表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神は正義をなからしむるのか  作者: 無位無冠
3/3

後編

 未だざわめきが消えない中、ウィリアムが舞台を見上げる。そんなウィリアムを取り囲むように教会騎士たちが動き始めた。


 呆然としていたラディスラウムが、慌てて前に出る。そして、ウィリアムの肩を掴んで振り向かせた。


「ウィリアム、突然何を言い出すんだ」


「ラディスラウム様……私がやるべきなのです。あのような輩のせいで、殿下が負けてはいけません。これでは私も……戻ることが出来ません」


 ウィリアムがどこに戻るというのかはわからない。それでもその瞳には、神判前にあった暗い光は見いだせない。エリザベートの調査を命じたときと同じ、自分がやらねばならないという義務感をたたえている。


「わかった……頼むぞ」


 叔父に顔を向けると、ちょうど叔父と視線があった。舞台上の叔父は、止めておけと言わんばかりに首を振る。


「神判はすでに下されたのです。今さら、そこの家名なき男が出てきたところで何もなりはしません」


「いいえ、マーロム司教。彼に、私の側近にやらせて下さい。お願いします」


 ラディスラウムが頭を下げる。衆目の集まる中で、王太子が頭を下げるなど異例のことであった。

 舞台の近くにいる群衆が、自分を指差し、様々に言っているのが聞こえる。顔を伏せながら歯を食いしばり、屈辱に耐える。叔父に頭を下げるのは良い。だが、このような人の集まる場でなど、考えたこともなかった。


 そうか。ウルストラはこんな思いをしていたのか。


 人の視線を、陰口を言われることが怖いというウルストラを理解しようとせず、軽く流していた。彼女が抱いていた思いを、どうして想像もしなかったのだろうか。


「……わかりました。特別に、お許ししましょう」


 諦めきったような叔父の声。その言葉で、ようやく頭を上げる。


「申し訳ありません。このような場で殿下に頭を下げさせるなど……」


 ウィリアムがいつの間にか片膝をついている。


「お前のためだけではない。私たち全員のためだ。神は、必ず正義をお守りくださる」


「勿論です」


 ウィリアムを立たせると、教会騎士がやってくてウィリアムを舞台袖に連れていく。


 叔父が、壺を持つシスターに指示を出している。戸惑った様子を見せるシスター。何やら問答をしているようだが、自分が見ていることに気がついたシスターは渋々といった(てい)で教会に駆けていく。


「司教、シスターは何を?」


「……神聖な儀式です。壺を使いまわすのではなく、新しく用意する必要がありますので、教会から持ってくるよう指示していました」


 確かにエリザベートとカールは別の壺を使っていた。大方、急遽もう一つ用意しなければならなくなったのをシスターが嫌がったのだろう。


 少しすると、さっきのシスターが戻ってくる。その手にはさっきと同じ型の壺が握られている。そんなシスターから、マーロムが壺を取り上げ、中を改めるように覗き込む。少し不満そうな顔をするが、何も言わず壺をシスターに返した。


「神よ! 今一度、神意をお授け下さい。そして、偽りを申す者には神罰を下されんことを」


 口々に話し合っている群衆を黙らせるように、マーロムが天に向かって訴える。

 人々が口を閉ざし、舞台に注目した。


「訴人ラディスラウムの新たな証人をここへ」


 ウィリアムが階段を登り、エリザベートと同じようにマーロムと並ぶように立つ。


「汝の名は?」


「……先程おっしゃられたように、家名なき男でかまいません。今の私のことは、殿下だけが知っておられたら良いこと。地位を回復し、あるべきところに戻り、名を回復するまで、公には名乗りません」


