~勉強編 8~
真夜中、腕から抜け出そうとした雪は強い力で引き戻された。
「起きて・・・?!」
一度寝た理乃は地震だろうが起きない。
腕から抜け出したくらいで起きる訳がない。
理乃の顔を見た雪は理解した。
理乃はまだ深く眠っている。
「許可できない。諦めて寝ろ」
理乃はこんな高圧的に話さない。
他人に命令しない。
こんなに冷たい瞳で自分を見ない。
何年も一緒に寝ていれば何度か会う。
「あなたに止められるとは思わなかったわ」
自分は理乃の枷でしかない。
そんな自分がいなくなるのを彼女の生存本能に止められるとは思わなかった。
「止めるに決まっている」
「どうして?」
あなたは最初、邪魔だから離れろと命令したじゃない。
「これ以上はもたない。壊れる」
「・・・理乃は大丈夫だよ」
そんなに弱くない。
それに、その気にさえなれば、理乃の周りは人で沢山溢れるだろう。
枷にしかならない自分よりも、理乃の役に立つ人を側に置いて幸せになって欲しい。
本当は自分だけが良かったけれど。
このままいたかったけれど。
自分では、枷にしかならない。
「無理だ。壊れる。だから諦めろ」
「理乃は気付いてるの?」
「それは遮断した」
人間が考える時、脳が電気信号を送る。
脳の働きである、無意識下の殆どを担当している本能は、どうやら思考の邪魔すら出来るらしい。
理乃の本能は本当に最強なガーディアンだ。
気付いて止められないのと、気付かないのでは、どちらがショックだろう。
「諦めて命令に従え。次は警告では止まらない」
「嫌よ」
「力強くが好みか?コイツが心配するぞ」
「嫌。諦めて、それで理乃に捨てられるの?理乃にいらないって言われるの?私を守る為に?嫌よ。絶対嫌!」
「それはお前の望みだろう。それは私の優先することではない。命令に従え」
理乃本人はただの鈍感だけれど、こっちは理乃の為にしか動かない。
これなら乙女心のわからない鈍感の方が良い。
当たり前か。
自分が好きなのは本能ではなく、思考を持つ理乃本人なのだから。
「私にいらないって言った理乃も傷付くじゃない!!私だって、私の為ってわかってても傷付くわ!!どっちも傷付くなら、そんなことしないで。しないでいてくれるなら我慢する。これから先も一緒に、側にいられるなら我慢する。でも、離れ離れになるなら、今の幸せのまま止まりたいの!」
「コイツの傷を最低限に抑えられる方法が他にない。お前が幸せならもつ」
「そんなの・・・!!一緒にいられないのに幸せになれるわけないじゃない!!鈍感!!バカ!!!」
「コイツの望みはお前が幸せな事」
「・・・じゃぁ、好きにさせて」
「許可できない。他の手段にしろ」
「他に負担にならないで一緒にいられる方法がないの!!」
「・・・はぁ。お前は死んでもそのままではいられない。必ず消える。コイツの側にはいられない」
「どうして・・・?」
「コイツの知り合いは全て消える。例外はない」
「じゃぁ、夜子は?!」
「消えた。コイツの知り合いは彷徨う事はない。辛いまま止まる事もない」
「そんな・・・酷いよ・・・」
「あのまま止める方が酷いだろう。コイツが死んでも消える事もない。そうなったら、何処にも還れない」
この人とは、本当に話が合わない。
何処にどんな価値観があるのかもわからない。
還るって何?
彷徨うって何?
理乃は死んだ時のままだと言ったのに。
「コイツが認識出来るのは害がないレベルの一部のみ。還る場所もなくし、タイミングを失くしたモノは解放される事もない。濁り歪んでいくだけだ」
「じゃぁ、この気持ちも・・・?」
「還らなければ、消えなければ、濁り歪んでいく。歪んだまま喪われ大きなモノに飲み込まれて融合し消滅する」
「じゃぁ、あなたはどうする気なの」
「まず、お前を突き放す。そしてお前が幸せになるか、突き放した後、壊れないように徐々にお前に関した事の記憶、感情を薄め、ただの記憶情報として認識する。執着を失くしたコイツはここを出る」
「そんなの誰も幸せじゃない!!」
「壊れるよりはマシだ」
そんなの!そんなの、ただ生きてるだけじゃない!!
植物じゃないのよ!!
