兆候
ニュースはかかさず見ている。それはもちろん朝のニュースも例外ではない。
いつゾンビが発生するのか分からないが、発生してからでは何もかもが遅いのだ。その兆候が出たときには既に行動出来ていなければ、生き残ることは難しくなるだろう。
朝食を食べ終えた新藤正太は、ごちそうさまの礼をしたあと、一度自分の部屋に戻って荷物を取ってきた。
既に制服に着替えてある。
「母さん、父さん、行ってくるよ」
「いってらっしゃい。ほら、あなたも早く出ないと遅れますよ」
「わかっているよ」
いつものやり取り。平和の証。
しかし正太はその平和の逆を望んでいる。それは異端なのだろうか。別に平和が嫌いなわけではなく、むしろ平和を望んでいる。それでもバイオハザードが起きる前提でこれまで生きてきた。
「そんなこと悩んでも仕方がないか」
今朝のニュースで気になったのは、若者の暴力事件が増えてきているということだ。
既に10名程が捕まっており、全員から新種のドラッグと思われる成分が検出されたと報じられていたが、つまるところそのドラッグの正体が掴めていないと言うに等しい。
一応、兆候として考えておこう。
学校までまだ少しある。バッグの中の役に経ちそうなグッズがあることを確認する。
もしかしたら、突発的にゾンビが出てくるかもしれない。
例え人為的なものであっても、"病気"というのは自然災害に等しい。中々、防ぐことは難しいのだ。
昨日。
土岐森真吾は、苛ついていた。柏野高校を牛耳る一歩手前のところに来ているのに、どうしてもあと一歩がどうにかならない。
学校の人間は、教員ですら俺を避けて通るというのに、あいつがいるときは俺を恐れなくなる。
新藤正太。
その巨体と筋肉へと直結させるシルエットは、恐怖だけでなく優しささえも人間に与えている。
やつは今まで人を傷つけたことはない。更に頭がいい。
一度、ジャンケンに負けた人間が、新藤に分からない問題を教えてもらいに行くという罰ゲームをやったことがある。
結果はどうであろうか。
頭が一つ賢くなって帰ってきやがった。
当人曰く、『最高に分かりやすくて、めちゃくちゃ親切だった。他に分からない所はあるか?と聞かれた時は、新藤君に対する気持ちが変わったよ』とのことだ。
このことは瞬く間に学校中に広がった。どれだけ皆が新藤という人間に注目していたかが嫌でも分かってしまう。
そこから新藤に勉強を教えてくれと訪れる人間は増えに増え、勉強の神童とまで言われるようになる。
不良を寄せ付けぬ強さと、分け隔てぬ優しさと、勉強に対する深い理解から、畏怖と尊敬を獲得した、圧倒的存在へとなった。
俺は学校でトップになれない=新藤がいるからと考えている。原因が明白であるのに、その原因がどうにもならないことに、苛ついているのだ。
それを解決するためのものが、見つかるかもしれないということで、俺は今ある男を追跡している所だ。
隣町にある高校の現トップ、トドハラ。
ついこの間までその高校ではサカキという人間が頭を張っていた。しかしそのサカキが倒され、新たに頂点に立ったのがトドハラである。
誰がどう見ても、サカキが勝つと疑っていなかったサカキメンバーの輩は今でも信じられていないようだった。それは身体的なものではなく、常日頃の感じられるオーラとも言うべきものの段違いな差を感じてのことだ。
でもその日、トドハラの雰囲気が少し違ったらしかった。一言で言えば狂暴性が漂っていたという。
俺はこう考える。一晩でオーラというものは身に付かない。それは長年の経験からつくものだからだ。つまり、トドハラは何かによってオーラを代用する狂暴性を得、結果的にそれがサカキを上回ったということだろう。
ではその何かとは、なにか。
巷で噂のドラッグではないだろうか。
誰も信じなかった勝利をトドハラは得た。
誰も信じていない新藤からの勝利を得られるかもしれない。
もうこれに頼るしかないんだ。
2年のある階へと、階段を上る。その時に1年生から声を掛けられる。
「新藤先輩、今日の昼休みにまた教えて貰いに行ってもいいですか?」
小林、という女子だ。小柄で小顔な外見だけでも好きな男子はいるだろう、可愛い系というやつだ。
「ああ、問題ない。どれくらいだろうか?」
「数学の、2問くらいなのでお昼を食べたらでも良いですか?」
「大丈夫だ。じゃあ教室で待っている」
