101 赤い巨人6:グラーニャの侵入
実におかしな言い方だが、テルポシエ市外壁の手前にある草地の最前線では、エノ軍とマグ・イーレ軍とが、“ゆるやかに”小競り合いを始めていた。
マグ・イーレ軍が火矢を放っている。が、集中攻撃にはほど遠い。
不規則に間隔を開けてぼつぼつと射られた矢は、それでも壁の内側に到達して、近隣家屋にぼや被害を出し始めた。
ウーアとウーディクの歩兵部隊は突入に備えて動けないから、予備役の部隊と市民が消火活動を行っている。
その様を西の城壁の高みから見守っているタリエクは、言いようのない違和感を感じていた。
――変だ、何かがおかしい。
「奴ら、草地から動かないのか? 突入のそぶりは見せないのか」
「はい。前後の二列陣形を全く崩さず、突っ立ってます」
射程内にあるのは向こうも同じなのだ。先ほどから何度か市壁から大弓での攻撃を試みたが、マグ・イーレ軍を包む妙なぼんやりとした光が一瞬膨らんだように見えただけで、敵騎数は全く変わらない。
火の手が大きくなってくる。
「いかんな……。予備役をもっと回して、消火させないと……」
タリエクが伝令に言いかけた所で、軽やかに石階段を上って来る二人分の足音が聞こえた。
「火は大丈夫だ」
「メイン!」
パスクアを後ろに従えた若き王の顔、頬の部分には緑色の文様が光り輝いている。衣類を通しても、その上半身全体が同じ色の光を発しているのが見て取れた。
「メロウ達に、任せておいてくれ」
ふと、彼らの上空を何かが通過していった。
長く長く尾を引いて、宙を流れて行った海の娘たち、海中からやってきた精霊は、そのまま燃え盛る炎へとぶつかって行く。辺りに塩辛い匂いを弾けさせて、ぼやは次々に沈静されていった。
おおおおお!!
城下にいる兵士たちの歓声が、ここまで響いて来る。
「夜明けを待って、城外での白兵戦にかかる。準備を」
メインの声、揺るぎのない若き王の声が、周囲に響く。息をのんで情景を見守っていたタリエクも、はっとして王を見た。
「タリエク。敵軍には、ティルムンの理術士が含まれているんだって?」
・ ・ ・ ・ ・
同様の戦況情報は、見回り役の兵士などを経て、地下のエリンにも伝わっていた。
「それが本当なら、エノ軍には分が悪いですね」
扉の近くに立つシャノンが言う。
「……違うわ」
安楽椅子の中でエリンは思案し続けていた。組み合わせた両手の中には、白金髪の束がちゃんと収まっている。
「“東側”に対して中立のティルムンが、まる一個軍を動かしてこんな所まで来られるかしら?」
彼女の言う東側とは、文明地ティルムンから見て、山岳地帯以東の世界すべてを指す。
古くはティルムン植民に源流を成す、マグ・イーレやテルポシエといったイリー都市国家群、極東部まで分布するいくつかの原住民族、そして武装集団エノ軍。
彼らと交易は行っても、ティルムンが行政・軍事介入を行う事はこれまで皆無だった。
「そうですね……、考えにくいです」
「一個隊なら、まあ可能かもしれない。でもその場合、マグ・イーレ全軍の本格援護なんて、到底無理よね?」
エリンのすぐ脇では、彼女の安楽椅子に寄り掛かる形で、ケリーがとろとろとまどろんでいた。
