第十二話:外法師
カーテンの隙間から漏れる日差しで目を覚ます。
腰が少し痛い。どうやらソファでそのまま寝落ちしていたようだ。
身体を起こし周囲を確認しここがとある家のリビングであることを思い出す。
その時、身体を起こした反動で何かが腹の上から床に落ち、バサッという音が静かな部屋に響く。
「あぁ……どこまで読んだっけ」
夜遅くまで本を読んでいて気づけばその場で寝ていた。初めてではない、何度かある。そのたびにどこまで読んだかわからなくなるのだ。
しかし続きが気になってキリの良いところで終わることができない。
今回手に取っていたのはとある夫婦の家族愛を題材にしたミステリー作品だ。
死者が生者である実娘に憑依するという部分が今の僕と似ていて物語に入り込みやすい。
最近夜に余った時間は本ばかり読んでいる。
本は良いものだ。
その地の生活が繊細に描写されているものは、僕を実際にその場所に連れて行ってくれる。
さて、陽の角度的にまだ朝にしても早い時間だろう。二階に上がり、ベッドに入ってもうひと眠りしようか迷う。
「――おや、早いですね。……いや、まさかまたここで寝ていたのですか?」
寝ぼけ眼でソファにもたれ掛かり、些細な思考を始めていた僕に頭から声が降ってくる。
視線を向けると先ほどまで向かうか迷っていた階段から、音も立てずにこの家の主人が降りてくる。
「圭さん、おはよー」
「おはようございます。……あまりソファで寝るのはよくないですよ。どうせ遅くまで起きていたのでしょう、もう一度寝られますか?」
「んー……いや目覚めちゃったし起きるよ。朝ごはんボクが用意しようか?」
「そうですか。ではせっかくですしお願いしましょうか」
伊織圭宅にやってきてから二週間が経つ。
楓眞の中から見ていたとはいえ、実際に幼少期共に過ごしていたのは僕の人格ではないので初めは戸惑いはあった。それと比べると、今ではかなり自由に過ごさせてもらっている。
彼女は『退魔公家』と呼ばれる退魔師業の名家出身で、その家の影響力は政財界においても無視できないものであるらしい。
しかし、現在は『退魔師』の全ての統括を行っている魔縁対策機関日本国本部所属の退魔師として、研鑽を積むため一人暮らしているとのことだ。
ここは東京都郊外の大きな一軒家。
その佇まいはとても圭一人が暮らす用とは思えない。邸宅と呼んでもいい。
しかし家の所有物というわけではなく、自分の退魔師としての稼ぎで買い付けたらしい。家の者がいない空間が欲しかったのだとか。
なので使用人なども連れてきておらず、掃除は自動ロボットがしてくれている。
「卵とパンはあったかな」
圭は挨拶そのままに洗面台のある方へ向かっていったので、僕もリビングのソファから立ち上がりキッチンへと向かう。
朝食はトーストに半熟の卵とベーコンでカルボナーラ風トーストにしよう。
本当は朝は和食がいいけれど、毎回和食だとそれはそれで飽きがきてしまう。
冷蔵庫から卵とベーコン加えてチーズにマヨネーズを、水場の頭上にある棚から食パンを二切れ取り出す。
諸々の下準備を終わらせ、卵を落とし、アルミホイルを巻いて五分ほどオーブントースターで焼けば完成だ。
「良い匂いですね」
「グッドタイミング、そろそろ出来上がるよ。さ、座って座って」
ちなみに、料理は前世で学んだ。誰に教わったかは忘れたが、得た技術は魂が覚えていたらしい。
料理といえば一人暮らしを通して楓眞もだいぶ手際が上がっていた。だけどまだ僕の方が上手くできるみたいだな、と心の内で自画自賛してみる。
「よし、焼き上がったかな……あち、あちちっ!」
焼き上がったトーストをそれぞれお皿に移し、キッチンからダイニングに抜け出す。
ダイニングすらかなりの広さをしているのでゆったりと食事を楽しむことができる。醤油やソースなどの調味料をダイニング机に置いて置けるのも利点の一つだ。
「ありがとうございます。……では、いただきます」
「ボクもいただきまーす」
圭と向かいの席に座り、手を合わせてからトーストを齧る。ザクっという歯応えとじわっと広がる卵の甘さとベーコンの旨みがマッチしていて我ながらとても美味しい。
朝食を食べる文化は人や国にもよるが、やはり食べると朝の活力が違うように思う。
「楓眞くん、ここでの生活は慣れましたか?」
「も……?んくっ……うん、おかげさまでね。そろそろ心身ともに休まったし、本格的に動き始めようかと思ってたところだよ」
玲沙の解呪のため、そして楓眞を取り戻すため、僕はあの日圭の手を取った。目の前の彼女、伊織圭と共に『名塚の大火』を引き起こした魔縁の匪徒、『灼呪の大魔』とその一派の影を追う。
「――そこで、貴方に言われてた『外法師』について僕なりに調べてみたよ。退魔を公務でなく営利で生業にするなんて……いつの時代もヒトってのは逞しいね」