感情があっていいの。
時には傷付くけれど、泣いて、受け止めて、強くなっていけるの。
泣く事も出来ないのは、強さじゃない。
「あなたの守り方は間違ってる。あなたの命令は聞かないわ。命令したいのなら、理乃を出しなさい」
「こうでもしなければ、コイツはとっくに死んでいる。交代は許可できない」
「なぜ」
「・・・今の遣り取りだけで、コイツは壊れる。変われる訳がない」
「そんなに・・・弱いの?」
そんなわけない。
理乃が弱いなんて事はない。
わかってる。
この数年、どれだけ大事にされてきたか、ちゃんとわかってる。
まだ子供なのに、守られる側の筈なのに、身を呈して守れる人間が弱い訳がない。
自分の事よりも、他人を大事に出来る心を持ってる人間が弱い訳がない。
「コイツは弱くない。むしろ強過ぎて困る。他の人間はコイツほどしぶとくないのに同じだと思っている。しなやかにすぐに復活する。本来は、忘れる事で対処するなんて大雑把な処理の仕方をしていたから、記憶情報として残す様に調整した程だ。壊れるのはコイツの心じゃない。コイツの理性だ。そうなったら、それこそ誰も幸せにならない」
変な所で細かくて、大雑把なのは昔からなんだ、そう思ったら、少し笑えてきた。
「あなたも理乃に振り回されているの?」
理乃が抑えこまれているイメージばかり抱いていた。
制御されているのだとばかり。
「当たり前だ。コイツは極端だわ大雑把だわ・・・!」
途端に人間味を感じた。
同類だと気付いたからだろうか?
「ほんと。私が捨てられて平気だなんて、どう考えたらそうなるのよ?」
「コイツに執着心など理解出来ない。感情は邪魔だと、かなり昔に封印され、今は殆ど機能していない」
「あなたがやったんじゃないの?」
幼い理乃が施設に来た時、すでに泣く事もせず、心が壊れているのかと勘違いした。
「私にそれほどの権限はない。私はただの保険でしかない。殆どはコイツがそう作った」
「そんなこと、出来るモノなの?」
自分には到底出来ない。
やろうとも思わない。
「普通は出来ない。でもコイツはやろうとしたら、出来るか出来ないかの二択しかない。そして簡単に実行した。その方が楽だから、とな」
大雑把にも程があるだろう。
「じゃあ、抑えこんでるのは?」
「コイツの本性だ。自制と理性で抑えている。雁字搦めの鎖でな。コイツは周りは自分より優れていると思っている。そうゆう環境で育った。結果、自分より優れていないモノを許容出来ない。自分より優れた存在になる事を強制する」
それでは、自分などどうなるのか。
この施設に、理乃より優れた生命体はいない。
理乃よりも強い人間はいない。
「じゃあ、私の事なんて、本当は興味がない?」
そんなこと言われたら、自分は違う意味で自殺する。
「いや。コイツはお前に執着している。だが、衝動が強過ぎる。感情を封印していても、それでも強過ぎる。だからわざと執着しない。お前が壊れないようにな」
「そんなに?」
「コイツの本音が知りたいか?」
「教えていいの?それ」
知りたいと言えば、知りたい。
理乃はいつも冷静だ。
いつも私ばかりで、理乃から求められた事もない。
それが、少し淋しい。
本当に自分を必要としてくれているのかと不安になる事もあった。
いつも優しく否定してくれるけれど、普段は平坦な癖に、その時だけ優しくて、逆に不安になる。
平坦に言われても不安になるけれど。
でも、心の内を本人とは言え、隠しているものを勝手に話していいのだろうか?