活動活発な部活に所属ている生徒は、放課後に余裕がないため昼休みに勉強を聞きに来る。
俺が勉強を教えるようになったのはいつからだったようか。確か1年の、夏休み明けだった気がする。
小林は、俺が2年になってから勉強を教えた後輩1号だ。バトミントン所属で、そこの先輩から勉強を教えて貰おうとしたら、その先輩が分からなかったらしく「新藤くんに聞きにいこう」と言ったのが発端らしい。
最初会ったときはすごい恐れられた。見るからに恐れられた。それも仕方のないことかもしれない。80センチ近い身長差があったのだから、誰だって威圧を受けるだろう。なので、なるべく優しく教えたのを覚えている。な?俺は怖くないだろ、と言うように。
結果、ちょくちょく勉強をしに来るようになった。さらに小林経由で他にも後輩が何人か出来た。皆、勉強に対する意欲があって嬉しい。何しろ俺を恐れないというのが嬉しいのだ。
「あ、新藤さん!俺にも今日勉強教えてください!」
「ああ、分かった。じゃあまとめて、昼休みに来てくれ」
勉強の予約を受けながら、2階に着くと、人の密度が、そこだけ割れている所があった。その原因である人間と目が合う。
「よう、新藤」
「土岐森くんか」
瞬間、土岐森くんは見たこともない形相で睨み付けてくる。殺してやる、というような目だ。こんなオーラを回りに振り撒いているなら人も距離を持とうとするのも当然のことだ。しかし、その距離もいつもよりあることに気づいていた。これは異常だ。いつもの土岐森くんではない。
「いつもいつも、土岐森くん土岐森くん、てめえは、何度俺が挑もうがその呼び方だ!新藤!!今日こそてめえをぶっ殺す!!!」
叫んだあと、その激動を抑えるようにもがくような素振りをしたあと、冷静に次の一言を発した。
「今日の昼に、屋上に来い」
分かったとは言えない。先ほど昼休みに約束をしたばかりなのだ。
「いや、悪いけど昼休みは約束があるから、放課後にしてくれないか?」
そのあと、彼は「分かった」と告げたあと3年の教室へと戻っていった。
さて、これは恐らく例のドラッグではないだろうか。
明らかに感じた異常性、それは狂暴性だ。
目の前に一例が見れて幸いと思うことにしよう。
土岐森くんを観察することでこれがバイオハザードに繋がるかを検証することが出来るし、"土岐森くんですら"入手出来たのだから別に裏で出回っているようなものでもなく、手に入れようとすれば、比較的容易に入手出来てしまうものなのだと分かった。
それはつまり、こういうことになる。
ドラッグがバイオハザードになるに十分足りうるのであれば、その兆候は既に現れており、入手性の容易さから突発的に広がるだろう。
平和が崩れるかもしれない。
「終わりか。次回小テストやっから、復習しとけよ」
鐘が鳴り、昼休みが始まるため数学教師の岡村先生が教室から出ていった。
ちなみに岡村先生はここのクラスの担任でもある。
「しんどー、さっきの所教えてくれよー」
「俺にも頼む!」
もちろん、答えはイエスだ。昼休み中半に先約があるので、すぐに取りかかろう。
「……というわけで、別に加法定理は覚えなくても良いんだよ。導出出来るからね」
「ほー、なるほどねー。私記憶力悪いからめっさ助かるわー」
「でも、小テストの時間って短いよな?」
「そうだな。今回ばかりは覚えないと無理かもな」
原が絶望したのが分かった。普段のんびりしてるくせに、感情が強く表情に出るのが面白い。
ドアが軽くノックされた音にクラスが一瞬静かになる。
失礼しますと入って来たのは今朝の一年生ふたりだ。
「新藤さんはいますか?」
「ここにいるぞ。入ってオーケーだ」
少し足早にこちらへふたりは来た。
「佐野くんと被りがないか話していたんですけど、同じところが分からなかったので同時に教えてくれると嬉しいです」
「了解だ」
そういうところを、事前に確認しておいてくれているのは有難い。
「あー、バヤシちゃんじゃん」
「原先輩、こんにちは」
原と小林はバドミントンの先輩後輩にあたる。小林がここに来るようになったきっかけは原によるものだ。
「1年は今ここやってるのかー。懐かしいね。復習に参加させて貰おうかなー」
原が加わり4人で勉強をすることになった。時々原が口を挟みながらの勉強は充実したものになった。その分俺の飯を食う時間が削られていくわけだが。
「ありがとうございました!分かりやすかったです」
