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海の挽歌  作者: 門戸
赤い巨人
100/256

100 赤い巨人5:子連れ出奔

「マグ・イーレ第二王妃、グラーニャ・エル・シエ。故ウルリヒ王とエリン姫の母君、ディアドレイ女王の実の妹で、元テルポシエ王女です。うちの姫様にとっては、叔母君にあたります」


「血縁者なのか……」



 旧北棟・地下階一画の廊下、エリン自身が扉の反対側で聞き耳をそばだてているのも知らずに、パスクアは一級騎士シャノンと向かい合っていた。


 先ほどメインの所に寄ってから、大急ぎで武装した。……なのに何でか、自前武器の戦闘鎖が見当たらない。


 軍内の職人に手入れを頼んであったのが、今夜仕上がって届いているはずなのに、自室前の置き箱が不自然に空だった。


 全くもっておかしいが、詮索している暇はない。仕方なしに予備で持っている、亡父の鎖を装備した、……ちょっと長めで使いにくいのだが。




 非常事態の鐘の音を早くに聞きつけたのだろう、シャノンも既に鎖鎧と鋼の手甲を身に着け、長槍を手にしている。


 仕上げに、テルポシエ一級騎士の証たる草色の外套。この草色は彼女の上背を引き立てて、いつもながらに凛々しかった。



「とは言え、向こうは私怨感情しか持っていません」


「何でだ? グラーニャ・エル・シエにとっては、ここは故国なわけだろう?」


「長い話で……」


「詳しい事情はあとで聞こう。とにかく、向こうがエリンの身柄を要求してくる事はないんだな?」


「わかりません。しかしもし要求してくるとすれば、それは“保護”の意味では全くないのです」


「わかった。シャノン、あんた達にはいつも通り、エリンの側にいてもらった方がよさそうだな。間違っても城内戦にはしたくないが、万が一の時をあいつを頼む」



 パスクアは隠しに手をやり、引き出したものをシャノンに差し出した。



「これをエリンに。色々悪かったって、伝えてくれ」


「え」



 シャノンは小さく戸惑った。


 騎士の手のひらの中、紐でまとめられたひと房の白金髪に、蜜蝋みつろうの光が鈍く反射した。先端の方が、子犬の尾のようにくるりと丸まっている。



「直接渡したかったけど、あんなことのすぐ後だし。せめてゆっくり、エリンを休ませてやってくれ」


「……パスクアさんも、戦線に出られるのですか?」


「メイン次第かな。最終線は絶対に守り切るつもりでいるが、まあ生きて帰れなかった場合に……」



 ばん!!


 とどろくような大音響をたてて、シャノンの背後の扉が開いた。



「お馬鹿ね、あなたは、ほんっっっとに!!」



 続いて、エリンのかすれかけた怒鳴り声が炸裂する。



「叔母はわたしと違って、凶暴で最悪な軍人なのよっ! やわな心意気で勝てる相手じゃないのよ!」



 壁にもたれかかりながら、いつも通り、否それ以上の怒号をまき散らす。すぐ後ろで、クレアがおろおろしていた。



「気合入れなさーーい! パスクア!」


「お、お前……。横になってた方が、いいんでないの……?」



 クレア以上におろついたパスクアが思わず差し伸べた両手、それを勢いよく払うようにかいくぐって、エリンは彼の胸に飛び込んで来た。



「気合を入れてっ……それで、帰ってらっしゃいっっ……!」



 終わりの方は涙声だった。


 それでも決して泣いている顔を見せない。内に着込んだ革鎧を通して嗚咽が、背中に回された小さな手から自分を抱き締める強さが伝わる。



――あれ……??



 思わずぽかんとして顔を上げると、シャノンもクレアも、優しげに笑っていた。



――嫌われてたわけじゃ、なかったのかなあ……。



「ちゃんと帰って来るのよ、パスクアっ」



 くぐもった声が、また聞こえた。



「……はい」



 答えて、パスクアはぶきっちょ姫を抱き締めた。




・ ・ ・ ・ ・




 既に、市街の灯りが遠景となっていた。


 それぞれ子を抱いた二人の女を真ん中に、しみしみ迷彩柄の外套をまとった男が三人。


 ありきたりな傭兵姿の男が先頭を歩く形で、時折月明かりの差し込む中、北の方角へと伸びる道を進んでいた所だった。街道ではない、森の中をさいてそれに平行する、細いいなか道である。


 いつも通りのぶすっと顔に、怪訝な表情を浮かべて歩いていた獣人が、ふうっと思いついて言った。



「こいつ、夕方」


「ビセンテさん、干し林檎りんごをどうぞー! 噛めば噛むほど、甘くなるやつです!!」



 浜で見た女じゃねえのか、とようやく思い当ってビセンテは呟きかけたのだが、その後半部分はアンリの差し出したものによって瞬時に忘れ去られた。咀嚼そしゃく音が始まる。



――ひぃいいいいい! イスタを後方に隠しておいて、超絶大正解でしたよッ!? ナイアルさん、何でよりによって、この女性を連れて来たんですかー!!



