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海の挽歌  作者: 門戸
赤い巨人
102/256

102 赤い巨人7:シャノン対ゲーツ

「ケリー、もういいわ、下がりなさい」



 わずかに哀願の入った低い声で、エリンが言う。



「あなたは騎士じゃないし、テルポシエ人でもないのだから。ここで引いても、ちっとも不名誉じゃないのよ」



 大きく肩を上下させながら、小さな槍使いの少女は、それでもエリンの前をどかなかった。


 騎士なのか傭兵なのか、良くわからない目の前の大男は、冗談みたいに強かった。シャノンと一緒に波状攻撃をかけても、全く内へ踏み込めない。シャノンの打ち込みを、中に送り込めない。


 身体の小ささを活かして、無数の大人を出し抜いて来た彼女の才覚が、全く通用しなかった。逆に何度も何度も長剣の鞘ではたかれ、ど突かれて、脳天にちかちか星を見たが、それでもケリーは気力一本で喰い下がった。



――そう、あたしは騎士じゃない、騎士にはなれない、テルポシエ人じゃないから。……でも。



「だから、ですッッ」



 男に向かって、ケリーは鋭く飛んだ。ふっと体の向きを変えた男の腕が、異様に長く、速く伸びて、彼女の体を壁に向かって叩きつけた。


 この男を打倒することだけに集中していた傷だらけの一級騎士は、少女が拓いてくれたその瞬間を、逃さなかった。



「てえッッ」



 気合一閃。


 男の左脇に、鮮やかに一打撃が入る。男の両目がわずかに細められるのが見えた。



――引いて――そして裂けえええええっっっ、



 が、男は即座にシャノンの槍穂先を腹と腕とで挟み込み、彼女の動きを瞬時封じた。と、ケリーを叩き飛ばした右手へ、長剣の柄をぱしりと投げて持ち替えると、ものすごい勢いでぶんと一振り、鞘を跳ね抜いて、さっとシャノンの胸へ伸ばした。


 それはほんのひと呼吸の間、もろに顔面を激突させたケリーが、べっとりと石壁を血で塗りながらくずおれるのと、同時であった。



――姫様、私は。



 シャノンは長く息を吐く。



――あなた方の“傍らの騎士”でいられたこと。それを誇りに思っています。



 男の長剣の刃が、彼女の鎖鎧――背側と、胸側の両層――から小さな金属音を立てながら引き抜かれるそのわずかな秒間に、シャノンは自分の主君たる兄妹ふたりの笑顔を瞳のなかに見る。



――リヒ君、僕は頑張ったぞ。



 その残像はやがて妹リフィの顔へと変わり、次いで何もかもが闇の中へ落ちて行った。






「おい、こらゲーツ。どうした、もしかして深かったのか」



 とばっちりを避けるべく、壁際に寄って立ち回りを見ていたグラーニャは、男の異変を見て取った。


 ゲーツは鞘を拾い上げると、くるりときびすを返す。



「……だいぶ駄目」



 そう言う男の目が、僅かだが苦痛で歪んでいる。平生、表情を出さないゲーツにとっては大椿事だ。



「仕方がないな、では帰るとしよう。エリン、ついておいで」



 何気なく声を掛けたが、よく見れば王女は安楽椅子の背にしがみついて、ひどく前屈みになったまま、構えた槍の穂先をこちらに向けている。



――槍……。



 グラーニャは小さく苛立ちを覚える。ちっ、と舌打ちをした。



「揃いも揃って……」



 右手の細剣を一閃した。気力だけで弱々しく支えられていたエリンの短槍は簡単にはじき飛ばされ、反動でよろけた王女は床にへたり込む。


 しかしここまで惨めな状況に至ってもなお、エリンはグラーニャに向けて、強い敵対心のこもった視線を放ち続けていた。


 苦渋を湛えたその顔は、近くで見れば本当に自分そっくりだ、とグラーニャは思う。


 かちゃり、とふいに錠の下がる音がして、グラーニャは顔を上げる。


 部屋の隅にいたはずの町娘が、女性騎士らとの立ち回りに乗じて、扉の前まで這いつたっていたらしい。ほぼ同時に、扉が内側に向かって開いた。


 そこから何かが、素早く飛んできた。細剣の先に重さが絡まりかけ、グラーニャは咄嗟に刀身を引いて飛びのくと、ゲーツを背にかばった。



「動くなッ」



 じゃらり、音を立てて床に落ちた長い戦闘鎖は、入口に現れた男の手元へと伸びていた。すぐ後ろから小柄な男が入って来る、そいつの身体から妙な緑色の光が浮かび、四本の筋となって、グラーニャに向かってくる。



――!! 猫ちゃんッッ!?