「……私の立場からすると、職業と呼ぶのは憚られることですがね」
「あははっ、圭さんが勧めてきたんじゃん。今更でしょ」
「退魔師でない者がすぐさま魔族を捜索・討伐するとなると、そこ以外に行き着く場所はありませんから。……実際、世の中には魔族に対する並々ならぬ恨みから、退魔師でなく『外法師』になる方々もいらっしゃります。彼らにとっては復讐こそが終点であり己が全て。法や規律など顧みるに値しないのでしょう」
『外法師』。
それは人世の公益のためでなく、私益のために魔を滅する者。あるいはそれに連なる者。
魔縁の匪徒の肉体は九十九%が『魔素』で構成されている。そして『魔素』は外来の万能のエネルギーである『魔力』を生み出す。
この万能の源である『魔素』を欲する者など、この世には掃いて捨てるほどいる。さらにいえば、公に取引される量で満足できるほど彼らは無欲ではない。
そんな者たちの欲を満たすため、外法師は退魔師の裏で魔族を狩り、魔素を社会の裏側に還元するのだ。
「ボクもその復讐者たちと同類ってことかな?」
「……いえ、わかっています。貴方の願いはただ肉親の『呪い』を取り除きたいだけなのだと。しかし、対外的に、詳しくいえば退魔師視点で見ると、貴方も彼らと同じ扱いをされるという事を理解していただきたい」
圭が述べたものを含め、外法師の目的は多種多様だ。
ただ金銭に目が眩んだ者、退魔師へとなれず外法に身を寄せた者、魔が齎す力に魅入られた者、無私の奉公を為す者。
そして、魔族を討伐する事そのものに目的を持つ者。
そう振り返りながら、半分ほどの大きさになったトーストの上から垂れ落ちる卵黄の雫をじっと見つめる。
それからその思考の意味の無さに小さな笑いが込み上げる。
「くくっ……まぁ、許可なく魔族を討伐する事が違法だと定められてる以上、外法師なんて文字通り全員法外の犯罪者。グループ分けに意味なんてないか」
「時代が違えば彼らも共に英雄と呼ばれていたのですがね……魔縁も神徒も、ヒトは畏れのあまり神格化し過ぎている。二年前からこの考えは一層強くなっています」
「ふーん、その口ぶり……圭さんは外法師肯定派?」
「そうでなければ、貴方に勧めたりしませんよ」
そう、僕があの日圭の手を取った時点でこの身は外法の道に踏み出していた。退魔師にならず魔族に関わるにはこの道しか残されていないのだから。
あの時、示された選択肢に退魔師になる道は当然あった。
施設に入って首輪をつけられるか、長い雌伏の時を待ち正面から退魔の門を叩くか――。
僕はそのどちらも受け入れられなかった。ゆえに圭の手を取り、外法師になる事を了承した。
門浦楓眞が外法師になるにあたっての欠点は、上手に活動しないと犯罪者として追われる立場となることと、倫理の欠損や危険が伴うこと。
前者に関しては圭のバックアップが約束されたことでリスクに対するリターンが充分に上回ったと判断した。
後者に関しては……そもそも欠点としての意味をなさない。この外法の道において、楓眞に繋がらない僕だけのリスクなど無視できるほど小さなノイズだ。
そして僕にこの道を提示した人物は今、対面の席にて無色透明な水の入ったグラスを傾け唇を湿らしている。
コクリと喉に液体を流し込んだ音の後、その口からはいつもの聞き心地の良い、少しだけ冷たい声音が齎された。
「――私は、外法師もこの世の歯車の一つと考えています。残念ながらまだまだ退魔師は少ない。そもそもとして貴方や私のように『魔力適正』を持った者の割合が少なく、その中でも、退魔師として戦場に身を置けるほどの適正を持った者はさらに減るからです。もっと魔に抗するヒトがいれば、貴方の村での悲劇もあるいは……」
「……外法師が魔縁の匪徒による被害を減らせると?」
「はい、私たち退魔師が手の届かない範囲もある。彼ら外法師はそこを敢えて探して、利を得ようと魔族を狩ってくれるのです。ならば、我々はそれを管理・調整すれば良い」
「その管理・調整が不十分で、悪意に満ちた外法師が人に害を与えることもあるでしょ」
「えぇ、中には害虫もいます。しかし花が咲くには花粉を運ぶ益虫は必要です。手法を誤らずに魔族を討伐してくれるならばその外法師は益虫となり、花を荒らす害虫を駆除すれば益虫が害虫となることに対する牽制になるでしょう」
『大のため小を切り捨てる』。
圭の根本にあるのはきっとこれなのだろう。
合理性を問われるならばこれ以上ないほどの人材だ。それゆえに冷酷と言われることも少なくないだろう。
だが、同時にきっとこのヒトに悪意など存在しない。
機械を動かす歯車のようなヒトであると同時に、自分の基準に則って救えるものはできる限り多く救う。
ただひたすらにより多くの『大』のために。