 月光につやつやした頬をきらめかせながら、アンリは内心で冷や汗をかいていた。


 新生児の王子を連れ出すのに、保母役の騎士の女の子がつくとは聞いていたが、何故だかでっかいおまけがもう一人。それが数刻前に監視していた、エノ軍首領の妃なのである!



――それにしても、この女性……じつに肉食の相が出ている! 食いっぷり良さそうだなあ! 仮に攻めるとすれば、王道に煮込みかしらん……? 否ッ! あぶらぎっとりめに揚げ物だ、うむそれしかないッ!



「ここまでで、いいです」



 おもむろに発せられた女の声に驚いて、一行は足を止める。


 しんがりを歩いていた隊長ダンが、少し進んでイオナに向き直る。



「……北東の集落まで、お供することになっています」


「それは知ってます。でもわたしは、ここから森づたいに行こうと思う。女二人の方が、たぶん跡もつきにくい」



 イオナとリフィをここまで護衛してきた、旧テルポシエ軍第十三遊撃隊の面々は、みな首を傾げた。



「そうは言ってもこの夜道を二人きり、しかもお子さま連れでは、相当に大変なのではないでしょうか?」



 本心から心配して、アンリは言った。若い彼ではあるけれど、実家では接客もさせられていたから、小さい子どもがいると色々なことが思い通りに運ばないと知っているのだ。


 その隣で、子どものことなんて全ッ然知らない隊長ダンがうなづく。


 赤ん坊は未来の王である。こんな所でむざむざ危険にさらして大事があっては、いくら崩壊した国とは言え、故国テルポシエ存続の責任を取らされる羽目になるのだ。彼としては到底受け入れられない提案である。



「……いや、大将。この人は元傭兵で、しかも先行をやっていた。案外、俺らと一緒よりも、速く進めるかもしんないすよ」



 エノ傭兵に扮したままのナイアルが、前から戻ってくる。



「北東の集落に抜けられれば、後はこのお嬢が道筋を知ってるしな」



 ナイアルにあごをしゃくられて、赤ん坊を抱いたリフィはこくりとうなづき返す。


 ダンは顔をしかめた。


 本当にそうだった……。三年前の包囲中に同僚たる遊撃隊がいくつも潰されていたが、そういう時のエノ兵士は“先行”という精鋭の奴らと決まっていたのだ。


 ちょろちょろ、しゃかしゃかと素早く立ち回って、いつだってこちらを嘲笑あざわらうようにやすやすと前線を突破していた。



「……本当に、気を付けて下さいよ」



 苦々しくよぎった記憶を無理やり脇に押しやって、ダンはイオナに告げた。



「では我々はこの辺りに潜んで、追跡者を消します」


「ありがとう。皆さんもどうぞ、帰り道に気を付けて。さよなら」



 簡潔に言って女はくるりと方向を変え、そのままさっさと行ってしまった。リフィが後を追ってゆく。


 二人の姿が完全の森の中に消えてのち、ダンは第十三遊撃隊の三名を順繰りに見渡した。



「……ということだ。ビセンテ、アンリは俺とこの辺で狩りだな。ナイアル、お前は……」


「王子様ご一行を、引き続き追跡」



 自分でダンの言葉を引き取りつつ、ナイアルは革鎧の裏、尻の上あたりにある隠しから、折りたたんだしみしみ迷彩色の外套を出して広げ、さっと羽織る。



「ナイアルさんが、“第十三”に戻りましたね! はい、糧食と薬です。持ってってください」



 アンリが差し出した革の袋を手早く腰に巻き付けると、ナイアルはにやりと笑った。



「ほんじゃ皆、帰るのがいつになるかわからんが、またな。うっかり殺されんなよ、ビセンテ?」



 瞬時ビセンテは咀嚼をやめて、ぶすっと顔でナイアルにうなづく。


 てめえは生きて帰って来い、俺がぶっ殺してやるんだからな。はなむけにそのくらい言ってやりたいのだが、獣人にはちょっと長い台詞なので言わないでおく。



「イスタぁ、皆の道案内頼んだぞう。じゃあなぁ」


「気を付けてねー」



 後方から声だけが答えた。


 そうしてナイアルの姿もまた、森の闇の中に消える。



「……追跡者よりも、前にいるかもしれない野盗や獣の方が、心配かな……」



 後ろの茂みの中からかさり、と出て来たイスタが低く言った。肩をすくめてアンリが笑う。彼の背で、かちゃっと鉄の平鍋ティー・ハルが音をたてた。



「目的地の集落までは、そこまで深い森ってわけじゃないんだろう? ナイアルさん一人でも平気だよ」


「そうだね。そもそものイオナさんがいるんだから、大丈夫か」


「……夜明け過ぎまでは、ここいらで網を張るぞ」



 ダンが言い、皆がうなづいて、“第十三”も森の闇の中へ消えて行った。





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