10) 本の買出し
~前回までのあらすじ~
エンデール王国第二王子であるレムナスに婚約破棄された伯爵令嬢ハーナベル。
これ幸いとばかりに、小さな頃から夢だったビブリオ・タワーの司書になることに。
ビブリオ・タワーは本の塔。
この世界の本はもちろんの事、異世界の本すらもあるというその場所で、ハーナベルは司書として住み込むことになりました。
婚約破棄してきた王子がなぜか塔を訪れたり、ちょっとしたアクシデントもありますが、今日もハーナベルは司書常務を頑張りつつ……?
早朝のビブリオ・タワーの中を、わたくしは足早に進みます。
七階から最上階を見上げると、ガラス張りの天井から注がれる陽の光が柔らかく、わたくしは少しだけ、目を細めます。
今日も、良い天気のようですね。
読書をするのに最適でしょう。
もちろん、陽の光が届かないときでも、ランプの灯された塔の中は読書に十分な明かりを常に維持しているのですが。
「……その両手に……花の綻びと…………時の流れを…………」
見知った声が聞こえてきて、わたくしはそちらに足を進めます。
声は、本の閲覧スペースから聞こえてきます。
閲覧スペースは、遠目にもわかるほどに、小さな光が舞っています。
間違いなく、ノーティスがいますね。
彼の姿が視認できずとも、小さな光が目印です。
その小さな光は、わたくしが閲覧スペースに近づけばはっきりとわかるほどに、エンデール文字となって輝きます。
ノーティスは、わたくしがすぐ側まで近づいても、気が付きません。
彼の紫がかった青い瞳は、一心不乱に原稿に注がれています。
長く白い指先は魔法石のはめ込まれたガラスペンを操り、ガラスペンは彼の望む文章をとめどもなく綴ってゆきます。
そして同時に、彼の周囲に踊るように舞う輝く文字が、一つの文を紡ぎだし、原稿へと注がれてゆきます。
わたくしは、彼が一息つくのを持ってきた本を読みながら待ちました。
どのくらい待ったでしょうか。
本ねずみがぽすんと、開いていた本の上に乗ってきて、わたくしは顔を上げました。
彼をみれば、周囲に舞う文字が少しずつ減っていっています。
ノーティスは作家です。
ブック様の許可の下、彼はこのビブリオ・タワーの客室を借り、暮らしています。
司書ではありませんが、週に一度、タワーの仕事を手伝うことが条件です。
常に物語を考えている彼の周囲には、エンデール語や、その他の文字が彼の思考に合わせて光り、舞い散ってゆくのです。
その文字が少しずつ減っているということは、もうすぐ彼の執筆は終わるのでしょう。
新しい物語の誕生に、わたくしは胸の鼓動が高鳴るのを感じます。
彼は茶色に近い金髪を、ため息と共にかきあげました。
「ノーティス、良い物語は書けまして?」
「あっと、ハーナベル? いつからそこに……いや、その様子だと、随分待たせたようだね。OK、今日の買出しでは、好きな本を一冊プレゼントするよ」
「まぁ、本当ですか。ありがとうございます。ですが、わたくしは貴方の書いた物語を読みたいですね」
「まだ書き終えたばかりだからね。一日だけ待ってくれるかい? 明日にはハーナベルに読ませるさ」
「ふふっ、楽しみにしておりますね」
今すぐ読めないのは少しばかり残念ですが、読み始めたら止まらなくなるのもわかっています。
今日はこれから、本の買出しに行くのです。
途中で出発時間になり、続きを読むことを我慢しながら涙を堪えて本を閉じるよりも、明日の楽しみとするのが良いでしょう。
◇◇
ビブリオの街は、既に多くの書店が店を開けています。
世界各国からビブリオ・タワーに本を求めて人々が訪れるからでしょう。
一日中、深夜も開いている書店は宿屋も兼ねていますから、ビブリオ・タワーの閉塔時間に間に合わなくとも安心ですね。
「今日の仕入れは、エンデール国の今月出版分と歴史書を一冊、ワンスアポン国の翻訳本二冊、それにタウ語の翻訳本……えっ、タウ語? 珍しいな」
買出しリストを読みながら、イズが驚きながらも目を輝かせます。
タウ国は吟遊詩人が物語を歌って語り継ぐことが多いので、こうして本として出版されるのは確かに珍しいですね。