 ウィリアムの決意に胸が熱くなる。

 戻ってきてくれた。この窮地になって、自分の片腕がようやく混乱から()めたのだ。神はここで、ウィリアムに正義を示させるために、カールを退けたのだ。


 壺に聖水が注がれていく。


「汝は何を証明するのか?」


「論人エリザベートがベンゼン家襲撃の罪あることを!」


「些か曖昧に過ぎるが……」


 叔父がこちらを見てくるので、大丈夫だとうなずく。そして、エリザベートにも確認するように顔を向けると、エリザベートもうなずいた。


 マーロムがシスターに合図すると、ウィリアムの前まで壺が運ばれてくる。


「では、エリザベートにベンゼン家襲撃の罪が有れば神罰に焼かれず、無ければ汝の腕が焼かれることになる」


「誤りはない」


 ウィリアムが利き腕を掲げた。


「この腕が、神罰に焼かれることはない!」


 芝居じみているが、それだけの自信を示すことで群衆を味方につけようとしている。懐疑的だった視線が幾分か和らいでいるのを感じる。


 マーロムはウィリアムの態度を気にかけた様子を見せず、指輪を壺の中に入れた。シスターがウィリアムが手を入れやすいように壺を少し持ち上げる。


 ウィリアムが教会騎士に頭を振る。エリザベートと同様に一人で手を入れるつもりだ。


「我が言に誤りはなし。誤りあらば、神罰を(こうむ)らん」


 ためらうことなくウィリアムが壺の中に手を伸ばしていく。


「っ!!」


 だが、手が壺の中に入ると、明らかに顔つきが変わる。目を見開き、鼻の穴はふくれ、叫びだそうとするのを我慢するように歯がむき出しになった。


 そんな……ウィリアム。まさか神罰を?


 ラディスラウムの脳裏に嫌な考えがよぎる中、ウィリアムが腕を壺の中に入れていく。


 ウィリアムは腕に力を入れ、体を震わしている。そして、二の腕辺りまで腕を入れると、すぐに腕が壺から引き抜かれた。


 弱々しく震える腕が掲げられる。さっき掲げられた腕と違い、カールと同じように真っ赤になっている。しかし、ウィリアムの手は握られている。


 マーロムが両手を差し出す。震える腕から、その両手に指輪が転げ落ちた。


 見るからにウィリアムは腕を焼かれている。ウィリアムへの信頼と期待が、疑心と失望へと変わっていく。


 シスターによってウィリアムの腕に布が巻かれ、指輪を確認したマーロムが進み出る。


「聖水の中より指輪を指輪を取り出した! これによって指輪を取り出せたものが二人となった。そのため三日後に、どちらがより神罰に焼かれたのかを確認した上で、判断することになる! それまで二人は教会の監視下におくものとする」


 叔父の宣言によって、舞台周辺で警護をしていた教会騎士たちが群衆を散らせ始める。自分も、不安そうなウルストラと厳しい顔つきをしたエイチンクたちのところに戻る。


「ラディスラウム様……」


 寄り添ってくるウルストラを安心させながら、エイチンク伯爵を見る。


「三日の時間が出来たと考えるべきです。その間に手を打たなくてはなりません」


「そうだな。その点()()は、褒めてやるとしよう」

  

 舞台の近くにいた者なら、掲げられたウィリアムの腕が神罰に焼かれていたのは見えただろう。その話はすぐに広まっていくはずだ。


「殿下」


 エイチンク伯爵が、ラディスラウムの背後に視線を投げかける。


 振り向くとマーロムが近くまでやって来ていた。


「ご苦労様でした、叔父上」


 ねぎらいの言葉をかけるが、腹の中では煮えくり返っていた。この叔父が、神慮に任せるなどといらないことを吹き込んできたせいで、とんでもない事態となっている。


「ラディスラウム……ウィリアムのために教会で祈りを捧げてみてはどうだ?」


「いいえ、叔父上。忙しいので、我々はこれで失礼いたします。三日後に、お会いいたしましょう」


 すでに結果が出ているのに祈って何になるというのか。


 ウィリアムのために祈るなど、冗談ではなかった。あれだけ信用していたというのに、ウィリアムは自分に全てを語っていなかったのだ。良からぬ何かをしていたから神罰に焼かれたに違いない。


 そして、もはやエリザベートに罪があるかないかなど、問題ではなくなっている。このままでは、ただ自分の無能を晒しているだけだ。最悪、王位継承にも、王位に就いてからにも自分の居場所がなくなってしまう。


 叔父に背を向け、歩き出す。


「あのマーロム司教。教会で義姉(あね)のために祈りを捧げてもよろしいでしょうか?」


「おお、勿論かまわないとも。婚約者とともに、祈ると良い」


 叔父が少年と親しげに会話をしている。そんな交友関係があったのかと思ったが、もはやどうでもいいことだ。


「あ、あの、本当に良いんですか? ウィリアム様のためにお祈りをしなくて……」


 ウルストラが追いすがってくる。しかし、それにかかずらっている場合ではない。


「人数を集めます」


「あくまで念のためということを忘れるな。まだ、エリザベートにも神罰が浮き出る可能性はあるのだからな」


 自分は正しいのだ。間違ってはいない。もはや、自分が正義を示すしかなかった。









 教会前の舞台には、再び人が集まっている。三日前以上に人が集結し、マーロムの言葉を今か今かと待ちわびている。


「人が多いな」


「ウィケッドが人を集めさせたようです。奴ら、この場で何かを仕掛けてくるつもりなのでしょう」


「だが……こちらには都合がいい」


 ラディスラウムの言葉にエイチンク伯爵がうなずく。


 エイチンクが集めた者たちが群衆に紛れ込んでいる。会ってはいないが、ドワルドの反乱によって取り潰した家の者たちで、再興を約束したら二つ返事で協力したらしい。もしもの時には、暴れる手はずとなっている。


