~勉強編 7~
「ただいま」
自分達の部屋に入った途端、安心した。
この部屋は理乃に守られている。
理乃の気配で満ちている。
この部屋だけが、施設の中で空気が違う。
空調設備は同じ筈なのに。
理乃がいる。ただそれだけで安心した空気で満ちる。
「おかえり。どうした?」
出て行った時と空気が違う。
”思考”が違う。
何か混乱している。迷っている。
手を差し伸べると、くっついて来た。
頭を撫でると、少しだけ安定したが、まだ何か迷っている。
雪が安心するなら、いくらでも付き合う。
情報が足りない。
感情も読めたらまだ楽だった。
けれど、自分には混雑している思考しか見えない。
恐らく、研究員の誰かに何か言われたんだとは思う。
だが、対象から外れている雪に何を言う?
自分か。また自分か。
自分の存在が雪を利用させる。
雪を苦しませる。
雪が苦しまないようにするにはどうしたらいい。
外に出るにはまだ自分は幼過ぎる。
出ても雪に苦労させるだけだ。
ココで今以上に雪が安心出来る手段を考えろ。
自分が雪から離れればいい。
自分にとって、雪がどうでもいい存在だと周りが認識すれば、取引材料としての価値はなくなる。
保育園で学んだ筈だ。
大事なモノや好きなモノを周りに気付かれたら不利になると。
だが、そうなった場合、雪はどうなる?
今までの様に厨房で働けるか?
厨房か世話係としての価値はある。
この施設は、普通の施設のように簡単に新人は補充出来ない。
内情を知っている雪をここで雇うことは、何も知らない人間よりもデメリットが少ない。
この柔らかい身体を。
暖かい身体を。
優しい心を。
泣き虫な雪を。
自分は手離せるのだろうか。
いくらでも手離そう。
それで雪が幸せになれるなら。
「ねぇ理乃?」
「何だ?」
見上げてくる瞳の色は、少しだけ落ち着いていた。
「・・・死んだら、どうなるのかな?」
ココで理乃が見える事は誰にも教えていない。
必要がない。
利用価値もない。
だが、死んだらどうなるかは、彼等が見える理乃は知っている。
「死んでも変わらない」
「変わらない?」
見えない人間に言っても、頭がおかしいと言われるだけだろう。
「死んだ時のままだ」
「・・・死んだ時のまま・・・」
「死んだら解放されると思って自殺する人間がいる。だが、死んでも解放されない。ずっとそれが続く」
自殺したであろう彼等。
事故にあったであろう彼等。
彼等は、彼女等は。
いつまでもいつまでも死んだ瞬間に留まっている。
「生きていれば、対策が取れる。希望はある。だが、死んだら何も出来ない。何も変えられない。可能性がなくなるだけだ」
幼い頃、遊んだモノ達は人の形をしているモノが少なかった。
時折、彷徨っているだけのモノもいたが、きっと何かを探していた。求めていた。
死んだら何も出来ない。
何も手に入らない。
彷徨っていない夜子は還ったのだろう。
彷徨っていたら、ココにも来るだろうから。
夜空になっているかもしれない。
だが、夜空に夜子はいない。
「死んだ時のまま、消えてなくなるか、そのままでいるかのどちらかだ」
「死んだ時のまま・・・」
「雪はまだ死ななくていい。まだ道はある」
雪の寿命はまだある。
”死”の臭いがしない。
ここに自分がいれば、事故死もさせない。
「雪は幸せになれ」
「私は充分幸せだよ。花音に会えた。夜子に会えた。理乃に会えた。理乃のモノになれた」
「モノ扱いした覚えはない」
そんなぞんざいな扱いをした記憶はない。
「ふふふっ。そうゆう意味じゃないよ。理乃はほんと、乙女心がわかってないよね」
乙女心どころか、心がわからない。
自分の心すら、何処にあるのかわからない。
雪が大事だという事だけがわかる。
それだけわかれば充分だった。
「理乃は、ここに来て良かったって思う事、ある?」
「ん?あるな。そこは感謝してる」
「何で?痛い思い、いっぱいしてるじゃない・・・!」
痛覚が鈍いのは実験で実証済みなんだが。
「まぁ色々あるが。人体実験されるでもなし、拷問されるでもなし、薬漬けにされるでもなし。売春を強要されることも、薬物売買の入れ物にされることも、自爆テロに使われる訳でもないしな」