少々タウ語は苦手ですが、ビブリオ・タワーでの登録手続きを終えたら、読ませて頂きましょう。
「タウ語の翻訳本はリンデル書店かい?」
「そうそう、翻訳本はあの店が一番早くて品揃えもいいからね」
「そうなりますと、先にエンデール国の今月出版分を仕入れるほうが良いかしら。オリノコ書店でしょう?」
リンデル書店はビブリオ・タワーからかなり遠く、ビブリオの街の南門近くの立地です。
そしてオリノコ書店は、リンデル書店よりもここから近いのです。
三階建ての大きな書店で、各階に書店員が配置されているところなどは、少しばかりビブリオ・タワーに似ていますね。
ここから少し歩けば、三階建ての建物が見えてくるのではないでしょうか。
「ハーナベル、それは逆じゃないか? リンデル書店が先だよね」
「なぜですの?」
「僕もイズと同じ意見だね。今月出版分の書籍は一冊二冊じゃ収まらないだろう? ハーナベルのカンタール出版だけでも十冊は確実だろうし、その他出版社を合わせると、優に二十冊を超える量だ。それを持ち抱えながら遠い書店へ足を運ぶのはいささか骨が折れる」
「二十冊もの新しい本を抱えて歩くだなんて、それだけで幸せではありませんか」
わたくしは、両の手に二十冊の本を抱きかかえる姿を想像してみました。
えぇ、とても幸せですね。
真新しい本の香りと、ずっしりとした重さ。
本の重みは幸せと比例しています。
重ければ重いほど、ページ数が多く、それだけ長い物語であるという事であり、わたくしが物語の世界に浸れる時間の長さでもあるのですから。
「……二人とも、どうしましたの?」
うっとりと想像に浸るわたくしに、ノーティスとイズが固まっています。
「ハーナベル……二十冊もの本を一人で持ち歩くつもりなのか……」
「少し落ち着きたまえ。冷静に考えるんだ」
「あら、わたくしはとても冷静でしてよ?」
「二十冊もの本を抱えて歩ける女の子がどこにいるのさ……」
「わたくしなら、二十冊は確実に持てますわね。魔法を使えば何十冊でも問題ありませんわ。あぁ、でも、魔法を使うよりも、本の重さを感じていたいものですから、やはり二十冊ぐらいが丁度良いのではないでしょうか」
「世間一般的にそれを丁度いいとは言わないんじゃないかなハーナベル……」
「僕はいま、強く動揺しているよ。ハーナベルが読書をする姿は何度も見ているが、よもやまさかこれ程とはね」
ノーティスが軽く肩をすくめます。
わたくし、塔の中でも数冊は常に手に持っていたと思うのですが、違いが良くわかりません。
「と、とにかく! リンデル書店に先に行くからねっ」
「でも……」
「ハーナベル、リンデル書店へ先に行くほうが読書時間が増えることには気付いているかい?」
読書時間!
その一言に、わたくしはノーティスの青紫の瞳をまじまじと見つめました。
「ハーナベルが二十冊もの本を持った場合、いや、実際に購入した場合は僕とイズが過半数を持たせてもらうが、あくまで仮定としてだ。
ハーナベルが一人で本を抱きかかえて運ぶ場合、当然のことながらその重みはすべてハーナベルにかかる。
そんじょそこらのご令嬢とは違い、ハーナベルなら一冊も落とす事無く運びきるだろう。
だが本の重みを味わいたいというなら、その重みは確実にハーナベルの歩く速度に影響を及ぼす。
つまりそれは、ビブリオ・タワーへの期間が遅れることを意味し、読書時間の大幅な無駄になる」
わたくしの身体に衝撃が走りました。
なんということでしょう。
わたくしは、目先の欲望に負けて、読書時間が減ることを考慮できなかっただなんて。
「ハーナベル、リンデル書店でいいね?」
「もちろんですわ。急ぎましょう」
わたくしは足早にオリノコ書店を通り過ぎました。
「ノーティスは凄いね。あのハーナベルを一瞬で納得させるなんて」
「それほどでもないさ、僕の洞察力を持ってすればこんなことは朝飯前。だが、流石の僕をもってしても、二十冊もの本を抱えたがる事は想定外だったがね……」
ノーティスとイズがなぜかわたくしから少しい引いた位置にいるような気もしますけれども、気のせいですわね。
急いで、買出しを済ませてしまいましょう。