僕と楓眞はそれに救われた『大』の一つであり、彼女から見て僕たちを見守ることは、退魔師としての責務と法を切り捨てても良い『小』とみなす程度には『大』きな意味があるようだ。
「――とはいえ、無法者を取り締まるポーズはしないといけません。そして花を傷つける害虫は駆除しなければ。それを行うのが退魔二課の退魔師たちですが、あいにくそれは私の主な仕事ではない」
「あはっ、貴方が殺虫剤でないことを感謝しないとね」
「……私はあくまで花を育て愛でる者。その手に殺虫剤を持っていてもそれを撒くかどうかは私が決めます。楓眞くん、益虫として働くことを期待しますよ?」
全く、朝から物騒な会話をしてしまった。
気分転換にコーヒーでも飲もう。胸に仄かに漂う苦みを誤魔化すような、ミルクと砂糖たっぷりの。
すっかり小さくなったトーストの最後の一欠片を口に放り込み、再びキッチンに向かって立ち上がる。
「圭さんもいる?」
「えぇ、ぜひ」
棚から豆を取り出してダイニングに振り返り、そう問いかけると、圭も朝食を食べ終えた事を示すように手を合わせていた。
コポコポとコーヒーが湧き立つ音とふくよかな芳香が漂う中、今日も朝のひと時が過ぎていく。
あの子が言うように、やはり何気ない日常が一番尊いものだと感じた。
食器を片付けた圭はリビングへと向かい、現在は取り出したノートパソコンをカタカタと操作している。
彼女がいつも家を出る時刻まではまだ半刻ほどある。仕事の準備か、昨日のやり残しでも片付けているのだろうか。世間では派手な活躍ばかり取り上げられているが、現実的な一面を見ると普通の会社員と変わらないなと思った。
コーヒーの挽き終わった合図が鳴ったため、ポッドから用意したマグカップにコーヒーを注いでいく。
僕の方にだけ牛乳と砂糖を入れてリビングで作業を行う圭の元へ溢さないようゆっくりと向かう。
「圭さんできたよ、ブラックでよかった?」
「えぇ、ありがとうございます。ちょうどよかった、楓眞くんこちらを貴方に」
「ん……?パソコンと、スマホ……?」
先ほどまで操作していたパソコンをテーブル上で翻して、スッと差し出す。その側には暗転した状態の携帯端末もセットで置かれている。
「外法師として活動するには依頼を受ける必要があります。こちらは外法師達が取引や依頼のやり取りを行うサーバにアクセスできるようにしてあります。ひとまずの用立てとしてお使いください」
「……さっすがぁ、仕事が早いね。今ちょっと引いてるよ」
どうやら圭ではなく僕のための機器だったらしい。
軽く触ってみるとパソコンとスマホ、両方とも初期状態にプラスして、最低限必要な環境が構築されている。
さっきの今で、涼しい顔してここまで完璧に先回りしてお膳立てされると感心より先に怖気が来る。
「――ってか、このサイト絶対見ちゃダメやつだよね?ほら、これとか……うわぁ、バレたらヤバくない?」
「いえ、アクセスするだけなら法律には引っかかりませんよ。我々退魔師も捜査のため使う場合もありますし。それに、そもそも取引の足が付かないよう利用するためにあるのですから」
「えぇ……それ、統治側の人間が言っていいの?」
恐る恐るスクロールしていくが、そのどれもがヤバそうな匂いがぷんぷんする文言や画像である。
楓眞の目を通して見てはいたが、前世含めてちゃんとパソコンに触れたのは初めてだ。
初見でこの世の業という業を煮詰めたような、決して表には出ない、ネットに巣食うドス黒い闇の部分を見せられる気持ちを考えてほしい。
というか、僕だから良いものの十二歳児になんてもの見せるんだこのヒトは。
今度は別の意味でドン引きしつつ、同時にこのヒトが僕の目的に協力してくれる事に心強さを感じる。ここまで派手に外法師に加担する退魔師は他にいないだろうし、一般的にはいて欲しくないとも思う。
一体玲沙との間にどんな関係があったのか少し気になる。恩師とは言っていたが……。
そんな事を考えつつしばらく画面を操作していると、外法師向けの依頼が張り出されているサイトに辿り着いていた。
「ここで依頼を受けて魔族の討伐や魔素の納品を行う事になります。……が、今日のところは時間もありませんし、続きは後日時間がある時にしましょう」
立ち上がった圭の白銀の毛先が僕の頬を掠め、その瞬間ふわっと花の香りがした。
「――あと、最初は私がそばに着きますが、遠くないうちに貴方一人で使いこなしてもらわなければなりません。情報技能についても習熟を進めましょう」
こちらを見下ろしながら告げられるので、ならばと踏ん反り返るように胸を逸らし、虚栄心を作り出す。
「ふっ……任せてよ、外法師より先に天才ハッカーとして名を馳せてみせるさ」
「……外法師もハッカーも、馳せるのは大抵悪名ですから、ほどほどに」