奥にしつらえられた簡易湯沸かし場では、少し前にやってきたクレアが、かちゃかちゃと音を立てている。
「わずかな先鋒を無傷で前線に送りこめたとして、その後何ができるのかしら……?」
この数年間、さらに最近の数か月で、マグ・イーレが軍馬を中心に戦力を増強させたことは、各地の網を通して知っていた。
だが、増やした所で彼らの総勢は二百騎程度、人員だけを数えてみても騎士・傭兵合わせて四百に満たないのだ。対してエノ軍は総勢千数百を超える。
いまや本陣営となったテルポシエには、およそ半数が常駐している。周辺勢力圏に配備された各陣営からは、騎馬兵が素早く加勢できるから、このマグ・イーレの攻撃は、全くもって無謀に近いと言えるのだ。
エリンが違和感を抱くのはそこである。
「奇襲で何らかの策を講じるのなら、まだわかる。けど、正面に戦線を取ってそこで待機って、一体何なの? ご挨拶? ……何だか、エノ軍が陽動に踊らされているとしか、わたしには思えないのだけど」
「姫さま、皆さん」
殺伐とした部屋の中、ういきょうの甘い香りとともに、ふわりと温かい言葉が漂った。
「お香湯ができました、ど……」
そのクレアの言葉が、不自然に途切れる。
――おっと危ない。こぼしたら勿体ないぞ。
可愛らしい町娘の手から落ちかけた盆を、後ろから伸びた大きな手がすんでの所で受け止め、すっと脇の台上に置く。
四つの椀から、湯気がほのかに立ち昇っていた。
シャノンが一瞬にして槍を構え、ケリーががばりと起き上がって、その小さな体でエリンの前に立ちはだかった。
いきなり口を塞がれたクレアは唖然としていたが、自分の喉元に誰かが短剣をあてがっているのに気付き、我を失ってかたかたと震えだす。
「戦略の読み方が似るのは、やっぱり血筋なのかな」
低く冷ややかな、女の声がした。
「自分が陽動の本命だったことまでは、頭が回らなかったようだが……」
シャノンは、体中の血が一度引き、さらに巡り巡って再沸騰していくのを感じた。
湯沸かし場付近の暗がりから出て来た、小さな影と大きな影。
その不釣り合いな男女二人組を凝視する目が、ぎりぎりと圧力に抗する。涙を一杯にためて震えるクレアの後ろ、背伸びをするようにひょいと顔を出して笑うその女は、まさか。
「初めまして、エリン。マグ・イーレの、グラーニャ叔母さんだ」
安楽椅子にすがって、エリンが身を起こす。
「叔母さま……。どうやって、ここに」
「何言ってる。俺もここの育ちだから、例の通路……城まわりの地下道は、ようく知っているのだ」
――もう、めっちゃくっちゃホコリとカビ臭かったよなあ。俺、覆面布装備しといて、本当良かった……。
ゲーツはここまでの道のりを思い出して、げんなりする。だがしかし顔には出ない。
――うお、にしても、お姫さん! 本ッッ当にグランに似てんな!? 昔ちょろっと見かけた時よりも、もー確実に似てきてるよ! でもまあ、どんだけ若くても、俺はグランの方がいいな! 何と言っても、俺のグランなんだからな、うん! 態度も見かけも変人だが、実はこれで(以下略)
シャノンはぎり、と奥歯を噛んだ。……通路と聞いて真っ先に思い浮かぶのは新北棟の脱出路だ。しかし……??