「なら、よかった。他にはありそうか?」
「他は大丈夫です」
佐野も同意見のようだった。
二人が教室を出たら、飯を食おうかなと考えているところで、突然に、ドアが全力で開け放たれた。衝撃で戻ろうとするドアを開けた人間の手によって強制的に押さえつけられる。
クラスが一瞬で静まり返ったのは言うまでもない。
「しんどおおおおおおおおおお!!!!」
小林は開かれた音に驚き、その怒声に尻餅をついてしまっていた。佐野は小林の後ろにいたため、そのまま少し距離をとっている。
「なぜ来なかった!!!!?」
「放課後にしてくれと言ったぞ」
「聞いてねぇぞ!!」
記憶を掘り返してみるが、彼が了承したのは確かだ。
いよいよ予想が当たってあるのかもしれないと見当をつけ始める。
ドラッグによって記憶の混乱、狂暴性が助長されているのかもしれない。
「し、新藤さんは、私達に勉強を、教えてくれてたんです」
ギロリ、と注目を小林へと変える。
「つまりぃ、てめえのせいってことかァ!!」
小林の胸ぐらを掴み、片腕でその体をあげて見せた。
土岐森はどちらかというと細い部類だ。筋力はあるだろうが、いくら軽そうだろうが小林を片手だけで持ち上げられるほどではない。
小林は抵抗するが、拘束から逃れることができない。
もう一度言うが、抵抗する人間を片手で御するほどの筋力を土岐森は持っていない。
つまり、ドラッグによって筋力増強されていると考えるのが妥当。彼はドラッグを使用している線が濃くなった。
「よく見りゃ、かわいいんじゃねえの?……良い、首筋を……してやがる」
土岐森から涎が垂れる。
涎とは、普通に考えれば味覚、つまり食べ物に対して生じる分泌物である。
そこから考えられることは、土岐森は小林を食べ物と認識している……?
「……綺麗だ」
バイオハザードの定番は、噛まれることによるウイルスの伝染。
俺は駆け出す。立ちふさがる机どもをハードルの要領で飛び越える。
教室をこんなにも広く思ったことはない。くそ、間に合え。
鈍い打撃音。
おそらく痛みに力が弛んだからだろう、小林を手放し開け放たれたドアから廊下へと吹っ飛ぶ。
土岐森の体の一部が窓ガラスへと当たり、割れた。
「首を見せろ」
半ば無理矢理気味に小林の首筋を確認する。
損傷は見受けられない。つまり噛まれていない。
小林は、無傷だ。
無事を確認したところで頭を切り替える。
少し本気で殴ったが、大丈夫だろうか。
等という気遣いは無用であった。
「っ痛えな……」
自分の力は把握しているつもりだ。少なくとも、泣き叫ぶくらいには力を入れたつもりだったが、少し痛む程度、か。
痛覚が鈍っているのか?
「まあ、いいぜ。てめえが俺に殴ったのは初めてだ。それは俺に対して恐怖を抱いたということだ。今おれは、さいこうにきぶんがいい」
俺は思考を続ける。
ドラッグか、或いは違うものかもしれないが、とにかく何かによって異常な状態であることは確実だ。
異常を述べるのであれば、
狂暴性
人間に対する価値観の変貌
筋力増強
痛覚麻痺
が挙げられる。
ここで最善策は、痛覚麻痺のために、痛みを与えることは無駄だ。殴る蹴るは意味をなさない。
ならば、拘束して無力化するしかない。
「来い、土岐森くん」
「だから、くん付けすんじゃねええええええ!!!」
前傾姿勢で殴り掛かってきた所を足払い。腹を地面に強打した所を上から押さえつける。右腕を首に絡め頭を固定、顎も動かせないようにする。
「んんんぐぐがんんんんんん」
何回もイメージしてきた固め技。顎を中心に頭部の固定を重視した固めだ。腕は足と左足で動かせないようにしてある。そうなると、相手の足は比較的自由になるが、重要なのは相手から"生身の部位"で損傷を被らないことだ。
靴を履いているので、足はどうでもいい。
「誰でもいい、警察を呼んでくれ!」
ここで教師を呼んでも無意味だ。だから警察を選ぶ。最悪、銃という殺傷武器を携帯しているだろうから、そいつで完全に無力化することが出来るはずだ。
「何事だ!」
教頭と他2人の教師が来たが、お前らでは邪魔になるだけだ。
「新藤くん?!土岐森くんを話したまえーー」
それ以上喋るなと睨み付けてやる。
普段世話になっているので申し訳ないが、今だけは邪魔をしないでくれ。
それから数分してパトカーが来るまで、俺は土岐森を押さえ続けた。