「構わない。こんな機会は二度とないだろうからな。記念に披露してやらんでもないが?」
どうしてこうも上から目線なのか。
それにしても、二度とないと断言出来るのが凄い。
「二度とないって、何で断言出来るの?」
これから先、自分とは違って色んな出会いがあるのに。
「簡単だ。お前を失くしたら、コイツは二度と人に執着しない。お前を失って、懲りるだろう。傷付く事をコイツは二度も繰り返さない」
それは、酷く悲しい事に思えた。
懲りたから、もうしない。そんな理屈で心を決めるのだろうか。
諦められる事なのだろうか。
心は理屈じゃない。
感情も理屈じゃない。
傷付いたからもうやらない。なんて、そんな簡単な事じゃない。
「私の事、忘れないよね?」
「断言は出来ない。一生忘れはしない。だが、そこに心が残るかは、私にはわからない。それはコイツが決める」
「ねぇ、私の事、どう思ってるか教えて」
「大切に、大事に思っている。独占したいとも。他の人間がお前に触れたら、その人間を殺すのに躊躇わないくらいに。小蝿を払うのと同じ感覚でしかない。けれど、それだけの衝動はお前を壊す。だから出さない。コイツは自分よりもお前を大事にしたい。壊したくない。満足か?」
そんな淡々と恐ろしい事を言わないで欲しい。
壊すとか、殺すとか、そんな簡単に当たり前のように・・・。
あぁ。だから抑えているのか。
私の為に自分の何もかもを抑えているの。
自分を守る為じゃなく、周りを守る為に。
理乃の放電で、何人も病院送りになった。
あれでも抑えていたのだろう。
「ふふっ。それ、矛盾してるわ。私を突き放すんじゃないの?それだと無理じゃない」
そこまで愛されてるなら、良い。
そんな矛盾だらけで自分を誤魔化さないといけないくらいに執着されていたのなら。必要とされていたのなら。
大事に思われているのなら。
「執着ごとコイツは消す。自分の中を消す事にコイツは躊躇わない。お前が幸せなら、自分の衝動も欲も何もかも消す」
「ねぇ、少しは自分を大事にすることを覚えて」
「コイツとしては、過保護だと思っている」
「バカね。それは大事にしてるとは言わないわ」
本当にバカ。
自分を蔑ろにしすぎだ。
「わかった。お前の事は消させない。逃げさせない。それでいいか」
「うん」
「コイツが壊れても?」
「自制しすぎよ。どこまでなら暴れていいかを覚えなさいって言っておいて」
「お前が言えば良い」
「ダメよ。チャンスは今日しかないの。逃したら、理乃が自分を殺すだけよ。私の為に。それなら、理乃の中で生きるのを選ぶわ」
「なら、実際にちゃんと生きろ。ここにいろとは言わない。私の記憶では所長は話が分かる人間だ。良くしてくれるだろう。帰る家がないなら住み込みで働けば良い。日本舞踊がしたいんだったか?なら、住み込みの内弟子にでもなれ」
分かり合えたと思ったけれど、やはり根本的に価値観が違うらしい。
「・・・やっぱり、あなたも理乃の一部ね」
「当たり前だ。この話とどう繋がる」
言葉の理解力も実は理乃と同じレベルかもしれない。
そう思うと、この子も怖くない。
所詮、この子も理乃の一部。
まだ子供なのだろう。
そして、理乃同様に強過ぎる。
「バカね。そんな簡単に割り切れないの。生きていたら、会いたくなるの。一緒にいられないのなら、生きてる意味なんてないのよ」
「今は、だろう。コイツが大人になるまで待てばいい」
「待てないよ。それまで理乃が私を必要としてくれる保証もない」
今の話を聞いたら、自信なんて持てない。
「コイツの好みは変わらない。問題ないだろう」
「そうゆう問題じゃないの。理乃と同じスピードで生きれない。着いて行けない。それを理乃は嫌がるわ。そしていつか、邪魔だと思われた時に捨てられる」
「確定している訳ではない。コイツも大人になる。そうゆう生き方も在るのだとすぐに気付く」
鈍感すぎるのも罪だよね。
理乃のバカ。
自分を繋ぎ留めようと必死なのはわかった。
自分に生きていて欲しいのも。
でも、私だって理乃と付き合いは長いの。
理乃の性格だって把握してる。
「慰めはいいわ。一番可能性の高いのはドレか、気付いているんでしょ?」
「・・・お前の幸せを願って、一切近寄らない。自分はお前の幸せには邪魔だと思う。自分と一緒では、普通に幸せにはなれない。お前には普通の幸せな人生を送ってくれる事を望む」
本当にバカね。
「私の幸せの形は私が決めるわ。普通とか、そんなの関係ないの」
「異常よりマシだろう」
だから生きろと言うのか。
理乃に気持ちを残したまま、他の男性と幸せに生きろと。
それがどれだけ無茶な事か気付いてもいない。
都合良く記憶や感情のセーブ、消去など出来ない。
感情の籠らない、情報としてだけの記憶なんて残せない。
一時的に封印なんてもっと出来ない。
そんな自制心も精神力もない。
理乃みたいに自制心で執着も何もかも抑えるなんて出来ない。
前に進む為に、必要と判断したからというだけでそんなに無茶な事ばかり出来ない。
数年間、当たり前の様に散々甘やかされて、守られて、それが無くなる恐怖が絶望がどれだけのものか理解出来ない。
「さて、私行くわ。朝になっちゃう」
「許可出来ない」
「所長の所よ」
「・・・嘘はないな?」
「勿論」
理乃に嘘を吐いてもバレるだけ。
そんなバカな事する人間はこの施設には一人もいない。
「・・・ならばいい」
「おやすみ。理乃」
「おやすみ」
やっぱり、理乃の一部は理乃だった。
しっかりしている様で、抜けていると言うか。
思考が読めるから、読める所に集中しちゃう。
読めない場所に気付けない。
これも視線誘導の内に入るのかしら?
「さよなら。理乃」
退職の挨拶くらいは最期にしないとね。