「地下道??」
エリンの短い問いに、叔母は瞬時きょとんとした。
「ぬっ……何ということだ。最近の若い子は知らんのか? ≪おしもの道≫を」
それでエリンもシャノンも、ふぁっと思い当たる。一世紀前、現在のように汲み取り業者が発展する以前、市内に住んでいたテルポシエ人は出したものを自ら湿地帯の数か所に捨てていた。
しかし王族貴族は正面切って運ばれるのがいたたまれず、召使らに地下の細い道を通って捨てさせていたのだ。地下道とはいうものの、建物基盤の隙間を通ったりもしているから、まあ半地下道とも言うべきか。
まさに黒歴史、禁忌とも言うべきその道はずいぶん前に出入り口を埋められ、存在すら忘れ去られていたはずだった。エリンも、そういうものがあったとしか聞いていない。
ところがグラーニャはばっちり憶えていた。王城に住むいたずらっ子にすれば、とんでもない魅惑の秘密基地である。城内数か所の入り口から、どこの市外壁に出られるか、探索しつくして良く知っていた。
――姉様は、どれだけ誘っても絶対について来なかったがな。
内心にがにがしく彼女は笑う。
「無謀にも、二人きりでいらしたんですか? わたしを人質にとっても、エノ軍は動かせませんよ」
初めて相対する叔母、物心ついた頃から鬼女との逸話を聞かされ続けたその女に負けじと、精いっぱいの威厳を保ちつつ、エリンは言った。
「……その子は、下働きをしてもらっているだけの、市民の娘さんです。放してあげて下さい」
「ふん」
案外素直に、グラーニャはクレアの拘束を解いた。部屋の隅の方へ押しやると、娘はよろよろとつんのめって、うずくまる。
あまりの恐怖に、腰を抜かしてしまったのだろう。そのまま声もたてずに、ただ震えている。その姿に哀れを感じつつ、一方でゲーツは笑い出したいのを堪えてもいた。
――だめだ、俺よ。ここは笑いどころじゃないぞ。
娘の方が、グラーニャよりも背が高かった。つま先立ちで捕まえているのがしんどくなったので、解放しただけなのである。
しかし、しれっとしたままでグラーニャは続けた。
「人質か……。エノは、まあ割とどうでも良いのだ。そのうち潰すだろうがな」
そこまで言って、グラーニャは短剣を腰におさめる。
「とりあえずは、積年の恨みを晴らしに来たのだ。この都市をぶち壊して、灰にするのが俺の目的なのだからな。ついでにエリン、お前を保護するから、おとなしくついて来るのだ」
エリンは動かなかった。シャノンもケリーも、それぞれの槍を手に微動だにしない。グラーニャは口をちょっと曲げる。やはり抵抗されるか。
「ゲーツ。周りの騎士っぽいのを適当にのして、エリンを連れ出せ」
音もなく男は前に出る。
同時にシャノンもまた、静かに前に出た。男を見据えて、半身に構える。
ケリーはエリンのすぐ手前で、正面向きの八相の構えのまま、動かない。
――嫌だ。ものすごく嫌だ。美人と子供だよ? 心底嫌だ。何とか抜かないで、鞘のまんま当身で気絶させられんかなあ。つうか自分で相手しろよグラン。あと美人の方、君もどこかで前に見たよね??
長剣に手をかけつつ、内面とはかなりかけ離れた重い調子で、ゲーツは彼女らに話しかける。
「……お嬢さん方を、なるべく傷付けたくない。おとなしくしてくれないか」
凛とした声で、テルポシエ一級騎士は答える。
「貴殿、誰に向かって口をきいている」
・ ・ ・ ・ ・
西側の城壁上では、全てが不穏なままに動かなかった。ここから見える限り、市内のぼやは消火が済み、新たに放たれてくる火矢もたちどころに鎮められていた。
「奴ら、取り囲むだけ取り囲んで……。一体、何をやっているんだ?」
誰にともなく向けられたパスクアの問いが、夜明けが近づく時刻の寒冷な空気に、白く立ち消えてゆく。
その時、メインは耳元にささやかな音を聞いた。きゅうん、と右肩に乗りつけた流星号と、その騎手パグシーである。
『おう、メイン! 城内にな、変な殺気が入っで来たぞい!』
「……どこ?」
『ずーっと下の方だ。殺すべーか、殺さんべーか、どっちつかずにうようよ迷ってる感じの、妙な奴らだ』
『下の方つったら、姫っこや騎士っこが住んでるとこでないの』
ふわっと明るく輝いて、炎の翼のプーカがあらわれる。
『やーだ。イリーの奴らが、姫っこを取り返しに来たんかしら!?』
メインは唇を噛んで、少し離れて横に立つ友を見る。
「パスクア、行こう」
「え、何!?」
予備役配置について、タリエクと話していたところにいきなり言われ、パスクアは小さく面食らった。
メインはもう身を翻して、城壁の階段を下りかけている。
「旧北棟だ。あと何人か、ついて来い!!」