ここじゃなきゃ、何をされていたかわかったもんじゃない。
「最低基準そこ?!拷問にも人体実験に近い事もされてるじゃない!」
「本物とは程度が違う」
戦争で負けた人間がどうされるかは歴史の勉強をすれば嫌でも分かる。
この国が戦争と離れている事を感謝する。
この国には、資源が少なく狙う価値がないからだとしても。
この国は他国の人間の命に守られている。
軍はあるが、戦場に立つのは彼等の後だろう。
生き物の命に優劣はない。
この施設内でハリボテの利用価値を装ってはいるが、本当はそんなものはまやかしだ。
ただのポンコツを偽物で装っているだけ。
同じ地球という惑星に生きる物。
”死”に”、死体”に、近付けないが故に気付いた事。
理乃は人間でも動物でも等しく”死体”に近付けない。
「辛くないの・・・?」
「雪がいるからな。問題ない」
「そっか・・・少しは役に立ってるんだ、私」
「当たり前だ。雪がいなきゃ、こんなところ長居しない」
ここで学ぶ事はもうない。
雪と一緒にいられるなら、何処でもいい。
たとえ側にいなくても。
自分ではなく他の人間と一緒でも。
雪が幸せなら、自分は何処に居てもいい。
「ねぇ、ここを出たら、何かしたい事ってある?」
「あ?特に思い浮かばんな。花音は声優とかアイドルとか言ってたが」
「そっか。私はね、日本舞踊やってみたかったな」
「過去形にする必要はないと思うんだが」
「子供の頃からやった方が良いみたいだし。家に帰っても、習い事させて貰えるかわからないし」
「良いだけで、出来ない訳じゃないだろ。自分の稼いだ金で習えばいい」
趣味でやりたいのか、職業にしたいのかでハードルはかなり違うかも知れないが、詳しい事は知らない世界だ。
「そうだよね。うん。日本舞踊、やろうかな。着物着て踊るの」
「やればいいだろ。観に行く」
「・・・うん。さっ!寝よ寝よ。理乃の必要睡眠時間はただでさえ長いんだから!」
「何なんだ…釈然としないんだが」
何か見落としている。
大事な何か。
過去形にした心は?
感情は?
わからない。
ワザと隠されている何か。
隠しているのが分かるだけで、隠されてしまうと、思考されないと見えない。
自分が知れない何か。
自分が近付けないのは一つ。
思考ですら近付けないモノ。
もしかして?いや、まさか。でも。夜子の事もある。
今夜出た話題を一つにすれば見えてくる何か。
あと少し。あと少しで掴める。読める。
捕まえようとするのに、睡眠を必要としている本能に霧散される。
雪を抱きかかえ、本能に任せて眠りに委ねた。
任せれば、何かあっても対処してくれる筈だ。
理乃の寝顔は、やはり年不相応に大人びていた。
それでも、起きている時よりは余程、年相応だった。
先ほど、研究員と話をしていて思い出した。
理乃はまだ小学校に通う年齢だ。
誕生日を理乃が覚えていないせいで、正確な年齢はわからない。
身体付きが少年体型なせいか、余計にわからない。
中学生の男の子でも細身な子はこんな感じだろう。
小さめなら、高校生にもいるかもしれない。
雰囲気はここの大人達よりも遥かに大人びている。
研究員の話だと、理乃の身体が女性らしくなる事はないだろう。
恐らく、この形がほぼ完成形だと思っていい。
理乃の成長期は少し前に終わり、身長も余り伸びなくなった。
「理乃の大人の姿は、きっと今と変わらないね」
この施設に来た時から、顔が全然変わらない。
大人びて行くだけ。
強くなっていくだけ。
いや、理乃は最初から強かった。
初めて会った時から、泣くのは自分で、慰めるのは理乃だった。
自分を強く抱きかかえている腕を見る。
骨は細いが密度は高く、関節部分は太く、より強く補強されている。
そのせいで、細いのが余計細く見える。
鍛えられた腕は、とても少女の腕には見えない。
いつもより力が強いのは、気付かれたからだろう。
あれでは気付いてくれと言っているようなもの。
自分は止めて欲しかったのだろうか。
それとも一緒に。とでも思ったのだろうか。
「夜子、私も仲間に入れてくれる?」
夜空に向かって、友人に声を掛けた。