 生まれて初めて猫に牙をむかれたグラーニャは、仁王立ちのまま思わず細剣を構えたのだが。


 その魔物のような、宙を飛ぶ緑色の猫たちは、ふっと動きを止めてグラーニャを見、そしてすたんと地に足をつけると、しっぽを巻いて小柄な男の方へ行ってしまった。



「どうした!?」



 小柄な男が、不審そうに猫たちに呼びかける。


 それでぴんと来た。



「……あなたが、くだんの精霊使い、エノ首領メインか?」



 グラーニャは、その姿をまじまじと眼に焼き付ける。若い、細い、予想に反してつるつるだ。目線の高さも彼女とそんなに変わらない、白き牝獅子は邪悪な高圧的態度全開で行くべし、と判断した。わずかに口角を上げて低く言う!



「……残念だったな。俺たちには今、理術士の守護が効いている。精霊の力は及ばないのだ」



――何だよ!! 理術めちゃめちゃ頼りになってんじゃんかよッ。ありがとうございます理術士のみな様、おかげで助かりました!! 実力を疑って、本当にごめんなさい……。



 グラーニャの背後、ゲーツは内心で呟いていた。


 王と一緒に踏み込んで来た男が、素早く鎖を巻き取るやいなや、一目散にエリンを助け起こしているのが、グラーニャの目に入る。



「おや」



 そこでようやく、腹の膨らんだエリンの立ち姿がはっきり見えた。


 グラーニャは、はっとした。



――賊同様の敵軍のさなかに、女がいれば。



 やつれ切った姪の顔は、ただ単につくりが似ている、と言うだけではない。


 その昔、鏡の中に見飽きた自分の顔。そこを支配していた、果てしのない絶望と屈辱までが、同じだった。



――手籠めにされて、餓鬼のひとりふたりでも、こしらえたか。



 グラーニャは素早く隠しに手をやると、握ったものを思い切り、手前の石床に叩きつけた。


 ぼ ぼん!!



「!!!」



 派手な破裂音とともに、白っぽい粉塵が勢いよく噴き上がり、誰もが一瞬視界と聴覚を塞がれた。



「行くぞっ、ゲーツ! 脱出だっ」



――こら、覆面布を引っ張ってんじゃねえ!! それにお前はどんだけ、きのこ攻撃が好きなんだよ!?



 もと来た道、地下階暖炉に見せかけた湯沸かし場横の“通路”口へ滑り込み、ゲーツを引っ張り込んでから、勢いよく封印の大煉瓦をはめ込むと、グラーニャは走り出す。


 細く開いた地上からの明り取り孔から、月光がほのかに降りていた。おっといかん、ゲーツは怪我をしていたのだった。戻りかけて、傷を押さえていない方の手を掴む。



「……良かったの?」



 お姫様を残してきてよかったのか、と言う意味だろう。



「良い。テルポシエ最後の王女は、とっくのとうに泥まみれだったらしいからな。利用価値は何にもないのだ」



 わざと明るく言っているのが、ゲーツにはわかる。



「さあ、後は皆で外側から! 徹底的に、テルポシエを叩きのめしてやるだけだッ」




・ ・ ・ ・ ・




 いたずら小僧の常套手段にして鬼のマグ・イーレ第二妃の最終武器、クマホコリダケの大爆発でもうもうと曇った室内から、ようやくエリンとその倒れた親衛隊を引きずり出し、メインとパスクア、後を追ってきた平傭兵三名は、派手に咳込んでいた。



「何なんだ、これ、おえっ。口ん中、しょっぱいぞっ」


「毒なんでしょうか、王!?」


「いや……無害なきのこだから、心配は、いら、ない、ぐえほっっっ。女の子たちを至急、薬翁の所へ、げほっ」


「大丈夫か、エリン! ……て、あれ、お前」



 パスクアに抱えられたエリンは、優美な手付きで絹織りの手巾を広げ、鼻と口とを押えていた。



 ――……そつが無いのな、本当に……



「王、どこですか王っ??」



 別の声が、階段の方から怒鳴っている。



「城内の数か所で、侵入してきたマグ・イーレ傭兵らしいのと、戦闘になってます! すぐに本城中広間へ戻ってくださいっ」



 パスクアはぎょっとした。



「侵入者!? ……今の奴らもそうだが、一体どうやって入って来たんだ!?」



 ぐ、と強く腕を掴まれる。エリンはもう、立ち上がっていた。



「エノ首領、話があります」



挿絵(By みてみん)

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