 ドワルド派は信用ならないが、背に腹は代えられない。自分やエイチンクに疑いが向けられてはならないのだから。


 叔父が舞台に立ち、その後ろにはウィリアムとエリザベート。二人には教会騎士とシスターが付き添っている。


「神判の結果を確かめる! どのような結果になろうとも、神意であるからには双方受け入れることをここに誓うように。よろしいな、訴人ラディスラウム」


 ラディスラウムは目をつむり、数度軽くうなずく。


「よろしいな、論人エリザベート」


 エリザベートは、布の巻かれた手に支障がないことを示すように、胸に手をおいて深くうなずいた。


「では、まずは訴人の証人から確かめる」


 憔悴しているウィリアムが、騎士によって前に出される。そのウィリアムの手に巻かれた布を、シスターが慎重に解いていった。

 顕になった腕は、赤黒くなっており、腫れや水疱が出ている。


 見ていて気持ちが良いものではない。群衆の最前列にも顔を背けているのもいる。


「次に、論人エリザベート。前へ」


 エリザベートは騎士に促されるまでもなく進み出る。群衆にも見えるように腕を上げると、シスターが素早く布を解いていく。

 腕には、少しも赤いところがない。神罰を受けていない証拠であった。


 視線で合図すると、エイチンクは部下の幾人かに顎をしゃくる。部下がそれとなく散っていく。


 やっぱりウルストラを連れてこなくてよかったな。


 荒事になるかもしれないために、ウルストラは屋敷に置いてきたのだ。


「エリザベートに神罰は見当たらない! 論人エリザベートに、罪はないのだ。無実なことを、神が証明された!!」


 大きな歓声が場を支配する。教会騎士も珍しいのか、舞台に釘付けになっていた。


 不審だと思われないよう、舞台に顔を向けるとウィリアムが教会騎士に連行されていくところであった。エリザベートも群衆に手を振りながら舞台から降りていく。


「ここに、神判を終える!」


 叔父が終了を宣言する。しかし、すぐに片手をあげて注目を集める。


「だが、まだそのままでいるように。諸君には聞いてもらいたいことがある」


 こんなことは聞いていない。何をするつもりなのかと、エイチンクとともに見上げる。


「いつでもいけますが……」


「待て。叔父上の話が終わるまではな」


 ウィケッド公爵派には戸惑っている様子は見られない。もしかして叔父とウィケッド公爵は事前に示し合わせていたのか。


「三日前、神判とは別に、もう一つの神慮がもたらされた。王位についてである!」


 なんだそれは? どうして自分には叔父から連絡がなかったのだ!?


「聞いたことがあるだろう。アルブレヒト陛下が持ちし王冠と王笏が、行方知れずとなっていることを。二物は……神の御許にあったのだ」


 神罰ではないと言っていたではないか。あれは、嘘だったというのか。


「神は、ある男の子が王位に就くことをお望みである!」


 ウィケッド派の中から一人の男の子が進み出て、階段を上っていく。その手には、遠目でもわかる見慣れたもの。父が持っていた王冠と王笏。探し求めた、王位の証明だ。


「彼は、スフォルツァ伯爵家のマクシミリアン! 幾代か前に王族を迎えている、王家の血筋。神は、現王家を排して、新たな血流でもって国を治めることをお望みなのだ」


 あんな……誰が父親とも知れない子供が王だと? では、わたしはどうなるのだ。これまで、王位にふさわしくあろうとしてきた自分は、いったいどうなると言うのだ。


「拙僧、司教の身にあるこのマーロムは見た! 彼が祈りを捧げているところに、二物が落ちてくるのを! これは……神の思し召し以外の何物でもない!!」


 マーロムの弁舌に、民だけでなく貴族たちも引き付けられていく。


「ここに。先王アルブレヒトの弟として宣言する! この方こそが、次の国王陛下であると!!」


 新王による御世が始まる。混乱に終止符が打たれ、日々の暮らしに静けさが戻ってくるのだ。民たちは浮かれ、新王への祝福を叫ぶ。国の行く末を案じていた貴族たちは、膝をついて新王へ首を垂れる。


