~幼児編 10~
理乃は児童保育でも充実した日々を過ごした。
兄に連れられ、兄はどうやって遊び仲間に入れるか悩んでいたが杞憂に終わった。
女子達が放って置かなかったのだ。
むしろ争奪戦だった。
兄が押し出され放り出される程に。
彼女は一部の人間の庇護欲や支配欲を刺激する雰囲気を要していた。
可愛がって守りたくなるような。
無表情を変え、笑顔が見たいと思うような。
痩せた身体を見て、お菓子をあげたくなるような。
もぐもぐと食べている様子を微笑ましく眺めていたいような。
自分だけのものにしたいような。
色々な表情を見たいと思うような。
泣かせてみたいと思うような。
自分に泣いて縋り付かせてみたいような。
色んな事を自分が教えてあげたいような。
そんな様々な欲求を刺激した。
無意識に無自覚に。
保育園での同い年とは違い、児童保育にいる子供は小学生が主になる。
そのため、イジメて気を引こうなどと幼稚な手段を選ぶ子は少なく、例えいたとしても、他の子に追いやられていた。
理乃が行くなら!と着いて来た保育園の子供達は年上の子供達に追いやられ、近寄る事すら出来ないほど過保護に甘やかされた。
膝に抱っこされながら絵本を読んで貰ったり。
紙芝居を読んでくれる子もいた。
トランプやボードゲームを教えてくれたりもした。
三輪車を後ろから押して貰ったり、車の型をしたオモチャで廊下を走ったり。
時には大勢でドッヂボールもした。
最も、彼女は逃げる専門だったが。
一度投げさせて貰ったのだが、ヘロヘロと足元に落ちてしまい、それ以降は拾ったボールは強そうな男の子に渡していた。
彼女が最後まで残ってしまった時は同じチームの強い男の子が代わりに中に入り、大逆転したりもした。
疲れた時は膝枕をしてもらいながら、頭を撫でられつつ眠ったりもした。
物心付いた時には、母親に抱っこや膝枕をされた記憶がない彼女には、それらで充分、子供らしい母親に甘えたい欲求が満たされた。
別人でも満たされてしまった。
別人でも満たされてしまうほど無意識に飢えていた。
理乃の視界は平面だ。
それは人間も当てはまる。
壁に埋れた人型を人間と覚えただけであり、触らなければ母の腕が丸く柔らかい物だとすらわからない。
見ただけでは、身体の構造的に肩といわれる部位から出ている長いのが腕だと知識で知っているだけであり、丸みはわからない。
横から見たら幅はわかるが、それすらも平面であり、正面から見た形に合わせられない。
ボールは彼女にとっては円形でしかなく、球体として認識は出来ない。
カラッポはわかるが、人間は他の人には見えないモノよりも存在感が薄く、何となく雰囲気で誰かを見分けているにすぎない彼女は家族の顔も声も認識も記憶する事も出来ない。
見ればわかるが、思い出せない。
保育園のクラスの子のジャンケンの手を覚えたのも、保育園にはまだ字が読めない子が多く、それぞれにリンゴや魚などのマークが割り振られている。
そのマークが貼ってあるロッカーの前で点呼を取る。
そのマークをもとに、下に座っているモノの雰囲気を一致させ「マーク・雰囲気・ジャンケンで出す順番」を一つのモノとして認識し記憶しただけだった。
飼っているなり、余程愛着のある動物しか外見の特徴で見分けが出来ない様に、彼女にとっては人間の見分けが出来なかった。
人間は他の動物と違い、毛皮の模様などもなく特に見分けが難しい。
彼女にとっては同じ人間で有り、同じ国の同じ土地の者すら見分けが出来ない。
顔が認識出来ないのだから雰囲気で丸暗記するしかない。
雰囲気が見える方が珍しいのだが、他の人達がどうやって誰か見分けているかなんて話題には出ないのだから、認識の仕方が違う事に本人は元より他人が気付く事もない。
彼女にとって、自分を大切に頭を撫でてくれるだけで満足だった。
お駄賃よりも「良い子」と頭を撫でてくれる方がよほど嬉しかった。
けれど、与えられないと分かっているモノを望んでも虚しいだけの心を守る為に、何を欲していたか自分でも理解出来ない様に制御されていた。
それ故、強請る事もなかった。
それ故、分かって貰える事もなかった。
理乃は大変面倒臭い人間だ。
心の籠っていない行動は無意味だった。
子供を可愛がっている自分に酔っているだけの行動は自分への愛情とは認識しなかった。
心は籠っているが、行動が伴わない言葉も無意味だった。
心も言葉も行動も。
全てが揃わなければ意味のないモノだった。
彼女は近付いてくる人間の思惑がぼんやりと見えた。
大抵の人でも気付く事だ。
子供であれば、より敏感になる。
その中でも彼女は見えるほど敏感だった。
そんな中、心から可愛がり、甘やかしてくれた児童保育の年上のお姉さん達に彼女は懐いた。
ちゃっかりと美人ばかりだったが。
お姉さん達のおかげか、彼女の心は母を求める事を一切しなくなり、距離が離れたハリボテの親子関係を築ける様になった。
彼女の無意識が、彼女の中の定義に合わせた母親らしい行動をしない母を責めていたのだろう。
何故。どうして。と。
母親の癖に。産んだ癖に。と。
言葉にされないその無意識が音にも形にもならない姿で母を圧迫し、強迫していた。
それらが霧散し、外に出る様になった母は解放された。
どちらも気付く事がないまま親子の絆は解放と共に霧散した。




