土埃はまるで地面に吸い寄せられているかのように、延々と晴れず視界は不良のまま。


 いくらなんでも長すぎないか……?

 そう思ったと同時に、ある考えがよぎる。

 

 不自然な土埃の滞留、〝血呑〟の胸部から漏れ出す魔力、そして器用な魔力操作……。


「ッ、これは……『魔術』――!!」

「もう、遅い……!!」

「ッッ!!」


 突如として、背後に声と魔の気配を感知する。

 それに対して振り返る間もなく、見上げるほど大きな影から放たれた赫腕は僕の身体を丸ごと貫いた――。

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