 誰しもが、マクシミリアンが次の王だと認めている。


「殿下! このまま見過ごすのですか!? 動くには、今しかありません!」


 エイチンクが激しく肩をゆする。ただ、わけもわからず何度も何度もうなずいた。


 舞台の上では、マクシミリアンが祝福に応えるように手を振っている。どこか戸惑っている姿であるが、マーロムがそれを助けている。


 群衆のほうで、祝福に混ざって、騒ぎが起こっているのが聞こえる。しかし、ラディスラウムは自分が受けるはずの祝福を、他人が受けているのを眺めていた。


 周囲にいるエイチンクの貴族や騎士が、ウィケッドの騎士によって拘束されていく。やがて、自分の手足となって働くはずだった騎士たちに取り囲まれた。


「ラディスラウム様、どうかおとなしくなさいますよう。新王陛下の晴れ舞台を、血で汚すわけにはいきませんので」


 膝から崩れ落ちそうになるのを、騎士が腕を掴んで強引に立たされて、そのまま二人がかりで支えられながら歩かされる。


 誰もがマクシミリアンを見て、自分には視線もくれない。


 ふと舞台を振り返る。


「神は……」


 マクシミリアンに光が降り注いでいる。


「正義を……」


 自分には正義があったはずなのだ。


「なからしむるのか」


 悪を罰し、秩序を守っていた自分がどうしてこうなる。


 ふと、舞台袖のエリザベートと目が合った。


 その表情には、覚えがある。王宮での婚約破棄が下された後、悪女と罵った時と同じ表情。


 居たたまれなくて、顔をそむけた。


 神と神が遣わした新王への祝福を尻目に、ラディスラウムは人知れず連行されていった。









 後世にも残る司法制度の基礎を作り上げ、晩年には枢機卿に任命されたマーロム。彼が神明裁判の廃止に尽力し、また中立公平な裁判を作り上げようとしたのは、甥であるラディスラウムの存在があったと言われる。ラディスラウムの転落を引き起こした神明裁判は、エリザベートとマーロムによって仕組まれた罠であり、その後悔が裁判制度に向けられたというのが一般的な理解だ。


 マーロムが、ラディスラウムを裏切った原因には諸説ある。そのなかでも、王位継承に協力したのに聖職者に追いやった兄アルブレヒトへの怨恨、エリザベートに買収されたという二つが有力視されていた。だが、現在着々と浸透しているのが、王となって新王朝を開いたマクシミリアンとマーロムが親子であったというものだ。実の息子を王位に据えるために、ラディスラウムを罠にはめて、その信用を無くさせたのである。


 マーロムが大司教として王国に戻ると、マクシミリアンの母と生活を共にしていたことが判明している。マーロムの死後、聖職者として得た個人的な領地や遺品などは、同じく聖職者になったマクシミリアンとヴィルマの息子へと継承されていることも親子説を裏付ける根拠の一つだ。

 王宮に飾られているマクシミリアン戴冠の絵には、マクシミリアンに王冠をかぶせているマーロムが描かれている。旧王朝から新王朝への移り変わりを示す象徴的な場面であるのだが、親から子へと王位を渡す姿であったのかもしれない。

 本作をお読み頂き、ありがとうございます。楽しんで頂けましたでしょうか。


 本作ではラディスラウム視点でお送りしましたが、この人物も苦労させられました。愚かすぎないように、優秀すぎないようにしました。いかがでしたでしょうか。また、追い詰められていくにつれて、性格を父親のアルブレヒトに近づけたつもりです。


 神明裁判については、ご感想の返信にて負の側面だけではないと書いておきながら、本編ではいかさまをしている設定です。ダブルスタンダードです、お許しください。神明裁判という、悪役令嬢物ではあまり見ない展開ということでお目こぼしください。あまりないですよね?


 ちなみに王位はエリザベートではなく、ヴィルマの婚約者マクシミリアンにというのは、『こんなこと絶対間違っている』から決めていました。


 残り一作となります。視点はシリーズ主人公のエリザベートです。タイトルは前々から『貴方が私を悪女と呼んだから』と決めていました。

 本編はもうしばらくお待ちください。


 それでは、拙作『神は正義をなからしむるのか』をお読み頂き、ありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